家路

若菜

家路

 大都市のベッドタウンであるこの街のこの駅はこうして毎日、夕闇に溶けることもなく動き続けているのだろう。人々は適度に疲労しているが、駅自体は活気があるのはずっと不思議で仕方がない。もう少し静かなほうが私は好きだな、でもそうなるとわざわざ最寄り駅にならないから矛盾してるな、などとメロンパンをほおばりながら私は考える。

 排気ガスの混じったそれを食べ終えると、いつものこのタイミングの目的のバスが滑り込んできた。

「お待たせしましたー、西秋ヶ岡五丁目経由ー、白山池駅行きー、白山池駅行きーです」

前扉のガラスに一瞬映った自分の顔に辟易しながら乗り込み、狙いを定めた一人席に座ろうとすると、歩きスマホをしながら後扉から乗ってきたニイチャンにするっと取られてしまった。「あっ」と小さな声が出るが、ニイチャンは私に気付きもせずずっと画面をイジイジしている。周りを見ると、ちょうど帰宅ラッシュ、優先席以外はいっぱいだ。仕方なく重たいリュックを下ろし、後扉の横の手すりにつかまり、バスに揺られることにした。

 窓を額縁にして景色が流れていく。夕方と夜の狭間にある街には、今にも雨が降り出しそうだ。

 ふとポケットの中の携帯が振動した。取り出すと、画面の表示は『新着メッセージ 5件』。授業終わってから見てなかったな、と思い返し見てみると、その内1件は宣伝、もう2件は同じクラスの女子から、残り2件は同じクラスの別の女子からだった。先に2件くれていた子の方を開く。

『あいつ、喋ってみたらぜんぜんだわー、狙うのやめる』

『わざわざ連絡先聞いてくれたのにごめんよー』

やっぱりこうなるだろうと思ってた、と半ばうんざりしながら

『まじでー?顔だけって前のクラスから言われてたけどほんとなんだ』

『あなたには釣り合わんってことよ笑』

と返事した。

続いて、別の女子からのメッセージを開く。同じクラスでもグループは違っているので、やり取りをするのはこれが初めてだ。

『◯◯くんの連絡先知ってる?持ってたら教えてもらってもいいかなぁ?仲良いよね?』

『ずっと気になってて、たぶん趣味合いそうだし、喋ってみたくて…』


「…4人目」

思わず呟いてしまった。つまり私は顔だけの男子と去年クラスが一緒だったというだけで4人もの女子から連絡先をせがまれ、私はその男子は顔だけだと知っていたので「あいつ顔だけだよ?」と1人目に忠告したら「喋ってみないとわかんないじゃん!」と割と本気のトーンで怒られ、仕方なくあげると一週間もしない内に冷めたように「ありがと、やっぱやめるわ」と言われ、2人目からは最初の忠告をせずに応援し続けてはその内冷められ……

『全然いいよ!』

『(◯◯の連絡先送信)』

『好きなアーティスト一緒だったよね?話合うと思うよ~!』

返信はすぐに来た。

『ありがとう~!♡』

『頑張ってみるね!!』

せいぜい一週間頑張ってねと心の中で呟く。


 なにやってんだ私は。


 バスが赤信号で停車し、ふいに車内に静寂が訪れる。スマホをしまうと、その静けさのために自分がイアホンで音楽を聴いていたことを思いだした。聞き古したメロディ、聞き古した歌詞。一番のお気に入りアーティストは、既存の社会に反抗する主人公をよく歌う3人組バンドだ。

♪『だれになにされたってきみはきみだろ

ながされるな とばされるな たえてゆけ』

そんなことは音楽の世界だから勇ましく語れるんだ、と最近よく思う。本当にこの通りにすれば生きづらくなるだけだ。それでもこのバンドに惹かれるのは、自分にとってこの主人公が一番遠い存在だからこそ憧れるのだろう。結局いつも、ないものねだりだ。

 何となく携帯が震えた気がしてポケットから取り出したが、気のせいか何も届いていなかった。そのまま何となく画面をイジり続ける。開いたニュースアプリのトップ項目には

『速報 首相 消費税増税を発表』

スクロール。

『小1男児 父親の暴行で死亡 東京』

スクロール。

『アイドルグループ●●の□□が活動休止』

スクロール。

『□□ ストレスによる心因性難聴が原因』

ストレスによる心因性難聴…。今名前を知ったアイドルがかかった病気に興味を惹かれて、その項目をタッチする。

『アイドルグループ●●に所属している□□が、公式ブログで一時活動休止を発表した。同ブログによると、活動休止の原因はストレスによって引き起こされる心因性難聴だという。

心因性難聴とは、音を感じる内耳や脳の聴覚野に障害がなく、心理的な要因から引き起こされる難聴のことを指す。

具体的には、心理的なストレスが原因となり発症すると考えられており、学童期(6歳~12歳)に多くみられる傾向がある。また男子より女子に多いとされている。

難聴の自覚症状がない場合もあり、また、まれに耳鳴りやめまいなどの症状が現れることもある。』

耳が聞こえなくなるってどんな感じだろ。バスのエンジン音も、駅の雑踏も、授業中の黒板を叩くチョークの音も、休み時間の喋り声も、部活中の顧問の怒鳴り声も、聞き古したメロディも、全部聞こえなくなるんだ。全部、全部、全部の雑音ノイズが…。

いいな…。


 そう思った瞬間、急に世界がうるさくなった。雑音ノイズが、体の中にどっと流れ込んでくる。それは耳だけでなくて、体のありとあらゆる感覚器官全部から入ってくるのだ。今のものも、過去のものも、そして未来のものも。その雑音ノイズが、バスに揺られる度にかき回され、かき回し、不協和音を鳴らしてゆく。荒波が、喉のすぐ下まで迫ってくるようだった。

気持ち悪い…。

お願いだからもう止まって、早く降ろして。

ねえ、ねえ…。


 見慣れた停留所にバスが滑り込む。逃げるように降りた、その先に、白い花が咲いていた。

深い闇の中で、そこだけ光が灯っているようだった。


 Fin.









 

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家路 若菜 @kawawaka

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