未だ見えぬ脅威


「お茶です、どうぞ」

 娘が水出しの煎茶を出してきた。前かがみになると、その髪がはららとほどけるように、肩の先から垂れた。

 茶の香りと共に漂う甘美な芳香が、どこか生クリームを彷彿とさせた。


「ちょっと」

 旅人は、思わず尋ねた。

「この、一番下にあるのは」

「はい、黒髪アイスクリームです」

 娘は健気に返答した。

 黒髪で、ソフトクリームだと。


「一体どんなものなのだ」

「はい、黒髪の入ったアイスクリームです」

 娘は髪をさらさらさせて説明した。その説明は聞くまでもないほど簡潔で、想像通りのものだった。


 旅人は息を呑んだ。

 彼は特別髪を愛でるような趣味を持っているわけではない。至って平凡で、普通で、ただ道をゆくことにかけてだけは人より抜きんでる情熱を抱く男であった。

 だがしかし、娘の髪は一目置くものを感じざるをえなかった。旅人は髪に明るいわけではないが、ただただ魅入るのである。妖気ともいえる、なにか見えざる魅力が、そのまっすぐできめ細かい髪に秘められているのである。


 だから、そう、その力にあやかりたい情念に駆られて、少しくらい食べてみるのもいいのではないかと、旅人は心の隅の、隅の隅っこで、抱いたのである。


「では……これを」


「はい、黒髪アイスクリームですね」


 はきはきとそう告げ、そしてまぶしい笑みを残して娘は再び奥へと入っていった。


 旅人は床に手を付き、天井を仰いだ。

 そして、幼き頃に聞いた説話を思った。まずは鶴の恩返し。そして次は三枚のお札であった。

 奥の戸を開けるとそこには見目麗しき鶴か、あるいは大変美しい山姥のどちらかがいるのではないか。……つまらない妄想である。身を削ぐという意味では鶴に近いが、おぞましさでいえば紛れもなく山姥である。


 黒髪ソフトクリーム、まだ見ぬ脅威に、旅人は天井板の模様を眺めながら、考えを巡らせるのであった。

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