第2話:酔虎

――ポメラニア帝国歴259年4月2日 火の国:イズモ:ゼーガン砦にて――


(昨日はネーロの前で恥をかかされたダワス!!)


 明けて4月2日の午前9時半過ぎ。サラーヌ=ワテリオン征東セイトウ将軍が300メートル先の砦の石壁を見て、まず頭の中に思い浮かべた言葉はそれであった。


 大石に無様に潰された自分の兵を見て、野営地で戦いの趨勢を見守っているネーロ=ハーヴァに高笑いされたのである。


「しかし、ど、どうしますみゃ~? 壁のどこから登っても大石が頭に降ってきますみゃ~!!」


 サラーヌ付きの副官が慌てふためきながら、サラーヌにどうしたものかと相談する。サラーヌは、ふんっ! と一度大きく鼻を鳴らしたあと、身体から蒼色に染まる魔力を噴出させる。そして、その噴き出た魔力の全てを左手に持つ宝珠:持国天に注ぎ込んでいく。


「いでませ、いでませ。ショウド国の東を護る守護神よ。ワテの従者となりて、手足の如くに働きたまへ!」


 サラーヌがそう呪術の文言を唱えると、体長2メートルはあろうかという蒼き虎がどこからともなく現れる。その蒼き虎はガオオオン! と一度、たくましく吼えたあと、一直線にゼーガン砦の東側へ突き進んでいく。


 そして、最前線にたどり着くと、そこでもう一度、ガオオオン! と吼えて、さらにはその大きく開いた口から大量の液体を噴水が如く、天に向けて放射したのであった。そして、大空に舞い上がった液体は春の雨のようにザーザーと最前線にいる半虎半人ハーフ・ダ・タイガたちに降り注ぐ。


「お、おら、なんだか気持ち良くなってきたみゃー?」


「うひっ。ひっく! こりゃあ元気が湧き出てくるみゃー!?」


 蒼き虎が口から噴き出した液体を浴びたショウド国軍の兵士たちが突然、酩酊状態に陥る。彼らはまともな判断を失った状態で、次々とゼーガン砦の石壁をよじ登っていく。


「な、なんだ!? こいつら、罠があるのを承知で昇ってくるんだぜ!?」


 この日、ニコラス=ゲージは配置転換され、ゼーガン砦の東側の石壁の上で防衛任務にあたっていた。その石壁の上から下をのぞき込んでいたニコラスが驚きの表情を顔に浮かべる。半虎半人ハーフ・ダ・タイガたちの眼はとろんと蕩けるような表情であり、一歩、また一歩、5メートルはある石壁をよじ登ってくる。


 そして、もちろん、石壁の最上段のぐらつく大石を手甲ナックル・カバーから伸びる鈎爪カギヅメで掴み、大石もろとも地面に落下していき、その命を儚く散らす。だが、それを見た後続の敵兵たちは、恐怖を味わうどころか、へへっへへっ! と不気味な高笑いをして、再び、石壁をよじ登ってくる。


 石壁の最上段に仕掛けた、はずれやすい大石は縦50センチメートル、横1メートルのなかなかの大石であった。それゆえ、敵兵がひるんでいる隙を見て、大石が外れた部分に仕掛け直す。しかし、それだけの大石であるため、大の男が2~3人で持たなければ運べない。


 それゆえ、敵兵がひるんでいる時間がどうしても必要不可欠となる。だが、敵兵は何が原因かはわからないが、大石で潰されることに恐怖心を抱いていないが如く、石壁に張り付き、次々とよじ登ってくるのであった。


 石壁の最上段に設けられた、ぐらつく大石は全て剥がされ、次の大石を準備している間に、ついに半虎半人ハーフ・ダ・タイガの一群は、石壁の上へ昇り詰めてしまったのである。


 サラーヌの軍は昨日の戦闘からここまでで、200人中、30人もの兵士を犠牲にした。しかし、石壁の上さえ押さえてしまえば、どんどん後続たちが犠牲無く続くことができる。サラーヌは強制的に、自分の部下に死ねと命じることができるとんでもない将であったのだ。


 さらにサラーヌの性質たちの悪いことは、左手に持つ宝珠:持国天から召喚した酔虎ドランク・タイガ半虎半人ハーフ・ダ・タイガすら酩酊状態に陥らせることが出来る『虎焼酎タイガ・バーンチュウ』を大量に産み出すことが可能であった。


 そして、酩酊状態の半虎半人ハーフ・ダ・タイガたちは他の兵士たちの眼から見れば、意気揚々と死地に赴き、任務をまっとうして死んでいった勇気ある者たちに映る。そんな兵士を見れば、他の兵士たちはどうなるか? そうである。士気が上がるのは当然の結果であった。


 酩酊状態であった半虎半人ハーフ・ダ・タイガたちは死に絶え、残された半虎半人ハーフ・ダ・タイガは仇は必ず取るとばかりに次々とゼーガン砦の東側の石壁を登り切っていく。


「くっそ! ふざけやがってるんだぜ! ヒトの命をなんだと思ってやがるんだぜ! 死ねと言われて死ねる兵士も狂ってるが、それをしろと命じた指揮官も狂ってやがるぜ!!」


 そういった裏事情があることも知らずに石壁の上で戦斧バトル・アクスを振り回すニコラスが毒づく。確かに指揮官は場合によっては、『部下たちに死ね』と同義の命令を出さねばならない。


 しかしながら、それは切羽詰まった時の打開策としてのみの策であろうとニコラスは考えていた。


 ニコラスは残念ながら、指揮官としての能力が低いことがこのことからわかる。砦や城を攻める場合は悠長に小出しに兵を出陣させれば、戦いは長引き、被害は甚大なモノとなる。攻める好機が訪れたならば、一部の兵士の命も顧みずに全力で当たるのが兵法としては正しい。


 だが、その状況を無理やり作り出しているサラーヌ=ワテリオンも、ニコラスの言の通り、十分に狂っているのは確かであった。


「皆! 頭を低くしなさいっ!!」


 石壁の上で戦うニコラス隊に向かって、命令を下す女性がいた。羽ばたく白鳥の装飾の施された紅玉ルビー色の全身鎧に身を包んだエルフの女騎士が、両刃が蒼い水晶クリスタル製の大剣クレイモアを横から薙ぎ払うように振り回したのである。


 ニコラスたちは背中にゾッとするような嫌な感覚を覚えて、すぐさま頭を抱えて、その場でしゃがみ込む。


 そしてしゃがみ込んだその頭の上10センチメートルほどのところを、蒼白い光を伴う一閃が通りすぎていくのであった。


 エルフの女騎士が剛力一閃。力強く握った大剣クレイモアを振り切ったと同時に、彼女の目前に居た半虎半人ハーフ・ダ・タイガ3人の胴体が横から切り裂かれ、腹から上と下で真っ二つに分かれることとなる。


 そして、大量の血がまるで桜吹雪のように舞い散り、ニコラスたちの頭上からドバっと降ってくるのであった。


 血まみれのニコラスたちは、恐る恐る自分たちの背中側に居る、そんな状況を創り出した女性を見やる。


 彼女が着ている紅玉ルビー色の全身鎧は半虎半人ハーフ・ダ・タイガの返り血を浴びて、より一層、紅く染まっていたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る