苦労を苦労と思わないのは徳

 また同時に、努力を努力と思わないで行うのもお徳。


 人生のうち、勉強に没頭する時期というのは必ずある。

 人生経験と呼び薬にするのか、なんとなく通り過ぎてしまうのか、それはまた人による。


 ところで、

「二宮尊徳さんは、勉強するべき時期に勉強をしたので大成した」

 と友人が言っていた。

 なぜ仲がいいわけでもない歴史上の人物と、我々のつとめてしいる勉強を並べて、大成するには時期もあるのよと言うのか。

 それは人生のうちで、というのか、それとも時代のうちで、というのか定かでない。

 聞き返さなかったわたくしもぼんやりしているが、彼女の言いっぷりは受け売りか、直感的に言ってみただけとしか聞こえない。

 多分前者だ。

 残念ながら、わたくし含め、周囲にいる誰も二宮尊徳さんとは仲良くなかった。

 血縁でもない。

 出身地も違う。

 銅像になった二宮尊徳さんは、我々の心の中で、血の通った人物ではなかった。

 伝記で

「苦労人だった」

 と、わずかに伝え聞くばかりであった。


 しかし、苦労は苦労でも、努力がぜんぜん苦にならない時期というのが、人間には存在したのだ。

 わたくしはそれを青春と呼ぶ。

 努力と克己の時代だった。

 今思えばくるいそうなほどにつらかった。

 しかし、そんな思いなど跳ね飛ばすほどに、エネルギーが余っていた。

 わたくしはなにを隠そう、ひそかなエリートだったのだ! 虚弱だったけれども。

 今となってはそんなものは何の役にも立たないし、ネタにしようがないので、本当にどうしようもないが。

 生涯現役でいたい。

 いつでも青春のままでいたい。

 しかし老いは必ずくる。

 病んだり、乱れたり、崩れたりしても現役でいたいというのは、贅沢なのだろうか?

 そのへん、バイオテクノロジーでなんとかならないか。

 日々、TVを観ては考える。

 べつに、そればっかりでもないが。

 頭と体は健康でいたいものだ(年寄りの発想)。



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