SF百合
@VTamaGlass
同居人のレズから翼が生えた話【前編】
篠崎在華にとって朝は戦争である。四時間睡眠ではとても抜けきれない疲労を抱えた身体に鞭打って、身なりを整え、化粧を施し、朝食もそこそこに七時半には家を出なければならない。乾燥機に放り込まれたくちゃくちゃのユニフォームを鞄に放り込む。生乾きだろうと気にする余裕はない。
同居人は気ままなもので、そんな自分の忙しい姿を横目にのろのろと起き上がってテレビを付けた。病的なまでに細い身体、動きはしないがそれ以上に食べることすらままならない彼女。神岡日和のプライベートについて私はそこまで知っているわけではない、今だって同居している理由はあまりにも生活力のない彼女をひょんなことから拾い、なんとか野たれ死なせるわけにはいかないという世話焼き根性が湧いただけだ。
日和とは中学の卒業以来ぱったりと連絡を絶っていたし、そもそも仲のいいクラスメイトであったかと聞かれたら首を振るような間柄だというのに何故か同居を始めて数年が経とうとしている。
彼女が働いているところを滅多に見たことはないというのに毎月の家賃はきちんと支払っていた。(そもそも外に出かけるところを見たことがなく、床に根っこでも張っているのかと一時期疑ったことがある)
彼女が生きているのか死んでいるのか未だによく分からなくなることがある。恐らく寝ぼけ眼で二時間後には起き出し、手元のえらくハイテクなタブレットで仕事をする、イラストレーターだと言っていたが在華にはよく分からない世界で生きているので未だに彼女を同居人だと思えないのだ。
さて、そんな忙しい時間に珍しく日和は在華の裾を引っ張った。もう彼女は朝食を済ませて、カバンを持って外へ向かうところだったというのに。やめてよ日和。もう行かなきゃいけないからと、そう宥めても今日はいつになくしつこかった。
「ねぇねぇ聞いて、困ったんだけど」
手術痕の残る目元、一点の曇りもない瞳がいつになく怯えたように宙を彷徨っている。口元はいつものようにつかみ所のない表示でへらりと緩んでいるがどうにも動揺しているようだった。いつかの昔、自分がまだ学生だった頃にそんな彼女をチワワのようだとからかったことがあったことを思い出した。忙しいので彼女の手を振り払うとムッとしたような顔で追い縋ってくる。
「まだ七時前だよ、そんなに急がなくても間に合うんじゃないの?」
その何も分かっていない能天気な顔にイライラして、思わず彼女を突き飛ばした。昔から、それこそ出会ったばかりの中学生の頃から日和の無神経さに業を煮やしてきた。不気味なくらい小作りで人形のように整った顔が悲しそうに歪められる
今だって、仕事をしに行くというのに平気で軽々しく話しかけてくる彼女の無神経さが嫌いだ。狭い、恐らく一人暮らしを想定している寒々しい部屋の硬いフローリングに彼女の身体は投げ出され、思ったより大きな音を立てて倒れたので思わず視線をそちらに向けて、ようやく異変に気が付いたのだった。
いつも着ている着古したヨレヨレのトレーナーを脱ぎ捨て、タンクトップ一枚で部屋に佇んでいる。引きこもりの為、白く細いはずの彼女の腕がどういうわけかモコモコとした大きな羽に覆われていた。手のひらは細かな羽毛に覆われ、手首から二の腕に掛けては鳶色の大きな羽が敷き詰めるように生え揃っている。
「分かんない、なんだろうこれ」
唖然として思わず出た言葉間抜けで、そしてそれを返す彼女の言葉もトンチンカンだった。濡れた瞳に自分の間抜け面が映る。その情けない顔に腹を立て、思わず詰め寄って力任せに引っ張った。抜けろ、抜けて元の腕に戻ってくれ、ふざけた悪戯であってくれと祈るように。
日和の羽の手触りは柔らかいだけでなく少し湿っていて、ご丁寧に鳥特有の臭いまで付いていた。いたいいたい、と泣き言を抜かすので、まるで自分が意地悪で髪の毛を引っ張る男子のように思えて渋々と手を引っ込める。
「ねぇ、これどうしよ……」
認めざるを得ない。日和の身体に翼が生えていた。彼女は力なくこちらに腕を伸ばして、困ったように羽を撫でた。今更、突き飛ばした日和の重みを掌に感じていた。
とはいえ、在華には時間がない。今までだってそうだ。たとえ彼女がインフルエンザに罹っても、大怪我をしても自分は何もしない。決まった時間に電車はやって来るもので、始業ベルだって彼女の為に鳴らなくなるはずも無い。取り敢えず目の前の問題を先送りにすることにして玄関へと向かった。なにか言いたげに日和が視線を向けているが、口の端で馬鹿にしたように笑い、振り切った。
こうするといつも彼女が傷ついたような顔をするので気分が晴れるのだ。怯えたような気配を感じ取って、在華は忌々しい気持ちでバタンと扉を閉じた。
***
小さな老人ホームで既にボケきったご老人たちのお世話をすること、それが在華の仕事だった。俗にいう介護職だ。元々は教職志望だったが、大学生の時母親が認知症を患い諦めざるを得なくなった。必要に迫られ資格も取ったが母は二年前に亡くなった。
ハナさんと会話をするときに、一番大切なのは臨機応変な対応力だ。篠崎在華は右へ左へと飛んでくる小言のような言葉を聞きながら彼女の介護をするのが、ここ数年の日常となっている。
「あらマチさん、おはよう」
ニコニコとにこやかに手を振る様子はさながら御婦人と言った具合だ。しかし彼女の体のあちこちに通るプラスチックの管がその面影を消し去っている。お加減はいかがでしょうかと声をかけた。
「今日はとってもいい気分よ。」
経営難に陥る小さな介護施設の309号室のお客様、それが木下ハナさんだ。暴れまわったり何処かへ逃げようとする他の介護者に比べればあまり騒がず扱いやすい人で、なにもせず静かに命の灯火を燃やし尽くそうとしている。介護士としてもありがたい人だ。もう足腰が弱ってロクな食べ物も食べられないけれど、舌だけは良く回る。
「今日は入道雲が出ていたからきっと大雨が降るわ。マチさんは傘はちゃんと持ってきたのかしら?」
ええもちろん、天気予報はしっかり見てますからと内心ごちて曖昧に頷いた。今は真夏ではないし、雨が降るはずもない。それでも彼女の言葉に疑問を投げかけるのはいけないと経験則で分かっているので在華は何も言わない。整合性のない会話という体裁すら成していない奇妙なコミュニケーションも、数年経てば慣れてしまった。
ハナさんは自分が介護施設にいることも、年老いた老婆であることも理解していない。ヘルパーの在華のことを「マチさん」と呼び、お家に遊びに来る娘か孫だと思っているのだ。姿形と立場が変わる「マチ」という女性になり切りながらハナさんのオムツを変える。勿論身の回りの世話全般もだけれど、この施設の中で一番ご機嫌取りが上手いのは自分だ。やっぱり生乾きだった紺色のユニフォームは少し動くだけで体温を奪っていった。
今日もハナさんの長い話を聞くのだと思うと少し憂鬱になった。
「昨日お隣の佐々木さんが草もちを分けて下さったからマチさんもおあがんなさい」
昨日のおやつとして施設から配られたおやつの和菓子は、どうやら後生大事に布団の中にしまいこまれていたらしく、一晩の乾燥のせいでカピカピになっていた。お礼もそこそこに腐りかけの和菓子を受け取り、そして彼女の機嫌を損ねないよう目一杯の笑顔を貼り付けて彼女の身体を拭くことにした。どこか身体が痛むとこはないかと尋ねると呆れたような顔をされた。
「あのねマチさん。あなたがいくらお医者様だといっても、私の心配まではしなくていいのよ。自分の体のことは一番わかるんだから」
ハナさんによると、「マチさん」は日によっては花屋でアルバイトしている大学生で、バリキャリのOLで、今日はどうやらお医者様らしい。
ボケているとは思えないほどハキハキとした口調ではあるが、少しでも放置したり無視したりすると途端にぐずり出して面倒なことになるのを在華は知っていたので、歩きながらアイスを食べるような並行作業を強いられている。
「あらみて、あそこにキジがいるわ。マチさんは昔、鳥が怖かったのよねぇ」
この部屋に窓はない。
「あなた昔から鳥が怖い嫌だっていうこと聞かなくて遠足の動物園も嫌がったんだから」
タプタプと余った肌が濡れタオルに揉みくちゃにされて、ずるりと下がった。あまりにしっかりとした口調なのに、いってることはボタンが掛け違えたような違和感が残る。
まともに付き合っても無視しても面倒なことはわかっているから適当にあしらって、もうしなびてくちゃくちゃの肌を綺麗にした。もうこの人は一人で寝返りも出来ないし、満足に用をたすこともできない。一人の大人と呼ぶには不満足な身体になっていた。きれいな体を想像できないほど、ハナさんの身体は干からびて、老いていて、もう先も長くないのだろうと思う。
実の娘か孫であろう「マチさん」とやらがお見舞いに来たところを、自分は一度も見たことはない。なんとも親不孝な人だ。自分とてそんなことで腹をたてるほどとっくに良い人ではなくなってしまったが。
「マチはねぇ、不器用だからねぇ……いい人がいないの?」
仕方のない話なのだろうけれど年のとった、特に円満な結婚経験のある人間というのは一人で生きている人間を、勇気がなくて一人寂しい思いをしている被害者だと錯覚しているのだ。寂しさを覚える前に忙殺される日々についていくだけで精一杯なのだ。ここへ来て働いて、残業手当も出ないまま夜中に帰ってきて泥のように眠る。休日はたまった疲労を少しでも取るために部屋で寝ることに専念する。そんなことを繰り返しているうちに三十が目前に迫っていた。
「若い人はもう結婚だなんて考え方が古いのかもしれないわねぇ。寂しくはないの?」
そもそも恋愛は不得手だった。誰かに想いを寄せた経験はなく、そんな自分を不完全で人間として不出来なのではないかと思春期の頃は思った。今でも恋人らしい恋人もおらず、ここ数年で一番長く人付き合いしている相手は誰だろうかとふと思い浮かべたのは日和の間抜け面だった。
『私、中学生の頃から在華ちゃんのこと好きだったんだよぉ?陸上部やってたでしょ、美術室の窓から走ってる様子が見えてさぁすっごくえっちだなぁって思いながら絵を描いてたの』
始めて出会った時の彼女は酩酊状態で、そんなとんでもないことを口走っていた。彼女がそういう趣味を持っているだなんて知らなかった私は、気持ち悪いとはかろうじて口に出さなかったものの、顔が歪むのを隠しきれなかったのを覚えている。それでも彼女を家に置くことを許可したのは、あの寂しい家に何か隙間を埋めるものが欲しかったから他ならない。そしてそれが恋ではないかと少しでも疑った自分に殺意が湧いた。
ぼんやりとそんなことを考えていると、ゴロゴロと点滴台を引いて歩くおじいさんが視界の端に見えて、ああまたこの人は勝手に抜け出したなと溜息をついた。行かなくちゃ、と適当に切り上げた。介護士の手伝いが必要な人はハナさんだけじゃない。家族に捨てられた人達は、私達介護士の手を求めていつでも手を伸ばしている
洗い替えのシーツを干して、食事を運び、ぐしゃぐしゃになって境目のわからないシモの世話をして、時たま癇癪で暴れ出す彼らの相手をする。繰り返し、繰り返し。
未来ある仕事ではない。面倒みきれないから、と家族から切り離され、誰とも知らぬ人々とひたすら死を待ち続ける老人達。
勿論、介護施設に入居すること自体を悪とは思わない。こんな子育てのような大変な仕事をタダで毎日しろだなんて気が狂ってしまうし、実際家庭や体を壊してしまった人も何人もいる。
でも彼らには子育てと違って未来がない、求められることも、可能性の芽もしおれ切って二度と実を結ぶこともない。此処は終わりの場所、クリーム色に塗られた壁も、温かな印象を与えるという橙の照明もむなしい。どう頑張っても狭く暗い死の匂いが漂う所だ。
***
今日は殴られなくてよかった。
九十二になる佐藤さんは今日も息子さんがお見舞いに来ないと八つ当たりしていた。担当の鈴原くんは大きな体を叱られた子供のように縮こませてただ静かに佐藤さんの癇癪を受け止めていた、それを職員みんなが見ないふりをする。そんな中でも当たり前のようにサービス残業することに慣れてしまったのはいつ頃だったろう。気がついたら辺りは真っ暗になっていた。この職で定時で帰れた回数など五本の指に収まる程だ。夜風が疲れた身体に心地よい。汚れの混じった冷えた空気と共に、とっくに帰宅ラッシュのピークを越えて余裕のある電車に揺られながらなるべく疲れを取るよう目を閉じた。こんなところで眠れた試しなどないし、暇な時間は決まって下らないことを考える。何度もやめたいと思っていたのに、そういったことを考えることすら面倒になってしまうくらい歳をとった。
職場に居場所を感じたことはなかった。必死に努力して手に入れた介護士の資格は紙切れのように軽く、辛うじて手に入れた派遣社員という不安定な立場にしがみついて生きている。毎回の契約更新のたびに行き場のない焦燥感を抱えるのも恒例となった。
だというのに顔を合わせると理不尽な罵詈雑言を浴びせてくる老人たちが後を絶たない。在華がただの介護人であるとわからないまま『死んでしまえ』と罵るお爺さん、着替えを手伝おうとして暴力を受けたとあげつらうおばあさん、そしてその言葉を真に受ける家族と上層部。擦り切れて無くなってしまいそうになりながら一日を消費することを繰り返す。今までも、これからも。
眠りに入る前の混濁した意識を抱えたままスマホを開くと、通知が一つ届いていた。
『羽、抜けなかった。明日か明後日か病院に行くよ』
そっけないラインの文章。一瞬脳が理解を拒んでから、朝の鮮明な記憶がそれを呑み込んで、そういえば、日和の腕に羽が生えたのだっけとどこか他人事のように思い出したのだった。思い出すだけでギョッとする、あるはずがないものの発現。昔絵本で見た鳥人がそのままポンと世界に飛び出てきたような衝撃。
(そっか、病院か)
自分でどうにかしろ、だなんて吐き捨てたというのに病院に行くという選択肢が自分には思い浮かんでいなかった。自分が考えた解決策は羽をハサミで切り取るか、嵩張らないよう包帯を巻くか、だった。ずいぶん疲れているなと自嘲的に笑った。
自分が返信を送る前にシュポンと新たなメッセージが届く。
『今のままだと絵を描くのが難しいです。というか、ラインするのも、大変』
日和は今日も何もせずに引きこもっているのだろうか。普段の自分たちに会話はない。自分は年中介護に追われて忙しいし、彼女は滅多に部屋の一角から動かない。三日に一度ほどは何か食べるものを買い与えなければ、水だけで十日間食べ物を取ろうとしない程彼女には生活力がない。電車にだって一人で乗れないだろうし、いつまでも独り立ち出来ない。仕事で介護をして、家に帰っても似たようなことばかりしていると自分がたまに世界のどこにも居ないような、そんな気分になった。
いつも通り、返信する気力もないのでそのまま家に帰る。
***
いつものことだけれど帰ってきた頃には真夜中になっていた。玄関の鍵を開ける僅かな音に彼女は耳ざとく気付く。ただいま、と声をかけることすら最近は億劫でしなくなった
「おかえり、在華ちゃん」
それでも日和は欠かさずおかえりという。姿が見えないので部屋の奥まで進むと、相変わらず布団にくるまって子鹿のように手足が震えていた。昼夜の感覚が狂っているから夜中でも眠れないのだろう。思わずキッチンから包丁を取り出して彼女を刺し殺したくなる程の殺意が湧いて、気付かれぬようゆっくりと嚥下した。
この様子だといつものように夕食を食べていないだろうと思ったが案の定だった。
「めんどくさくて、食べてないや」
帰りにスーパーで買った半額シールの貼られたお弁当を取り出して日和に食べさせることにした。
水分がべっちゃりとついたサケの切り身に黒ゴマのかかった白米、茶色い煮物に着色料がたっぷりはいっていうであろうピンク色のお新香。体に悪いだろうし、昼間に世話をした先の短い老人たちのほうがよいものを食べているだろうなともおもう。
それでも自炊は苦手で、自分一人のために面倒な家事をする気にはなれない。日中家から滅多に出ない日和に家事を任せようかと考えたことがないわけではなかったけれど、高校時代の彼女の家庭科の凄惨な成績を思えば自殺行為であることは明白だった。
彼女の大きな羽は思ったより動きを阻害しているのか、ただ屈んで物を拾おうとしただけで後ろのランプをひっくり返したりガラスのコップを倒したりと散々な二次被害を生み出していた。
なんとか座らせては見るものの、細かな羽毛に覆われた手のひらでは箸を使うのも一苦労らしく、つるりと何度も落とした。仕方なしに切り分けたおかずを昼間のハナさんにしたように口元まで運んであげる。 シャケの切り身を嚥下していく姿はまるで雛鳥みたいだ。細い喉が緩慢な動きで食べ物を飲み込んでいく様子は老人達とよく似ていた。在華もお腹が空いていたので、のろのろと食べ進める日和を恨めしそうに睨む他なかった。
「ねぇ」
不意に、食事特有の沈黙を破るかのように彼女が声をかけてきた。動揺を悟られないよう静かに視線を向ける。
「お仕事どうだった?」
それはまるで明日の天気はどうなんだと言わんばかりの気軽さだった。いや、実際日和はそのくらいの気持ちで尋ねてきたのだろう。それでも自分にとっては衝撃だった。何故って私たちの同居生活の間にそんな言葉を交わしたことは一度も無かったからだ。
「いつもどんな仕事してるか聞いたことなかったからさぁ」
困ったな、まともに人と会話をするのはいつぶりだろうか。友人はいない、家族とは疎遠、仕事にも親しくしている人もいないのだ。強いて言うなら饒舌なハナさんくらいだろうか。
「介護士やってるって聞いて、結構驚いたよ。中学の頃とかは学校の先生になりたいって言ってたよね。なんで?」
何年も一緒に暮らしていて、自分たちはお互いがどうしてこうなってしまったのか聞けずにいた。なし崩しに住み着かれていても、自分達はただそこにいるだけで支えあっているわけでも、お互いを必要としているわけでも無かったからだ。
「……色々あったのかな」
ぐしゃぐしゃとした感情を抱いたまま言葉に出力するのは面倒だった。滅多に声を出さないからか喉はうまく機能せず、返事もろくにできなかったが、日和はそれを咎めたりはしなかった。彼女とこうして面と向かって会話をするのは久々だ、初めて彼女がここに転がり込んだ時も私たちに会話はなく、介護に追われて家に殆どいない私と、家から滅多に出ない日和は、ただ同じ屋根の下で眠る他人だった。
「羽のせいで仕事できなくてさぁ。今日は一日中ぼーっとしてたんだけど、在華ちゃんと久し振りに再開した時のこと思い出したよ。
駅のホームでしょ?雪降ってたし多分冬だったよね」
詳しい年数はとうに忘れたが、私と日和が再開したあの出来事は曇りガラスのような私の人生の中で唯一異彩を放っている。終電ギリギリの時間、私がホームで電車を待っていたら唐突に声をかけられたのだ。その時の日和の身なりはお世辞にも綺麗とは言い難く、ボロボロの服とタブレットを抱え、あの時と変わらぬヘラリとした笑顔で私に手を振っていた。随分と酒が入っている様子で私が誰だか分かっているのかいないのか、それすらもよくわからなかった。雪が降っていてこのままでは凍死してしまうのではと今にして思えばとんでもないお節介をつい焼いてしまった私は、この大きなお荷物を持ち帰る羽目になってしまったのだ。
彼女に告白されたのはその帰り道のことだった。
「在華ちゃんのこと好きだーって言ったんだっけ?懐かしいなぁ、中学の頃から在華ちゃんはかわいいまんまだね」
随分と饒舌なモノだと咎めると出会った頃からなに一つ変わらないヘラヘラした表情でゴメンゴメンと謝った。
どこまで本気か分からない。だが、学生時代クラスの隅で黙々と絵を描いていた美術部の神岡日和、という同級生と、今のやさぐれた日和のイメージがどうにも重ならない。
「あの時めっちゃ酔ってたからさぁ在華ちゃんに多分セクハラみたいなこと言ったでしょ?
ごめんねぇ、でもすっごく可愛くて、初恋の人にまた会えるとか思ってなくてさぁ……」
初恋だったのか、そもそも日和はレズなのかと突っ込みたいところは多々あったがどうにも疲れてしまって言葉が出ない。可愛さでいうならどう考えても日和に軍配があがるというのにそんな妄言を口走られても困る。私は背も高く、化粧っ気もなく、目つきがキツイとよく言われていたが、日和は肌が白く、背も未成年に間違われるほど小さく、そして人形のように顔も整っている。
「ごちそうさまでした」
半分も食べていないのにもう要らないやと首を振った。勿体ないので残飯は自分が食べることにする。もう一つのお弁当は冷蔵庫に仕舞って、明日の朝ごはんになるだろう。
「明日になったら、これ、抜けてるといいなぁ」
よほど病院に行きたくないのかそんな希望的観測を打ち出している。ふわふわした羽を邪魔そうに動かして、彼女は部屋の定位置に戻った。いつもの癖で丸まって眠るのだろうけれど、まるで巣篭もりをする小鳥のようだと彼女をみて思った。
SF百合 @VTamaGlass
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