白衣の天使の禁断ごはん

芳野よだか

第1話 深夜2時の豚骨ラーメン

夜の底にいるみたいな空間の主役は口を開けて目を閉じて家族の声に応えることもなく、そこを揺蕩っている。

当直の先生が丁寧にお辞儀をしてそれにつられるように私が頭を下げると、家族が弾かれたように頭をあげて「ありがとうございました」と思ったよりもしっかりした声を発する。

家族の言葉をきいたあと、先生が足早に出口の方に向かっていく。私も慌てて2回目のお辞儀をして追いかける。

廊下をワゴンを軽やかに押しながら歩く東山先輩と目が合う。目があって、数秒。ちょっと険しい顔をした先輩は、私が閉めていなかった扉を閉じて違う病室に入っていく。


「で、あの人の死因はなんなのー」


ナースステーションの回るイスがギジリと音を立てて軋んでも、先生は気にせずにクルクルと回る。「あのじじいも死亡診断書くらいかいとけよなあー」そう看護師に聞こえるようにわざとらしくいって、マウスを忙しそうに何度も押す。カチカチカチという音だけが響いている。


「誤嚥性肺炎ですよ先生。ここの記事にICの内容がかいてあります」


帰ってきた東山先輩が先生からマウスを優しく取り上げて、カルテの日付をクリックする。先生は少し悔しそうに口角を歪ませた後、慣れた手つきで書類をかきあげる。それをもう一人の先輩と打ち合わせもせずに流れるように確認して、丁寧に封筒にしまう。


「伏見さんこれ渡してきて」


今日の夜勤で一番上の東山先輩が手渡した封筒は、診断書在中と判子で控えめに記されていた。「はい」とうまく言葉が出たかはわからないけど、そう言って封筒を受け取る。


「伏見さん渡すの初めてじゃないですかね?」


一つ上の星ヶ丘先輩が気づいたように歩み寄ってくる。私はまた「はい」と言葉にしたけど、多分きっと音にはならなかった。

東山先輩が「じゃあ一緒にいくね」と言って歩き出す。星ヶ丘先輩が優しく背中のネジを巻くように触れてくれて、その衝動に弾かれたように足を動かす。持久走の終わりみたいに足が重くて、一歩動かすたびに血が全身を巡っているような感じがする。

ドクンドクンと脈打っている心臓の音がどこかの誰かが押しているナースコールの聞き慣れたメロディーよりも、大きくなる。


「失礼します」


先輩がそう言ってあけた扉の奥にある夜の底はまだ沈んでいて、真ん中に眠る人を囲んだ人たちの鼻をすする音が響いていた。


「こちら死亡診断書になります。必ず葬儀屋さんの車に乗る方が持つようにしてくださいね。ご遺体と一緒にあるようにしてください」


「はい」


よく面会に来ていた奥さんではなく、入院の時に来てくれた娘さん、だろうか。その人が先輩から封筒を受け取る。お迎えはあと30分後くらいで…と娘さんが告げて、東山先輩がちらりと時計をみる。カチカチと動き続ける時計の秒針を私はなんだか申し訳なくて、みることができなかった。


「その前に看護師の方で体を綺麗に拭かせていただいてもいいでしょうか」


「はいっおねがいします」


娘さんの声は少し震えていたような気がした。弱々しく発せられているはずなのに、芯は揺るがずに声が病室に響く。

きっとこの人たちの頭の中には、この後の予定がギュウギュウと書き込まれているのだと思った。体を拭かれて、馴染みの服に着替えて、そのあと。私が知らない誰かが煙になる瞬間まで描かれているのだと思った。


「お母さん体拭いてくれるって」


娘さんの声が下に落とされる。そこには患者さんの手をしっかりと掴んで、丸い背中をさらに丸くして、もう二度と開かない視線を合わせようとする人がいた。

奥さんだ。よく面会に来ていたあの。患者さんが元気になる日を思って、いつもあたたかいタオルで冷たい手を拭いて、看護師が抱えて車椅子に乗せた患者さんと嬉しそうに散歩していたあの奥さんだった。

ナースステーションに帰るときにいつも必ず「お世話になります」と声をかけて、バスに揺られて帰っていく奥さんがそこにいた。


「うんうん、ありがとうね」


奥さんはそういって名残惜しそうに、手を離す。それだけでじんわりとまぶたが熱くなる。

別れだ。今、あの連れ添った夫婦が迎えたのはどうしようもない別れなんだ。

分厚い掌はもう奥さんの手を探して動かない。そこに置物のように存在しているだけだった。

奥さんだけが動いている、生きている。息をして、涙を流して、離れていく。


「伏見さんまだ回れてないでしょ?星ヶ丘さんと私で拭いておくね」


「はっはい」


家族と一緒に先輩に誘導されるように廊下に出る。廊下は冷たくて、いつも鳴り響いているナースコールの音もしない。シンとした空間に誰かが鼻をすする音だけが響く。

星ヶ丘先輩が大きいタライの乗ったワゴンを音を立てて押して廊下を歩いている。私と目が合ってふんわりと笑う。


「お母さん」


星ヶ丘先輩が話しかけたのは、体を小さくして家族の後をついていこうとしていた奥さんだった。奥さんは星ヶ丘先輩と目が合うと、また目を細める。涙が一筋頬を流れていく。


「佐藤さんの顔拭く時にお母さんをよぶね。私たちに拭かれた時より、お母さんに拭いてもらってた時の方が佐藤さん嬉しそうだったから。優しくて、俺にはもったいない奥さんだよってよくいってたよ。」


佐藤さんは認知症があって、体が大きくて、看護師二人掛かりで車椅子に乗せて。

点滴もすぐ抜いちゃうから看護師3人で押さえて、いれて。そういう手のかかる人だった。目の前や人と星ヶ丘先輩の言ってる人とは、結びつかない。

私、佐藤さんと話したことなかったかもしれない。何を聞いても違う返事が返ってくるのがわずらわしくて、何いってるのっていっていつも会話を終わらせてた気がする。

星ヶ丘先輩が話した内容が、本当なのかはわからない。話した本人はもう眠ってしまっている。でも、奥さんは嬉しそうにわらった。いつも綺麗に惹かれた赤いルージュの口元が緩んでいた。「お世話になります」と笑う時と同じだった。


「ありがとう、ありがとう。」


奥さんの視線がふと、看護師から離れて窓の外にいく。


「真っ暗ね」


「そうだね、もうすぐ一時だから」


「そうそう、そうね。なんだかお鍋の底にでもいるみたいに真っ暗。あの人こんな真っ暗の中で一人でいたのね」



奥さんが目を細めて何かを思い出すように語る。先輩と私も窓の外をみる。夜の底、いつも経験している暗さがそこに広がっていた。誰かにとってそれが寂しい夜かなんて考えたことなんてなかった。

どれだけの時間がたったのだろう。だれかがナースコールを押した音がする。先輩の胸元のピッチがうなる。続けて私のピッチがなる。

だれかが、よぶ。寂しい夜の底みたいな病院で、生きている誰かが私をよんでいる。




「いやーほんと疲れましたねー!!」


「まさか佐藤さんがステるとはね〜長くはないだろうなーとは思ってたけど今日だとは思わなかったわ」


病院の玄関が開くと、生ぬるい風が肌に触れる。足を動かすたびに何かがまとわりついているような気がして、落ち着かない。星ヶ丘先輩は丸まっていた背中を伸ばして、大きく深呼吸している。猫のような声を出して満足げにしている先輩と目があうと、柔らかい笑顔で微笑まれる。思わずお辞儀すると、東山先輩が声を上げて笑う。


「伏見さん今日夜勤何回目?」


「えっ、えっと。3回目です。ひとり立ちしたのは今日が初めて…です」


夕方から夜中の1時までが、準夜勤。準夜勤は昼間よりも看護師が少ない。3人しかいない看護師で50人いる患者を見る。患者にとって看護師が少ないのなんて関係ないし、医師にとっても関係ない。だから当然やることはたくさんあるし、だれも容赦なんてしてくれない。そういう勤務の一番大切なことは次の勤務者に患者を睡眠剤を飲ませてでも寝た状態で引き継ぐことだと、この間一緒だった先輩が熱弁していた

。私は一人ずつに挨拶することやナースコールの対応で精一杯で、次に働く人のことなんて考えることができなかったけど、みんな大丈夫だっただろうか。佐藤さん以外の患者さんがどんな様子だったか。それがうまく思い出せない。なんだか申し訳なくなって胸のあたりがざわざわした。


「日勤でも死亡退院当たったことないもんね〜今日はびっくりしたでしょ」


「はっはい!」


星ヶ丘先輩は、朝の10時に見る笑顔と同じ人の心の角を落とすように崩れるように微笑む。東山先輩は少し疲れていたような顔をしていたけど、私たちのやり取りを見守るその視線はいつも通りだった。


「また死亡退院の手順書あるから復習しておいてね。今日はバタバタしてあんまりゆっくり説明できなかったから」


「今日は入院もきたしバタバタしましたね〜」


「あんまり休憩入れなかったね」


休憩、私は45分くらい入っちゃった。胸を揺らすナースコールが申し訳なくていそいそと休憩からちょっと早めにでたけど、二人は休憩入ったのだろうか。星ヶ丘先輩は暴れる患者さんに点滴抜かれた〜って笑いながら走り回っていたし、東山先輩はたくさん私のフォローしてくれていた。

ますます申し訳なくなって「すいません」と小さな声で二回口にすると、東山先輩は「なにが〜?」とわざとらしく間延びした声で言って笑う。笑うとできるえくぼが夜の光を浴びていつもより目立つ。


「伏見ちゃんお腹減った?」


「えっ?」


星ヶ丘先輩の明るい髪の毛が門灯の光に照らされて、より明るく光る。患者さんにするように柔らかく笑う星ヶ丘先輩の後ろにいる東山先輩も笑っている。


「今からラーメン食べにいこ!」


「い、今からですか?」


時刻は午前2時30分。夜より朝の方が近い時刻。誘うように笑う先輩の笑顔をみているうちに、お腹がきゅるきゅると音を立てる。私が頷くのを待たずに、東山先輩がスマホでナビを見せてくる。そこは病院から十分くらいの、通りかかったことがあるラーメン屋さんで道はわかった。弾かれたように勢いよく頷くと、先輩たちは自分の車に向かって行く。私も慌てて車に飛び込んでエンジンをかける。

車の窓の外に広がるのはヘッドライトに照らされた闇。

夜の底みたい、そういった奥さんの顔が視界に滲む。モニターが心臓がもう動いていないことを示す音と、二度と開くことのない瞳。瞼の裏側に滲んでなかなか消えてくれないそれらを振り払うように、アクセルを踏んだ。


アパートの一階にあるラーメン屋は深夜なのにチカチカと電気がついていて、吸い寄せられるようにその周りには車がたくさん止まっている。門灯に集まる蛾を思い出す。東山先輩はもう到着していて、小走りで近づく私を見つけると控えめに手を振る。


「お待たせしました!」


「いいよいいよ。星ヶ丘ちゃんはまだ来てないから。あっ、きたきた。」


「いやー!道一本間違えました!」


20分前に研修に行ったはずなのに研修会場からまだ来てないと電話が部署にかかってきたという伝説をもつ星ヶ丘先輩は、相変わらず楽しそうに笑いながら走ってくる。

東山先輩が開けにくそうな扉を開けると、ガタガタと音がなる。沢山の目がこちらをみて一瞬怯むけど、東山先輩は動じずに空いてる席に向かって進んでいく。おじさんたちは相変わらず私たちを見ていたけど、星ヶ丘先輩すらも気にせずに進んでいくのをみて興味の対象を私たちから目の前の皿に戻していく。


「どのラーメンがおすすめですか?」


「ここは豚骨ラーメン一択です」


東山先輩が店員さんがまとめて置いていった水を慣れた手つきで3人の目の前におき、星ヶ丘先輩はおしぼりを配って薬味の乗ったトレーを真ん中に動かしていた。


「私も豚骨でいいです。星ヶ丘先輩は…」


「私豚骨ラーメンとチャーハン食べます!あと餃子!みんなで食べましょう」


東山先輩が目線で合図して、店員さんが何も言わずに席に近づいてくる。テキパキと頼む東山先輩の呪文が終了したあとに、星ヶ丘先輩がお願いしまーすといって、店員さんはそそくさと去っていく。

出る幕のない私は手渡されたお冷やを飲むことしかできない。氷の沢山入ったグラスは傾けるたびに、高い音をたてる。ずっと水を飲んでいなかったからか、すぐにグラスは空になってしまう。それは他の二人も同じのようで、二人とも二杯目を同じ勢いで飲み干していた。疲労を顔に出さない二人はたわいもない話をしたまま、水を飲み続けている。私はと言うと、少し重たい瞼をこすりながら二人の話に相槌を打つ。


「夜勤は慣れた?」


「えっとまだ…眠たくなったりします。まだ深夜デビューはしてないんですけど…」


「慣れないうちは体がキツイわよね〜まあ看護師なんて夜勤しないと稼げない仕事だから」


東山先輩は昨日も準夜だったからだろうか。目元にうっすらと疲労の色が宿っている。


「はい、お待たせしました〜」


店員さんが置いていく器の奥は湯気で見えない。真ん中にまとめておかれたラーメンを一人一人の前に置いていく星ヶ丘先輩の動きを見て、私も何かしなくてはと箸を配る。

東山先輩は餃子を分ける小皿に調味料を入れていて、「ありがとう」といって受け取った箸でラー油と醤油を混ぜていく。


「やっぱり深夜に嗅ぐ豚骨の匂いは安心しますねー!見てくださいよこのドロドロのスープ!」


濃度の高いスープを湯気を掻き分けて、レンゲで掬う星ヶ丘先輩の笑顔は、いつもよりもふやけてふにゃふにゃと和んでいる。東山先輩が「いただきます」と目を閉じて拝むようにラーメンに手を合わせる。その後、勢いよくラーメンをすする音がテーブルの上で踊るように響く。

星ヶ丘先輩はレンゲで掬った乳白色のスープに瞳を輝かせたあと、何回か息を吹きかけて口に注ぎ込む。喉がゆっくりとごっくんと動いた後に嬉しそうに足をパタパタとさせて声にならない音をあげて、次の一口に進んでいく。軽やかに病棟の廊下を進むように、大きい器の中の麺をどんどん平らげていく。


「おいしい〜伏見さんもはやく食べなよ!深夜に食べるラーメンはね!至福の味なんだよ」


「は、はい!いただきます!」


ラーメンの麺は少し太めで、透明に近い澄みきった色をしていた。かみごたえはあるのにちゅるりと音を立てて、あっという間に飲み込まれていく。豚骨の味のよくしみた麺は食べるたびに口によく馴染んで、スカスカだった胃の中を魚介の旨味とお肉の香ばしさが広がっていく。付け合わせのチャーシューはひとかじりすれば、あっという間に口の中で溶けてなくなってしまう。とろとろに煮込まれたチャーシューは唇を合わせるだけで、消えていってしまう。儚い、ずっと私の口の中にいてくれればいいのに。ラーメンの中を舞うように散らされていた九条ネギを噛むたびに甘みが口の中に広がって、濃い豚骨の味が染みた口の中を真っ白く染めていく。

そして、また麺を勢いよくすすれば、口の中にまた幸せが広がって舌の上にスープの味がどんどん広がっていく。幸せ、何回もこんな風に美味しい思いを味あわせてくれるなんて。なんて優しい、なんて優しい豚骨なのだろうか!


「お、おいしい…!」


「はあ〜胃にしみる〜」


「ふふ、二人ともラーメンばっかり食べてないで餃子食べて」



焦げめ通しで仲良く繋がった餃子を1つずつ箸で切り分ける。箸でつまんで小皿に移す間にもジワジワと肉汁が溢れ出していって、小皿に移す頃には醤油の中に肉汁も混ざって最高の調味料になっていた。一口で口に放り込むと、一気に肉汁のあつさと肉の甘みが口の中に広がって弾ける。思わず目を閉じて「んー」と声をあげると、まぶたの裏で星のようにパチパチと何かが光る。美味しい。

皮に包まれた瞬間から外に出たいと念じていたであろう肉汁が、ようやく解放された喜びで口の中を遊びまわっている。

あつかったからなのか、美味しかったからなのか。涙がホロリと一粒落ちる。


「美味しいです〜」


「餃子って最高だね〜」


星ヶ丘先輩は餃子を食べては炒飯を頬張り、美味しそうに頬を膨らませる。パラパラと黄色く飾りつけられたご飯が遠目に見ても美味しそうだった。今度は私も食べよう。

肉、麺、米。すごくいい。最高にロマンティックで背徳的な組み合わせだ。


「この店汚いけど味は美味しいのよ」


「東山先輩は若い頃から行きつけなんだって〜私もね始めての準夜の後に連れてってもらったんだ」


星ヶ丘先輩は炒飯を一粒も残さずに食べきって、またいつも通り微笑みながら内緒話をするように私に語りかける。いつもほのかに色づいていた唇がテカテカと店の薄暗い明りに光っていて、なんだか幸せな気持ちになる。


「とっても美味しいかったです!生きてるって感じがしました!」


そういった後に後悔した。他のお客さんの足音とか、油の染みついた床を蹴るように歩く店員さんの足音とか。そういうありふれていた音が鼓膜を揺らすのをやめて、あの音が響く。ピーっと少し高い音で響く人の死を表す音、誰かの心臓が動かなくなることをしめす音。横に座る星ヶ丘先輩の顔は見れなかったけれど、目の前に座る東山先輩の顔は変わらなかった。優しく微笑んで佐藤さんを見送っていた時の笑顔と同じだった。暖かさが瞳に滲んで見守るように私を見つめている。


「伏見さん」


「す、すいません…へんなこといって…」


「食べるって生きることよ。だからたくさん食べなさい。そんで、明日からはまた患者さんの前で笑うの。絶対笑わないとだめ。その元気をつけるためにも、たくさん食べてたくさん眠って程々に遊んで、それから少しでもいいから勉強しなさい。それがあなたを守ってくれる」


東山先輩はそう言って笑う。何人もの死を見送ってきて、それでも次の日は笑顔でいなければならなかった人笑顔だった。誰かに寂しさを感じさせないように笑う。優しい人の笑顔だった。




先輩達と別れて、車に乗り込む。蒸し暑い車内に耐えられなくて、エアコンの風量を一番強くする。うなりながら吹き出す風の音。

白い布を被されて黒い車に乗って去っていた佐藤さんと、見守る奥さんの瞳、赤い口紅。夜の底みたいな暗闇で死んだあの人。そういう光景を忘れてしまえたら、きっと楽なんだと思う。でも、私は佐藤さんをずっと、きっとなんとなくでもいいから覚えていたい。そう思う。

瞳が熱くなって、ぼろぼろと涙が溢れていく。呻くような声が車内に響く。明日から、明日からは泣かないようにする。泣かないようにするから。今だけ。生きてるうちしか泣けないから今のうちにたくさん泣いて、明日からは笑顔で。笑顔で接しよう。

そしてまた、美味しいものを食べて頑張ろう。まだあつい瞳をこすって、頬を叩いて目をしっかりと見開く。アクセルを踏んで暗い夜の底を走る。また明日も私は看護師で、白衣の天使だ。誰かにとって寂しい夜が、誰かにとっては楽しい夜であったことを願って。私はまた病院にいく。そうやって私は生きていく。生きていたい。

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