アナログ放送

ホタテ

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 行きつけのカフェの古びた扉を開ける。

 カランコロンと、扉に付けられた鐘の音が響いた。

「いらっしゃいませ~」

 明るいがのんびりとした、いつもの店員の声。

 カウンターにいるマスターに軽く会釈して、定位置である四人席に一人で座った。

 頼むものはいつも同じにも関わらず、ついメニューを手に取ってしまう。

 念のために、店員が注文に取りに来るのだが……

「やだぁ。篠崎しのざきさんったら面白ぉい」

「本当! どうしてそんなに面白い話を知っているの?」

 などという女性客の黄色い声がして、メニューから顔を上げた。

 若い、華やかなルックスであるここの店員が、彼と同じ年齢くらいの女性客に捕まっていた。

 常連が多いこの店で、見慣れぬ客たちである。

 ……仕方ない。

 しばらくの間はこちらに来そうにない。

 マスターに目配せすると、彼もやれやれといったふうに珈琲豆を挽き始めた。

「ねぇ、篠崎さん。もっと面白い話してよ」

「え~……」

 女性客たちも空気を読むことができないのか、店員を独占している。

 彼も彼で、あまり困った様子はない。

 店員としていかがなものか……

 安らぎに来ているのに、これじゃあ学内のカフェにいるのと同じだ。

「よぅ。青年。いつもながらに早いな」

 そうこうしていると、気を紛らわしてくれる話し相手がやって来た。

「……こんにちは。今日は早いですね」

「まぁな~」

 目の前に座ったのはくたびれたスーツを着た中年男だった。

「しのちゃんは相変わらずモテモテだなぁ」

 女性客たちにキャーキャー言われている店員を見て、彼は笑う。

 青年には興味のないことだった。

「君も彼女の一人くらいはできた?」

「そんなことしている場合じゃないんで」

 親戚のおっさんかよ。と、心の中でつぶやく。

「おいおいー。せっかくの学生生活無駄にすんじゃねぇぞ~。おじさんが学生の頃は可愛い女の子の一人や二人……」

「一人や二人ってそれ、二股じゃないですか。最低」

「そういうことじゃなくてだな……」

 難しいお年頃だなぁーなどとぼやきながら、彼もまた意味もなくメニューを手に取る。

 すると、三度目のカロンコロンという音が鳴り響いた。

「ちわーっす!」

 今度は青年と同年齢くらいの金髪の男と、髪はボサボサで目には隈ができているという何とも柄の悪そうな煙草を吸った男が入って来た。

 そして残りの空いている二席に座った。

「ちょっ……! 何で隣に座るんだよ!」

 金髪が隣に座ってきたので、青年は顔をしかめる。

「えー? いいじゃん。仲良くしましょーよー。俺たち年近いんだしっ」

「うるせぇよ! 働け! ニート!」

「働いてますから!!」

 若者たちが騒がしくしている前で、中年男は隣の男に笑顔を向けた。

「先生お疲れだね~」

「締め切りが近いからな……」

 煙草を灰皿に押しつけ、“先生”は後ろを振り返り、

「おい! 篠崎! さっさと注文取りに来い!」

 変わらず談笑を続けていた若い店員に怒鳴りつけた。

「ひええぇぇ~! 待ってください~!」と、店員は慌てふためいている。

 例の女性たちは突然の怒声にポカンとしていた。

「ったく……」

 彼が舌打ちすると、金髪が「先生こわ~い」とニヤニヤしながら言った。

「しのちゃんはイケメンだかんな。仕方ないさ」

 中年男もニヤニヤする。

「ちやほやされるのは勝手ですけど、やることはやってほしいです。」

「全くだ」

 青年の言葉に先生が大きく頷いた。

「厳しいね、二人とも。」

「でも実際篠崎さん目当てのお客さんも多いし、これからどんどんああいう女の人が増えてくるんじゃないっすか?」

 金髪の言葉に青年の眉間に皺が寄る。

「そうなると別の店に行くだけだ。」

「えー。先生、そんなさみしいこと言わないでよ」

 中年男が大げさに悲しげな顔をしたが、見てすらもらえなかった。

「しのちゃんのことだしさ、彼女くらいいるんじゃない?」

 諦めて、中年男はそう言った。

「いたとしてもそんなの関係ないって女もいるだろ」

 先生が素っ気なく答える。

「だけど……大半の人は諦めますよね……」

「よし。しのちゃんに彼女がいるかどうか聞いてみよう」

 いつからそんな話になったのか、中年男は一人で決心するのだった。

「それは……やめた方がいいと自分は思います……」

さっきまで一番騒がしかった金髪が突如、声を低くして彼に言った。

「え? なぜに?」

「いや……その……」

 慌てて彼らの料理を用意している店員の動きを窺いながら、彼は三人に手招きをした。

 三人は彼の方に耳を寄せる。

「俺、実はこの間……博士さんと見ちゃったんです」

「お前、博士にさん付するのやめろよ。バイオリニストみたいじゃねぇか。」

 すぐさま先生のツッコミが入るがそれはスルーして、金髪の回想に入る。

「その日はバイトが朝番だったんで、どこかで昼飯食って帰ろうと思ったんです。そしたらたまたま博士さんと会って……一緒に飯食おうってなったから、二人で歩いていたら……見ちゃったんですよね」

 三人はごくりと唾を呑んだ。

「男と……えらく親しげに歩いている姿を……」

「……友達なんじゃないの?」

 青年の冷ややかな声に二人はふんふんと頷く。

「いや! あれは絶対違う!! 友達にしては仲良さすぎます! 博士さんも『あいつ……ホモだったんだな……』ってぼやいてましたもん! そのくらい親密でしたよ! 聞いてみればわかりますよ! 来てもらいますか!?」

 スマホまで取り出して、金髪は必死だった。

「え~……しのちゃんが? 信じがたいなぁ……」

「お前らの思い違いだろ」

「本当ですってば!!」

 またこのチャラ男は……というような空気になっていると、当の本人がいそいそと料理を運んできた。

「申し訳ないです! お待たせしました!」

 慌ただしく彼らの前に珈琲だのサンドイッチだの置いていくが……四人の視線にさすがの彼も変だと気が付いた。

「……皆さんどうかしました?」

 三人は目をそらす。

 金髪だけはしっかりと彼を見据えていた。

「お尋ねしたいことがあります。篠崎さん。」

「な、何でしょう……?」

 店員は少し構える。

「篠崎さんは……男の人とつきあっているんですか?」

「……は?」

 ポカンとした彼の顔を見て、三人はそら見たことかと、各々料理に手を伸ばす。

「俺、この間見たんです! 博士さんと! 篠崎さんが男の人といちゃいちゃしながら歩いているのを……!」

「え!? えーっ!? 待って、何それ。いつの話!?」

「三日前の昼時です!」

 それを聞いて、彼は腕を組んで考え込む。

「……あ! わかった!」

 数秒後、彼はポンと手を打つ。

「勘違いだよ! 涼太りょうた君! あれ、友達だよ!」

「……へっ? 友達……?」

 今度は金髪がポカンとする。

 やっぱりな……と、三人は食べながら思う。

「ちょっとふざけていただけだよ……」

「……」

 金髪は三人の方を見るが、誰も目を合わせてくれなかった。

「じゃあしのちゃんは、つきあっている人はいないんだ?」

 うなだれている金髪はさておき、中年男が聞いた。

「まぁ……いないですけど」

 遠くの席にいる例の女性客たちが僅かに反応した気がする。

「なぁんだ。しのちゃんならすぐ彼女できそうなのに」

「そんなことないですよ~……」

 あはは。と、笑う店員。

「好きな人ならね、いるんですけどね。」

「だろうね~……え?」

 皆一斉に彼の方を見た。

 あの女性客たちもだ。

 皆の注目を浴びているにも関わらず、店員は呑気に笑っている。

 箱型テレビから流れる人の声だけが、店内が静寂に包まれるのを阻止していた。

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