第11話
「頭は大丈夫なの?」
私はシャワー室から出てきた神本くんに声をかけた。ちなみにこの「頭は大丈夫なの?」には二重の意味を込めている。
「大丈夫だ。馬の歯形はくっきり付いてしまったが」
確かに彼の額には歯形がくっきり残っていた。
「よくあんな大きい馬に投げ飛ばされて怪我しなかったわね」
神本くんが無事だったことに一先ずほっとした。ここまで忍者らしいところを一切見せてもらっていないけれど、さっきのアレはリアクション芸人でも出来るような芸当じゃないから許すとしようかな。
「幸枝、そろそろ帰るから車の手配をしてちょうだい」
「かしこまりました」
「清花。もう俺の任務は終わりなのか」
遠ざかっていく幸枝を目で追いながら神本くんが言った。任務って。貴方今日何かした? 杉の木を買ってきたり馬に齧られて投げ飛ばされていただけでしょう。
「残念だけどもう貴方に何かを頼むことは」
「おや? そこにいらっしゃるのは一条清花さんではございませんか」
鼻に付く高い声がした。この耳障りな音には聞き覚えがある。振り返ると裏起毛のワンピースを着て立つ少女。私はその顔を知っている。お父さんの知り合いの娘だ。彼女は肩にかかるセミロングの髪をかき上げ、企みを抱いた瞳で私の方を見つめている。いつものように気の強そうな顔立ちだ。
「あらぁ、金山さんじゃないですか。こんなところで会えるなんて嬉しいわ」
私は近づいて挨拶した。
「こちらこそ。まあ一条さん、今日の服装も素敵ですわね。その吊りスカートのファッションを貴方の大柄な身体で出来るセンスがとても羨ましいですわ」
ははっ、ぶち殺されてえのか。
「ほほほ、金山さんこそ、その大人びた服装は華奢な身体にとてもお似合いのようですね」
「あら、ありがとうございます」
一瞬、金山の頬が引きつるのが分かった。
「ところで金山さん、ここに居らっしゃるという事はこれから乗馬のレッスンですの?」
「ええ。週3回は必ずここにきて腕を磨くの。乗馬は淑女の嗜みですもの。一条さんは?」
どうやら乗馬の回数、上手さでマウントを取りたいらしい。
「すごいわ金山さん。私は乗馬の他に茶道に生け花に書道に塾に、色々やることがあって週三回も乗馬に行く余裕が無いの。そうだ、そんなに乗馬を一生懸命にやってらっしゃるんならオリンピックをお目指しになってはいかがかしら。私、応援するわ」
互いにほほほ、と笑い声を発しながらも目は一切笑っていない。だから嫌なのよ、こいつと話すのは。
彼女の名前は
舌戦が何度か交わされ、空気が完全にピリピリとしていた時、急にパリパリと乾いた音が響き始めた。神本くんが売店で買ってきたおにぎりをパリパリパリパリ食べ始めたのだ。こんな時に何をやっているんだ、この人馬分離野郎。私の視線を感じ取ったのか神本くんは視線をこちらに向ける。そして脇に置いていたもう一つのおにぎりを私に差し出した。違う! 要らない! 今私の知り合いだとバレたらややこしいことになるから黙って他人のふりをしていて!
「あら、一条さんのお付きの方はよく食べる方ですのね」
遅かった。このまま神本くんがターゲットになったら不味いなと考えていると、神本くんが言った。
「育ち盛りだからな」
「……ふふふ、あまりに必死にお食べになるものだからお馬さんかと思いましたわ」
「そんなわけないだろ。お前の目は節穴か」
神本くん怒涛のマジレス。あ、そうか。この男には皮肉とか嫌味を理解する知能が無いのだわ。嫌味が通じないと分かって金山も苦しくなってきたらしい。
「その方は一条さんとどういう関係ですの?」
と再び私に話を戻してきた。
「この人は、えーっと」
「俺の名前は神本鉄人だ」
私が言いあぐねていると神本くんが立ち上がった。金山は最初神本くんの大きさに驚いていたようだが直ぐに挨拶を返した。
「素敵な殿方ですね」
少し頬を紅潮させて恥じらう仕草をみせる。どうして神本くんにそんな反応をするのかと思ったけれど、よく考えれば彼は黙ってさえいれば長身のイケメンなのだった。中身はアレだけど。しかし神本くんをコーディネートしておいて良かった。あの世紀末ファッションのままだったら何と言われたか分からない。
「ええ、そうなの。この神本さんとは以前青屋旅館で偶然一緒になったのですわ」
「正確には庭の池の中で会ったんだがな」
余計な事を言わないでよ! 金山が首をかしげる。
「え? 池の中?」
「ほほほほほほ! そうなの、彼が池に落ちてしまってもう本当にほほほほほほほ!」
「そうなのですか、でも偶然出会って一緒に乗馬をする仲になるなんて、よっぽど第一印象が良かったのかしら」
私が「そうなの」と言いかけたところで神本くんが割って入る。
「いやこの女は悪魔かと思ったぞ。窒息死させられるところだったからな」
ここで私は神本くんのお尻を思いっきりつねった。
「清花、痛い」
「ほほほほほ! ごめんなさい、神本さんは人よりも酸素の最大摂取量が多すぎて、酸素の吸いすぎで時々酸素不足に陥るのですわ!」
自分でも苦しいと分かっていながら、何とか言い訳を試みる。その時金山の目がきらりと光った。
「そうだ、来週のお食事会に神本さんと一緒にお越しになってくださらないかしら」
金山は胸のあたりで両手を合わせ、まるで非常に善良な事を思いついたかのように言った。だが彼女の腹辺りは非常にどす黒い思惑で覆われていることは明確だ。この嫌味も理解できない、支離滅裂な返答をする男を同席させることで、私に恥をかかせようとしているのだろう。
「い、いえ。今から予定人数を変更するのはホテル側にも悪いんじゃないかしら」
「いいえ、一週間前なのだから気にすることなんて無いわ」
「で、でも」
歯切れの悪い私を見た金山は、右手を口に当てて「あっ」と言った。
「ごめんなさい。私としたことが気が利かなかったわね。勿論神本さんのお食事代はこちらで出しますわ。お気になさらないで」
私がそんな事気にするわけないでしょ! 舐めた口をきくのもたいがいにしなさいよ! 明らかに挑発されているのは分かっているけれど、金山のものの言い方がどうしても気に入らない。癪に障る。そこまで言うなら連れて行ってやる。
「いいえ、こちらの参加者ですからこちらで出しますわ」
「あら、それなら神本さんも一緒にご参加されるということでよろしいんですのね」
私の言葉を聞いた金山は勝ち誇ったように目を大きく見開く。今に見ているがいい。恥をかくのは貴女の方よ。
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