第12話 襲来

「ええと、ワーズさん?」

「んー?」

「史歩さん、どうしちゃったんですか?」

 食事の後片付けを終えて食卓に戻れば、注がれるお茶。ふんわり漂う、甘く柔らかい香りに吐息を一つ、口内を潤してから、再度階段脇でうろうろする袴姿を見つめる。

 つい先ほどまで泉の目の前でラーメンを啜っていた史歩だが、今は心ここに在らずといった様子で二階を睨んでいた。

 泉の正面の席に座ったワーズは、不思議そうな顔へ、へらり笑いかける。

「さあ? 推測でいいなら多分、スエ博士が降りてくるのを待ってるんじゃないかな?」

「何のためにですか?」

 普段の彼らの様子は決して良好ではない。どちらかと言えば悪いように思えた。

「スエ博士、幽鬼クイフンって言ったんだよね、泉嬢?」

「はい。……いえ、たぶん」

 聞き間違いかもしれないので、断言は避けておく。

 味は覚えていようと聞き慣れていない、クイフンという響き。

 それでも、充分とばかりに頷いたワーズは、銃を持つ手の甲で頬杖を付き、楽しそうに自身のカップの中身をくるくる回す。

「猫も好物、だけどね。史歩嬢も好物なんだよ、幽鬼。いや、違うか。奇人街に住んでる連中は全員が全員、好物だろうねぇ」

「はあ……ワーズさんも?」

 いまいち要領の得ない発言に眉を寄せつつ尋ねると、少し考える素振りで茶を一口。

「んー、ワーズ・メイク・ワーズの大好物は猫だよ。ずっとね。でも、最近は特に食べたいねぇ。生でも良いし、煮ても焼いても、蒸しても漬けても、揚げても――」

「ああ、はいはい」

 うっとりした声へ、おざなりな返事を被せる。

 件の猫は昼食が出来たタイミングで現れ、食後、誰も座らないソファで無防備に眠っていた。これをワーズ越しに見る泉は、呆れた気分ごと茶をゴクンと飲み込む。

「それで、スエさんがクイフンって言ったら、どうして史歩さんがうろうろしなくちゃいけないんです?」

「うん? まあ、スエ博士は幽鬼の研究もしてるからね。気になって仕方ないんじゃないかな。ここしばらくは出現してなかったし」

「出現?」

「あれ、もしかして史歩嬢、幽鬼の説明してないんだ?」

 若干嬉しそうな色が滲むのは、泉の無知や史歩の不手際が理由ではないだろう。十中八九、説明のお鉢が自分に回ってきて喜んでいるのだ、この人間好きの構いたがりは。

「幽鬼は夕方から朝方にかけてまで出現するんだけど、条件はあんまり決まってないんだ。毎日って時もあれば、すっごく間を置いたりするし。どんなものか表すなら、生白い鬼が妥当かな」

「んんっ?」

 気づけばカラになる手前だったカップの中身に、飲み干そうと大きく煽ったところで変な単語が聞こえてきた。合わないタイミングに怪訝な音だけで聞き返せば、茶をひと啜り、へらりとワーズが笑う。

「結構強いんだ。そこら辺徘徊してる住人程度じゃ、まず敵わない。動きが速いってわけじゃないんだけど、知覚できても避けるのが難しくってね。スエ博士が言うには、幽鬼特有の匂いには、感覚を混乱させる働きがあるらしい。把握が難しいんだって。だから大振りの攻撃も当たっちゃう。少し掠めただけでも、肉が削がれたり、骨が砕けたり、それはもうグチャグチャになるんだよ」

「ん……く。ちょ、ちょっと待ってください。そんな矢継ぎ早で説明されたって、頭に入りません!」

 呑み込み、手の平を向けて制止を望む。

 ワーズの説明から、クイフンとやらは植物ではなく動物と知れたが、果たしてそれはあの蜜の持ち主であろうか。実はクイフンという響きは他にもあったりするのではないか。猫の好物と先に言われているため、同一の存在であることは間違いないのかもしれないが、蜜を持つ鬼と聞いてもピンと来ない。

(蜜入りの壺をいつも抱いているのかしら?)

 浮かんだのは、虎模様の腰巻きを身に付けた鬼が、小脇に抱えた壷の蜜を嘗める、何とも滑稽な姿。これで鬼自体が草花っぽかったり、蜂に似た形をしているなら、ピンと来そうなものだが。

 まだ見ぬ鬼の姿に悩める泉。と、そんな彼女を余所に、階上からまた、どたばた駆けてくる音が響いてきた。

 降りて来たのは、先ほど同じようにどたばた駆け上がったスエであり、彼を待ち構えていた史歩はその足が一階の床を踏む直前、掻っ攫うようにして胸倉を掴んだ。

「ぐぇ」

 喘ぐスエを前にして、史歩は陰惨な笑みで噛み付くように問う。

「いつだ? いつ、幽鬼が現われる!?」

 最終的にがくがく揺さぶられて、二の句が告げられないスエに代わり、その身からぱらぱら埃がばら撒かれた。

「げっ、汚い!」

「うわ……」

 呻いては遠慮なく突き飛ばす史歩。自分で締め上げといて散々な言い様だが、現在のスエは先ほどまでの小奇麗さが嘘のような埃まみれであり、遠くからでも咽てしまうカビた臭いをまとっていた。初めて会った時ほどではないにしろ、それなりにお近づきにはなりたくない姿である。誰よりもスエから遠い泉でさえ、思わず椅子ごと後ろに下がってしまう程だ。

 解放を得たスエは、そんな少女二人の反応には目もくれず、唯一純白をキープする白衣を翻すと、誰に尋ねるでもなく、食卓に置かれたままのラーメンへ飛びついた。確かにこのラーメンはスエの分ではあったが、冷めた上にスープを吸っていて、完全に伸びきっている。

「ああ、ボクのおやつ」

「…………」

 おやつ云々はともかく、伸びたラーメンは本人の立候補もあり、ワーズが食す筈だった。

 尤も、スエが来たら改めて茹でようとしていた泉に対し、「来たら待たせることになるから、スエ博士の分も作っておこうよ」と言い、来なかったら来なかったで「もしかしたらこのまま来ないかもしれないし、責任持ってボクが食べるね」と、姑息な手順を踏んでの立候補ではあったが。

 さておき、隣にいるワーズの言葉に一切耳を貸さないスエは、伸びきった麺をがむしゃらに、次から次へと掻き込んでいく。元々食事をゆっくり味わう性分ではなかったが、急ぎがてら爛々と輝きを増していく三白眼は気味が悪い。

 最後に、少ししか残っていないスープを一口で飲み干したスエが丼を叩きつければ、埃やカビが周囲の宙を舞う。

 これに泉が更に身を引き顔を顰めても我関せず、咀嚼物の若干残る口が開かれた。

「来るヨ来るヨ来るヨ!!」

 物と一緒に唾が飛ぶ。

「ひっ」

 泉が慌てて席を立とうとも、スエは血走った目で熱心に語り、いや、捲くし立てる。

「ワシの発明はいつだって完璧ネ! だからこそ、ワシはワシを護らねばならん。ワシの発明は命より大事だが、ワシの頭は発明を作り上げるに必要ヨ。手足も人を遣っては、細部まで立ち行かん。おお、こうしてはおれん! ワシはワシを――」

「落ち着け!」

 先ほどまで落ち着きなくうろうろしていたとは思えぬほど、真っ直ぐに声を張る史歩。

 自分は自分、他人は他人と割り切ったその姿は、いっそ清々しい。

 けれどずかずか近寄り、スエではなく食卓へ手の平を打ちつけた目は、抑えきれない喜悦の狂気に歪んでいた。じゅるり、滴る涎を呑み込む美人の笑顔が怖い。

「幽鬼の話、詳しく聞かせて貰おうか?」

 これを細めた目で迎えたスエは、鼻白むに似せて、面白そうな色を濃くする。

「ふむ。野獣娘がワシの発明に興味を持つなぞ、珍しいことネ。ふむ……ふむ。良いだろう。教えてしんぜよう」

 微かな音を立て、スエの前にカップが置かれた。

 視界には入っていたはずなのに、気づけなかったワーズの行動に驚く間もなく、スエが咳払いをして宣言する。

「幽鬼……あれは今日現れるヨ。ワシの発明した予報機の精度は確かネ。まあ、難を上げるなら、動かしてから初めての反応という点だけネ」

「いや、充分さ。お前自体は胡散臭いことこの上ないが、お前の発明の正確さは、初めてだろうと信用に値する」

 褒めているのか貶しているのか分からない応えをし、史歩がくっと笑った。


* * *


 スエの発言を受けた史歩は、問答無用で食卓を椅子ごと台所に寄せると、ガラス戸の前に陣取った。営業妨害も甚だしいが、現在の芥屋は、接客するのがワーズと知れ渡っているためか来客はほとんどなく、閑古鳥が鳴く状態。

 消費している身分で言うのも何だが、店として良いのだろうかと思わないでもない。

 さておき、据わった刃の眼で、楽しそうに狭い室内で素振りをする史歩。殺気立った気配だけでも危険だというのに、その得物は美しい銀の軌跡で宙を裂く。

 すなわち、抜き身。

「……ヘタに動いたら、すっぱりやられそうな雰囲気ですね」

「いやいや、雰囲気じゃないよ。実際、すっぱり切られて死んじゃうからねぇ。泉嬢、史歩嬢の近くはもちろんだけど、間違っても外へ出て行こうとしないでね?」

「はあ……」

 生返事だが、ワーズの注意がなくとも、その選択肢は最初から泉になかった。

 一度だけ、史歩の半ば強引な勧めもあって、店番モドキをしてみた時がある。

 しかしてやって来た最初の客は、何の因果か人狼。

 闇間から蛍光灯の淡い白に照らされた店内へ、鼻面がにゅっと入ったのを見た泉は、次の瞬間には逃げ出してしまった。代わりに史歩が応対し、声から人狼の性別は女だと分かったが、完全に竦んだ足は、客が去ってもしばらく動けず仕舞い。客殺しの過去があろうとも、ワーズよりマシな接客をした史歩は、そんな泉を咎めることも、責めることもなかった。

 それが余計、泉の恐怖を倍増させた。

 あの夜の、未遂に終わったとはいえ、代償に彼らは命を落としたとはいえ、悪辣な所業がここでの日常だと、暗に示されたゆえに。

 だから、泉には動くつもりがない。

 用がないのだ。ガラス戸の向こう、芥屋の外には。

「でも……これじゃあ二階にも上がれませんね」

 外に用はなくとも、二階の自室には着替えやら寝床やらの用はある。

 いつまで素振りを続けるのだろうか。

 眠ったままの猫はソファの上だが、泉・ワーズ・スエの三人は、史歩の凶器に追い立てられるようにして食卓の近くで立ちっぱなし。椅子へ座るにしても、殺気立つ史歩の前では行動に移しにくい。その場で床に座るくらいなら問題なさそうだが、スエから落ちた汚れがいい具合に躊躇させていた。

「何事もウォーミングアップは必要でしょう。幽鬼は人間が大好物だからねぇ」

「へ?」

 呟くようにさらりと告げられた言。

「人間が、大好物?」

「ん? まあ腹が減ってれば、奇人街の住人でも構わず食べるけどね」

「住人でも……?」

「でもやっぱり人間がいたなら、そっちを優先するね。人間好きのワーズ・メイク・ワーズにゃ、迷惑な話だよ」

 見上げれば、何でもないことのように笑う赤い口。

 自らを一応・人間という割に、人食いの話を怖れたりする様子はなかった。

 ふと思い出すのは、史歩に種族の簡単な説明を受けた時のこと。

 人間は奇人街に昔からいる種ではなく、泉のように訪れるのが大半で、希少種だそうな。そんな人間への扱いは、友好的なものから唾棄すべきものまで多種に渡るが、こと食材として見るならば可もなく不可もなく、どっちつかずの味らしい。

 知りたくもないが。

 ただ、一様にか弱いため、手に入れやすいというだけの話だと、か弱くない人間の剣士は不敵に笑った。次いで付け加えられたのは、そんな人間であっても、食材として好む奴はどの種であってもいる、という注意。

 脅すように、チープな味でもな、と意味深に笑んで評する史歩へ、思わず不審な目を向けたなら、何でもありの奇人街でも同族喰いはないと、慌てて訂正が入った。

 ならば最初から味云々は語らねば良いのに、と思ったものだが、そんなやり取りを思い出した頭は、ふと湧き起こった疑問を口に出した。

「幽鬼って……住人とは、違うんですよね?」

 今更な話ではあるが、仕方あるまい。蜜の持ち主という話から、当初は植物だと思っていたのだ。それが動物と知り、住人とは別の存在として語られたなら、確認せずにはいられなかった。

 人間を食料として好む住人と、何が違うのか、と。

 ワーズはしばらく「んー」と唸りとも付かない声を上げると、へらり笑う。

「違うね。幽鬼は生き物であって生き物でない。自己を持たない歪な存在。……似てるかもねぇ」

 最後は小さく耳に届く。何の事か尋ねるべく開けた口は、続く言葉に閉ざされた。

「ああ、そうだ、泉嬢」

 ここに来て浮かぶ嬉しそうな顔。

 なんだかとても嫌な予感がした。

「はい?」

 それでも聞き返す自分が間抜けに思えてくる。

 返事を受けては殊更爽やかに笑んだワーズは、こめかみに右手の銃を突きつけつつ、

「一、二、三」

 左手の黒いマニキュアが史歩、スエ、泉の順で無遠慮に指を差してくる。鼻先に付きそうな指は下ろされないままこちらを示し続け、鬱陶しいとやんわり押し退ければ、不快な表情に怯みもせず、ワーズは銃口をあらぬ方へ向けた。

「幽鬼ってね、鼻が良いんだよ、すっごく。まあ、本当ならあと二人ってところだけど、スエ博士が補ってるんだ、これが」

「はあ」

(何の話?)

 言葉には出さず、首を傾げて先を促す。

「でね、幽鬼は、建物の中にはあんまり入んない」

「?」

 脈絡のない情報。

 共通点は幽鬼という動物の名のみ。

 困惑する泉に対し、二つを繋げる答えは他方から訪れた。

「つまりは、ネ。人間が集う場所を嗅ぎ付けたなら、建物の中でも入ってくるんだヨ」

 スエに視線を向けると油汚れの染み付いた指が上がった。

 これを追う泉の鼻腔へ、奇妙なにおいが届く。


 鉄錆と、むせかえるほど濃厚な花の甘い――――腐臭。


「あんな風にネ!」

「!?」

「幽鬼!」

 嬉々とした史歩の声に合わせ、ソファで寝むりこけていたはずの猫が身震い一つ、虎サイズへ転じた。

 そのまま店側へ駆ける史歩と猫、その目標。

 夕焼けを受けて染まる、二足歩行の生白い裸体。

 地にだらしなく垂れる、伸びきった四肢。

 唇を削がれた剥き出しの歯は笑みに歪み、血走った黄色く濁る目玉は顔の左に一つだけ、縦に走る亀裂の中で緩慢に動く。

 こちらへ合わされた途端、その異様に泉の身体は大きく跳ねた。

 しかして、一瞬のこと。

 一体のみのその姿は史歩の一刀で腕を飛ばされ、残った身体は反撃も出来ず、猫の巨体により地へ叩きつけられた。

 店の商品がいくつか地に落ちる音を遠くで聞いていれば、今度は背中を強い力で突き飛ばされた。

「泉嬢!」

 鋭く名を呼ばれて見やれば、ワーズがこちらへ腕を突きつける姿。

 状況を把握出来ず、よろけた目が捉えたのは、勝手口の戸を突き破った生白い腕。そこから、先程まで泉がいた宙に真っ直ぐ伸ばされた指に気づけば、助けられたと知った。

 礼を言わなければ。そう咄嗟に思い、口を開いた泉だが、

「ワ――あああっ!?」

 瞬間、後ろから思いっきり手首を引かれては、言葉は意味を成さず、音となって口から漏れるのみ。

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