永華

鮎川 拓馬

永華

―もし、いつまでも、いつまでも、桜が散らないのならば、どれほど素敵な事でしょう。


 恋人が桜を見上げながら言った言葉に、彼は『そうだね』と返した。

 そして、思う。いつまでも桜が散らなければ、きっと、彼女と共にいるこの幸せな気持ちを、いつでも、桜を見上げる度に思い起こせるのだろうと。


 だから、彼は、恋人の言葉の実現―いつまでも散らない桜を作り出そうと思った。

 彼は、植物学者だった。



 彼は、桜を様々な品種と交配させ、または遺伝子を弄り、そしていつまでも散らない桜を作り出そうとした。


 その間に年月は過ぎ、恋人はやがて妻となり、そして、子供が生まれ―その子供が大人になろうとしていた頃―その桜は完成した。


 その桜は、厳密に言うと、散りはする。だが、花が散っても次から次へとつぼみを出し、次の花を開かせた。葉が出ても咲き続け、秋になると葉だけを落とし、冬になっても雪降る中で咲き続け、翌年の春を迎えても尚、咲き続けた。


 その桜はその代償としてか、種をつけることは無かった。だか、ソメイヨシノも花が美しくなった代わりに、実をつけても、その実はほぼ芽が出る事はないのだから、子孫ができない事はそれほど問題ではなかった。


 いつまでも咲き続ける桜。

 いつでも見る事の出来る桜。

 終わらない桜。


 永久に咲き続ける桜として、彼は、その桜を『永華』と名付けた。


 その桜は奇跡の木として、世間の注目を浴びる事になった。

 そして、その桜はソメイヨシノと同じく、挿し木や採り木などの、複製―クローンの要領で、増殖され、そして全国各地の学校、河川敷、そして道の脇に植えられるようになった。ソメイヨシノは、植えられなくなり、『永華』が桜を代表する桜として扱われるようになった。



 だが、それから長い時がたち――

 日本から、桜が、消えたのだった。



 なぜなら、桜は季節を問わずに咲き続ける物となったからだ。


 そんな花を特別視し、わざわざそれを見るために花見などという行為をする者はいなくなった。

 いつでも見る事の出来る花、そんな飽き足りた花を、わざわざ植える必要などない。だから人々は、桜を切り、別の木を街路樹や庭木として植えるようになった。


 一度は、そこかしこに『永華』が植えられたことで、桜に満たされた日本。

 しかし、桜は今や、めったに日本では見ることの無い木となり、ほぼ絶滅状態にまで追いやられていた。




―終わりがあるからこそ、『今』、『その一瞬』、という物は、美しく、そして幸せなのだろうね。


 彼は、墓標の前に立ち、春の青空を見上げた。そして、墓標を優しく見つめると、花束をその前に置いた。


 その花束は、あの日妻と見たのと同じ花―ソメイヨシノの桜の花束だった。

 桜が中々手に入らなくなった今の時代で、やっと手に入れた代物だった。


―ごめんね、気づくのが遅かったかな。

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永華 鮎川 拓馬 @sieboldii

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