マリアの騎士

保木秋哲

第1話

 人の気配のしない廃墟の中を、隅から隅まで探索する。隈なく調べる。ひとかけらでも食料があるのなら御の字。なかったら隣の廃墟を調べる。

 それが彼の毎日だった。

 一人きりの毎日。誰かを見つけては隠れ、邪魔であれば殺す。好意的であることが分かれば利用する。慣れ合うことはあり得ない。慣れ合うことは死を意味する。

 この世は弱肉強食。弱さを見せれば、隙を見せれば、それだけで永遠に明日はやって来なくなる。

 誰かと関わることを極力避ける。それがこの世を一人で生き残る方法だ。

 だから、この日も彼は、関わり合いにならないようにしようと考えていた。

 二人の無法者に襲われている少女がいた。歳はまだ十五にも満たないように見える。


「久しぶりにこんな上物見たぜ」

 無法者の一人がそう言った。


 男が言った通り、その少女の顔立ちはとても整ったものだった。あまり食べていないのか、貧相な体ではあるが、それを感じさせないくらいの魅力が少女にはあった。腰まで伸びた長い髪も、環境が良ければもっときれいに見えることだろう。

 何よりも、無法者二人に襲われながらも、全く動じていないということが気になった。


「しばらくは遊んでやるよ。使い終わったら声が枯れるまでなぶって殺してやるから安心しな」

 少女があまりにも無抵抗であるからか、そんな安い挑発をし始めたようだったが、


「お好きなように」

 と、彼女は突き放すでもなく、ただ冷静にそう言って目を閉じた。


 二人は一瞬困惑したようだったが、すぐにいやらしく笑い、少女の服を破り捨てた。

 両手を一人に抑えられ、一人が彼女の体に手を這わせ、それでも少女は無抵抗で、無表情のままそれを受け入れていた。

 何故?

 陰から見守る彼には全く理解できない。

 誰もが生きることに必死で、死ぬとなれば喚き散らし、手足が動かなくなるまで暴れまわる。あわよくば襲った相手を返り討ちにするような者までいる始末。

 なのにあの少女は、叫びすらしない。

 出会ったことのない人種。

 行為に夢中の男たち。

 それを見逃すのは、食料を見つけるよりも簡単なことだ。

 だが、それでは何も得られない。

 少女を襲っている無法者二人を殺すのは、どのくらい簡単だろう。

 たぶん、肉を食べるよりは、簡単な事だろう。

 そう結論付けた瞬間に、彼は動いた。そこらへんに転がっていた金属片を拾い、背中から、少女の両手を抑えていた男の頭に突き刺した。


「うっ」

 という短い悲鳴と共に、男は手を放す。


 それと同時に、下半身を露出させ始めていた男が、うろたえた様子で後ろに下がるが、脱いだズボンに引っ掛かり転倒する。

 青年は、すかさず落ちていた石で頭を殴る。


「や、やめろ!」

 殴る。


「や、やめっ」

 殴る。


 殴る殴る殴る。

 そうして何度も殴るうちに、男はピクリとも動かなくなった。もう一人の金属片の刺さった男は、未だに痙攣しているが、放っておいても死ぬだろう。

 周囲を見回し、他に無法者がいないことを確認してから、


「おい、お前」

 と、彼は裸になってしまった少女に声をかけた。


「どうして抵抗しなかった」


「……」

 少女は、無言のまま彼を見つめた。


 その澄んだ瞳は、つい今さっきまで襲われていたとは思えないほどに綺麗なものだった。

 いつまで経っても話し始めない少女に、彼は自分のジャケットを脱ぎ、それを与えた。


「これをやる。だから、話せ」


「――あなたは、私を襲わないの?」

 彼のジャケットを羽織り、少女は言った。


「今のところ、襲う理由がない」


「それじゃあ」


「先に俺の質問に答えろ」


「どうして私を助けてくれたの?」


「……」


 主導権でも握ろうとしているのだろうか。調子に乗らせるのは癪だが、会話を成立させるためにも彼女の方に乗ることにした。


「お前が無抵抗だったからだ。お前みたいなやつを、俺は初めて見た」


「それだけ?」


「そんなやつを初めて見たから、なんで抵抗しなかったのか気になった。だから助けた。だから、言え。なんで抵抗しなかった?」


「私みたいな子、他にはいないの?」


「少なくとも、俺は見たことがない」


 旅に出てからいったい何年たったのかすら覚えていないが、その間にこの少女のような人間に会ったことなどない。

 優しいと思ったやつは大抵裏で何かを隠している。恐ろしいと感じたやつはその通り恐ろしい。襲われれば誰でも叫び、逃げ、そして殺されるか殺すかの二択になる。

 目の前の少女のように、すべてを受け入れようとする人間なんていない。いたところで、すぐに死んでしまうだけだ。


「私は、私が死んで他の人が生きているなら、それでいいの」


「どういうことだ?」


「そのままの意味よ。さっき襲ってきたこの人たちだって、生きるために必要だから私を襲った。それが彼らの幸福になるなら、私は死のうが何をされようがかまわない」


「……どういうことだ?」


 彼にはさっぱり理解が出来なかった。

 言っていることは分かる。だが、理解はできない。

 はっきり言って、そこで死んでいる一人、いや、もう既に二人になったか、この二人の方がよっぽど人間らしい。

 自己犠牲による他者貢献。いや、自己犠牲をしている時点で他者貢献にはならない、ならないはずだが、この少女にとってはそれがなり得ているのか?

 自己犠牲によって幸福感を得られている?

 それは、もはや狂人の類ではないのか?


「お前は、死ぬのが怖くないのか?」


「怖いよ」

 即答だった。


「ますます意味が分からん……」


 未知の生物に出会った気分だ。人間の外見をして人間の言葉を話す宇宙人か何かなのではないか。この少女の言葉に全く裏が感じられない。

 たぶん、本当に、素直に自分の思っている事を話しているだけなのだろう。演技でこんな事を話す理由もない。


「お前、親はいないのか? 連れは? 一人なのか?」


「お母さんとお父さんは、この前死んじゃった。私を逃がしてね。だから今は私一人」


 なるほど、と彼は納得した。


 どう考えてもこんな娘がこの世で生きていけるはずがない。今までは両親が守ってきたのだろう。それが死んでしまい、今の言い方だと本当に最近の事だろう。死んだ矢先、さっそく無法者に襲われてしまったという事だろう。

 つまり、放っておけば、またさっきのように無法者に襲われ、犯され、死んでいく。せいぜい一ヶ月が限界といったところか。

 別に、俺には関係ない事。と、そう考えようとしたが、喉の奥に何かが引っ掛かったような、嫌な感覚がした。

 この娘を一人にするのは、いけない気がする。

 その理由はさっぱりわからない。良心の呵責? 良心なんてものがまだ残っているのか? 良心を持たない連中に育てられた男が、そんなものを持っているとでも言うのか。

 だが、一向にその感覚は消えない。

 これが良心だろうが別の何かだろうが関係ない。ここで置いていけば後悔する事だけは間違いない。


「俺と、一緒に来るか?」


「え?」


「一人なら、死ぬだけだ」

 少女は目をぱちくりさせ、きょとんとした表情で十秒ほどフリーズした。


「私を犯したいの?」


「そんな目的はない。そもそも性行為は体力を使う、無駄だ」


「私を連れていく事も、あなたにとっては無駄な事だと思うけど」


「お前みたいなガキを置いてくほどに、俺はまだ腐っちゃいないってことだ」


 嘘だ。自分が生きるためには平然と人を殺す。腐りきった人間だ。

 それでも彼女は、一応は納得したようで、


「――分かった。あなたについていく」

 と、表情を崩さないまま言った。


「あなた、名前は何て言うの?」


「名前はない。なんとでも好きに呼んだらいい」


「そう。そしたら……レイって呼んでもいい?」

 幽霊みたいに顔色悪いから、と付け足して彼女は言った。


「分かった、それで構わない」


「私はマリア。これからよろしく、レイ」


「マリア……」

 この世界に不釣り合いな、それでいて、この娘にはお似合いの名前だった。


 こうして、レイとマリアの旅は幕を開けたのだった。

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