星空とココア

煙管

星空とココア

真っ暗だった画面に待ちわびた、通知ランプ

内容はいつも通り特になんの装飾もない文字列でただ一言

 ‐もう少しで帰ります

はい。とだけ簡単に返事すると冷めたコーヒーの最後の一口を飲み干して空のマグカップをテーブルに置く

代わりに伏せてあった色違いのマグカップを手に取り室内に入ると

キッチンへ移動し、見慣れた缶の中の粉末と牛乳を一緒に鍋に入れ、火をかける

温まるまで落ち着かないように、何度も何度もポッケの中身を指先の感触で確認した

沸騰しかけた鍋を慌てて止め、かき混ぜると、持ってきたマグカップに中身を注ぐ。

仕上げに木のスプーンの入った瓶から一杯だけ蜂蜜を掬い入れる

何度作ってみてもやはりコーヒー好きの自分にはどうしても飲める気がしない

そのマグカップを持ってリビングに戻ってくると、ちょうど玄関でガチャリと音がした

もう一度だけポケットを確認すると元居た席に戻り、彼女が庭に来るのを待つ

直ぐに室内からパタパタとスリッパの音が近づいてきてカラカラッとドアが開く

覗き込む顔と目が合うと彼女はうれしそうな表情で微笑んで

「ただいま。」と言った。

「おかえり。」と返すと満足そうに頷き、席に着く

それを確認してからさっきのマグカップを彼女に差し出す

出来立ての湯気と香りが揺れ、外気に溶けた

ありがとう。と受け取りながら彼女は微笑んだ

それからしばらく二人でいつものようにたわいのない話に花を咲かせると

やはりいつものように話に夢中で冷たくなったマグカップに彼女はやっと口をつける

飲み込む前に一度頬を膨らませるように口に溜める彼女の癖が微笑ましく思え、少し目を細めた

すると、視線に気づいたのか彼女はゆっくりと液体を飲み込むと少し照れくさそうにはにかんだ

こんな些細な出来事にふと幸せを感じる。

そんな日々が続けばいいと思う。

そんな日常を君の笑顔を守っていきたい

改めてそう確信し、決心した

準備ができるのを待ちわびていたかのように時計仕掛けの音色が響く

日付が変わったことを知らせる音色

ちらりと横目で見ると彼女は最近よくやるようにマグカップを両手で大事そうにもったまま何かを懐かしむような寂しそうな表情で夜空を見るともなしに見つめていた

いつも、趣味の星座の話やプラネタリウム巡りに楽しそうに付き合ってくれる彼女が星空を悲しそうに見つめるているのを見るとそっと古傷の痛むような感覚が過る


それは、そもそも二人の出会いのきっかけとなった彼女の両親、カフェを営んでいた義母と天文学者だった義父の死だった

特に師でもあった義父にはとても可愛がってもらって普段はもちろん、フィールドワークにも必ずついて行った

フィールドワークでは数週間二人きりで自然の中で過ごすこともよくあり、調査が終わると義母の営むカフェのカウンターで結果を考察しながら語り合うのが日課だった

そんな二人に娘がいることは、話には聞いていたが、就職して家を出た彼女と初めて顔を合わしたのは、いつも幸せそうに娘の話をしてくれる二人が居なくなった後、お葬式でのことだった

それから大学の師の遺品のの片づけなどで、連絡を取るようになったが、その時の彼女はとにかく沈んでいてとても不安定だった

心配で仕方なかったのでその後も連絡を取り合って今に至るが、かく言う自分自身にも二人の死は大きすぎて、抱えきれない悲しみや喪失感を共有して、埋めあえる相手が欲しかっただけなのかもしれない

ただ、それだけ二人の存在は自分にとっても彼女にとっても大きく、特にその日は特別な日で事故死のためきちんと両親との別れも出来なかった彼女にとってこのことは大きな傷跡になった

彼女を支え、なんとか立ち直らせようと精いっぱいやって、彼女自身、一見、本来の明るい性格に戻ってはいるように見えるが、ふと見せるこういった行動にはいつも例えようのない不安を感じる

実際、彼女は心の奥底に抱え込んでいる不安や悲しみに耐えかね、ある日いきなりいなくなってしまうのではないか、本当にあの二人の代わりに彼女を支えていくことなんて出来るのだろうか、何度もそんなことを考え、自己嫌悪に落ちいることが今でもある

それでも、それ以上に、彼女を幸せにしたい気持ちが揺がないことを再確認するため

一度だけ、大きく、深く、呼吸ををする

彼女に気づかれないように深呼吸するとなるだけいつもの笑顔になるように気を付けながら

「誕生日おめでとう。」と話しかける

彼女はマグカップを置きながら、ありがとう。とこちらを向いた

その表情にはいつもの笑顔が戻っていて、少し安堵しながら

「プレゼントがあるんだ。」と緊張気味にいった

ポッケから小さな木箱を取り出し、開くと彼女の前にひざまずき、

戸惑いの浮かぶ彼女の瞳を今度は正面から見つめかえす

震えるのどに、注意深く息を吸い込むと、端的な言葉の一音一音に思いを、最大限の愛情を込め、

「結婚してください。」と発声する

沈黙が流れ、耐え兼ねて彼女の顔を覗き込んで見ると泣き出しそうな表情で俯いたまま

「はい」と極小さな返事が聞こえた。

焦る気持ちを必死に抑えながら、必要以上に力の籠る指先で小箱から出した銀色のリングを握りしめた彼女の左手をそっと開き、細い薬指に慎重に通した瞬間

たくさんの悲しい、寂しい、つらい道のり、だったはずなのに思い浮かぶのはやっぱり楽しい思い出ばかりだった

そして、プロポーズが成功したうれしさ、これまでの苦労、これからの二人の人生

いろんな考えが、感情が、頭の中でごちゃごちゃになって、胸がいっぱいになるとポロリと一筋涙がこぼれた

こんな時に彼女より先に泣くなんてきまりが悪くて、

ごまかすように近くにあったマグカップを引き寄せ、一気に飲み干す

一拍おいて口の中いっぱいに暖かくてどうしようもないような甘さが広がると、繋いだままだった彼女の指輪の光る左手を体ごと引き寄せて衝動的に抱きしめ、確かめるように深く唇を重ねた


驚きと喜びで脳のヒューズがパチッと弾ける音が聞こえた気がする

彼の声にも靄がかかり、現実が遠のいたように感じた

彼に対して、ちゃんと返答できたかも定かではなく、誰かの幸せなお話をテレビの前で眺めているうちに長い一瞬が過ぎ、引っ張られた力に驚き、よろめきながらも彼を受け入れた直後、ほんのりと暖かな甘さが口の中に広がった

それは、少しほろ苦くて甘い大好きなココアの味

それは、懐かしいお母さんの味でもあり、初めて彼と話したきっかけの味でもあった

ちょうど二年後両親のお葬式の日再開した彼はいつも両親が嬉しそうに話してくれる学生だとすぐわかったが、苦しいとき支えてくれた彼と付き合いだしてから、やはりあの時の学生だと直ぐに確信した

彼は気づいていないようだが、父との研究調査の後いつもうちのカフェに来ているらしかった彼はその日、打ち上げと称した飲み会後に父を家運んできて、ココアを頼むと酔った父を部屋まで連れて行った母の代わりに私が出した

ココアを飲んだ彼は優しげな笑顔を浮かべながら

「ココアは苦手だけどここのはおいしい」と一言呟いた

私は母の作った自慢のココアを褒められてとてもうれしかったし、父のお気に入りの学生に興味があったので彼が帰るまでしばらく話をした

その時からは質問に答えるだけで、自分からしゃべろうとはしなかったが、物腰が柔らかく、彼の声を聴いているのはとても心地が良かった

しかし、彼は実はかなり酔っていたらしく、その時話したのは母だと思っているらしかった

それを知った時私は少しショックを受けたのを覚えている

そんな甘酸っぱい思い出のある大切な味

ゆっくりと確かめながらいつの間にか閉じていた瞼開けると溜まった涙が頬を伝う

滲んだ視界に写った彼の瞳にも涙が浮かんでいるのに気づき、彼と目が合うとなんだかおかしくなって微笑ってしまった

つられて彼も笑い出したけど一度流れ出した涙は止まらなくて、しばらく二人して泣きながら笑い続けました


この日は、ちょうど25年前私が生まれた日で、ちょうど5年前彼と出会った日で、ちょうど3年前あなたたちが居なくなった日でした

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星空とココア 煙管 @Kiseru00

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