第25話 親子

 

 拐われてしまった、のだと思う。


 少年は一人豪華な客間で首を傾げた。見知った男にすごく申し訳なさ気な顔で刃物を突きつけられて連れて来られたのがこの客間。外側から鍵がかけられる構造となっていて、窓も同様。破ることは出来ないらしい。試す気はない。試して外に居る人にでも捕まったらそれはまた面倒だ。


 少年は黒い革張りのソファーに座った。高級感の出ているそれは音を立てて少年の体を受け止める。


 ここまで連れてこられる間視界は開けていた。ここがどこなのかはよく分かる。場所を外へと知らせる手段が無いだけ。


 さあどうしよう。


 窓から場所をもう一度確認しようとした時、重い音を立てて部屋の扉が開く。重厚な扉に手をかけるのは捕らえられた少年と同じような歳の黒髪を持つ少年。部屋にやってきた少年は部屋の中から慎重に扉を閉め、鍵を懐へとしまった。


 大袈裟に喧嘩をしたら取れないこともないかな。柄にもなく乱暴なことを考え、捕らえられた少年は小さく笑った。


「だから気持ち悪いんだよお前は!」


 いつかのように気持ち悪いと罵ってきた彼もよく知った人だ。同じクラスで授業を受ける彼を忘れることは難しい。


「さらわれてきて何で笑ってられるんだ、琉斗。気持ち悪い」


 誘拐されて来たことは知っているみたいだ。親子で協力して誘拐して何の利益があるのか。見たところお金に困っているということは無いだろう。どちらかと言えばお金が欲しいのはこちらだ。


 琉斗と呼ばれた少年は笑みを止めた。もう一人の少年が刃渡りの短いナイフを手に持っていることに気付いたからではなく、思い当たることがあったから。


 けれどナイフでの脅しが成功したと思った少年は自慢気にナイフをチラつかせた。


「僕なんか拐ってどうするの?」


 震えたような声を出し、両手をソファーの上でぎゅっと握る。恐怖する少年のような姿に映っているだろうか。


「父上の考えてることなんて分かんない。でも、なんかお前の親に用があるって。……母上の事だって真剣な顔してた」


 視線を落とした黒髪の少年はナイフを握る手を震わせる。


 琉斗を脅すことより優先すべきことが彼の心のなかを占めてしまったらしい。


「母上のことなんて、そんなに覚えてないからいいのに」


 琉斗は目を細めて少年を見ていた。危ないのは片手に持ったナイフだけ。喧嘩をしたことがあるからよく分かっているが彼自身に戦う力はない。ただしそれは琉斗自身にも帰ってくる言葉。


 少年は言葉を続けた。十年前のことなんてもうどうでもいい。ただ父親と過ごせれば。


 目を細めていた琉斗は表情を変えた。


「……十年前、君もお母さん亡くしてるんだね」


 少年が常に冷静で鋭い観察力を持っていれば急に優しい口調へ変わった琉斗を不審に思うことだろう。


 そうでないと分かっているから琉斗は至極優しい声を出し、ナイフを持ったままの少年に近づく。


「僕もね、十年前に色々無くしちゃったんだ。お母さんと、お父さんと、近所の人とか」


 弾かれたような黒髪の少年の視界に困ったように眉を寄せながらも笑う同級生。


「拾われただけだから、僕は。……もう十年前のことなのに、今、僕を拐うんだね」


 共感するような悲しむような言葉にナイフを持った少年が視線を尖らせる。父親が悪いんじゃない。怒ったような叫び声に琉斗は心からの笑みを浮かべた。


 父親は誰かの口車に乗せられただけだから。少し前にやってきた真っ黒な三人組と何かを話して、琉斗と喧嘩をしたことを知ってからこんなことを考えて、自分に手伝わせてまでこんなことを実行してしまった。


 止められなかったと、後悔してる。どうでもいいのに。父親が居たら。


「……その人たち、今も近くにいるのかな」


「居ない、だから、止めたらいいのに。捕まったら――」


「もう無理だよ。実行しちゃったなら、それは結果を出すだけ。悪いことなら、償わなきゃ」


 ソファーの前にある長机を挟んで逃げるように少年と距離を取った。静かに、ゆっくりと。


 少年が怒り視線を上げた瞬間だった。


 部屋の扉がゆっくりと音を立てて開く。


 父上。少年の嬉しそうな声とは打って変わり、琉斗の表情は暗く沈んだ。


 開いた扉の隙間から伸びた色白の腕はナイフを持つ少年の腕を強く引く。開いた扉に引っ張られた少年は姿勢を崩し、見知らぬ両腕の間に捕らえられる。


「こんにちは。はじめましてでちょっと失礼な事するよ」


 紅い色が少年の目の中に広がり唖然とする少年の口の中に手袋を通した指が突き入れられる。


「琉斗……、えーと、怪我無いようで何よりだよ」


「うん。お父さんもね。その子とお父さんは誰かの口添えがあって誘拐をしたんだって。黒い三人組で今はもう居ないみたいだけど十年前のことを持ち出してたみたい」


「やっぱりそうだよな、ありがとうな。と、見つけた」


 少年の喉近くまでさしこんだ指を曲げれば少年の奥歯に引っかかっていた何かが地面に落ちる。


 白いそれを踏み潰したのは扉から入ってきた琉斗の父親である龍騎。腕の中で父親をどうしたと暴れる少年の腕を離さず、だが意識をそちらへ向けることはなく自分の息子へと笑いかける。


「後回しにして悪かった」


「いいよ。僕も、ごめんなさい。あの、あれはね――」


 琉斗の謝罪は途中で少年の叫び声に遮られる。


 騎士がお父さんも殺した。


 少年の言葉に琉斗は強く拳を握った。狂ったように同じ言葉だけを繰り返す少年の言葉は思わぬ来訪者を呼んだ。


 新たな来訪者は後ろ手に両腕を縛られた中年の男は狂い叫ぶ少年に父と呼ばれ、抱きつかれる。


「無事だったんだ、ね」


「まあ、後回しになったのはそういうわけでな」


「ね、お父さん」


「ん?」


 泣いて再会を喜ぶ親子を背中に琉斗は初めて自分の父親に抱き着いた。


「ぼく、お父さん好きだよ。大好き」


 いつになく甘えてくる少年に父親は焦りながらその背を両腕で支えた。


「俺もだよ、俺も琉斗の事好き」


 ああもう照れくさいなあ。


 照れくささに負けて小さな息子を抱き上げて抱きしめた。


 ありがとう、と何処からか言葉が浮かんでは消えた。

 

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