第1話:招かざる客

――ポメラニア帝国歴259年3月7日 火の国:イズモ:シュレイン邸にて――


 昼過ぎのアンニュイな時間帯。その気持ちを表すかのようにシトシトと雨が降っていた。この年は、ポメラニア帝国の行く末が不明なことを象徴するかのように火の国:イズモでは雪がまったくと言っていいほど降らずに3月を迎えたのであった。


 しかしそれでも天から降り続ける雨は寒気を含んでおり、アキヅキ=シュレインは部屋の暖炉に薪をくべて、暖を取らなければならなかった。


「嫌な雨……。こういう日は決まって嫌なことが起きる……」


 部屋の窓ガラスに冷たい水滴が縦の線となって下へ流れて行くのを憂いた気持ちで見つめているアキヅキである。そんなアキヅキの嫌な予感通りに招かれざる客がこの雨の中、二頭の馬に引かせた箱馬車に乗り、やってきたのである。


 箱馬車はシュレイン邸の開かれた鉄条門を通り、館の玄関の前の噴水がある広場の一角に止まる。その馬車からは黒いシルクハットを被り、これまた黒いタキシードと黒いコートに身を包んだ男たちが2人降りてくるのであった。


 その男たちは手荒にシュレイン邸の玄関扉に取り付けられた金属製の輪っかを握りながら、扉をガンガンッと叩く。


「我らは宮廷からアキヅキ=シュレイン殿に辞令を伝えにきた! 扉を開けてほしい!!」


 その言いはまるで男たちは自分たちが怪しい者ではないことを主張するかのようである。


「どうなさいますかな? お嬢様」


 そう言うのはシュレイン家に長年仕えている半犬半人ハーフ・ダ・ワンの老執事:バジル爺であった。彼はアキヅキ=シュレインの自室にある小さなサイドテーブルの上に置かれている高級カップに淹れたての紅茶を注いでいる最中であった。


「せっかく嫌な気分をまぎらわせようと思って、わざわざ爺やに紅茶を淹れてもらっていたのに……」


「では、お帰りいただきますかな?」


 バジル爺は紅茶ポットをサイドテーブルの上に置き、アキヅキ=シュレインの指示を待つのであった。


「そんなことしたら、シュレイン家の立場が危うくなるのをわかって言ってるでしょ?」


 アキヅキがそう言うと、バジル爺は少しだけ口の端を上げて、申し訳ない程度の笑顔を作る。そして、両目を閉じて、アキヅキ=シュレインにお辞儀をして、回れ右をし、部屋から出て行くのであった。


 それから10分も経ったあとだろうか? 玄関で大声をあげていた男たちは屋敷の中に招かれて、応接間へと案内されることとなる。


 その応接間には2~3人が座れるであろう大きさの革張りのソファーが2脚置かれていた。上座にはアキヅキ=シュレインが座り、下座には黒づくめの男たちが座ることとなる。


 男たちは暖房がよく利いた部屋に通されて、さらにはバジル爺が淹れた紅茶に喉を潤すことになる。


「いやあ、ありがたい……。外は滅法、寒くてですね。こんな美味しい紅茶を頂けると、嬉しくなってしまいます」


「紅茶葉は水の国:アクエリーズから取り寄せたモノです。お口に合ったようでさいわいですわ?」


 男たちはどちらも半猫半人ハーフ・ダ・ニャンであった。彼らは種族的には半分猫であるため、猫舌の者たちが多い。それゆえ、彼らが喜ぶようにと、少しぬるめの温度の紅茶をバジル爺は淹れたのであった。


 そのバジル爺はソファーに座る男たちの後方2メートルの応接間の入り口付近に立っていた。彼はまたしても口の端を少しだけ上げて、申し訳ない程度の笑顔であった。


(爺やったら、してやったりって顔をしてるわね? ふふっ。どうせならマタタビ酒も混ぜておけば良いのに……)


 バジル爺の笑顔に気を良くしたのか、アキヅキ=シュレインは紅茶を飲み干した客人たちに用件を伝えるように促すのであった。


「ああっ、すいません。私としたことが……。一番大事なことをすっかり忘れていました。この書状を読んでほしいのです」


(書状? 玄関の前で辞令を伝えにきたと言うのだから、自分の手でその書状を開いて、読み上げれば良いんじゃないの?)


 アキヅキは不思議に思いながらも、蝋で封をされた巻物スクロール半猫半人ハーフ・ダ・ニャンの男から受け取り、蝋をペーパーナイフで剥がす。そして、丸まっていた書状を縦に伸ばして、そこに書かれた内容を読むのであった。


――火の国:イズモの騎士:アキヅキ=シュレインに命ずる。ゼーガン砦の守備に就け。そこで其方の帝国への忠誠心を見せてもらう――


 なんとも無礼な言い草である。誰からの辞令なのかと、差出人を確かめるために書状を舐めるように確認するアキヅキである。


「ん? ん? んんんーーー!?」


 訝し気なアキヅキが差出人の名前を発見するや否や、驚きの余りに言葉が出なくなってしまう。それもそうだろう。この書状の差出人はあろうことか、『第15代メアリー帝』であり、さらにご丁寧にも『始祖神:S.N.O.J』の名前も添えてあったのだ。


 驚きの余りに、黒に強く蒼が入った双眸を今にも飛び出んとばかりに大きく見開き、その端正な顔も台無しとばかりとなってしまうアキヅキである。


 アキヅキの対面のソファーに座る半猫半人ハーフ・ダ・ニャンの男たちも上着のポケットから取り出したハンカーチで額から流れ出る汗を懸命に拭き取っている。


「何故、大の男が2人、わざわざ宮廷から出向いてきたのかを理解してもらえましたでしょうか?」


 何をどう理解しろというのだろうか? それがアキヅキ=シュレインの率直な感想であった。


 火の国:イズモは元々は四大貴族のひとり:ハジュン=ド・レイが実質的に支配していた。しかしだ。1月初めに起きた宮中騒乱の犯人のひとりであるハジュン=ド・レイとその一味は、大将軍:ドーベル=マンベルの命だけでは事足りず、同じく四大貴族のひとりであり宰相でもあったツナ=ヨッシーを斬り、さらには彼の一等騎士であるモル=アキスを葬った。


 それだけではない。あろうことか、ハジュン一味はポメラニア帝国:第15代のメアリー帝にすら刃を向けたと伝えられている。


 しかし、始祖神:S.N.O.Jがこの世に再び降臨し、窮地に陥ったメアリー帝を、その始祖神:S.N.O.J自身が救ったのは、今やポメラリア帝国全土に知れ渡っているのであった。


「そんな……。何故、メアリーさまが……。そして救国の英雄であらせられる始祖神:S.N.O.Jさまが、わたしに直接、命令を下すの!? 本当に意味がわからないわよ!!」

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