第7話 琉斗の喧嘩

 

 琉斗が初めて怪我をして家に帰ってきた。怪我といっても大したことはなく顔にあざを付け手のひらと膝を擦りむいている程度。だが傷をつけたまま帰ってくることは初めてで傷はすぐ遥に見つかった。


 早帰りをして昼には家に帰り着いた遥は仕事着を脱ぐのもそこそこにソファーへ倒れ込んで眠っていた。玄関の開く音に目覚めると視線だけを寄越した。そこで自分と同じ青い髪の下にあざを作っている琉斗と目が合った。


 体を起こすことなくおかえり、と声をかければいつものように琉斗からはただいま、と返ってくる。


「殴られたアザね、それ」


 カバンをリビングの隅に置く琉斗の背後から声をかけると琉斗は大げさなまでに肩を跳ねさせる。


「う、うん」


 返事が返ってきてようやく遥はソファーから体を起こし、口元に手を当てることなく大きなあくびをする。旦那が帰ってきていたらまた女なのだからとか言うのだろう。幸いなことにも遥の旦那は今この場に居ない。


 上体を起こし両手を天井に向けて伸びをする。眠気を飛ばす。


 琉斗はカバンを置くためにしゃがんだまま動かない。


 傷が痛むわけではない。


「ふーん、珍しいわね。先に手を出したのは琉斗?」


 興味がないかのような口調で問えば琉斗は首を振った。先に手を出してきたのは向こう、それまでは言葉だけで争っていたから手を出しはしなかった。


 最初に向こうが顔を殴ってきて、それで思わず手が出てしまった。いつもはおとなしくしている琉斗が手を出すとは思わなかったのだろう。相手の男の子はそれきり何もして来なかったという。


 遥はソファーから足を下ろすと琉斗の隣に並んでしゃがむ。隣に並ぶ遥の顔。


 怒られるだろうか。母は厳しい時は本当に厳しいから。怖い。


 琉斗は強く目を閉じた。傷が痛むのはどうだっていい。それよりも親を怒らせてしまう事の方が怖い。


 目を閉じた琉斗の体を人の暖かさが包む。え、と思い目を開いた琉斗の視界に広がる自分と同じ青い色の髪。勢いに揺らいでいた髪はやがて琉斗に抱きついている遥の元へと戻っていく。


「よくやった! 流石うちの子!」


 思わず間の抜けた声が出た。自分は今、褒められた?


 首に強く巻きつく遥の腕に手を添えた。暖かい、母の腕だ。


「原因は興味ないけど、後手に回って勝ったならいいわ。よくやったわね」


「怒らないの?」


 琉斗の疑問に遥は逆に首を傾げて返す。


「何で? 先に手を出したり負けたりしたら怒るけど、後手に回って勝ったんでしょ?」


 どこに怒る箇所があるのか。


 琉斗から手を放して遥は数秒ほど首を傾げていたが結局結論が出なかったのか、勝ったならいい、お祝いをしようと言って乱暴に琉斗の髪をクシャクシャにする。


 いつもの母親だ。


「さて、用も出来たことだし龍騎も帰宅させるかな」


 言うが早いか、琉斗へ応急処置をしておくよう告げた遥は玄関から駆け出していった。


 家に残された琉斗はしゃがんだまま両手で頭を抱え込んだ。


 彼は至極嬉しそうに笑っていた。

 



おまけ


「という事があり仕事に忙しい遥の代わりに謝罪に伺いました。藤野琉斗の父親、龍騎と申します」


 結局、殴った子供の親へ謝罪に来るのは龍騎だった。やけに嬉しそうな声で琉斗が喧嘩に勝ったからご馳走を作れと仕事場に突撃してきた遥を見たときは正直ため息も出なかった。反抗したら頭を殴られた、当たり前のように拳骨だった。


 痛む頭を冷やしながら言われるがままにご馳走を作って何があったのかを聞くと更に頭が痛くなった。


 現在龍騎が深々と頭を下げているのは琉斗が殴ったとされる子供の父親だ。責任者は遥としているはずなのに。


「藤野、龍騎!? というと騎士の」


 相手の反応にああ今回は軽くいけそうだ、と思わず少し笑った。こういった時は少々有名で良かったと思う。


「この度はうちの琉斗が貴方様の御子息を殴ってしまったようで」


 再び深々と頭を下げれば龍騎の前に立つ男がとんでもないと負けじと頭を下げる。


 これを好機と龍騎は人の良い優しげな笑みを浮かべた。


「子供の喧嘩、ですからね。私が言うのも筋違いかもしれませんが、お互い目を瞑りませんか?」


 是非。


 即答が返ってくると龍騎は心の中でガッツポーズを決めた。これだけの反応が返ってくるならば親から子へ、琉斗に関わらないよう話をしてくれるだろう。


「では。私はこれで」


 相手の返事が返ってくると面倒だ。


 龍騎は足早に学校を後にした。校門で待っているのは俯き申し訳なさそうにも見える少年。


「お待たせ、琉斗」


「ごめんなさいお父さん! 僕が喧嘩したから」


「……いい事とは言わないけど、喧嘩した理由が理由だし。遥も言ってたと思うけど後手に回ったならいいよ。気にすんな」


 片手で強く琉斗の髪を撫で龍騎は彼の片手を手に取った。


「帰るぞー。アイツのレトルト飯なんか食いたくないからな」


 さりげなく自分の妻をばかにする彼は至極幸せそうに琉斗と繋いだ片手を振った。

 

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