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担任の、吉河先生が遂に産休にはいるので暫く学校をお休みすると朝のホームルームで発表され、周りの子たちは「いよいよだねー」なんて言ってはしゃいでいた。予定より早まりそうだから、念のためにって事らしい。確かに教壇に立つ先生のお腹は今にも爆発しそうなくらい膨れ上がっていて、階段の上り下りにも苦労している様子だった。
「春川先生と仲良くね? 藍洲さんはいい子だから、平気だとは思うけど」
そう思うんなら念押ししなくていいのに。
私は適当に返事をしながら一時間目の教室へと移動する。美術、は、嫌いじゃない。
何の役にも立たないだろうけど絵をかくのは昔から好きだった。ていうか、何処で使うのか分からないっていう意味でなら数学の方程式とか、古典の古事記とか、そういうのも同じようなものだし。好きか嫌いかで言えばただ文字を書き写すだけの授業よりも何かしら考えて、筆を動かす美術の方が楽しい。ただそれだけだ。
教師としては長すぎる天然パーマ掛かった美術の先生が今日のテーマを力説するのを眺めながら、昨日の人のことを思い出していた。まさかあの人も芸術家って事はないだろうな、とか、でもあり得なくはないか、なんて思ったりしながらキャンバスを持って屋上に移動する。
今日は風景画らしい。
隕石の落ちた街なんて、誰も眺めたくないだろうに。
だけど普段は施錠されている屋上は何だか新鮮で、そこに立つだけで気分が良くなる。あの頃広がっていた悲惨な光景は――、もう、何処にも見受けられない。
復興と、修繕。
心ばかりの石碑と、毎年、規模の小さくなる追悼式典。
悲劇の記憶は徐々にこの街の人々から消えつつあって、それはきっと、悪いことなんかじゃない。
学校の屋上からは微かにあの河川敷の様子が伺える。家の屋根の向こう側に、ぼんやりと人の往来が見て取れる。
流石にこのままじゃどうにも曖昧で、仕方なく眼鏡を取り出して掛けてみるけれど、最近落ちた視力ではどうにもピントが合っていないみたいで結局そこにいる人たちが何をしているのかは分からずじまいだ。
別に、誰かを探しているわけでもないのだから、それで困ることはないのだけど。
河川敷と、そこにかかる橋を駆け抜けていく電車を構図に据えるのは誰の目から見ても自然らしく、次第に人が増えて来る。おしゃべりしながら、友達と、笑いながら、絵を描く。
それに対して何かを思ったわけではないけれど、流石に邪魔するのは悪いかと感じて少し離れた、何の面白みもない住宅街の広がる方角へと移動して、椅子を置く。目立った建物と言えば病院ぐらいだ。後は空き地と、瓦礫の山。未だにブルーシートの屋根もちらほら見えるけれど、それほど面白いものでもない。右の端には僅かに河川敷が伺えた。……って、なんだか未練がましいな。
そんなに川に飛び込んだお兄さんの事が気になるのかと自問する。
そりゃ溺れてる犬を助けにずぶ濡れになるなんて、ドラマか漫画の世界だ。何のお礼も言わずに消えてしまった叔母さんといい、話のネタになるのは間違いない。
けれど、私には関係のない話。もう、関わることもない人の一幕だ。あの人だって風邪でも引いていない限り、昨日の事はもう忘れ始めているだろう。もしくは、また河川敷でぼーっとしているのだとしたら、思い出してるかもしれないけど。犬が流れて来た光景を。
「変な人だったなぁ……」
これで画家だったりしたらまさしく変な人だ。定職にも就かず、絵だけで生計を立てようとしているなんて私には考えられない。真似できないし、したいとは思えない。そんな不安定な生活は余程自分に自信がないと選べないだろう。
もしくは生きることを諦めているか。
「…………」
柄にもなく、考えたくもない思考に下書きの鉛筆が止まる。
死にたいなんて、思うべきではない。
人はいずれ誰もが死に抱かれる。遅かれ早かれ生きるという事は死を背負って歩いているようなものだ。歩き疲れれば腰を下ろす様に、眠たくなれば横になるように。生きている限り誰でも死ぬし、死ぬことを望まなくともその時は必ずやって来る。
8年前、私たちこの地球上に住む人々はみんなが死を目の当たりにした。
徐々に近づいてくる隕石を前にきっと地球は滅びないなんて楽観的に考えながらも、その事を少なからず一度は考えた。
恐竜が隕石によって滅亡したように、人類も隕石によって滅ぶのだと、そして自分もその一人なのだと。
死ぬこと、生きる事。残された時間をどう使うか。
当初から混乱を避けるために軍事作戦の噂は政府主導で流されていたらしい。最期の希望を捨てさせない為に出来る限り高い、嘘の確率を提示して、……結果、地球は救われ、私たちの街をはじめとする幾つもの「不運な人々」が犠牲となった。奇跡の代償がその犠牲なのだとしたら、いま私たちがここにいるのはあの時逝ってしまった人たちのおかげだ。――なんて、宗教家たちは語るけれど、恐竜は隕石の衝突による環境の変化ではなく気候の変化の中で鳥へと進化し、私たちもまた、多数の生贄のおかげで助かった訳ではなく奇跡の軍事作戦のおかげで犠牲をある一定数に収めることが出来た。それだけだ。
失われたものは返ってこない。川の向こう側へは一方通行だ。
こちら側で地面に立って、息をしている私たちは、今日という一日を大切に、噛み締めるべきなんだ。
ぐちゃぐちゃと、余計な事を考えながら描いた風景画はたいして進まなかった。なんとなくの輪郭と、なんとなくの境界線。ぼんやりした街並みを切り取って自分の良く知る景色はいつの間にか何処にもない事を痛感させられる。
嫌いじゃないハズなのに。
いまいち、今回の授業は楽しめなかったな、とか。らしくない。
「お弁当を食べよう! 私と!」
昼休み。部室の扉をあけ放ち、そう言ったのは例の体育教師だった。確か、
「……春川先生、でしたっけ」「そう!」
なんだか無理やり声を絞り出しているような体育会系。正直鬱陶しい。
学校の中で自分だけのプライベートスペースが持てるからってこの部活を選んだのに、こんな風に乱入されたんじゃ溜まったもんじゃない。
入口に立ち尽くしたままの先生を放って、私は購買で買って来た焼きそばパンを頬張る。コロッケも一緒に挟まってる奴。お値段なんと120円。破格だ。
「御覧の通り場所、ありませんよ。片づけるにしても私が食べ終わるの待ってもらっていいですか」
テーブルの上には表紙が痛んで並べておけなくなった本たちが山積みだ。文芸部の部室という事にはなっているけれど、強制的に何処かの部活には入らないといけない校則の抜け穴として用意された幽霊部員の巣窟だし、図書管理室の札が下げてある通り、いわば物置だ。部室に置かれているロッカーも随分前から使われてはおらず、そこに差し込まれた生徒の名前も私は全く知らない。ひらがなとか、カタカナとか、あだ名なんだろうけど。文芸部が発行していたという文集も数年前からナンバリングは止まっていて、入部したての頃に放り出されていた物を興味本位で捲ったこともあるけど、それだけだ。
ゴミ山と言ってもいいほどに積み上げられた過去の文章。原稿用紙と文庫本や中身の抜けたハードカバーは叩けば埃が舞うだろう。なのに、
「だ、大丈夫ッ……、場所は作るものだからっ……!」
そういって先生はガサゴソと机の上の本を横にずらし、白い綿をまき散らした。
「ああ……そうですか」
流石の私も窓際まで避難すると開け放った窓枠に腰かけた。さてはて、どうしたものか。再びパンを頬張る。このまま抜け出そうかな。吉河先生の代理だというのなら先生はまだ学校にいる、明日からでいいはずだ。なのにここに来る意味って、……なに。
可愛らしい小さなお弁当に、冷凍の食材やら昨日の夕飯の残りっぽいおかずを詰め込んだそれは体育教師と言えど女の子なんですねーって感じ。てか、二十歳過ぎればただのオンナだっけ。成人して小さなお弁当のワタシカワイイっ、なんていうキャラではないだろうけど。
「ん? なに? 藍洲さんも摘まむ?」
「いえ……、いいです」
焼きそばパン、もとい焼きそばコロッケパン、おいしい。
何はともあれ生徒からは人気のありそうな先生だし、昼食を取る場所に困って来たわけではないのだろう。何らかの目的があって、……私絡みで吉河先生に何か頼まれたか、吹き込まれたか。どちらにせよ碌な話ではあるまい。
なるべく視線を合わせないようにして中庭の方へ目をやる。早くもご飯を食べ終えた生徒たちがバレーボール片手に走り去っていった。楽しそうな青春で何よりだ。
この春川先生もきっとあちら側の人間だったんだろうなってなんとなく思う。私みたいになあなあと、気の向くまま何の目的も持たずぼんやり昼休みを過ごすなんて怠惰だと、一度限りの青春に対する冒とくだとでも今にも叫びだしそうだ。吉河先生はそれなりに理解を示してくれていたけれど、それでも快く思っていないのは感じていたし、その事をこの先生にも伝えて、余計なお節介に気を回した――、のかな。多分。生徒一人一人、学校での過ごし方なんてそれぞれなんだって事、分かんないものかな。教師って。
春川先生って学生時代から、クラスで一人、お弁当を食べている子がいたら率先して一緒にご飯食べようとか言いそうなタイプだしなー……なんて。
「あ、のさ。学校、楽しい?」
「楽しいですよ。普通に。義務教育じゃないんだから。来たくなきゃ来ませんよ」
「そっかー、そうだよねっ……?」
引きつるような笑み。分かってる。「来たくなきゃ来ない」なら「なんで時々授業をさぼってるのか」だろう。
簡単な理由だ。「気分じゃなくなったから」。
学校は楽しいし、授業は退屈だけど必要なことだって分かってる。
けど、自称進学校の原則として予習・復習、授業で確認ってのがある。結局は自分で予習してきた所を授業で確認して、復習で定着させるっていう。先生の中には誰に向かって話してるのか分からないような上の空な人も多い。そういう先生の授業は時間の無駄だし、必要ないと思ってるのは私だけじゃないハズだ。
学校を抜け出すかどうかは別にして。
机に縛られてラジオと化した教鞭に耳を傾けるより、独りでのんびりと午後の時間を過ごした方が有意義な時だってある。……って説明しても分かんないだろうけど。体育教師だし。流石にこれは偏見かな。お昼ご飯を邪魔された私怨のせいかも。
重苦しい空気をどうにかしようと先生はあれこれと話題を投げかけて来る。
友達の事、授業の事、恋愛の事。
当たり障りのない高等学校という枠組みの中なら誰でも何処かに引っかかりそうなテーマで話を膨らませようとしてくるけれど、私にその気がないのなら話が弾むわけもない。
適当に聞き流しながら相槌を打っていると流石の先生も手が尽きたのか黙り込んでしまう。お弁当も食べ終わって水筒からお茶を注ぎながらこちらを伺う。香り的に緑茶じゃなくて紅茶かな。良い匂いだ。私はストローでパンと一緒に購買で買った紙パックから紅茶をごくごく。別に不味くはないけど分かりやすく甘い、紅茶というよりもジュースって感じの飲み物。好きじゃないけど嫌いでもないけどなんとなく買っちゃう味。
先生はって言うと今にも頭から煙を出しそうな勢いでショートしてて、無理しなくていいのにってなんだかこっちの方が気を遣ってしまう。
「あのさ、先生。気持ちは嬉しいけど別に何も困ってないから変に関わろうとしなくていいよ?」
気を遣われる理由は自分が一番分かってる。けど、別にこの街で隕石に家族を奪われたのは私だけじゃない。他のクラスにだって、少なくとも、いまの学年には他にも何人かは、遠からず知人をアレによって亡くしている。
その中で特別、人と距離を置いているからって気にされても困るのだ。私は独りのが楽なだけだし。
そう言うと先生は必死に言葉を探して、「でっ、でもねっ?!」なんて言いながら喰らい付いてくる。いい加減うざい。
「鍵、ちゃんと閉めといてね」
そう言って腰かけていた窓枠を乗り越えて中庭へと立ち去る。
後ろから呼び止める声が聞こえて来るけど聞こえないフリでふらふら日当たりのいい場所を探して歩いた。学校を抜け出すには――、カバンを置きっぱなしだけど、まぁ、いいか。放課後に取りに戻れば。
幸いにも、午後は体育と音楽で、私はそのどちらにも心惹かれない。
財布に携帯、後はお昼を食べながら読んでいた文庫本が一冊。必要最低限、貴重品だけもって裏門をすり抜けると街路樹の隙間からの木漏れ日が心地よかった。
なんとなく、気になっていた河川敷の方へと自然と足が向く。あの人を探しているわけではないけれど、時間を潰すなら場所は限られてる。制服だし。街中に出ようものならお巡りさんに声を掛けられるのがオチだ。
遠くから聞こえるチャイムの音色。お昼過ぎの公園は閑散としていて、お弁当持参の親子連れがちらほらと。これと言って目新しい物もなく、良く分からないツタのような植物で屋根が出来上がっている休憩所に腰を下ろした。来週の、今頃にはきっとあちこちで式典の準備が始まる。
その光景を思い浮かべて、今年も祖父母を連れてここに来なきゃな―なんて。……慰霊碑に両親と、弟の名前は刻まれているけれど、そこに三人が眠っているわけでもなく、もはやただの形式的なお祈りでしかない。
第一、「二度と隕石が地球にやって来ませんように」なんて、どんなお祈りだ。
「もしかして、靴、乾かなかったの?」
突然後ろからそんな風に声を掛けられて柄にもなく体が跳ねた。
振り返れば見た事のない、男の人が立っている。……だいがくせい?
「え、なん、……ですか?」
靴? 言われて足を見るけど靴じゃなくて今はサンダルだ。学校指定の。上履きの代わり。
困惑し何処かであったことがあるかなって顔を睨んでいるとお兄さんの方から「ああ、そっか」って言いながら手で顎と耳の横を……ジェスチャーで何か伝えたいらしいけど全然分からない。仕方なく胸のポケットから眼鏡を取り出してぼやけていたピントを睨み、合わせる。
「髪の毛……、ひげ……?」
――と、ようやく頭の中でイメージが重なった。
「ああっ……びしょ濡れのお兄さん」
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