消毒液の香り
この街は消毒液の香りに満たされている。味のない無機質なその香りにも、いつしかノスタルジーを感じるほどになっていた。
ガスマスクを被った作業員たちが街を闊歩する。葬列のように生気を失った彼らは、あらゆるものをアルコール漬けにしながら、満足げに大通りを進んでいく。僕は彼らが米粒ほどになるまでじっとその様子を見つめていた。
こんなに空が青く澄み渡っているのにどこか薄暗く感じるのは、背の高いビル群が作る大きな陰のせいだろうか。霧状になって宙空に溶ける細かな粒子が、やけに明るい太陽の光をきらきらと反射している。
真っ黒く焼けたアスファルトの上に架かる小さな虹。花は踏み荒らされ、草木の枯れ果てたこの街では、その儚げな七色だけが、唯一、命ある者であるように感じられた。
朽ちかかったコンクリートのビルの最上階に腰掛けて、くすんだ灰色の街を見下ろす。息苦しさを嘲笑うかのように柔らかな風が頬を撫で、街や人が死に行こうとも、この世界はまだ胎動を続けていることに気付く。もう春がすぐそこまでやって来ているのだ。どこか遠くの知らない場所で、鮮やかな桜の花が咲いている。
しかしそんな春の息吹も、靄のように渦巻くこの気化した消毒液がかき消して、僕たちのところへは決して届かない。それは僕たちに対する罰なのかもしれないし、ただ僕たちが遠くに見える春の色を恐れているだけなのかもしれない。
色素の抜けた無骨な建物が軒を連ね、それぞれが赤茶けた錆だらけのシャッターによって固く閉ざされている。もしかしたらもうあの中には誰もいなくて、この街には僕だけしか残っていないのでは。そんなことをたまに考える。気が狂ったのは果たして彼らの方なのだろうか。
甘ったるい缶コーヒーを舌の上で転がしながら、自分はまだ大丈夫だと必死に言い聞かせる。このコーヒーを飲み終わるまでは、きっと僕は正気でいられるだろう。
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