キジマ魔法堂〜キジネコのヒゲ〜

むむ山むむスけ

第1話 キジネコのヒゲ

「…お客さん、この店に来るのは初めてかい?」


その店の中へと入ってすぐのこと。

薄暗い店の中、突然こちらに向かってそう声をかけてきたのはカウンターの奥にいた長身の男性だった。


生憎その部屋の暗さのおかげでその声の主の顔までは伺い知る事は出来なかったが、それでもカウンターの上へと置かれた燭台の灯りによって、その者のシルエットだけがゆらゆらと大きく壁に映し出されていた。


————キジマ魔法堂。


街外れにある普段であれば簡単に見落としてしまいそうな細長い路地を抜けた先にその店はあった。


その店の外観はとても古びていて、すでに薄く消えかかってしまっている看板の文字も相まってか、よほど注意をして見てみないと、そこが店であるかも判別出来ないような建物となっていた。


相変わらず店のカウンターの奥にいるその声の主の姿は見えない。それでもそのやけに落ちついた彼の声には、どこか人を惹きつけるような魅力があった。


いつもの自分であればこんな得体の知れない怪しい店に、足を踏み入れる事など決してしなかったであろう。


だが彼のそんな優しい声に、足は自然と店の奥へと進んで行った。


店の棚には様々な宝飾品と共に干からびたヘビの死体。それに沢山の古びた本や見た事もない植物達が所狭しと並べられている。


壁に飾ってある大きな骨は、カジコドラのものだろうか。


部屋中に常に漂っているその紫の淡い煙は、まるでその頭蓋骨が吐き出しているかのようだった。


それらの奇妙な展示品を眺めながら奥へと進んで行くと、ふと一枚の葉書の様な物に目が止まった。


一輪の花が見事な色彩で描かれたその葉書に思わず自分の手が伸びる。


「…その絵のことが気に入ったのかい?」


カウンターの向こう側からそんな声が耳へと届く。

そんな優しい彼の声に、思わずその葉書を手にしたまま、声にするよりも早く首を縦に振ってしまった。


「…あいにく僕はこの店の所有者っていうだけでね。今は仕方なく店番をしているんだが、実は僕にはこの店の魔法道具達を売る権限なんてものがないんだ。いつもならコルクっていうこの魔法道具を専門に扱う店員がいるんだけど…」


そう言って残念そうな声を漏らす彼に向かって、どうしてもこの葉書が欲しくなってしまった私はこう尋ねてみた。


「その店員さんはいつ頃戻ってくるんですか?」


私のそんな言葉に、彼は一つ小さな溜息をついてからこう答えた。


「…さぁ?なんせ彼がこの店を出ていったのは、もう十日以上も前の話だからね。今頃ようやく目的の街に着いた頃なんじゃないかな?」


そう言ってこちらへ向かってゆっくりと姿を現しはじめた彼の姿を見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。


そしてそのまま大切に持っていたはずの小さな葉書の事などすっかりその場で手放してしまうと、何やら大きな声をあげながら、店の外へと飛び出して行ってしまったのである。


…それもそのはず——————…


優しい声の主だったはずのそんな彼の姿はなんと…


白衣を身に纏ったガイコツの姿だったのだ。



        ◇◇◇



「ポトフ、いい風だね。」


聖都ムルクルにある高台から城へと続く街並みを眺めながら、その少年は呟いた。


ポトフと呼ばれたその長い尾を有するカラフルな鳥は、少年の肩に乗ったまま、まるで彼の言葉に返事をするかのように、クルルルと喉を転がして鳴いた。


少年の名前はコルク。透けるような白い短髪に同じく透けるように白いその肌は、気温の高いこの地方の人間ではないことを容易に連想させた。


コルクはまるで宝石のような深い緑色の瞳を有し、この地方では珍しい織物でその全身を覆っている。両肩から掛けている古びた大きな二つのカバンからも、彼が遠い場所からここまで長く長い旅をしてきたという事が伺えた。


「…あっ!」


高台の下から吹き上げた先程よりも強い風が、砂埃を巻き上げながらコルクのそばを激しく通りすぎる。


たまらず咄嗟に両目をつむったコルクの耳に、チリーンと小さな鈴の音が届いた。


風が通りすぎたのを確認して、ゆっくりとコルクが目を開けてみると、目の前にはいつしか一匹のキジネコが鎮座していた。


「…キジネコか…この地方では珍しいな。」


思わずコルクがそう呟く。

その声は実に少年らしい爽やかな声だった。


そのキジネコの全身は茶色の美しい縞模様で覆われており、黄色の澄んだ瞳でコルクの事をジッと見上げていた。


先程聞こえた鈴の音は、この猫のものなのだろう。そのキジネコの首にはとても小さな鈴がつけられていた。


「…えっと…君は…」


まるで何かを言いたげなその瞳に魅入られてしまったコルクが、そのキジネコにそう声を掛けようとしたその瞬間――――――…


「こらぁぁぁ!!チャチャ!

外に出たらダメだっていつも言ってるでしょ!!」


近くの曲がり角からホウキを片手に持った若い女性が突然現れて、何やら大声で叫びながら走ってこちらへと向かってきた。


その声に動じるような素振りすらせず、無表情のままトットットと軽い足取りでコルクの足元へと移動するキジネコ。


どうやらこの『チャチャ』というのはこの猫の名前であるらしい。


「…もぉ!この辺は猫拐ねこさらいが出るから勝手に外に出たらダメだっていつも言って…ってあら?」


女性はものすごい形相でこちらまで走ってきたが、そのキジネコがコルクの足元でしきりに自分の体を擦りつけている様子に気がつくと、はたっとその場で喚くのを辞めた。


「…珍しいわね。チャチャが見ず知らずの人に懐くなんて。」


そう言って彼女はさらにまじまじとコルクの足元を覗き込むのだった。



◇◇◇




「どうぞ、何にもない所だけど。」


彼女は玄関先に手にしていたホウキを立て掛けると、コルクを家の中へと案内した。


真っ白で清潔感のある外観をしたその建物の中はきちんと整理整頓がなされており、棚に飾ってある小さな絵や所々に置いてある花などが、より一層その部屋を女性らしい空間に思わせた。


「本当にごめんなさいね。その子ったらあなたをこの家にでも招かないともう絶対に帰ってこなさそうな雰囲気だったから。」


そう言って彼女はカップにゆっくりとお茶を注ぐと、コルクの前へと差し出した。


促されるままに席につき、そのカップへと口をつけるコルク。


多分庭で育てているハーブか何かで作ったお茶なのだろう。ミント系の爽やかな味と香りが優しく口の中で広がった。


一方キジネコのチャチャの方は、家の中に入るやいなや棚の上に登って居眠りを始めている。


…その様子はまるで、もうコルクの事になど全く興味がないかのような、実にあっさりとしたものだった。


「本当にその子が初めての人に懐くのは珍しい事なのよ。警戒心が強いっていうか、私以外の人間の事は完全に無関心って感じね。チャチャを飼いはじめてからもう14年になるんだけど、こんな事は初めてよ。」


そう言いながら彼女もカップを片手に、コルクの目の前の席へとつく。


「…僕はあなたにホウキで殴られるのかと思いましたよ。いきなり出てくるものですから…大変ビックリいたしました。」


「…あ!いや!あれは!…庭の掃除をしていたら、ドアの隙間からチャチャが出ていくのが見えたから、つい夢中になってそのままホウキを持ったまま追いかけちゃって…!」


コルクの言葉に思わず慌てて弁解しようとする彼女。


「よほど慌ててたんですね。…ものすごい形相でしたから。」


そう言って少し意地悪そうにニッコリと笑うコルクの言葉に、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめた。


彼女のその可愛らしい反応に、思わずコルクが声をあげて笑う。


コルクの肩に乗ったままのポトフも、コルクの笑い声に便乗するかのようにクルルルとご機嫌そうに声をあげた。


「…で。それはそうとこの辺では猫拐ねこさらいが出るとの事ですが…」


先程までの笑顔とは一変して、コルクは急に真顔となって彼女にそう尋ねた。


そんなコルクの雰囲気に飲まれてか、彼女自身も少し声のトーンを下げながら語りはじめる。


「そうなのよ、実は数ヶ月くらい前から街の猫がいなくなるって事件が多発していてね…はじめは近所の野良猫達だったから政府が駆除でも始めたのかと思って、街の人達が集まって城にまで抗議に行ったんだけど…この国の領主様ってのが実はやたらと怖い顔をしているクセに意外と動物愛護派の人間だったって事が分かって、政府はその事に対して全く関与していなかったって事が判明したのよ。で、その内家庭内で飼っている猫達も次々といなくなって…今では街中が【探し猫】の貼り紙でいっぱいよ。」


「…政府は…今それに対して何か対策はしているんですか…?」


「とりあえず領主様はこの事に対してカンカンよね。お忍びで時々街猫にエサをやりに来ていたような人だったそうだから。街中に兵士を送り込んで毎日パトロールもしているけれど、実際に猫を拐っている姿を見た人もいないし、まるで神隠しにでもあったかのようなのよ…。」


まるで怪談でも話すかのような口調で語る彼女の話に耳を傾けながら、コルクは再びハーブティーの入ったカップに口をつけた。


「だからチャチャにはいつも外に出るなって口うるさく言ってたんだけど、この子ってば何故か最近になってやたらと外に出たがるようになったのよね。今までそんな事全然なかったのに…。」


彼女がそう言いかけた瞬間、

突然玄関の呼び鈴が鳴らされた。


「…はーい!…あ!ちょっと待っててね!ゆっくりしていていいから!」


そう言って彼女はコルクに優しく声を掛けると、玄関の方へ走って行った。


すると彼女が部屋からいなくなった事を確認したチャチャが軽やかに棚から床へと降りたつと、またトットットと軽い足取りでコルクの目の前へと現れた。


『…なぁ。』


目の前のチャチャがコルクに向かって口を開く。


それはもちろんといった猫の鳴き声などではなく、きちんとした「なぁ」という人間の言葉であった。


『…今の話、どう思った?』


チャチャの言葉に全く返事をしようとしないコルクの事には構う様子もなく、チャチャはさらに言葉を続けた。


その声は少ししゃがれた低い女性のような声である。


「…すごいですね。あなた、何故僕が動物と話せるという事が分かったんです…?」


コルクは驚くような素振りなど全く見せず、チャチャからの質問とは別の質問をチャチャへと投げかけた。


『…その鳥と話をしているのを聞いたからな。』


当のチャチャ自身もコルクからの質問には全く動じる事もなく、首の動きだけでコルクの肩の上に乗っているポトフの事を指し示すと、その場で自分の舌で毛繕いをしながらそう答えた。


…あの風が吹いた時か…。


コルクはチャチャのその言葉に、初めてチャチャと出会った時の情景を思い浮かべた。


「…お見事。で?僕に何の用なんです?何か用があったから、 わざわざここまで誘って来たのでしょう?」


『…こっちの質問の方が先だ。アンタ、さっきのミモザの話を聞いてどう思った?』


コルクへと向けられたチャチャの黄色いその瞳が、鋭くギラリと光った。


ミモザとはあの若い女性の事なのだろう。

確かに彼女が有するあの美しく長い見事な金色の髪は、鮮やかに咲き誇るミモザの花のようだ。


「…どうって…猫拐いは明らかに人間の仕業でしょう。」


『…どうしてそう思う?』


「…だって、神は猫を拐ったりはしないですから。」


あっさりと言いのけるコルクに、チャチャはフッと笑みを浮かべると言葉を続けた。


『…合格だ。さすが私が見込んだだけの事はある。ついて来い。ミモザにはまだあまり知られたくはない。』


そう言ってチャチャは再びトットットと軽い足取りで玄関の方へと向かって行った。


そんなチャチャの後を、コルクは無言でついていく。


「…ちょっとちょっと!チャチャ!あんたまた何処に行くってのよ!?」


玄関先ではミモザが先程訪ねて来たばかりの若い男と何やら楽しげに話をしていたが、すぐに再び外に出ようとするチャチャの姿に気がついて慌てて止めようとしていた。


だが、チャチャはそんなミモザの事に構う様子もなく、開かれたままだったドアの間からするりと抜けて、外へと出て行ってしまった。


「大丈夫ですよ、ミモザさん。僕がちゃんとチャチャさんの後をついて行きますから。」


そう言って頭に巻いたターバンを片手で押さえつつ、勢いよく走って出て行ったコルク達の背中を見送りながら、ミモザは不思議そうな表情で呟いたのだった。


「…まぁそれなら…って、


あれ?私あの子に名前、教えたかしら?」


今日も太陽は空高く――――…

走り去る少年と猫と共に家の中へと吹き込んで来た暖かい風が、とても心地の良い季節だった。

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