第5話:武人:マッゲ=サーン

「いやしかし、司令官殿。ここまで上手いこと、敵さんに追いつかれずに済んで良かったんですぜ。もし、渡河中に敵に襲われていたら、全滅しててもおかしくなかったんですからなあ?」


 ニコラス=ゲージがアキヅキ=シュレインに肩を貸しながら、彼女の身を起こす。彼女は何ゆえか、彼女が騎士たる象徴とも言える羽ばたく白鳥の装飾が施された紅玉ルビー色の甲冑を着たままに後退を続けてきていたのだ。


(アキヅキ司令官殿は何も言わないが、もし、この隊が襲われた時には、目立つ格好の司令官殿に敵が集まるって考えていたんでしょうな……。しかし、そうならなくて本当に良かったんだぜ……)


 ニコラスだけでなく、隊の誰もがアキヅキが紅玉ルビー色の甲冑を着ていた理由についてはなんとなく察していた。それゆえに皆はもし敵に襲われた時は、彼女だけは逃がそうと硬く心に誓っていたのである。しかし、それも杞憂に終わりそうな雰囲気であったために、兵士たちはほっと胸を撫で下ろすことになる。


「さあ、先を急ぐのですわっ! サノー砦までは気を抜いてはいけないのですわっ!」


 サクヤ=ニィキューが皆を鼓舞し、最後の力を使えと命じるのであった。兵士たちは、うおおお! と一度、雄叫びを上げた後、後退を再開するのであった。


 しかし、アキヅキ=シュレインだけはサノー砦とは逆方向に走り出したのだ。彼女は今しがた渡ったばかりの河に飛び込み、水をかき分けていく。皆はそんな司令官を見て、どうしたんだ!? と思った時であった。


 彼らが抜けてきた森の出口で天を衝くような火柱が舞い上がる。そして、その火柱の中心部には、全長5メートルはあろうかという焔虎フレイム・タイガが出現したのである。


 遠目から見ても、その焔虎フレイム・タイガは異様も異様であった。さらに、焔虎フレイム・タイガは足元のニンゲン相手に次々とその燃える爪を振り降ろしていく。


「シャクマーーー!」


 アキヅキには気付いていた。あの焔虎フレイム・タイガと戦っているのは、シャクマ本人であることを。シャクマは遅れた兵士たちを逃がすために、あそこで踏みとどまっている。


 その証拠として、焔虎フレイム・タイガから500メートルほど、こちらに近い場所を転げるように走っているのは、アイス=ムラマサに率いられた10名の兵士であった。


 アキヅキは頭の中が真っ白になっていく。


 シャクマが殿しんがりを申し出た時から、嫌な予感はあった。


『俺は元居た世界では退きシャクマって呼ばれていたんだ。俺が仕えたダイミョー家の中では、俺が一番、撤退戦が得意だったんだぜ?』


 撤退戦が得意って、それ、褒められたことなのかしら? とアキヅキは思っていたが、シャクマの元居た世界では、撤退戦こそ、鎧武者モノノフの真骨頂だとまで言い切られたのであった。


 それゆえ、釈然とはしないアキヅキであったが、彼の言を信じて、殿しんがりを任せたのである。だが、あんな全長5メートルはあろうかという焔虎フレイム・タイガをシャクマ1人で相手にするなど、誰も予想していなかった。自分の判断が間違っていたことを、アキヅキは知ることになる。




 ――時間は10分ほど遡る――


「見事な腕前、感服するばかりでゴザル! 其方の名を聞かせてほしいのでゴザル!」


 シャクマが森を抜けた後、それに続くように紅い青銅製の胸当て、手甲ナックル・カバー脚絆きゃはん、背中には虎の刺繍が施された外套マントを身に付けた、いかにも将らしい将がいきなり、シャクマを褒めたたえ、さらには名を聞かせてほしいと言い出したのだ。


 シャクマは何だ、こいつ……と思うのであるが、こいつに付き合えば、他の兵士たちの撤退の時間を稼げると考えて、しばし、問答に付き合うことにしたのである。


「ほう。シャクマ=ノブモリと言う名でゴザルか。しかも、あの伝説の鎧武者モノノフだと言うのでゴザルか?」


「ああ、そうだ。俺が名乗ったんだ。次はお前さんが名乗りやがれっ」


 シャクマの憮然とした返しに、ほう……と口から漏れてしまうマッゲ=サーンであった。眼の前の男が、250年前の大昔に、我が物顔でエイコー大陸を蹂躙した一族の生き残りであることに訝し気になりそうになる。


 だが、先ほどの森の中での弓さばきを見れば、眼の前の男が並みの将でないことは明らかであった。


「ふっ……。鎧武者モノノフとうそぶくか。いやしかし、実際に剣を交えれば、それは判明するでゴザル! 拙者の名はマッゲ=サーン! ショウド国の五虎将軍がひとり、武勇1番の征南セイナン将軍とは、拙者のことでゴザル! いざ、尋常に勝負でゴザル!」


 マッゲ=サーンはそう言うと、いきなり、腰の左側に佩いた紅色に光る長剣ロング・ソードを抜き、シャクマに肉薄する。シャクマは、ちっ! と大きく舌打ちしたあと、左手に持っていた弓を投げ捨て、腰に結わえてある小袋に右手を突っ込み、そこから紅い水晶クリスタルを取り出す。


 そして、その水晶クリスタルを右手の中でへし折る。するとだ。彼の右手に朱い槍が現出することとなる。そして、その朱槍を両手で構えて、上段からの斬り落としを企むマッゲの長剣ロング・ソードを朱槍で受け止める。


 そして、シャクマは肉薄するマッゲの腹に、うおらああ! との掛け声と共に右足で思いっきり蹴りを入れる。マッゲはぐふっ! と言いながら後ずさることになる。そこに間髪入れずにシャクマは連続で突きを出す。


 しかし、シャクマの高速連続突きをいともたやすく、マッゲは右手に持つ長剣ロング・ソードで捌いていく。


(こいつ、やりやがるっ!)


 それがシャクマの素直な感想であった。シャクマはマッゲの眼を潰そうと、彼の顔目がけての三段突きであったのだが、その狙いを察していたかのように、マッゲは捌ききったのである。


「ふっ。伝説通りにえげつない戦い方をするのでゴザル。鎧武者モノノフはまず、相手を不自由にさせた後に、トドメを取ってくると。いやはや、無駄な調べものにならなくて良かったのでゴザル!」


 マッゲはそこまでいうと、今度は自分の番だとばかりにシャクマに斬りかかっていくのであった。応戦するシャクマも、朱槍を振り回し、マッゲの猛攻を防ぎきるのであった。

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