第一節 出遭いと別離と再会と
第1話 知らない人
寝ぼけた頭でむくりと起き上がる。
しばらく焦点の合わない瞳だったのが、急に嫌な思いに囚われ頭を抱えた。
昨日は最悪な一日だった。
駅のホームで押し合いに負けて線路に落ちそうになったり、道を歩けば上から花瓶が漫画のように落ち、教室で談笑していれば丁度開いていた窓からサッカーボールが襲ってきたりもした。そうして疲れ切って帰った家では、久しぶりの両親の大喧嘩が勃発していて、危うく包丁が刺さりそうになったり。
眼前、壁に刺さった包丁が現われた時は、なんの冗談かと思ったほどだ。
しかし、そこではたと気づく。
(あれ? 私、いつの間に眠ったのかしら?)
両親の喧嘩から逃げるようにして部屋へ入った、までは覚えている。
しかし、そこから先の記憶が曖昧だった。入った記憶はあるのに、入った後の記憶がすっぽり抜けている。おかしなこともあるものだと、狐につままれた気分で自室を見渡し――
「え……ここは……どこ?」
すぐさま気づいた見慣れない部屋に身を縮ませた。
自室であれば差し込むはずのない後ろからの光に振り向く。そこにあったのは、天井近い曇りガラスからの鈍い陽を浴びた、清潔感はあるが古ぼけた台所と勝手口。左を向けば壁際には食器棚や木製のラックが配置され、中央には食卓と椅子が四つ。右を向けば木造の階段がある。正面にはスライド式の磨りガラスの戸が中央を開いた状態で、その奥からは後ろよりも明るい陽が差し込んでいる。
全体的に薄暗い、木造の部屋。
自室より年季の入った造りの、全く知らない部屋に戸惑い、更に身を縮めて手にしていた布を引っ張り上げた。
と、背中に柔らかくも硬い感触。
驚いて身を捩れば、ソファの肘掛がある。
ここでようやく、自分が煤けた赤いソファの上に寝ていたことに気づいた。追い詰めるかのように次々現れる違いに、布にも違和感を抱いて確かめるように広げた。
直前まで薄手の寝具と思っていたそれは、全く見覚えのない男物の黒いコート。
ますます混乱する頭で自分の衣服を確認。
(乱れてない――いやいやそうではなくて)
変哲のない平均的な少女の身体に、平日では着なれた紺と白のセーラー服。
おかしい、とコートを広げたままの格好で考える。
いくら疲れていたからとはいえ、着替えもせずに眠るほど無頓着な性格ではない。部屋に着いてまず行うのが着替えだ。制服のままで何かをし続けるのは、学校に縛られている感じがして居心地が悪い。
続いて褐色の後頭部へ手を伸ばすと、背に届く柔らかいクセっ毛を纏める紐に触れた。百歩譲って制服のまま寝たとして、さすがに髪を縛りつけたまま眠るのは我慢できない。
不可解な現状に首を捻る事数回。
「おや、起きたかい?」
突然、聞き覚えのない、気だるげな男の声が右上から降ってきた。
慌てて立ち上がりそちらを向けば、木の柵で区切られただけの階段から黒い足が覗く。酔っ払ってでもいるのか、ふらふらした足取りで一段降りる毎に現れる服は黒一色で、続いて目を引くのは白い手が握る銃らしき代物。
見慣れないそれに驚き、数歩下がる。
「だっ!!」
途端、がたんっという大きな音を聞いたと同時に腰をしたたかに打ちつけた。何事かと視線をやれば、食卓を囲う椅子。
「大丈夫かい、お嬢さん?」
相変わらず、ふらふらした足取りで階下まで来た男は、言葉の割に何の感情も篭っていない声をかけ、近寄るなり銃を向けてきた。目深に被ったシルクハットがなくても、長身で圧迫感のある男の行動に、痛みに顔をしかめながらも椅子を背にしたまま、恐怖に仰け反った。
こんな訳の分からない状況で、誰とも知れない奴にいきなり殺されるのか。
納得はできないが、逃げられるとも思えない現実に喉がひくりと鳴った。
この様子に男は不思議そうに首を傾げ、ああと頷いては銃を降ろし、左手を差し出す。
「そのコートが欲しいんだが」
言われて、黒いコートをまだ握り締めていたことに気づいた。
男の目的は、自分ではなくこれだったらしい。
……今のところは。
とりあえず、引っ込んだ銃を頼りに、差し出された白い手へ恐る恐る黒いコートを掛けた。
「あーあ、やっぱり皺くちゃになったか。まあいいや」
やはり、言葉ほど残念そうに聞こえない声で呟いた男は、コートへ腕を通し始めた。
「あ、あなたは誰ですか?」
銃を持ったまま着ようとするため、袖に悪戦苦闘する男に、警戒したまま尋ねる。
「ボクかい? ボクはワーズ・メイク・ワーズという
「シファンク?」
ようやく袖が通り、ワーズと名乗った男は親しげに笑ってみせた。薄暗い室内の中でも血のように赤い口に、また喉が鳴る。シルクハットの下から覗く闇色の髪や不可解な色彩の眼も、恐ろしげな印象を与えた。
「それで君は……っと失礼。君は、どちら様かな?」
またも銃口をこちらに向けたワーズが、再びこれを降ろして左手で促す。
「……銃、置きませんか?」
「これが離したくても離せない、聞くも涙、語るも涙な理由があってねぇ……で?」
かりかりと銃口でこめかみを掻きながら、理由は語らずに答えを待つワーズ。
一歩間違えれば頭を撃ち抜いてしまいそうなそれに内心ひやひやしつつ、もしかすると弾が入っていないのかもと思い直した。
(なら、少しは安心かも。とりあえず撃たれ死ぬ可能性は低い……はず)
「私は泉、
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