ソード・ディーヴァ

夜道

第一部 氷結神域/東京

一話 邂逅

-2025年-

 ある日のこと。

 外ではセミが「自分はここにいるぞ」と存在を主張せんばかりに鳴いている。ほんのちょっぴりの不快感はあるものの、これも夏を実感させてくれる一つの要因であるから、嫌いじゃない。

 玄関の扉を開け家に入ると、太陽の光が遮られたからだろうか──、少し涼しく感じる。だが、リビングでガンガンに効いている冷房によって、体は瞬間的に冷気に包まれる。やっぱりセミよりも冷房の方がいいよな、と思いつつ俺はテレビの画面に目を向ける。


「今月だけで、地球で二箇所もの『観測不能領域』が発生しています。観測不能領域とは──」


 よく見るニュース番組のよく見るニュースキャスターで、なんの変哲も無い。少しため息をつきながら、冷蔵庫からコンビニで売っている棒アイスを一本抜き取る。慣れた手つきで袋を破り、アイスを口に咥えたままソファに体を任せる。


「…既に多くの人が行方不明となっており、世界的に問題視されています──」


 『観測不能領域』。

 近頃、ニュースで頻繁にやっている事件だ。なんでも、ヨーロッパだのアメリカだのの一部が『観測不能』になったとか。『観測不能』って言うのが正直な話、よく分かっていないのだが。その地域を包むようにが覆っていて、壁を超えようにも入り込む方法が無いらしい。

当然、その地域の中の人や建物がどうなっているかも分からない。そういうことで、『観測不能』なんだそうだ。


「世界的に問題視……か。正直、日本は平和すぎて実感がないんだよな」


 リモコンを手繰り寄せ、テレビの電源を切る。アイスはあっという間に食べきってしまい、再び喉が渇いていく。今日は(というか、夏休みに入っているのでここしばらくは毎日だが)休みだから、出来ることは今のうちにやってしまおう。

 例えば……蔵の、片付けとか。

そう、蔵だ。……ああいや、この2025年の日本において、蔵のある家なんてほとんど無いことくらいは知っている。だが、残念な事に蔵が──全く手のつけられていない蔵が、うちにはあるのだ。

 蔵を管理していた祖父が死んでから、親は全く手をつけず、俺は毎年気にはしながらも結局手をつけていなかった。

 そんなこんなで数年間放置されていた蔵を掃除するべく、ついに立ち上がることにしたのだ。


「……よし。今日は、今日こそはやってやるぞ。脱・汚蔵!脱・掃除できない俺!」


 蔵は家の裏手にある。再び炎天下の中へと旅立つのは癪だが、どうせ蔵までの短い道のりである。そのくらいは我慢できるはずだ。

 つめた〜いペットボトルだけは用意して玄関を飛び出ると、最短ルートで蔵へと向かった。

扉に手をかけると、幸いなことにまだ開くようだった。扉はゴゴゴ……と重たい音をたてて横に開く。まずは第1関門クリア。蔵の掃除以前に、扉が開かなければ話にならないだろう。

 蔵の中を見回すと、そこまで心配はいらないようだった。意外にも片付いていて、もしかすると親が手をつけなかったのは正解かもしれない。うちの両親は片付けというものが究極的に下手だった。

まずは手前から、次は右の棚……といろいろ見てみても、やはりそれなりには整頓されている。

 これは片付けをしなくてもいいんじゃ……と、そんなことを考え始めた頃、俺は視界の隅に珍しいものを捉えた。

 それは倉庫の角にあり、少し奥に入らないと見つけられない位置に置いてあった。


「これは…………?」


古びた壁に立てかけられていたそれは、現実離れしていて。日本ではまず目にしないものだった。というのも、ゲームでよく見るタイプのが、そこに立てかけられていたのだ。ゲーム的な分類で言うならば、片手直剣と呼ぶのだろうか。

 それはシンプルな見た目の白亜の鞘に収められていて、装飾と言えそうなものは、最も剣のガードに近い部分に複雑な紋様があるだけだ。剣の柄は鞘と同じく白亜のもので、華美な装飾は一切ない。

 しかし白い剣などなかなか見ない。というか、本当にゲームくらいでしか目にすることはない。

剣を見て俺が初めに考えたことは、『これ、持ってみたい!』だ。……いや、ゲームオタク的思考ならみんなそうなるに違いない。

 しかし、触れてみるとかなりしっかりしている。本物の剣なのだろうか。だとすると、レプリカやおもちゃの剣とは違って、かなりの重量があるはずだ。並大抵の人が持ち上げられるものではない。

試しに俺は、剣の柄を両手で握り、力の限り持ち上げてみた。


「ふっ……う、うぉあ!?」


しかし、剣の重みによって体勢を崩してしまう。重すぎてとても持ち上がるものではなかった。

しばし逡巡し、俺はある方法を思いついた。

──俺は、左腕を前に出し、手を大きく広げた。

俺の左手首にはがはまっている。ブレスレットのように輪が手首を囲んでおり、それには機械的な直方体が付いている。

そして俺が左手を構えるのと同時に、直方体は不規則な光を放ち始める。


Ability Enhancer能力強化装置 起動。エンハンス・スタート!」


 ピー、ピー、という機械的な音を放ち、それと同時に体がふわっと浮いたような感覚になる。

Ability Enhancer能力強化装置。それは、2022年──今から三年前に、とある研究チームが開発した装置だ。

 研究チームによると、人が何かをする際に発生する。自分の行動を強く信ずるその意思を<マインド・シグナル>と呼び、それを汲み取る事によって装置が反応する。そしてその装置が身体に力を与えてくれるというものだ。

有り体に言ってしまえば、念じるだけで力や運動能力などの人の能力を大幅に引き上げることのできる装置だ。

 これが世界的に広まり、三年が経った今では一般でも普及している。どんな人でも手に入れやすくなり、人間が出来ることの幅はとてつもなく広がった。三年前、開発当初は頭部に装着するヘルメットのような形式だったそうだが、現在はアクセサリー型のものが出回っている。そのため、気軽に使えて便利ということで、流行しているのだ。


(よし。これで力を引き上げて……)


 俺はAbility Enhancer 能力強化装置──略してA.E.を用いて左手の力を高めた。これであの重そうな剣を持ち上げることができるだろう。とはいえ、強化にはかなりの集中力が必要だから、そう長くは持たない。主に精神面が。


「ふっ……!」


 俺は剣の柄を手で掴み、ゆっくりと鞘から抜き出す。金属の滑る音が耳を流れていく。

俺の目の前に現れたのは、この世の全ての純潔を詰め込んだような真っ白い刀身で、それでいて金属特有の光沢を放っている。

 蔵の小窓から差し込む光が剣に反射し、俺の目に刺さる。


「これが……本物の剣……?」


 ほんの好奇心ではあったが、実物の剣にはかなり圧倒されてしまう。興奮もさることながら、畏怖じみたものも感じてしまう。実物の剣とは、これほどのものなのか。

 そうして感傷に浸っている間に、A.E.へと回していた精神力が切れてしまった。ほんの数秒しか経っていないというのに、かなりの疲労感がある。

A.E.の扱いはやはり難しい。これを継続的に使いこなす人は、一体どれほどの集中力・精神力を持ち合わせているのだろうか。鍛えれば出来るようになるのだろうか。

 そんなことを考えていたからか、俺は大地から伝わる微弱な振動に、気づくのが遅れていた。


「……!なんだ、地震か?」


 俺は咄嗟に蔵を出て、外を見回す。

 初期微動に似たその振動は、急に強まる事はなく、徐々に強まっていく。

揺れを感じた人々が、少しずつ騒ぎ始めている。

やがて振動は大地震と同等の揺れとなり、ありとあらゆる建物が軋む音を出し始めた、その時。


──ズドォォォォォォォン!


 隕石が落下して来たかのような音が、響いた。

 とてつもない風圧が俺を襲う。

 俺はあまりの強さに吹き飛ばされ、蔵の壁にぶつかる。


「ぐあっ……!」


 身体のいたるところが悲鳴をあげている。

 骨がいくつか折れたのは確実。立ち上がる力もない。あまりの痛みに、揺れが収まったことにすら気づかなかった。

 俺がもたれかかる壁も、ヒビが入ってきている。

──そして、何かが落ちてきた方向からは、砂利を踏む足音がした。


『やっと出番?もう、待ちくたびれたよ。神サマもひどいよねぇ……』


 少女の声が耳を撫でる。

 その声が脳へと伝わる。

 その時、俺の体に伝わったものは──

 恐怖。本能が、脳が、恐怖を訴えている。

 何故かはわからないものの、殺人鬼だとか、危険生物だとか、そういうものがいるのを感じ取っている。

 俺には敵わない何か。ヒトには敵わない何か強大なチカラ。

それが、にいる。


「何、何だ……逃げなくちゃ……」


 砂塵の中、俺は本能のままによろよろと立ち上がり、蔵の中へと歩みだす。

 転び、膝をつき、這いつくばって進むと、俺の視界の端に、あの白い剣が映る。


「あれだ……あれがあれば、助か……」


 俺は白い剣の柄に手を伸ばす。なんとか柄を掴み、引き寄せようとする。

 その時。

──ドォォォォォン!

 蔵の壁が、轟音とともに破壊される。それと共に、蔵自体が崩れ落ちていく。

 俺の隣に岩塊が落ち、積もっていく。俺は運良く、下敷きを免れたようだ。


『あれぇ、まだ生きてたんだ。ごめんね、──すぐに死んで』


 再び少女の声がする。身体が硬直し、動かない。辛うじて首を曲げ、声の元へと目を向ける。

 そこにいたのは、黒いフードとローブをまとう、一人の少女だった。しかし、あれは異質だ。異常だ。

 人間ではない。人間では敵わない。なぜならば──。

──頭上には、光り輝く

──背から伸びる、銀の双翼。


 その少女かいぶつは、天使と呼ぶに相応しい造形をしていた。


 少女が左手を前に出すと、なにやら紋章のようなものが浮かび上がる。紋章は蒼く光り、その輝きは増していく。少女はにこやかに微笑み、口を開く。


「神のために……死んで」


 少女の手から、正しく言えば手から生み出されている方陣めいたものから、透明に輝く宝石のようなものが放たれる。俺はあれを知っていた。あれは、──氷、氷塊だ。氷塊の数々は、地面に根付くと、小さな氷山を形成していく。

 俺は体を動かすことも叶わず、ただ地に伏せるのみ。


──俺はここで、死ぬのか?


 氷が眼前に迫り、その鋭利な茨を俺に突き刺そうとした、そのとき。


カキンッ!


 氷と何かが触れ、高い金属音が鳴り響く。

 勇気を出して目を開くと、俺を庇うように、誰かが剣で氷を押し止めている。


「そこのあなた、無事ですか。少し待っていてください。できれば、安全な所で」


 その人物は俺の方を振りむき、そう言い放った。俺を庇っているのは、一人の少女だった。長い銀髪をなびかせ、上半身に鎧を纏っている少女。鎧の下にはドレスを着ているらしく、ドレススカートをなびかせている。容姿も服装も、日本人離れした格好だ。

 そして何よりも目に付いたのは、彼女が持っている剣だった。そのほとんどが黒に覆われている、漆黒の剣。


『んー、あなたはだあれ?……あ!もしかして……神のために死んでくれるの?』


 黒ローブの天使は、クスクスと笑い、距離を取る。鎧の少女は、すかさず抑えていた氷を斬りはらい、間合いを詰めていく。黒ローブの天使が氷塵を放つも、鎧の少女は的確に氷を斬り、勢いを落とすことはない。


「……これが全力ですか?もう少しやりがいがあると踏んでいたのですが」

『ふうん、これで死なないんだ。あなた、強いんだね。……ちょっと引く。でもね、こんなことも出来るんだよ??』


 黒ローブの天使は、左手から氷を生み出し、再び紋章を展開する。すると、氷が剣の形状になった。

鎧の少女が放つ剣戟を、天使は氷剣で受け止める。


「目には目を、剣には剣を……ということですか。わかりました、正々堂々、勝負といきましょう」


 鎧の少女が剣戟を止め、後ろへ飛ぶ。そして右足を一歩後ろへ引き、前傾姿勢を作る。そして、漆黒の剣を後ろで構える。すると、少女の足元に大きな紋章が光り輝く。

 黒ローブの天使は、氷剣を大きく上へと掲げる。氷剣は蒼く光り始め、周囲に冷気を漂わせる。

 鎧の少女は下げていた右足を一歩踏み出し、黒ローブの天使へと走り始める。そして、光を纏う漆黒の剣を、下から上に振り上げた。

 黒ローブの天使は上へと掲げていた氷剣を、漆黒の剣めがけて振り下ろす。

 両者の剣がぶつかり、大きな波動が生まれる。


『私の勝ちかな?この剣を弾かなければ、あなたは氷に侵食されて、凍死するけど』

「それは同時に貴方がこの剣を弾けないということ。……私を侵すというのなら、試してみますか?」


 膨大なエネルギーが拮抗し、やがて周囲に爆散する。積み重なっていた瓦礫は吹き飛び、崩壊する。


「っ!何が起きたんだ……?」


 俺は爆発に巻き込まれたものの、なぜか吹き飛ばされることはなく、瓦礫と衝突をすることもなかった。

 砂煙が晴れ、俺が目にしたのは、膨大なエネルギーの衝突をものともせず、堂々とたっている二人の少女だった。


『へえ。私の氷剣も弾いちゃうのか』

「その様子だとまだ力を出し切っていないようですね。もう一戦交えても良いですが」

『うーん、流石にめんどくさいなあ。飽きたし、もう帰ろーっと』

「……ッ、待て!」


 黒ローブの天使は、後ろに飛び退き、瓦礫の上をものすごいスピードで駆け抜ける。


『じゃあねー?私たちのさん』


 鎧の少女は僅かに驚いたような素振りを見せたが、すぐに表情を強張らせた。


「……そこまで勘付くとは。追いかけるのは下策のようです」


 黒ローブの天使は煙に紛れ、姿を消す。

 気付いた時には、地に立っていたのは、鎧の少女一人だけだった。俺は痛みを堪えながら、何とか身体を起こし、少女に声をかける。


「あ、あの……助けて頂いて、どうもありがとうございます」


 少女は俺の声に気がつくと、こちらに歩み寄り、剣を腰の鞘に収めた。


「礼は不要です。無事ならばそれでよろしい。……念のため、即席の結界は張っておいたのですが。それと、そう畏まるのはやめてください。性に合わないもので」

「あ、そう……。そういうなら、気楽にいかせてもらうよ」


 本人はかしこまった口調なのに……とも思ったが、つべこべ言ってる場合ではない。


「それはそうと、あなたの隣にあるその剣はなんです」


 少女は俺の後ろに倒れている白い剣を見つめている。そういえば、剣があったのだった。すっかり忘れていたが、これを渡せば、礼になったりしないだろうか。


「ふむ、なかなかにいい剣ですね。これは、あなたの私物ですか?」

「い、いや、俺のじゃないけど。もし必要だったら、持っていっても──」

「いえ、これはあなたが持つべきもの。何かの助けになるはずです」

「あ、でも……俺はその、この剣が重すぎて持ち上げることすらできないし」


 少女は俺の言葉を聞くと、目を丸くして驚いた。何がおかしなことを言っただろうか。剣が持てないのは普通だと思っているのだが…。


「今、なんと?」

「えーと、この剣が重すぎて……」

「そ、そうですか。すみません、ここではそれが普通ですか?」

「うんまあ、そうだけど。たしかに君は剣とか普通に使ってたし、分からないかもね」


 少女は腕を組み少し考えると、俺の方に向き直って口を開いた。


「ええと……。あなたはこの剣を振るう気はあるのですか」

「うーん、使えるならかっこいいし、使いたいとは思うよ」

「ふむ。ならば私があなたに剣を教えましょう。必ずこの剣を使えるようにしてみせます」


 少女は自信満々に言い放つ。

 ……え?剣を教えるって言ったか、今。この子が?初対面なんですけど。

 俺は勢いに呑まれ、返事をすることもままならない。


「沈黙は肯定と見ます。そうと決まれば、今日からあなたは私の弟子だ。あなたの名は?」

「え、あ、俺の名前?俺は、東雲 零しののめ れい。東の雲に、ゼロの零だ。ってそれより、急に弟子とかなんとか言われても…」


 困惑する俺に目もくれず、少女は「弟子をとってみたかったのです」などと目をキラキラさせて呟いている。あれだ、この人は話を聞かないタイプだ。


「シノノメ レイですね。よし、零。私からも自己紹介をします」


 ガン無視だよこの人。見た目に反して、かなり強引なタイプじゃないか。

 そんなことをうだうだ考えているうちに、少女は名乗りをあげる。


「私の名は“アーサー”。かの王の名を継ぐ、世界の救世主です」

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