第23話 豆

 

「おおい、リュウや」


 しわがれた声に独特の呼び名。視線を下げながら振り返れば小さな彼が長すぎる片眉を上げてお茶目に片目だけでこちらを見上げてくる毛玉。毛玉というのは失礼か。


 ただ長すぎる眉は両目を隠し、長すぎる髭が口元を隠しているだけ。十分毛玉だと思うのはやはり失礼なことなのだろうか。龍騎は笑った。


「お久しぶりでございます、豆爺様」


 身長が自分より二回り、三回り小さい人。灰色の髪の毛は地面近くまで伸び、顔の半分も眉や髭に覆われた小人。一メートルあるかないかの身長は彼らの種族の中では高い方だと昔に聞いた。


 豆爺と呼べと言われたのは記憶に新しい。地面に立てた木の杖に両手を乗せて、毛玉のような彼は龍騎の顔を見上げる。


 龍騎がしゃがみこんで視線を合わせれば満足したように一度頷く。


「また気紛れでいらっしゃったのですか?」


「うむ。たまにこちらの料理が恋しくなってのう」


「構いませんが、たまには陛下に顔でも見せてやってください」


「気分じゃ。気が向いたら行こう。変わらず金銭を持ちあわせておらんでの」


 眉尻を下げるのもいつものように。お金がなく、更にこの国で食事がしたいから案内兼奢ってくれということ。


 相変わらずだ。仕事中であることを告げても豆爺は既に目的地へと歩き始めている。目的地は焼き肉を専門とする店。


「あちらでは肉は食えんからのう」


「……ああ、ではいつもの出店に行くのですね」


「妻とケンカでもしたかの?」


 豆爺が見上げれば龍騎の左頬を覆い隠すような湿布。加えていつもからは考えられないほど不機嫌な表情。豆爺の知る限り彼がそんな顔をする原因はただ一つだけ。彼の妻と喧嘩をするという原因だけ。


 だったはずが、彼は豆爺へと視線を向けること無く首を振った。今回に限っては違う。妻である遥も確かに関わっては居るけれど今回は自分の子供っぽさが原因だから。


 それ以後龍騎は出店に着くまで一言も口を利かずどこか遠い目をしていた。豆爺も機嫌を悪くすること無くただ彼の隣を歩く。


「豆爺様、普通って何でしょうか」


 背伸び用の台に乗り、片手で持った肉の刺さった串を頬張る豆爺は髭についたタレを拭き取りながら隣を盗み見た。遠い目をしたままグラスを片手に持つ彼は大きくため息をつく。


「いえ、申し訳ない。忘れてください」


「話してみれば良い。所詮わしは余所者、それに最近歳をとって忘れっぽくなってしまっての」


 毛玉の中に串を押し込みながら、豆爺は笑った。はてはて、お前さんの名前は何だったかの。わざとらしい言葉に思わず笑わされてしまう。


 諦めたように一度深くため息をつき、口を開くと豆爺の雰囲気に当てられたらしい口が勝手に言葉を紡ぐ。


 自分の配慮不足、知識不足、力が至らないばかりに大事な人間を傷つけてしまったこと。傷つけたことが情けなく家に帰れていないということ。自分の弱さに涙が出そうだということ。


 頬の傷は豆爺の想像通り、こんな情けない自分を見た妻の遥が思い切り殴ってきて出来たもの。今彼女の右手には包帯が軽く巻かれている。それを見るのもまたつらい。


 話し終えて豆爺の顔を伺うも、顔の殆どは髪や眉、髭に覆われて表情を知ることは出来ない。だが震える肩が笑っていることを示唆していて龍騎はため息をつく。やはり情けないお話です。


 水と氷の入ったグラスを傾けた。


 普通だと思った暮らしが普通でないのだと、息子に突きつけられてしまった。


「なんというか、お前さんは相変わらず馬鹿な子供よの」


「返す言葉もない」


「お前さんは今やこの国で顔の知られた人間じゃ」


 不意に食べ終えた串を皿に戻した豆爺は口元に笑みを浮かべたまま次の串を手に取った。


「内に目を向けるも良いがあまり平和ボケすると目的を見失う。気をつけることじゃ」


 目一杯手を伸ばし、龍騎の赤い髪を撫でていると彼は神妙な顔をする。


「平和ボケとはまた、物騒なことを言われますね」


「うむ、そうじゃな。これ以上言えばわし、また怒られるし」


 急に子供っぽいことを言い始める彼はもう話す気もないらしく黙々と目の前の串を口の中へと押し込んでいく。


 怒られるのはここに来た時点で怒られるだろうに。龍騎はため息をつく。もう三十を超えた自分を子供扱いするこの人の言葉は自分たちで調べたモノよりも信憑性がある。これまでも気まぐれで言われた言葉のほとんどが正しかった。


 ならば内に目を向けるのをやめるべきなのだろう。


 

 そうしたくないと、思う自分が居た。


「何事も優先順位じゃよ」


 彼の心を見抜いたかのように豆爺は笑顔を浮かべ、よく食べたと満足そうに店を後にした。


 彼にとって優先順位を付けるのはただひとつのことだけだった。優先順位などない絶対的な存在として。


 ならばどうすべきか、彼には分からなかった。

 

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