10月22日(火) 即位礼正殿の儀

「……ねぇ、暇ぁー」


 時間帯は夕方。

 いつも通りの休日の過ごし方として、ウチに遊びに来ていたかなたはそんな不満を漏らした。


 まぁ、テレビは同じ報道しかしていないし、俺自身も個人で楽しむようなものしか持っていないため、そうなるのは仕方ないと言えよう。


「なら、散歩でも行くか? 何か甘いもの食べたくなったし……」


 気分はロールケーキとモンブラン風味のミルクティー。

 故に、暇つぶしも兼ねて誘ってやると、彼女は二つ返事でベッドから飛び上がる。


「おぉー、行く行く」


 ……それ、マットレスのスプリングが痛むから止めて欲しいんだけどなぁ。

 たらなどと考えながらも口には出さず、クローゼットから手頃な上着を羽織った。


「けど、財布持ってきてないから……奢って?」


 そのまま一緒に階段を降りていけば、先頭を歩いていたかなたはその道中で、物理的な上目遣いをしながらお願いを申し出る。


「いいぞ。ただし、俺が会計を済ませた後に残った小銭分だけな」


「……今いくら持ってるの?」


「小銭だけで六百円ちょい。ちなみに、札を使うつもりはないから」


 つまりは、飲み物とスイーツを買う予定であるため、二百円ほどしか残らない計算である。

 ……まぁ、飲み物を奢って貰えるだけ有難いと思え。


 だというのに――。


「……やった、五百円も使えるー」


「何で、俺が飲み物しか買わない計算をしてるんだ……お前は。推測ガバガバかよ」


 ――などという発言が飛び、それにツッコミを入れつつ、俺たちは外へ出た。



 ♦ ♦ ♦



 傾きかけている西日が、これでもかと輝いている。

 世界は赤く染め上がり、まるでこの世の終わりのようだ。


 始まりがあれば、終わりがある。

 よく聞く言葉ではあるが、だったらその逆もまた然り――終わったならば、その先に始まりがあるのではなかろうか。


 少なくとも、今日はその日に相応しい。

 天皇即位礼正殿の儀――平成から令和へ、即位した天皇が日本国の内外に即位を宣明する儀式。


 巷では、接近していた台風が逸れた、即位の瞬間に雨が止んで虹が出た、天照大御神の思し召しだ、などと騒がれている重大な一日だ。


 けれどもその実、俺たちの生きる世界に何か変化があるかと言われれば、そういうわけではない。


 何にも変わらずにどこまでも続いていって、でもその中には、年号やお札など実感のない形で確かに変わるものがある。


「――――なぁ、かなた」


「……何?」


「……お前さ、俺がいなくなったらどうするわけ?」


 そんなことを考えていたら、ずっと心の中に残っていたしこりが気になって、つい口から溢れ出てしまった。


「…………そら、引っ越すの?」


「違ぇよ。ただ……受験だったり、就職だったりで、ずっとこのままってわけにもいかないだろ」


 何とか言葉を濁し、仮定の話にすり替えた。

 けれど、それは嘘だ。あと一年もすればやってくる、未来の話にほかならない。


 俺は、工業大学に行く。

 自分のために、夢のために。文系のかなたでは絶対に交わることのできない道へと踏みだす。


「その時になったら、どうするんだよ? ――って、そう聞いてるんだ」


 だからこそ、かなたにも俺と同じように自分の道を選んでもらいたくて、進路のことは隠しているわけだけど、さすがに心配になって尋ねてしまった。


「…………………………………………」


 彼女は答えない。答えられない。

 ただギュッと俺の腕に組み付いて、手を握って、体重を預けてくる。


「……………………? どうした?」


「……………………なんか、そらが遠くへ行っちゃうような気がした……から」


 逃がさない、どこまででも一緒に付いて行くと――そう宣言するように、強く強く、しがみつく。


「大丈夫だって。少なくとも、今すぐには――あー……事故とかに遭わない限りは、どこかへ行くなんて有り得ない」


「……………………ん」


 そう言って宥めれば、肩に寄り添うその小さな頭を撫でて、一方的に掴まれていた手の平を軽く握り返した。


 猫のように、気持ち良さそうに目を細めるかなた。

 罪悪感で重い俺。


 嘘は言っていない。でもだからこそ、より騙しているような気がして、心にのしかかってきた。


「…………さっきの答えだけどさ」


「…………おう」


「…………やっぱり、分からないよ。そんなこと考えられないし、考えたくもない」


 それは当たり前で、予想のできたこと。


「まぁ、そうだよな……。悪い、変なこと聞いた」


 こんな一度の問答で答えが出るのなら、俺も最初から進路のことなど隠してはいない。

 もっとゆっくりと、少しずつ自覚しながら導き出すべき事柄なのだから。


 だから、これでもいい。


「――――それで、かなたさんや。いつまでこの手は繋いでいればいいわけ?」


「ずっと」


 血管が圧迫されているのか、痺れ始めた腕を差して尋ねると、無慈悲にもそんな答えが返ってくる。


「……マジ? 店の中でも?」


「もちろん」


「えぇー……また近所から噂されるじゃん……」


「もう、とっくに公認」


「いや、そりゃそうだけどさぁー……」


 真っ赤な夕日。伸びる影。

 いつもの街の空気感に、この手の温もり。


 ……それと、悲しげに響く声。


 全てが変わらず、そこにあった。


 それでも、世界は目に見えない形で変わっている。

 小さく、浅く、知覚できないくらいの僅かな変化だけど、少しずつ確かに変わっている。


 それがいつか、歪みとして目の前に現れたとき、彼女はどんな答えを出すのか。

 いや、そもそもとして答えを出すことができるのか。


 俺はそれが、心配でならなかった。

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