胃腸炎のたのしみかた

比良野春太

楽しいことは1つもない

0.趣旨


 以下は比良野春太氏が感染性胃腸炎で苦しんだ体験を出来るだけ陽気に綴った文章です。様々な描写に多大な潤色が見受けられますが、病気の症状自体は出来るだけ正確に書き記しました。


・同じく風邪を引かれるなどしてやることがない方々

・同じく風邪を引かれるなどしてやることがなくなる予定の方々


 どちらの方々にもお楽しみいただけます。  

2019/3/31

 ベッドにて 満開の桜を夢見ながら 比良野春太述


※注意:無駄に長いです


1. 経過(0日目)


 3/27の深夜、

 節々の痛み、寒気、頭痛で眠りに落ちても直ぐ覚醒、を繰り返す。

 初めは前日に花粉症であるにも関わらず新緑芽吹き始め山頂にはまだ雪の残る三百名山の一つに登ったことの反動と思い込んでいたが、鼻水だけではなく明らかにインフルエンザと思しき諸症状が現れており、朝一番に内科に駆けこもうと決意しながら布団で呻き続ける。

 しかし朝が来ない。びっくりしたが、実は「明けない夜はない」というのは嘘である。信じている人も多いのではないかと思うので、「疑うことが大事」であるということを今一度念押ししておこう。年老いてから『善意』で己の可愛い子や孫たちに怪しげな宗教のパンフレットを送り付けて迷惑がられ、盆にも年末にも子供たちが顔を見せてくれないという状態になってからでは遅いのだ。まず結婚すら叶わぬという尤もな指摘は鋭く今の私に直視できるものではないため無視してよい。

 さて、このような嘘を当たり前として人々に教え込む地球の自転の何たる傲慢か、本当はつらいときはいつまでたっても朝が来ないのである。

 空が白んできたときには感動で涙が溢れてきた。朝が来ただけで涙が流れるのに普段は一滴の涙も流したことがない鉄仮面とでも思われているのはいつも夜明け前に寝て正午に起きる不摂生が祟っているのか。これからは早起きして感涙してから仕事を行おうという決意をした(もちろん、決意をしただけで恒例の零日坊主である。坊主にする以前、つまりスポーツ刈りの6mmぐらいで髪を短くした気になるな、坊主は頭が青く見えるようになってからが坊主だ、と中学校の野球部で皆様も教わったことと思う!)。


2. 経過(1日目)


 3/28の朝、

 内科を受診するが、渡された体温計は38.5度を示しており看護師も「あっ(察し)」という表情で別室に通される。椅子に座って待機せよと言われたが椅子に座っていることすらままならず、頻繁に姿勢を変え頭痛や節々の痛みを最小化する姿勢を探求していたが、最終的に立ってうろうろしているのがいちばん楽だという結論に至りふらふらしていた。

 待つこと二十分、インフルエンザの検査で鼻に棒を突っ込みかき混ぜられる。

 そして五分後、再び診療室に呼ばれ、検査の結果は陰性である、と告げられた。

「そんな馬鹿な」

 比良野は驚愕した。

 彼はてっきり己がインフルエンザだと思い込み、今後の対応をどうしようかと幾つものプランを考えていたのである。実は彼には28日の正午と晩に東京で外せない用事があり、当日の新幹線の切符も既に購入してあった。

 まずはこれに断りの連絡を入れる必要があったのだが、その文面を既にインフルエンザなので許してくれ、許してくれないなら無理にでもそちらに向かいパンデミックを引き起こすしかないが宜しいか、という旨で作成していたのである。というのは無論冗談で、しかしインフルエンザだという予測をベースにして文面や書類を作成していたことは事実であり、その仕事が実質無駄になり意気消沈した。(以下の文章で、全ての用事は同様にキャンセルしています)

「ではこれは何ですか」

 そういう故あって、彼は白髪交じりで中肉中背、余り健康的とは思えない風貌の、しかし愛想のよいおっちゃんである担当医師に単刀直入に訊ねたのだった。

「もしこれから下痢になったりしたら、『』やね」


「『』………?」


 なんだ……? その可愛い名前は……?


「胃腸炎とかですか」

「そうそう」

 まさか。

「心当たりはなんかありますか?」

「いやあ、さっぱり」

 と返答したが、確かにそのときはさっぱり心当たりはなかった。

 ……が、今思い返してみると心当たりはある。

 それは鶏むね肉。

 つまりカンピロバクターによる感染性胃腸炎。

 おなかのかぜカンピロバクターによる感染性胃腸炎

 これが彼を苦しめている病魔の真名であった。

 実を言うと、彼は平日には友人とランチや夕食を共にするときや、休日を除けばかなり『特異』な食生活を持っていた。それはブロッコリー、アスパラガス、オクラ、鶏むね肉、卵などを茹で、そのまま(あるいは少しの塩やドレッシングを塗して)食べるというもので、それ以外の炒め物や油ものは滅多に食さないのである。

 ただ油っぽいものに飽きた、というものが理由だった。(追記すると、誰かとご飯を食べに行くときは油物を好んで食べる。つまりスーパーや自分で作る程度の油物にはうんざりした、と言ったほうが正しい)


 その鶏むね肉の茹で時間が短かったのだろう。


 解熱剤と整腸剤を貰って帰宅、さっそく解熱剤を飲み下し何とか眠りにつこうと布団と格闘しているうちに体が熱くなってきて発汗、ウイルスとの戦いの火ぶたが今切って落とされた。ちなみにこのとき体温計で温度を測ると39.5度であり解熱剤のおかげもあってか今朝より1.0度上昇していた。なんでやねん。

 チャンネルは甲子園のまま、頑張って眠った。

 この間、せっかく暇なので自分の人生を振り返ってみようと思い、色々と病床で思い返していたが、余り良いことが浮かばず順当に鬱になったので、私のように惨めな方の人々は病床で己の過去を振り返ってはいけない。しかしどうせ病気の状態で考え得る未来なんてお先真っ暗に違いないので未来も見てはいけない。ではどこを見るかというと天井である。見つめよ。ただ見つめよ。ひたすらにトラバーチン模様のジプタイトを見つめよ。もう一体化してしまえ。よく見るとお前も愛嬌ある顔してるじゃんという気分にもなってくるだろう。それは熱があるからだ。咄!


3.経過(2日目)


 3/29の朝、

 激しい腹痛で目覚める。実はここで胃腸炎であることを本当に確信した。

 横になっては腹痛でトイレに駆け込み、を繰り返し、彼は己が本当にトイレとベッドを往復するだけの装置に成り果ててしまったのだと悲しくなった。

 解熱剤がその効力をいかんなく発揮し、熱は37.3度まで恢復していた。

 幸いにして今に至るまで吐き気は全く無かったので、このころから食事をとり始めた。一日に栄養ドリンクを一本、蒸しパンを一つ、おかゆを少し、という感じだったと記憶している。

 いつも通り、甲子園を点けながら夕方を迎える。

 プロ野球開幕の前に『中高年の引きこもり61万人』というショッキングなニュースを見つけてしまって自分の将来を悲観する。引きこもった経験は経歴上は一度もないが、親類や友人のうちにはそのような状態に陥った人もいて全くの他人事というわけではない。(といっても、彼らは元気そうに暮らしていたし、引きこもりを脱した今のほうがどことなく辛そうだが……)何度も繰り返すが病床で想像する将来ほど暗いものはない。愛すべき糞田舎こと我が地元で深夜に県道を外れたってあそこまで暗くはない。大丈夫。君は幸せになれる。繰り返して寒気を凌ぐしかない。たぶん君の小説は面白くない。センスが人とずれすぎている。君の小説は書いている君にとって面白いかもしれないけどそれじゃ自慰行為じゃないか。下らない自慰行為をネットの海に晒すのと君がバカッターと言って嘲っている行為も根っこでは同じじゃないか? 同じだろ。あんまり物書きとか言って自分を高尚なものにしようとしてみたり群れたりするのはやめろよ、それもそのをしている人と同じだよ。ちゃんと生きなさい。ちゃんと生きよう。ちゃんと生きよう。そういうことを思いながら昼寝に就いたと思うが、その後にけろっとしてこのような文章を書いているのだから馬鹿ここに極まれりである。やはり病床は憂鬱を加速させるのだろう。

 その後、

 甲子園→プロ野球→トリック(プライムビデオにて)

 と真にテレビの前で一日を過ごした。これらが無ければ退屈をつぶす当てがなく非常に厳しいものになったであろうことは想像に難くない。

 

4.以降の経過、及び結論


・3/30

 平熱まで熱が下がっていた。

 調子に乗って解熱剤を飲まずに居たら悪寒の後ふたたび発熱。

 馬鹿か?


・3/31


 そして今、彼はこのような文章を打鍵するほどには快復するに至った。

 繰り返す下痢を乗り越えること幾星霜、

 下した腹の数は数え切れず、

 夜中に苦痛に呻いた言葉は川に流れて野鯉を殺した。

 一人暮らしを始めてもう四年になるが、一人暮らしにインフルエンザや胃腸炎はつらい。誰も助けてはくれない。

 いや、数少ない友人が助けてくれた。例えば一人の友人は新幹線の切符を彼の代わりに返金しにわざわざ店まで代わりに足を運んでくれた。京都-東京の新幹線は学割を利用しても往復で二万と少し掛かるので、彼には二万を失う危機を救ってもらったことになる。感謝。

 ま、別に胃腸炎で何を得たということもない。強いて言えばこの四千字のカクヨム廃棄物が生み出されたのである。彼にとっては胃腸炎は本当に苦しいもので(実はここ五年で三回罹患しているが、おそらく他人から移されたものでないのはこれが初めてだ)、もちろん、誰にとっても苦しいものには違いない。

 胃腸炎を通して得られた教訓やら人生論は毎回何もない。強いて言えば鶏肉の茹で時間を長くしろ、ということだ。仮にここまで読んでくれた人が居れば申し訳ないが、内容だけでいえばこのエッセイは紹介文で完結しているのだった。ここまで勢いで頑張って四千字超を書き連ねてきたは良いが、何せ、病状がほぼ全快したものだから、もう書くネタが生まれることはない。

 エッセイの締め方が分からないので、ここはかの有名な締めくくりを引用する。


 熱がぶり返さない限りは完結である。



 さてわが高き想像はこゝにいたりて力を缺きたり、

 されどわが願ひと思ひとは宛然一樣に動く輪の如く、

 はや愛にめぐらさる

 日やそのほかのすべての星を動かす愛に。




 最愛のベアトリーチェを失うという身を引き裂くような苦痛を経験したダンテはあの神曲を創造しましたが、私の腹を引き裂くような胃腸炎という苦痛はこのエッセイもどきを産み落としたということで、勘弁してください。

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