そんなこと、もうとっくに知っている。

 この人が俺の唯一だと確信した話をしてあげる。ん? あ、俺は赤兎せきと。この名前もある女性ひとから貰ったんだ。俺は物心つく頃には泥と血で汚れる毎日を送っていた。両親はもちろん知らないし、あの人と出逢う前は両親っていう存在すら知らなかった。いつの間にか生まれて、いつの間にか刀を握らされ、いつの間にか命じられるままに人を殺すだけの道具。それが俺だった。得た報酬金は命令を下すおかしらって人物に渡すだけ。多ければ多いほど食べ物をくれるから、俺はお腹が減らない為にもたくさんの人を殺してきた。あの人と出逢った時もそういう命令だった。実際命じたのは知らない女だったけど、その女の命令を聞くようにお頭から言われていた。いつものことだった。標的が寝ていようが構わず葬ってきた。――これまでは。


(なにこれ?)


 標的の首に苦無くないを添えながら首を傾げる。初めて見る涙というものに戸惑った。目から頬を伝ってこぼれ落ちるそれに恐る恐る触ると温かくて驚いた。川の水のように冷たいものだと思っていたから。指についたそれを何となく口に運んだ。


「……しょっぱい」


 きっとこの時から俺はこの人に恋をしたんだと思う。一目惚れっていうのかな? ただ、殺すのが惜しいと思ったのは、この人が初めてだったから――。

 









「これはなぁに?」


 元獲物だった人はおれの新しい主人になった。おかしらとは縁を切った。


「お給料ですよ。貴方には随分とお世話になってますからね。いつもありがとうございます。これからも頼みましたよ」

「え?」


 お金なら出逢った時に貰った。それは今まで通りお頭に渡した。これまでと違うのは渡すのは最後ってこと。要は手切れ金だね。あ、手切れ金って伝えるの忘れてた。ま、いいか。たぶん起き上がれないだろうし。え? 殺してないよ? もうあんたに従えないって言ったら殺されそうになったから反撃しただけ。他にも俺みたいな忍びがいるからね。路頭に迷わせちゃいけないし、そこはちゃんと半殺しで我慢したよ!


「なんで? 俺誰も殺してないのに」


 心底疑問といった風に言うと、ご主人は眉間にふっかーい溝を作ってた。あ、これは知ってる。不機嫌なお頭もよくおでこに作ってたから。


「なんで怒ってるの?」

「じゃなくて呆れてるんですよ。いいですか? 貴方は私を助けてくれているでしょう。お礼を言うのと同じです。これはそれを形にしたものです。貴方に好きに使って欲しいという意味です」

「俺に?」

「ええ。貴方に。貴方だけが使えるお金です。少ないならおっしゃって下さい。何分給料というのを人に与えるのは初めてでして」

「え、でも、え」


 今まで俺自身が使えるお金なんて持たなかったし、与えられることもなかった。こういう場合どうしたらいいか戸惑っているとご主人が続けた。


「まどろっこしいです。嬉しいか腹立つかどちらですか」

「う、嬉しい! 嬉しい、けど」


 うん。見ての通りうちのご主人はものすごーく短気なんだ。そこも好きだけどね。


「なら喜んで下さい」

「……喜んでいいの?」

「ついでにはしゃいで貰えると私も嬉しいです」


 にっと笑って言うご主人にたまらず笑み崩れる。ご主人は正直な人だった。や、簡単に嘘もつくけど、うーん、なんて言えばいいのかな。あ、自分本位! 褒め言葉じゃないって? ふふ、普通はそうかもね。でもね、俺が初めてのことに戸惑ってると、必ず自分を持ち出すんだ。私が、私の為、私のせいに、って。そう言って、俺の緊張をほぐしてくれるんだ。慣れない人間生活を送れてるのも、ご主人が強引に引っ張ってくれてるおかげ。


「ありがとう! いっぱいはしゃぐね!」

「そういうのは宣言するものじゃありませんよ」


 そうなんだ。わーいって両手を挙げてたら、ご主人が呆れながらも笑っていた。それを見て笑みを深くする自分がいる。常に笑顔でいる特訓はしてたけど、嬉しいと自然と笑えるってことを知った。




(何がいいかなー)


 好きに使っていいと言われた時に浮かんだのはご主人の顔だった。ご主人から貰った新しい服に手を通して堂々と街中を歩く。誰も俺が元忍びなんて思わないだろうな。


「そこの兄ちゃん、贈り物かい? いいのが揃ってるよ」


 兄ちゃん? 俺のこと?


 声のした方を見れば中年の男が手招きをしていた。なるほど、そこに兄ちゃんは俺で合ってるみたい。


「なぁに?」

「っと、思ったより幼かったな。つい客かと思っちまったよ。すまねぇな」

「ん? 俺お客だよ?」


 買い物をする人間はお客だよね? 首を傾げてるとその人は苦笑した。


「あんた、遊女おんなを買う客じゃねぇだろ? どっかの見世みせに仕えてんのか?」


 おんなを買う? 女の人って商品なの? 変なこと言う人だなぁ。でも並べられてる品々には興味がある。このお小遣いで買えるかな?


「ねぇおじさん。このお金でここにあるの買える?」


 おじさんにお金の入った巾着を渡すと驚かれた。


「あんた、危なっかしいな。ほいほい金は渡すもんじゃねぇぞ。下手すりゃそのまま持ち逃げされるとこだ」

「だいじょーぶ。俺、足は速いから!」


 暗に追いかけて殺すと言ったのだが、おじさんは苦笑するだけだった。


「ずいぶん世間慣れしてねー奴が来たもんだ。でも客になってくれるならありがてー。金の使い方くれぇはわかるよな?」

「好きに使っていいってご主人が言ってた。ここで使える?」

「こりゃわかってねぇな」


 呆れ交じりに呟かれて、それから初めてお金の使い方を教えて貰った。


「ありがとう! ねぇ、それ全部使ったらどれが買えるの?」

「全部使うのか!?」

「うん。たくさん使えばいいのが買えるんでしょ?」

「いやそうだが……、まさか贈り物か?」


 並んでる品々はどれも遊女御用達の物だった。そう言われてもピンと来なかったけど、贈り物には違いなかったから頷いた。


「もしかしてさっき言ってたご主人様にかい? 女だったのか」

「うん。ご主人が喜ぶと嬉しいなって思って」

「健気だなぁおめぇ……。よし! 手伝ってやる! 何なら安くするぞ! 好きなの選びな!」

「ありがとー! じゃあこれ!」

「待て」


 好きなのを選べって言ったのにいきなり止められた。この絵、強そうでいいと思ったのになぁ。


「ここは確かに女物が多い。だけど男だってくしくれぇ使う奴がいるから置いてるんだ。なんだってよりにもよってそれを選ぶ! 不動明王だぞ!?」

「ふどうみょうおう?」

「知らねーのかよ!」

「剣持ってて格好いいなぁって思ったんだけどな。ご主人、強そうなの好きだし」

「……おめぇの主人変わってるな。普通女は花とかを好むもんだ。この辺りから選んでみろ」


 いくつかの櫛を並べられる。花ねぇ……。毒草なら詳しいけど。ふむ。


「どれが一番おいしい?」

「食う気かよ!」

「いや食べないよ。木じゃん」

「そういう問題じゃ……あーじゃあパッと見てかれるもんはねぇか?」

「さっきの」

「以外でな?」


 釘を刺された。改めてくしやかんざしを見る。絵が掘ってあったり、飾りがついていたり様々だ。


(そういやご主人の髪って……)


 基本あの人は髪をおろしている。なんでもまとめると頭が重いそうだ。夜になったら面倒臭そうに髪をまとめてるけど、俺もあの人が髪をおろしてる方が好きだ。さらさらしてて触りたくなるから。そうだ。


「これ欲しい」


 俺だけがご主人の髪をかす道具が欲しい。もちろん贈り物だけど。いいよね。これ、と言って何となく気に入った櫛を指すとおじさんの顔がほころんだ。


「いいもん選ぶじゃねーか。この花何か知ってるか?」

「んーん。何となくいいなって」

「そうか。これはな、桃の花と言って古来から悪い気や邪気を払うと言われてんだ」

「へー」


 じゃきっていうのはよくわからなかったけど、悪い気ならわかった。つまりは良くないってことでしょ。うん、これに決めた。


「これがいい。おじさん、これくれる?」

「ああ、ちょっと待て、少し釣りが出るから。あ、釣りってーのは余分に貰った金のことな」

「それならいいよ。買い物の仕方教えて貰ったし全部あげる!」

「いやそうはいかねぇ!」

「いいから! 今日はたくさん教えて貰ったし。また買いに来ると思うから、もしまた俺にわからないことがあったら色々教えてよ。ね!」

「う……、わかった。次来た時は安くすっからな。いいな?」


 この人も頑固だなぁ。おかしらとかお金にがめついのに。こんな人もいるんだなぁ。


「ほら、あんたのご主人、喜んでくれるぞきっと」

「だといいなー」


 綺麗な布に包まれたそれを受け取る。


「それとな、その花の意味だが」


 去り際に教えて貰った花の意味。まさか花に意味があるとは知らなかったけど、おじさんの言葉を聞いて、益々この櫛を選んで正解だったと嬉しくなった。




 ――私はあなたのとりこです――



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