第五章 判明! シャイナーの正体 3


       * 3 *


「こんな時間にどこにいくつもりなの?」

 ひかるが靴ひもを結んでいるときに、母親に声を掛けられた。

「少し走ってきます」

「もう剣道部の方はやめてもいいのよ。勉強の方に集中しないと行けないでしょう? それにいつあのヘンなのが現れるかわからないんだから、こんな時間に外に出るなんて危険なの、わかってるでしょう?」

 母親が気にしているのは、事件に巻き込まれてされたくもない注目をされることだろう、と思いつつ、ひかるは靴ひもを結び終えて立ち上がった。

「たまには身体を動かさなければ身体にも悪いですし、軽い運動は頭の回転もよくなりますから」

 さらに背中を追ってくる母親の言葉を無視して、ひかるは玄関をくぐって道路に出た。

 準備運動もせず、ひかるはただ走り出す。

 どこを走ろうなんてことは、考えていなかった。

 ただ火照った身体が収まらなくて、布団に入っても興奮が冷めやらなくて、居ても立ってもいられなかった。

 暦はもう十二月。

 晴れ渡る空は星が綺麗に輝いているけれど、その分冷気が強かった。

 そろそろ街はクリスマスの装飾を始める頃なのに、師走の雰囲気をひとかけられも感じない街を、ひかるは脚の赴くままに走っていく。

 幹線道路に出ても、車の数もすれ違う人の数も少なかった。真っ直ぐに続く道を、ひかるは頭を空っぽにして走り続けていた。

 どれくらい走っていたのかは、わからない。

 疲れを感じて入った池のある広い公園は、夜だから印象はかなり違っていたけれど、幼い頃に連れてきてもらったことのある場所だった。

 池の脇に置かれたベンチに座って、乱れた息を整える。

 昼間は噴水が噴き出す池はこの時間波ひとつなくて、空に流れる天の川が、ほんの微かに映っているのが見えた。

「殺した……」

 無意識のうちに、言葉が口から漏れていた。

 右手を左手で握るように包む。

「わたしは、あの子を殺した」

 強くさするように、右手を揉む。

 どうしても、どうしてもあのときの感触が取れてくれなかった。

 何度も手を洗ったのに、あれからもう時間が経ったのに、ナイフを腹に突き刺したときの感触が、ナイフを捻ったときの感触が、右手からいつまでも消えてくれなかった。

「でもあの子が悪いんだ。あそこを、あの場所を壊そうとするから」

 一度滑り出した口は止まってくれそうになかった。

 胸の奥に溜まった粘度の高い黒いものが、喉を通ってどんどんとあふれ出してきている気がした。

「あそこはワタシが壊す場所なんだ。あそこを他の人に壊させやしないっ」

 あふれて噴き出しそうになる黒いものを、歯を食いしばって耐える。

 まだ終わったわけではなかったから。

 まだコルヴスを倒して、シャイナーの力を真の意味で手に入れているわけではなかったから。

「そんな格好じゃ風邪引くぞ」

 もぞもぞと動いたジャージのポケットから出てきたのは、ネズミー。

「ネズミー?」

 握りあわせた両手の上に乗った彼は、やれやれといった風にため息を漏らす。

 下はジャージのズボンだったが、上は長袖だけれど、シャツ一枚しか着ていなかった。

 身体と気持ちが火照っていて気がつかなかったが、上着も持ってくればよかったといまさら思う。汗が乾いてきて寒さが身体に染みてきていた。

「オレも寒ぃんだよ、まったく。よいしょっと」

 よじ登ってきたネズミーは、シャツの胸元に入り込む。

「こんなちっこい身体じゃいつもなにか食ってるか、暖かいとこにいないとすぐにエネルギー切れ起こすんだ。お前の足りない胸でもまだポケットの中よりマシだ」

「……うるさいわね」

 だったら着いてこなければよかったんじゃないか、という言葉を飲み込んで、ひかるは胸元にぴたりと身体を寄せてくるネズミーの、思いの外暖かい感触に息を漏らしていた。

「……怒らないの?」

「何をだ? お前はお前なりにお前の信じたことをやってる。さすがに剥離器具は反則すれすれだから、二度と使わせねぇけどな」

「うん」

 初めて使ったものだったから通用したが、二度目を警戒しないステラートでないことはわかっていた。

 ルプスだからまだ有効だったもので、アクイラにもピクシスにも、おそらくコルヴスにも使えるものだとは思えなかった。

 それにこの右手の感触を、もう一度感じたいとは、ひかるは思えなかった。

 寒さに身体を小さくしながら、ひかるは瞬く星々を眺める。

「お前は本当は何がしたいんだ?」

「ワタシはステラートを倒して――」

「嘘つけ。お前にとってステラートを倒すなんてぇのはたいした目的じゃねぇだろ」

 胸元から赤い瞳がひかるの顔を見つめてきていた。

 本当の目的は、ネズミーにも言ったことがなかった。おそらく薄々気づかれているのではないかと思っていたが、そのことについて問われたのは今日が初めてだった。

 すべてを、壊してしまうつもりだった。

 街も、通っている高校も、昔通っていたあの小学校も。それから、家も、両親も。

 正義の味方として出動できるのは、トライアルピリオドの間は、悪の秘密結社が活動しているときに限られている。

 トライアルピリオドをパスして、その制限が解除された後、ひかるは自分の周りにあるすべてのものを壊し尽くすつもりだった。

 けれどそのことは、いまは言わない。

「とりあえずはトライアルピリオドをパスすることが目的よ」

「ふんっ。別にいいけどな。でもよぉ、これで本当にいいのか? お前。いまのままでいいと思ってるのか?」

 細められたらしいネズミーの視線から顔を上げ、星空を仰いだ。

 ――このままでいいわけない。

 だからシャイナーの力がほしかった。

 それ以外何もほしいと思わなかった。

 すべてをゼロにするために、シャイナーの力は絶対に手に入れなくてはならなかった。

 そのはずだった。

 星空が揺らめいて、よく見えなくなってきていた。

 目頭に手を伸ばすと、満天の星空で雨も降っていないのに、頬が濡れていることにひかるは気づいた。


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