11月30日(土) 第一次・勉強ブーム④

「今日は誘ってくれてありがとう」


 埃一つないフローリング。オシャレな家具。窓から覗く構想の景色。

 清潔感を感じさせる香りが漂う二人きりの空間で、私は声を掛けた。


「気にしないでいいよ。俺も試験勉強はするつもりだったし、それなら一緒にした方が捗るからね」


 そう答えて顔を上げた翔真くんは、カリカリとノートにシャープペンシルを走らせる手を止めて、こちらにニコリと笑いかけてくれる。


 気分はオフなのか、外行きの装いをしつつも、その顔には以前に紹介していた度のないメガネが。

 けれど、その姿もまた普段とのギャップでかっこいい……。


「……けど、驚いたよ。何故か皆、勉強にやる気になってさ……おかげで今週の昼休みは大忙しだった」


「最後の方は、黒板と教室の前方を占拠して皆に授業をしてたもんね……」


 まさか私たちもそんな事態にまで発展するとは思っておらず、あの時の様子を思い出して、互いに苦笑を浮かべ合った。


「でもまぁ、そらがいて助かったよ。そうでないと、それこそ今度は過労で学校を休んでいたかもしれないしね」


「あ、あの……一応はかなちゃんも……。頑張ってた……とは言えないけど、もしかしたら人は分散していたかもだから……」


「うん、そうだね。助かった」


 などと、合間に小話を挟みながら勉強を進めていると――。


「――ただいまー」


 ガチャガチャと物音がした後に、女の子の声が響きわたる。

 以前にお会いしたお母様でも、お姉様でもない、若い声が。


 思わず玄関口に視線を向けるも、生憎とこのリビングへと繋がる扉は閉じていた。

 気にした翔真くんは、すぐに答えを教えてくれる。


「妹だよ。部活が終わったから、帰ってきたんだと思う」


「あっ…………そ、そうなんだ」


 ……そういえば、そんな話を過去に聞いたかも。


 明かされる正体に納得し、再びペンを執る。

 しかし、向こうはそうでもないようで、しばらくした後に急に騒がしくなったかと思えば、バタバタとこちらに走ってくる音が聞こえ始めた。


「お、お兄ちゃん! あの靴ってまさか――」


 勢いよく開かれる扉。

 密閉からの解放に空気は揺れ、壁や床にまで響き、この部屋全体が僅かに揺れたように感じる。


 そして、かち合う瞳。


「……陽向、もう少し静かにしないと下の人に迷惑だよ」


 翔真くんの妹――陽向ちゃんなる人物を目の当たりにして、私は頭を下げた。

 彼女も僅かに黙礼を返し、指を差して一言。


「…………お兄ちゃんの彼女?」


 瞬間、吹き出すかと思った。

 このまま黙っていたら、多分、翔真くんが良い感じのフォローをしてくれたと思うのだけど、困惑してしまった私はありのままの事実を答える。


「ち、違うよ! 私たちは全然、まだそんな関係じゃなくて……!」


 ――って、『まだ』って何ー!?


 ついついしてしまった他意のある言い方に、陽向ちゃんからは謎に敵対心の籠った視線を向けられる。

 翔真くんもまた、気まずそうに顔を背けていた。おかげでその表情は見えないけど……果たしてそれが良いのか悪いのか。


「…………お兄ちゃん、どういうこと?」


 彼女の目が兄へと移った時、ようやく彼は顔の向きを戻した。


「――ん、んんっ! ……一応、紹介するよ。この子が妹の『陽向』だ」


 咳払いという、古典から伝わる前振りを頼りに、手のひらを差し向ける。


「そして、彼女がクラスメイトの『菊池詩音』さん。今日は、試験勉強に来たんだよ」


 簡潔で、この上ないほどに正しく間違いのない他己紹介。

 それを受けて、陽向ちゃんは何かを考えるように私たちを見比べ始めた。


「ふぅーん……じゃあ、私も一緒に勉強する」


 そして、対抗するようにそう呟く。


「えっ……いやでも、陽向の方は先週でテスト終わってただろ?」


「結果が返ってきたから、解きなおしをするのー!」


 どうやら一歩も引く気はないようで、翔真くんの指摘にもちゃんと反論すると、プリントの束と筆記用具を持参して彼の隣を陣取った。


「はぁー……ごめん、詩音さん。邪魔はしないと思うから」


「あっ、ううん……大丈夫だよ」


 謝る翔真くんに、私は気にしてないとばかりに首を振る。

 二人きりでなくなったことは少し残念なことではあるけど、仕方のないことだから。


 ……けれど、ほんの少しだけ。

 『彼の妹』というポジションを羨ましく感じたのは、私だけの秘密だ。

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