第14話


 聞けば幸枝のお見合い相手が6月で沖縄に転属となり、一緒に来ないかと誘われているそうだ。付き合い始めてから三年の間に何度も結婚して家庭に入って欲しいという申し入れがあったという。相手は社長の息子だ。悪い話ではない。だけど幸枝はその申し入れをことごとく断ってきた。理由は一つ。主である私の事が心配だったから。自分が付いていれば愚痴を聞いてあげられるし、何かあったら助けてあげられる。けれど自分が居なくなったら理解者は居なくなり、私は本当の意味で孤立してしまう。婚約を破棄される危険があったにも関わらず幸枝は私の身を案じ続けた。

 けれどお見合い相手が沖縄に行くと決まって幸枝の決心は揺らいだ。私を一人にしたくないけれど、彼氏のことも好きだし結婚したい。そして悩みに悩んだ挙句、彼女はある理由から結婚を選んだのだという。


「ごめんなさい、お嬢様。私本当にバカで、身勝手で……」

「幸枝、いいのよ。落ち着いて。貴女が結婚することになって私は嬉しいの。だって他の誰でもない、私を生まれた時からお世話してくれている貴女ですもの。世界の誰よりも幸せになって欲しいのよ」

 尚も泣き続ける幸枝の背中を私はさすった。本当は私も泣きたい。私を置いて行かないで! と思いっきり叫んでやりたい。だけどもう、幸枝の前でさえ本当の自分をさらけ出すことを拒んでしまっていた。幸枝に気を使ったから? それもある。ここで私が結婚を引き留めてしまったら私のせいで婚約破棄になるかもしれないから? それも大きい。けれど本当はただ怖かっただけ。自分勝手な事を言って、唯一の理解者である幸枝に嫌われるのが怖かっただけ。ああ、本当、こんな時まで私って何なんだろう。

「だけど私、お嬢様の事が心配で……! このお屋敷で働けなくなることが本当に心残りで……」

 幸枝は尚も泣く。

「庭に植えたヒマワリが咲く姿をもう見ることは出来ないんだなって」

「うんうん」

「ヒマワリの隣に植えようと思ってたスイートピーはもう植えないでおこうかな、とか」

「うん」

「執事の田中さんと後輩メイドの山本さんの恋愛は上手くいくのかな、とか!」

「……」

「もう庭のクヌギの木にゼリーを塗ってカブトムシを取ることも出来なくなることとか!」

「そろそろ私の心配をしてくれない?」

「玄関の近くに付いていたカマキリの卵が羽化するところはもう見られないこととか!!」

「そろそろ私の心配しなさいよ!!! 後半虫の心配しかしてないじゃないの!!」

「もうハクにR18Gな言葉を教えられなくなることとか!」

「故意に教えていたの!?」

「それから……もうお嬢様と一緒にご飯を食べられなくなることとか」

「それは私も……」

「あのイタリア人料理長の作る料理が食べられなくなるなんて!!!」

「そっちか!」

 もう何なのこのメイド。ちょっと悲しくてしんみりしていた私がバカみたい。

「その叫びですよ、お嬢様」

 幸枝は暖かな笑顔を浮かべ私の顔を見た。まさか、さっきの支離滅裂なやり取りは私に大声を出させるための演技だったのだろうか。……いや彼女の性格上、素であれをやっていた可能性の方が高いけれど。

「私はある理由から結婚を決意したと言いました。それは清花お嬢様、貴女の可能性を信じる事が出来るようになったからです」

 私の可能性?

「私は貴女が小さい頃からずっと近くで見守ってきました。そして私より16歳も年下のはずの、お嬢様のカリスマ性にずっと憧れてきました」

「そんなもの私には無いわ」

 本当に無いと思っていたので私は即座に否定した。

「いいえ、私は覚えています。お嬢様が幼稚園の年中さんだった頃、自分に体罰を振るってきた保育士の腕を締め上げていたことを」

「えっ、私そんな事してたの……? 全然覚えていないわ」

「まあ私の作り話なんですけど」

「嘘なの?! 何でこのタイミングで妄想を挟み込んだの!?」

「ここからは本当の話です。あれはお嬢様が小学一年生のときでした。上級生からクラスの子が殴られた時に同じクラスの男の子を全員扇動して殴り込みに行ったこともありましたね」

 それはちょっと覚えている。小さい頃から負けん気が強かった私は友達が殴られたと知って黙っていられなかった。だけど一人で上級生に勝てる気がしなかったので、クラスの男子全員を道連れにしたのだ。

「他にもピクニックの班行動で足をくじいてしまった子がいた時は、先生のいる山頂までお嬢様が背負って上がったこともありましたね」

 あれは……山中に放置していくわけにいかなかったし、私が一番背が高かったからしょうがなかっただけだ。

「私はそんな勇気と優しさを兼ね備えた貴女の可能性を信じております」

「全部昔の話でしょう。今は違うわ」

 私は急に褒められて少し恥ずかしい気持ちになった。

「いいえ、今でもお嬢様の中には誰をも魅了するようなカリスマ性が眠っています。そして貴女はそれを自力で呼び覚ます力があることも分かりました。あの子が……鉄ちゃんが気づかせてくれました」

「神本くんが?」

 あのポンコツマッチョが?

「彼と話しているお嬢様を見た時にハッとしたのです。その時の喋り方、言葉の勢い、態度は昔私が見た本当のお嬢様の姿そのものだったのです」

「……私は、よくわからないけれど」

 私は言葉を濁した。あのアホの神本くんのおかげで私の何かが変わるとは考えられなかったから。

「いいえ、お嬢様。ご自分で一番お気づきのはずです。私はお嬢様に自分の道を歩んで欲しいのです。そして貴女にはそのための意志を貫く力があります」

 幸枝の言う「自分の道」とは何なのだろうか。それは私が車の中で思考していた「私は何がしたいんだろう」という問いに似ていた。したい事は分からない。けれど……。

 そうだ。私のしたくない事ははっきりしている。幸枝に言われたことで今はっきり気づいた。私は久保家の息子と結婚したくない。自分の好きでもない相手と一緒になりたくない。親に決められた人生を歩みたくないんだ。

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