現代勇者の幸福論(ユーデモニウム)

小峰史乃

序章 現代勇者の戦力事情


序章 現代勇者の戦力事情



「人類を滅亡させ得る魔人の復活と、小娘ひとりの命、どちらが大事か迷うこともなかろう!!」

 女の子が寝かせられた寝台、というより生け贄台の脇に立つ白髪の男はそう言い放った。

 俺を取り囲むのは黒いフード付きのローブという、見るからに怪しい格好の奴らが十人ばかり。その手には棒の先にU字型の穂先がついた武器が構えられている。指叉だ。

 町外れの管理する者のいなくなった教会。

 壁も柱もぼろぼろに朽ちかけていて、次に台風でも来れば崩れ落ちそうな具合だ。その分、演出的効果は抜群にありそうだが。

 いくつかが朽ち果てて使えなくなってる礼拝堂の長椅子に腰掛けているのは、やはり黒いローブを着てフードを深く被り顔を隠した三十人ほどの人々。

 ただひとりフードを下ろして、彫りの深い初老の顔と黒が混じる白髪を晒している男は、本来説教を行うはずの演台に立ち、ベッドのような木製の生け贄台に縛られた女の子の脇で、儀式用だろう装飾の多いナイフを振り上げながら俺のことを睨み付けてきている。

 女の子のさらに奥には、礼拝堂の入り口辺りに立つ俺からでも見えるほどの、たぶん拳ほどのサイズの藍色の宝石が、聖者像が置かれていそうな場所に鎮座していた。

 ――不穏な気配があるなと思って来てみれば……。

 夕方辺りから漂い始めたおかしな空気が気になって、日が暮れた後に強くなったその元凶を探してきてみたら、こんなことになっていた。

 魔人を封印する、ってことを目的にして集まっているらしい宗教色濃いこいつらは、魔人教団とでも呼べばいいんだろうか。

 どこかにカメラでもあって映画を撮影してます、って言われても不思議に思わないシチュエーションだが、集まってる人々の雰囲気には冗談が含まれている様子はない。

 勘違いした学生が集まってるのではなく、大人ばかりがこの場所に集まり、真剣な雰囲気を醸し出していた。

「もう一度言う。この場を立ち去れ! 魔人を封印し直すための大事な生け贄の儀式の最中だ! このまま立ち去るならば手荒なことはしない。というかそもそもお前は何者だ!!」

 どうやら魔人教団の教主と思しき初老の男の問いに、俺は素直に答える。

「あー。俺は結城紗敏(ゆうきさとし)。この町に住んでる高校一年……、じゃなくて来月からは高校二年生だ」

 まもなく年度が替わる三月下旬。もう深夜と言っていい時間、柱に掲げられた松明の明かりしかなく、暖房もなくて、隙間風に身体の芯まで冷えそうな礼拝堂に、俺の暢気な声が響いた。

「ただの高校生風情が大切な儀式を……。人類の驚異たる魔人の復活と聖女の小娘の命、一介の学生と言えどどちらが大事か判断はつこう!」

「あー、そうだな」

 トレーナーとジーンズじゃちょっと寒さを感じつつ、俺はいままさに生け贄に捧げられようとしている台の上の女の子を見る。

 寝かせられているのでよくわからないが、割と短い黒髪を綺麗に切りそろえ、白いローブのような簡素な服を身につけて寝かせられている彼女。

 たぶん俺と同じか、少し年下くらいだろう。

 距離があるのではっきりとは見えないが、可愛らしい顔立ちの彼女の目は、悲しみでも哀れみでもなく、ただ驚いたように見開かれて俺を映している。

「わかったらさっさと――」

「あぁ。可愛い女の子の命に代わる財産なんて、ひとつとしてこの世にあるものか!」

 あんぐりと大きく開かれた教主の口。

 指叉を構える男たちも驚いたように動かなかった。

 寝かせられた女の子もまた、いままで以上に目を見開いていた。

「と、捕らえよ!」

 遅れて発せられた教主の声により、俺に向かって指叉の穂先が殺到する。

「よっと」

 わざわざひとつひとつを避けるのも面倒になって、俺は腐りかけの礼拝堂の床を軽く蹴って跳んだ。

 俺が着地したのは女の子が横たわる寝台の上。

 礼拝堂の入り口から約五メートル。俺はその距離をひと蹴りで跳んだ。

「もう少し待っててね。助けてあげるから」

 足下の女の子に笑顔とともにそう言って上げる。

 近くで見るとさらに可愛らしい。

 純日本風ながら目鼻立ちがはっきりした顔をしていて、寝かされているからわからないが、寒そうな薄手のローブ越しに見える、小柄な割には女の子らしい身体つきは、可愛い顔と併せて、クラスにいれば人気者になること間違いなしな感じだ。

 驚いているのか、柔らかそうな頬を赤く染め、桃を思わせるピンク色の唇を軽く開けていた。

 俺のことを心配し始めたらしい彼女は、大きな目に涙を浮かべて左右に首を振る。

 猿ぐつわをされて喋ることもできない彼女のことを早く解放してやりたかったが、先にやるべきことがあった。

「可愛い子にこんな顔をさせるような奴を放ってはおけないな」

「邪魔をするな!」

 ナイフを振りかざす教主の手を軽く蹴飛ばす。ナイフは礼拝堂の奥へと飛んでいった。

 その途端、ビキビキという、何かが割れる音が響いた。

 見てみると、寝台の奥に置かれた祭壇の上の巨大な宝石に、幾筋ものヒビが入っていた。そこから黒い煙があふれ出し、意志があるかのように宝石の上で渦を巻く。

「世界が滅ぶ!」

「に、逃げろ!」

 集まっていた信者たちが立ち上がり、一斉に出口へと殺到する。

 世界が滅ぶほどの力を持った奴が復活するならこの場を逃げてもどうしようもないんじゃないか、と思うが、この先の展開を考えると邪魔にしかならないので放っておく。

「いますぐに我らが育てた聖女の命を魔人に捧げなければならないのだ! そこを退け!!」

 飛びかかってこようとする教主を足蹴にして吹っ飛ばし、人の形を取り始めた煙と対峙する。

「これでこの世界は終わりだ……。この町にあるという名もなき聖剣があるならばともかく、力は強くとも所詮ただの子供に過ぎないお前には、魔人を打ち倒すことなど不可能だ!!」

 壁に叩きつけられながらも意外に元気そうな教主が立ち上がり、俺のことを指さしながら叫んでいた。

「我の眠りを覚ましてしまうとは愚かな者よ。目覚めの供物に聖女共々食らってやろう」

 重々しい声とともに姿を見せたのは、身長三メートルはあろうかという人型の異形。

 スリムながら逞しい黒い身体をし、同じ色の顔には目も鼻も口もない。背中に羽根のないのっぺりとした翼を生やしたその魔人は、まさに悪魔とでも言っていい姿をしていた。

 黒体無貌の細マッチョ。

 ゆっくりと右手を振りかぶり、手を開いたまま俺の身体をつかもうと横殴りに振り下ろす。

「ぬぅ!」

 女の子に脚を引っかけないように注意しながら、俺はその黒い手を受け止めていた。

「なるほど。これくらいの力か。人類を滅ぼすにゃあずいぶんショボいな」

 言って俺は右手を握りしめ、跳んだ。

「ぐぅ……」

 人型をした魔人の鳩尾辺りに、俺の拳がめり込んでいた。

 人の形はしているとはいえ、人間ではない魔人に鳩尾への打撃がどこまで有効化はわからないが、それなりのダメージはあったらしい。

 身体を折り曲げ、魔人は苦悶の呟きを漏らしている。

「わ、我らが魔人を……。いったいお前は何者だ!! その力はいったい何だ!」

 ここに来て何度目かの問いに、俺は台の上から教主を見下ろして右手を掲げ答えてやる。

「この右手は聖拳。そして俺は、この町に住む勇者だよ」

「勇者だと?!」

 どうやら勇者のことは知ってるらしい教主は、目を見開いていた。

「小賢しいわ、小僧! 我が力を思い知るがいい!!」

「あ、やばいな」

 痛みがやっと収まったのか、魔人が両腕を広げて構える。

 不穏な空気を感じ取った俺は、手刀で女の子を縛り付けているロープを断ち切り、彼女の身体を抱え上げて大きく後ろに跳ぶ。

 振り下ろされた魔人の両腕が風を起こす。

 ただの風じゃない。

 黒い稲妻を含んだ風は、礼拝堂の中で荒れ狂い、長椅子を吹き飛ばし、崩れかけの壁や柱を巻き上げていく。

 小柄で、思いの外柔らかい女の子の身体を左腕で抱きしめて庇いつつ、俺は竜巻の中にいるみたいに飛んでくる椅子や破片を右手でどうにか凌ぐ。

 バリバリという大きな音がしたかと思うと、教会の天井がなくなっていた。荒れ狂っていた風とともに屋根はどこかに飛んでいき、少し傾き始めた満月が差し込んできていた。

「ちょっとここで待っててくれ」

 手足の残っていたロープと猿ぐつわをほどいてやって、俺は女の子に笑いかける。まだ呆然としている様子の彼女は、言われるままに頷きを返していた。

「記憶を吸うことなく殺してやろう!!」

「記憶の魔人? 確か名前はメモルアーグとか呼ばれてたかな? しばらく出現報告はなかったけど、封印されてたって?」

 寝台を乗り越え、何トンあるのかわからないような地響きを立てて近づいてくるメモルアーグに、女の子に影響がないよう俺からも距離を詰める。

 両の手を握り合わせて振り上げ、轟音とともに俺の身体を押しつぶそうと振り下ろされる。

 それを足場に注意しながら左手一本で受け止め、俺はメモルアーグの手をつかんで自分の方に引っ張った

「がふっ」

 倒れ込みそうになるメモルアーグの胸の真ん中に右の聖拳を叩き込む。

 威厳も何もない苦悶の悲鳴を上げる奴の顎に、全力で跳びながら蹴りをくれてやる。

 上体をふらつかせながらがら空きになった身体。俺は鳩尾にもう一発、聖拳をめり込ませた。

 悲鳴もなく、黒体無貌の魔人の身体は、床に散らばったガレキを押しつぶしながら大の字に転がった。

「あ、くそっ!」

 トドメを刺そうと思った瞬間、魔人の身体は黒い煙となり、実体を失った。そのまま風を巻き起こして天井のない夜空に舞い上がって消えてしまった。

「ちっ。逃したか……」

 見回してみると、すでに教主の姿もなかった。

「詰めが甘いなぁ、俺……」

 ため息を漏らしながら俺は後ろを振り返る。

 不安そうにしている女の子が、俺のことを潤んだ瞳で見つめてきていた。

「もう大丈夫だ。君は家に帰るといい。遠くに住んでるなら、近くまで送っていくよ」

 身体を細かに震わせている彼女に、俺はできるだけの笑顔を見せて言う。

 返ってきたのは、意外な答えだった。

「あの……。わたしには帰る家なんてありません」

「え? どういうこと?」

「わたしは、生け贄になるために生きてきました。今日、ここで魔人様に捧げられて、死ぬはずだったんです。だからわたしには、帰る家はありません」

 教主は彼女のことを聖女と呼んでいた。

 俺がメモルアーグを倒せたのは、俺が勇者で、俺の身体に勇者の力が宿っているからだ。

 似たように彼女の身体からは普通の女の子とは違う、聖属性と思われる力を感じる。その潜在的な力は、かなり強いものだということもわかる。

 聖女と呼ばれるほどの聖属性の力を持つ人は、魔法などの力、魔属性の力を発現できる人に比べると恐ろしく希少だ。聖女の力を持つ彼女は、もしかしたらどこからか掠われるか買われるかして、文字通り生け贄になるために育てられ、死ぬためにここにいたのかも知れない。

「えぇっと、とりあえず名前は? 俺は結城紗敏。さっきも言った通り、この町に住む勇者だ」

「わたしは……、詞織(しおり)です。白澄(しらすみ)、詞織です」

 不安そうに可愛い顔を歪めている詞織に、俺はできるだけ優しい笑顔を向けて言う。

「とりあえず俺の家に来ればいい。成り行きとは言え助けたからには、責任は取るよ」

「でもわたしは、どうすればいいのでしょう? あの……、わたしはどうやって生きていけばいいのかも、わかりません」

 今日、ここで死ぬはずだったという女の子。

 世界でも希に見る聖女の力を宿しながらも、彼女は普通の女の子だ。

 ――いや、普通の女の子にすらなれていないか。

 長いまつげを伏せて俺から視線を外し、小さく震えている彼女は、明日を持っていなかった生け贄。

 でもそれも、いまさっきまでの話。

 いまはもう彼女は、生け贄なんかじゃない。未来のない女の子じゃない。

「俺は、人は生きてるなら……、幸せになるべきだと思うんだ」

 少しためらいながらも、俺は詞織に向かって言う。

 たぶん彼女には言葉にしなければ伝わらない。

 明日を持っていなかった女の子が明日を手に入れたのだから、それがどういうことなのかをはっきり言ってあげなくちゃならない。

「幸せ、ですか?」

 小首を傾げて、詞織は不思議そうな顔をする。

「うん。幸せは人によって違うものだと思う。でもそれぞれの幸せに向かって、一歩ずつでも進むべきなんだと俺は考えてる。そりゃあ、別の誰かの幸せと衝突して真っ直ぐに進めなくなることもある。それでも、幸せになりたいと思うなら、幸せをつくっていきたいと思うなら、目指すものに向かって進んでいくべきだ。さっきまでの詞織は、魔人の生け贄になることが幸せだったかも知れない。でもいまは違う。詞織が望む幸せを、詞織がほしいと思う幸せを探していいんだ」

「紗敏さんにも、つくりたい幸せがあるんですか?」

「あるよ、俺にも。まだはっきりした形のあるものでもないけどね」

 ボォッとしているようで、でもさっきまでとは違う、悲しそうにはしていない詞織に、俺は俺の目指す幸せを込めて、笑む。

「わたしは……、幸せというものがわかりません。どうすれば幸せになれるのか、どういうことが幸せなことなのか、それもわかりません」

「それを探せばいいさ」

 まだまだ不安そうな詞織は、けれどもう震えてはいなかった。

「詞織がやりたいこと、得たい幸せが見つかるまでは、俺が責任を取るよ。何しろ俺は、勇者だからね」

「でもわたしには、それがわかりません」

「すぐに見つける必要なんてない。幸せを見つけるところから始めてみよう」

 言って俺は詞織に手を伸ばす。

「本当に、いいのですか?」

 真っ直ぐな目で俺の目を見つめてくる詞織。

 不安そうで、怖がっている感じもあるけど、その目には光が宿り始めていた。

「どうにかなるさ、たぶん。……いや、絶対に大丈夫。詞織はもう魔人の生け贄になることも、誰かの物になることもない。これから先、長く生きていく間に、やりたいことも、幸せなことも、いくらでも見つかるさ」

 俺の言葉に詞織は、おずおずとではあるけど手を伸ばして、俺の右手を握り返してきた。



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