道が違おうとも、キミといつまでも

篠槻さなぎ

道が違おうとも、キミといつまでも

「高梨は、さ。これからどうするの?」


 人気のない教室。自分以外いなかったはずの教室に、低い声が響いた。

 名前を呼ばれた高梨紀利は窓の外を見ていた。そして、興味がなさそうな緩慢な動作で振り返り、相手を射止めた。

 千鳥七瀬。三年間ずっと同じクラスで、クラス替えがあった後の数週間と、テスト週間の時は、いつも席が前後だった少年。

 否、今は青年と呼ぶのが相応しいだろう。

 それだけ、出会ってから時間が経過したということだ。

「別に。私の実家がここらへんで不動産をやっているから。私はそれ関係の勉強をして、それを継ぐの」

 紀利は目線を七瀬から窓の外に移し、早咲きの桜の花が散る中、卒業証書の入った筒を握り締めながら、なんてことのない平凡で確約された未来を想像して、ポツリと呟く。

「いいなあ。お嬢サマは。地主ってところがまた痺れるねえ」

「ほっといて」

 紀利はその言葉に苛正しさを感じ、七瀬にそう返す。

外では、体育会系の部活が練習している。七瀬は、紀利の前の席に座り、それを一緒に眺めた。

「中森はやっぱりスタートダッシュが甘いなあ。でも、あれで全国いけるんだから凄いよな」

「あなたは……」

 もう、走らないの。


 その言葉を投げかけようとして、紀利はそっと目を伏せた。

 七瀬はスポーツ推薦で入ってきたが、病気が見つかって高校二年生の春に陸上部を退部した過去を持つ。

 そして、病気をした後遺症により、今も激しい運動はできないのだ。

 元々、文武両道で容量の良かった七瀬は、そのまま進学校であるここを難なく同年齢の少年少女と共に卒業した。

 病気をしながら、自分のアイデンティティたる走ることができなくなり、それでも頑張ってくじけず、皆と共に卒業するべく病気で遅れた勉強に打ち込む。

 その努力は人並み外れたものだろう。


 はっきり言って、紀利は同じことをしろ、と言われてもできる気がしない。

 陸上をする人間を楽しそうに見つめる七瀬の横顔を見ていると、不意に七瀬と目があった。

「どうした?」

「……別に」

 そっけなく紀利が返すと、七瀬は笑った。

 どうして笑うの、と拗ねるように紀利が七瀬を見ると、今度は笑い声を抑えながら微笑む。

 紀利が高温で唸ると、七瀬は紀利の頭にぽん、と手を置く。

「お前だけだ」

「……何が?」

「お前だけが、俺に同情しなかった。憐れみも無かった。お前は無自覚かもしれないけれど、お前だけが今も昔も変わらず、病気した哀れな奴、なんて見るんじゃなくて、俺を一人のクラスメイトとして見てくれたんだ」

 それを聞いて紀利は再び目を伏せる。

 それは、そう努めていたからだ。

 この想いを伝えないために、そっけなくしていただけだ。

「俺さ、専門学校に行くんだ。人を育てるコーチとして」

「知ってる。前に話したじゃない」

 紀利は目線を外に向けて言葉を放り投げる。最早、言葉のキャッチボールをしようとは思っていない。

「だから、大学に行く高梨に会えなくなると思って。ずっとありがとうって伝えたかった。だから、今日残ってくれていて、良かった」

「別に、私は何もしていない。何の感謝も必要ない」

「でも、な、高梨。それに……俺、知ってるんだ」

「……何を?」

「俺、放課後にお前がいつも教室のベランダから俺を見ていたことを知ってる」

 それを聞いて、紀利は目を見開いて七瀬を見る。

「あの日。病気のせいで体調不良で倒れて、外周から帰ってこなかった俺を最初に見つけたの、お前だったんだろう? 外周のランニングまで見てるってことは、陸上部の練習じゃなくて俺を見ていたんだろ?」

 紀利は失望して、抑揚のない声で呟く。

「……先生って酷いわね。秘密にしておいてって、言ったのに」

 その言葉は、七瀬の言葉を肯定していることと同義だった。

「高梨。俺を、ずっと見ていてくれたんだな」

「別に、あなたを見ていないわ。たまたまよ。たまたま」

「嘘つきだな」

「私は嘘つきじゃない!」

 紀利はムキになって声を荒げる。それに七瀬は冷静な声で訊ねた。

「お前が自分の気持ちを隠し通そうとするのは、お前に婚約者がいて、その人に遠慮しているからだな?」

 紀利はその言葉に、ピタリと激情が収まる。諦観にも似た冷たい感情が彼女の瞳を満たす。

「違う、違うの……別に、そんなんじゃ……」

「その婚約者っていうのも、親同士が決めたことだから特に縛りはないって聞いた。でも、相手がお前にベタ惚れだから、断れないんだろう? 噂で聞いた。お前が会っているところも、みたことがある」

「……噂って怖いわね。最悪だわ。でも――そうよ」

「なあ」

 そこで七瀬は俯いた肯定して、もう抵抗しない紀利を抱きしめた。

「傍にいさせてくれ。そんな奴、俺が引き剥がしてやる。だから」

「……七瀬」

「俺と、付き合ってくれませんか?」

 一目惚れだった。だけど、この想いは、婚約者やクラスメイトの人間関係を壊すから、秘すべきものだと紀利は思っていた。

 お高くとまった冷たい美人と言われる紀利は、クラスの中心にいる七瀬を遠くから見ているだけで良かった。


 だって、目が合うだけで笑いかけてくれる。


 そんな些細な幸せで、良かったのだ。


 だから、少し寂しいけれど、教室で繰り広げられていた彼との日常の残滓を感じるために、卒業式が終わっても、帰らずにここにいた。

 それが、彼がここに来てくれて。それで、想いを告げてくれるなんて。思っても見なかった。

 だから、紀利は、今の現実を噛み締めるように感極まって上擦った声で、囁く。

「はい。よろしくお願いします」

 早咲きの桜が舞い散る中で。紀利はひとしきり泣いた後、七瀬と共に笑いあった。

 きっと、道が違おうとも、この想いの繋がりがあれば、大丈夫。

 そう信じることができた。

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