第二章 登場! 正義の味方 2
* 2 *
青年と言うには少し歳を取りすぎた体育教師が、ポロシャツから出た太い腕を見せつけるように校門の前に仁王立ちになっていた。
学校指定の制服を身につけた生徒を監視している様子はない。
鋭い目つきで目を配っているのは、学校前の道を通る人や車のようだった。
居心地の悪さを感じながらその横を通り抜けて、僕はそそくさと教室に向かう。
夏休み明けで浮ついた雰囲気のある教室内は、でも数人で寄り集まって小さな声で話し合ったり、携帯端末を見せ合っていて、夏休みボケのクラスメイトがいるようには見えない。
そんな彼らの口に登る「ステラート」とか「悪の秘密結社」とか言う微かな声に、僕は机に突っ伏すしかなかった。
樹里に乗せられたとは言え、自分でやっちゃったことなんだから、耐えるしかない。
朝のホームルームが始まるまで寝たふりして過ごそうと心に決めて、僕は組んだ腕に顔を埋めた。
「天野君。ちょっといいかしら?」
そんな声に顔を上げてみると、僕の机の脇に女子生徒が立っていた。
かわいらしいと評判でそれ目当てに受験するという女の子がいるくらいの制服を身につけているのは、クラス委員の月宮ひかるさん。
落ちてきた長い黒髪を指でかき上げている彼女の様子に、僕は思わず見とれそうになる。
細いのに輪郭のはっきりした顔立ちに、強い意志を感じる揺るぎない瞳。そのことについて少しでも触れると目尻がつり上がる、……スレンダーな彼女が着ている制服は、かわいらしいと言うのが評判なのに、格好良さを感じるのはなぜだろうか。
授業用の大型の携帯端末を左腕に抱えるようにして持つ月宮さんは、少し不機嫌そうに僕を見ていた。
「今日が締め切りの夏休みの宿題、提出確認ができてないのは天野君だけなんだけど、もう提出できるかしら?」
「あ、うん」
一部を除けば端末から送信すれば提出が完了する夏休みの宿題は、七月の内にやり終えていたのに、提出するのをすっかり忘れていた。
鞄から端末を取り出して、終わってるのを指定された送信先に送信する。
「先生の仕事じゃないの?」
「朝、職員室に行ったら、提出確認を頼まれたのよ」
入試は主席で、入学式のときには生徒代表として挨拶を勤めるほど優秀な月宮さん。勉強だけじゃなく運動もできて、中学の頃には剣道で全国大会に進出したほどの実力があるそうだった。
今でこそ勉強の方を優先するために道場に通ってなくて、剣道部の活動に顔を出してるくらいだけど、他に茶道部にも所属している月宮さんは、次期生徒会長だと噂が立つくらい先生からの信頼が厚い。
決定的に愛想がなくて、人付き合いは苦手で友達と言える人もいないらしいけど、当然のことながら校内では密かに人気が高かった。
そんな彼女に僕が告白したのは、入学して間もない四月末のこと。
真面目で優秀で、でも僕を見つめてくる黒い瞳の奥に何か秘めているものがあるように思えて、興味を惹かれた僕はもっと彼女のことを知るためにつきあってほしいと言った。
結果は惨敗。きっちり振られていた。
その後も僕に続いて十人を超える男子がアタックしたらしいのに、彼女はすべて断っているという噂だった。
――頼まれたからやるなんて、相変わらず真面目だなぁ。
クラス委員もやっている月宮さんは、基本的に学校のこととなるとすごく真面目で、全力だ。
それは彼女の瞳の奥に見え隠れしているものに関わっている気がするけど、一学期の間彼女のことを見ていても、その理由はよくわからなかった。
「確認できたわ」
「そう思えば夏休みはどうだった?」
それだけ言って僕に背を向けようとする月宮さんに声をかけてみる。
少し困ったような表情を浮かべて、乱れてもいない髪をかき上げるような仕草をする月宮さん。
「天野君には関係ないでしょ」
いつもよりちょっとだけ早口に言って、彼女は僕に背を向けて行ってしまった。
学校のこととなると真面目だけど、それ以外のこととなるとちっとも話してくれないのは相変わらずらしい。
つきあうまではなくても、せめて友達からと思っていたりするのに、彼女のガードはいつも通り堅い。
それから、自分の机に向かって歩く彼女の、クセのない黒髪が背中の半ばで揺れるのを見ながら、僕は思う。
――やっぱり、そうだよね。
樹里の黒髪や顔立ちは、月宮さんと似ている。僕よりも少し年上の感じがあるから、月宮さんの姉だと紹介すれば、誰も疑問に思わないほどに。
たぶん樹里は、月宮さんや他に何人か、とくに僕が興味を持った人物を組み合わせた外見をしている。
やってきた担任教師に挨拶をした後、真っ先に話し始めたのはステラートに関する注意。
早めに下校して夜出歩かないようにとか、見かけたらすぐに逃げるといった一般的なことを言う先生の言葉を聞き流しながら、僕はこっそりため息を吐いていた。
――もうこの前みたいな人にあんまり迷惑をかけるようなことはしたくないなぁ。
戦闘員の管制についてはできるようになってきたから、勝手にものを破壊するようなことはない。
でもだからと言って、人にあんまり迷惑をかけるような活動はやりたいと思えなかった。
――じゃあどうすればいいだろう?
樹里にも問われたことだけど、僕はステラートを今後どうしていこうか、方向性が見えないでいた。
*
「よっ」
「うん」
始業式が終わってすぐに部室に来てみると、先客がいた。
主に文化系のクラブが使っている部室棟の部屋はそんなに広くなくて、長机を二つと折りたたみの椅子が四脚、集めてきたものとか印刷した資料を立ててある本棚、学内ネットに接続された据置端末なんかで空きスペースはあんまりない状態になっていた。
それ以外にもいろんなところから集めてきたおもしろそうな道具とか小物、僕たちがこの部室を使い始める前からあった謎の箱とかが雑多にあって、たった四人の部員で使うにも手狭だった。
そんな狭いここが、僕が高校に入ってすぐにつくったクラブ、探検研究部こと探研部の部室。
僕に挨拶をするだけして携帯端末に視線を落としてるのは、渡辺竜騎(りゅうき)。
僕よりちょっと小柄だけど、運動神経抜群で運動部からヘルプに呼ばれることもある彼がそんなにたいした活動もしてない探研部に所属してるのは、小学校に入る前から付き合いのある幼馴染みだからだろう。
「あ、もう来てたんだ」
そんなかわいらしい声とともに開けっ放しの扉から入ってきたのは、篠崎マリエちゃん。
少しクセの強い髪を揺らしながら近づいてきたマリエちゃんは、頭ひとつ分近く違う僕を見上げて微笑む。
「久しぶり、遼平」
「うん、久しぶり。マリエちゃん」
合宿に行っていたのは五日前だから久しぶりというほどの時間は経ってないと思うけど、僕も彼女の挨拶に応じて挨拶を返す。
にっこりと可愛い笑顔を見せてくれた後、マリエちゃんは竜騎の側に寄っていった。
「久しぶり、竜騎。何見てるの?」
「よぉ、マリエっち。まぁいろいろと」
竜騎の端末を覗き込むマリエちゃんとは中学からの付き合いだけど、出会った頃は引っ込み思案で奥手な女の子だった。
いまでもそうしたところは少しあるけど、少なくとも高校に入ってからはクラスに馴染んで友達も多いらしい。
明るく前向きになった性格の変化と同時に、中学の頃と見違えるほど成長したプロポーションは、たまに直視するのが恥ずかしくなるくらいだった。
マリエちゃんと同じクラスだけでなく、いろんな男子からスリーサイズを聞き出すようにお願いされてはいたけど、聞き出す気にはなれなかった。……いろんな意味で。
「英彦(ひでひこ)はもう帰ったの?」
僕と竜騎とマリエちゃんは別々のクラスで、いまはここには来てない最後の部員、安藤英彦はマリエちゃんと同じクラスだったから、竜騎と何か重そうな話をしている彼女に聞いてみる。
探研部は特定の曜日を決めて活動してるクラブじゃなく、何かあるときは活動するときはメールや会ったときに活動することを伝える程度。
始業式の今日は活動すると決めて集まってるわけじゃないから英彦が来なくても不思議じゃない。
「図書館に寄ってから来るって言ってたよ?」
「そっか」
竜騎の端末から顔を上げたマリエちゃんの言葉に応えたときだった。
「後ろにいるよ」
「え?」
いつの間に部室に入ってきたのか、僕のすぐ後ろに英彦が立っていた。
電子版で読めばいいのに、図書館の保護シールで覆われた文庫本に目を落としている彼は、この前まで古典ファンタジーを読んでいたと思うのに、時代を遡ったらしい。いま読んでる本のタイトルは、確か幻想文学に分類される本だったはずだ。
かなりの長身で、運動は普通くらいだけど、噂によると勉強は月宮さんにも並ぶと言う英彦がなんで探研部に入部することにしたのかは、僕はまだ訊いたことがない。
入学式の数日後に行われたクラブ説明会で僕が説明をした直後に入部届けを持ってきた彼は、他にふさわしいクラブがいくらでもありそうなのに、迷うことなく探研部を選んだようだった。
「そうだ。合宿の成果は、もうまとまってる?」
「いや、もうちょっと……」
探検研究部の活動はけっこう曖昧で、適当だったりする。お題目はそれなりのもので提出してあるけど、実際中身は気になったことや興味のあることを調べてまとめるだけのことだ。
本当のところ、主に僕が題材を決めて他の三人を振り回してるような感じになってて、やってることは概ね竜騎やマリエちゃんだけだった中学の頃の遊びと同じ。英彦が加わって、部活になって予算も付いたからもう少し広範囲のことができるようになってるけど、みんなを振り回してることには変わりない。
それでもたぶん、みんな楽しんで僕にくっついてきてくれてるんだと思う。
合宿のときに集めていたのは、南伊豆周辺の神社の由来や歴史に関する情報。その情報だけでもかなりの量で、集めているだけで楽しかったそれをマップにまとめる予定だった。
ステラートを結成することになってからこっち、マップに着手してる余裕はすっかりなくなっていたけど。
「期待して待ってるよ」
文庫本から目を上げた英彦は、目を細めてそう言った。
「そうだ。図書室にいた先生に聞いてきたことことだけど、奥村先生はしばらく休職になるそうだよ」
今度は本から顔を上げることなく、彼は少しずり落ちてきた眼鏡を直しているだけだった。
「え? マジで? 部活どうなるんだ? 顧問いないとやばいだろ?」
「いや。休職になるだけだったら顧問は維持される。合宿なんかはできなくなるけどね」
「でもどうしたんだろう、奥村先生……」
――僕にとっては好都合かな?
非常勤講師の奥村先生があんまり長く休職になるなら次の顧問を考えなくちゃいけないけど、先生の車に頼った合宿や遠出を含んだ活動ができない他は、ステラートのこともやってる僕にとっては都合がいいことかも知れなかった。
「どうしよう? 遼平」
「今度誰かに確認しておくよ」
不安そうな顔をして近づいてきたマリエちゃんに笑みとともに答えると、彼女も笑みを浮かべてくれた。
「そうそう、何かあったと言えば、ステラート! だよなっ」
竜騎の大きな声に、僕は身体が反応するのを止められなかった。
「興味あるね。悪の秘密結社で、首領はコルヴスと名乗ったそうだね。あんな物が出てくるなんて、テレビ番組が現実になったみたいだよ」
さすがに興味があるのか、文庫本を閉じた英彦も竜騎の話題に応じていた。
「でも何か警察でも相手にならなかったんでしょ? 怖いよ」
「ピストル効かなかったんだってな。すげーよな。正義の味方でも出てこないと、相手にならないんじゃないか?」
「どうだろうね。拳銃の弾丸はすべて命中したそうだけど、傷ひとつ与えられなかったみたいだね。それどころか、弾丸が発射された形状のまま落ちていたという話も見たことがあるよ。強力な武器を作戦で運用する軍隊で相手するのは難しいかも知れないね。基本的に軍隊が想定してるのは、人間か、人間の操る武器であって、超人相手となるとどんなことができるか不明だね」
不安そうに表情を曇らせてるマリエちゃんに対して、特撮ヒーロー番組マニアの親の影響もある竜騎は、むしろ楽しそうな顔をしていた。興味深そうな顔をしながらも、英彦だけは普段通りの様子だった。……いや、いつにも増して饒舌だから、もしかしたら興奮してるのかも知れないが。
教室のクラスメイトどころか、学校中で今日の朝から繰り返していた三人の会話に、僕は参加することができなかった。
ヘタすると自分からボロを出して正体を明かしてしまいそうで怖かったから。
「んーでも、いったい何が目的で現れたんだ? ステラートは」
「やっぱり世界征服? 人類抹殺とか? やっぱり何かを壊したりするのがテレビに出てくる悪の秘密結社だと定番じゃない?」
「不明な点だね。十二台の車の損壊、店舗の損害はあったそうだけど、ステラートは積極的には人間を攻撃していないし、特に目的も宣言はしていない。怪我人は三人出たけれど、三人とも逃げるときに転けたりぶつかったりのもので、直接ステラートに攻撃された人はいないんだよね」
どこからそこまでの情報を仕入れているのか不明だけど、冷静な英彦の言葉に、竜騎もマリエちゃんも頭の上にクエスチョンマークが浮かんで良そうなほど首を傾げていた。
「ね、遼平はどう思う?」
「え?」
突然マリエちゃんに声をかけられて、僕は答えに詰まる。
「わ、わからないことが多すぎるよねぇ」
――あんまりハッキリした目的があって活動してるわけじゃないし。
首領の僕自身がステラートのとりあえずの目的も見出せていないんだから、答えがあるはずもなかった。
「どうせなら」
誰に言うでもない口調で、目には見えない汚れでも気になるのか、眼鏡を外して拭き始めた英彦が言う。
「壊すのが目的なら、どうせだったら廃墟でも壊してくれたら良いかもし知れないね。いっぱいあるんだから」
そんな彼の言葉に、僕は思い付くものがあった。
――廃墟の破壊、か。
「遼平、どうかした?」
「うぅん、なんでもない」
見透かすように僕の顔を覗き込んでくるマリエちゃんに、僕はぎこちない笑顔を返すことしかできなかった。
何しろそのとき僕は、思い付いた考えに気を取られつつあったから。
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