第7話 屠殺

最初の成果は、北海道チームによってもたらされた。そのチームは、自民党重鎮の息子と剣道塾の息子のペアだった。この二人は、ありとあらゆることにやる気がなかった。どんな仕事を任せても、必ず二、三箇所致命的な間違いをする。そして間違っても、平然として全く反省しない。そういうタイプだ。

二人は朝10時に羽田空港を出発し、のんびりと釧路空港に降り立った。お互い、会話はなかった。二人とも、この相手とは合わないとわかっていた。政治家のコネで会社に入った仕事のできない男と、一見しっかりしていそうで実は手抜きばかりする剣道家。どうしようもないチームだ。でもそんな彼らに、有意味な仕事をさせるのが太一の務めだ。政治家は内藤、剣道塾は田口と言った。

二人は携帯を紛失したと思われる、釧路市に住む少年(義男君)の家を目指した。空港でレンタカーを借りて三十分くらい、市内に入るとすぐ彼の家はあった。二階建の賃貸アパートが、数棟並んでいた。県道から一番奥の棟の、左端一階が彼の部屋だった。飛行機を降りてすぐに、義男君の家に電話をかけておいた。ほぼ約束の時間に到着したので、内藤と田口は車を停めて家へと向かった。義男君の姓は、池本だった。

内藤が、池本家のドアをノックした。インターホンは、見当たらなかった。しばらくすると、扉が少しだけ開いた。三十くらいの、少し不機嫌そうな表情の女性が顔を出した。

「こんにちは。MMM社の遺失物捜索課のものです。お忙しいところ、お邪魔してすみません」と、内藤が努めて明るく挨拶した。こいつは、外面だけは良く見せようとする。すぐに、正体がバレるのだが。

「どうぞ」と、女性は短く言って家の中に消えた。内藤と田口は、無言で顔を見合わせてから家の中に入った。

部屋は、狭かった。台所に小さなテーブルが置かれていて、その隣が八畳間。部屋はそれだけ。一階なので、狭い庭が窓の外に見えた。その狭い家の中に、何人もの少年少女たちがいた。彼らは何をするでもなく、家のあちこちに座り込んでいた。みんな中学生や、高校生に見えた。今は当然、学校で授業がある時間のはずだった。だが彼らは、どこにも行く気がないようだった。

三十の女性は、台所前のテーブルの椅子に座った。内藤と田口は、彼女に名刺を渡して挨拶した。彼女は座ったままそれを受け取り、ポンとテーブルの上に投げた。

「それで、義男のことで話があるんでしょ」と、彼女はつまらなそうに言った。

「はい、そうなんです」と、内藤が答えた。内藤と田口は、少し迷ってから彼女の向かいの椅子に座った。

「義男さんの携帯が、長い間通信がない状態です。基本料だけは発生していますので、ご事情を伺いに参りました」と、今度は田口が事情を説明した。

「たったそれだけ?そのために来たの?釧路まで?」女性は、本当に驚いていた。

「はい。それで、義男さんの最後の通信が、札幌だとわかりました。昨年の11月です」と田口は続けた。

「札幌?」

「ええ。ススキノのそばです」と内藤は言って、彼女に最終信号発信地点を示す地図を見せた。「お心当たりは、何かございませんか?」

「ないね」と、彼女はぶっきらぼうに答えた。「ここは、釧路なんだよ。札幌なんて、滅多に行かないね」

「あの失礼ですが、あなたは義男さんの・・・」と、内藤が言いかけた。

「姉だよ。年はだいぶ離れてるけどね」と、義男さんのお姉さんは言った。彼女は、地図から目を切った。「義男は、そう、11月に家を出て行った。それ以外、連絡もないね」

「ご心配では、ありませんか?」と田口が聞くと、「全然だね」とお姉さんはすぐ答えて笑い出した。

「むしろ、せいせいしたよ。あいつの顔を、見なくて済んでね」

内藤も田口も何も言えずにいると、お姉さんは話を続けた。

「気持ち悪いんだよ、あいつ」と、お姉さんは言った。「罠を仕掛けてね、鳥を捕まえるんだよ」

「はい?」田口が、間の抜けたあいづちを打った。

「鳥を捕まえたらね。義男は、脚やしっぽや羽をハサミで切るんだ。生きたままでね」

内藤も田口も、言葉がなかった。

「羽も脚もなくなったら、今度は腹を割くんだよ。鳥はまだ生きてるのに。あんなやつ、いない方がいいよ」お姉さんの表情が、とても不機嫌になった。気分が悪そうにも見えた。これ以上、この話をする雰囲気ではなかった。

パソコン回収の話をしたが、断られた。みんな使うから困ると。二人が明に電話をすると、「インターネットの、キャッシュファイルだけ送ってくれればいい」という話になった。お姉さんにPCを起動させてもらい、ブラウザのオプションを開いた。

「パソコンのユーザーは、使い分けされてますか?」内藤が、明に指示された通りの質問をした。

「いや、分けてないよ」とお姉さんは言った。これはつまり、義男さんのインターネット閲覧履歴が他の人と一緒に手に入ることを意味する。

内藤が明の指示通りにファイルを手に入れ、メールで明宛に送信した。とりあえず、これで仕事は終わりという気がした。でも田口が、ついお姉さんに聞いた。

「この子供たちは、どうして昼間からあなたの家にいるんですか?」

「知らないよ。私だって」と、さらに不機嫌になってお姉さんは言った。「義男のつながりで、どんどん集まるようになったんだよ」

「でも、その義男さんはもう半年もいないんですよね?」

「だから、知らないよ!」

お姉さんは、本気で怒り出した。これでは、内藤も田口も何がなんだかわからなかった。しかし彼らのポリシーは、「こだわる」とか「疑問を解く」とかいう言葉と無縁だった。彼らは全てにおいて、いい加減な人生を送ってきた。だから、わからないこともそのままにした。


お姉さんにお礼を言ってから、二人は池本家を出た。アパートから、道路の路肩に停めたレンタカーに戻った。そこで思い出したように、田口が樺島さんに電話をかけた。そして池本家での、一部始終を報告した。

「お前ら!玄関から目を離すな!」田口は、樺島さんに怒鳴られた。「車を目立たない場所に停めろ。人の出入りを見張るんだ。動きがあったら、すぐ電話しろ!」

怒鳴られた田口は、仕方なくアパートの中へ車を進めた。池本家の玄関が、かろうじて見える街路樹の脇に車を止めた。そして二人で、じっと玄関を見つめることになった。

「これじゃ、まるで張り込みじゃん」と内藤が言った。

「ホント。警察だよ」と、田口がボヤいた。彼は樺島さんに怒鳴られたので、とても不愉快だった。

「若倉さんが来てから、いろいろめんどくさくなったよな」と、田口が言った。

「まったくだな。紗里奈なんか、若倉さんに隠れて威張りくさってるし」と、内藤が返した。

「居づらくなったな」

「早く、異動になんねえかな」

相変わらずこの二人は、そろって勤労意欲がゼロだった。楽な職場なら、それがベストなのだ。

家から、15歳くらいの男女が出てきた。二人とも、池本さんの家にいた子たちだった。内藤も田口も、二人の顔を覚えていた。子供は、嘘がつけない。二人の顔は、恐怖に歪んでいた。

二人は玄関から出て、アパートの隣にある細い道に立った。そして少年が、携帯を出した。彼は数分、誰かと話した。少女は少年に寄り添って、不安そうに彼を見上げた。そんな様子を、内藤と田口は県道の路肩から眺めた。

そこへ車が現れた。軽のワゴン車だ。色は、濃い赤だ。車は少年少女の前に、急ブレーキを踏んで停まった。二人はすぐ。車の中へ乗り込んだ。赤い軽自動車は、すぐ発進した。

「樺島さんへ、電話してくれ!」田口は急いでエンジンをかけながら、内藤に頼んだ。田口は、その軽自動車を追うつもりだった。そう言われると確信した。

「一台車を挟んで追え。でも、絶対に逃がすな!」

樺島さんの指示は、田口のほぼ予想通りだった。だが、内藤はついてこれていなかった。

「おい、追っかけてどうすんだ?携帯が見つかるわけじゃないだろ!」内藤がそう訴えた。

「知らねえよ。だけど、言われた通りにするしかないだろ」割り切って、田口が答えた。

軽自動車は、すぐに釧路市外へと出た。湿原などの観光地ではなく、名所の少ない南西へと車は進んだ。次第に車は少なくなり、車を一台挟んで尾行するのは不可能になった。そこで内藤と田口は、車間距離を100m以上取って、赤い軽ワゴンを追った。

次第に左右に住宅はなくなり、寂しくなった草原地帯を二台の車は走った。ワゴン車は、かなりスピードを出していた。北海道らしいずっと直線の道を、100km近くで車は進んだ。それから前の車は、急に右へ曲がった。そこはとても細い、森の中の道だった。対向車と、すれ違いするのも難しそうだった。道はすぐ砂利道になり、山を登り始めた。左右の山肌には、細い針葉樹ばかりが、さも寒そうに身を寄せあっていた。田口は、砂利道になったところで車を停めた。

「どうする?」と、内藤が聞いた。

「こんな山道をついていったら、さすがに尾けてるとばれる」と、田口が言った。

「なら、どうする?」内藤は、全然自分で考えていなかった。

「こんな林道は、どうせしばらくしたら行き止まりになるよ。だから、あいつらは引き返してくるしかない」

「なるほどな」

「五分立ったら、ゆっくり登ろう。あとのことは、それからだ」

二人はきっかり五分停車してから、スピードを落として山道を登り始めた。日が傾きかけ、道が北側に回るとびっくりするほど暗くなった。時計を見ると、もう17時近かった。山の中は、着実に夜の準備を始めていた。

十五分ぐらい登ったところで、赤い軽ワゴンを見つけた。それは、砂利道の路肩に傾いて停車していた。内藤と田口は、わざとスピードを落とさず通り過ぎた。三分くらい先まで進んでから、静かに車を停めた。二人は、ドアもそっと開け閉めして外に降りた。そして、もと来た道を歩いて戻った。

二人とも、口を閉じていた。足音も出来る限り小さくした。ゆっくりゆっくり、でも気持ちは焦りながら、軽ワゴンのところへ戻った。いつのまにか二人とも、これから何が起こるか気になってきた。その何かを、自分の目で確かめたくなった。

軽ワゴンの前に立つと、二人は耳を澄ました。するとすぐに、人の話し声が聞こえてきた。なんと言ってるのかはわからないが、少し言い争うような早口の会話だった。

山道のすぐ下に、小さな川があった。声はそのささやかな川の音に混じって聞こえてきた。方向は上。声の主は、川の上流にいるようだ。

「行くか」

「そうだな」

二人とも、肝は座っている方だった。未知への怖れよりも、好奇心が勝った。二人は道から川岸に降りて、身をかがめた。その格好で、声のする方角へ向かった。

「俺は知らねえ」

少年の一人が、そう怒鳴るのがはっきり聞こえた。

「今さら、そんなこと言うな!」

少年より年上の男が、彼を諭すように言った。川のそばに、男の子が二人、女の子が一人いた。もうすぐそばまで来た二人は、三人に堂々と歩み寄った。

「何が、問題なんだ?」

内藤が、三人に話しかけた。田口は足元に、手ごろな棒を見つけた。1m50cmくらいの棒を広い、右手に握った。

三人の若者たちは、まさに凍りついた。まさか、こんなところに人が来るとは、思いつきもしなかったようだ。息をのんだまま、黙って内藤と田口を見た。目に怯えが混じっていた。誰も口を開かなかった。

「黙っててもいいけど」と、田口が言った。「それじゃ、帰さないよ」

田口はさっき拾った棒を、両手で握った。そして自然に構えた。若者たちは一目で彼が、鍛えられた剣術家だとわかった。

居心地の悪い、沈黙が続いた。少年二人は、ずっと下を向いていた。ふと少女が、首をひねって後ろを向いた。内藤も田口も、自然に少女の視線の先を見た。そして二人とも、度肝を抜かれた。

 河原に、1mくらいの高さの岩があった。その岩は、なぜか中央が深くえぐれていた。まるで、雪で作った「かまくら」のようだった。その内部に、人工的な石板が敷かれていた。下から、大中小と三段。石を敷くことで、浸水を避けているようだった。さらに念入りに、石板の前に観音開きの扉も取り付けてあった。

 今、その扉は左右に開いていた。中の石板の上に、骸骨が三つ並んでいた。一番左端のそれは、髪の毛が残っていた。内藤と田口は、即座に思った。「めんどくさい」と。

「違うんです。私、違うんです」少女が、大声で叫び出した。

「おい、お前も何言ってんだ!」一番年上の少年が、また怒鳴った。

「なんでも、いいけどさ」と内藤が、嫌そうな顔で言った。「黙っててくれる。キンキンうるさいんだよ」

「おい、お前。樺島さんに電話しろよ」と、田口が内藤に言った。

「ええっー!?」内藤は、露骨に嫌な顔をした。「また、俺か?」

「俺はこいつらを、見張ってるんだよ」と田口は言って、構えた棒を少し振って見せた。

「警察に、すぐ電話しろ!」骸骨を見つけたと話すと、樺島さんは即答した。

「そりゃ、そうだよな」と、内藤も納得した。

「警察に、とっとと引き継ごうぜ。その方が、面倒くさくない」と、田口も納得した。この二人は、善悪で物事を判断しなかった。面倒くさくない方が、正しい選択だった。

 三つの骸骨の両隣に、透明の瓶が一つずつ置かれていた。それは円柱形の同じ瓶で、中にビー玉が入っていた。内藤が警察に電話をしている間、田口はなんとなくその瓶を見ていた。すると、少し変なことに気がついた。ビー玉の数が左右で違うのだ。右の瓶の方が、左よりずっと上まで入っていた。

「ねえ。そのビー玉、なんで左右の数が違うの?」

 少年たちは、顔を見合わせた。今の彼らは、どう振る舞ったら自分の罪が軽くなるか?それが、一番の関心事だった。

「左が 220個、右が 284個入ってるんです」と、少女が答えた。

「なんで?」

「それが、きまりなんです」

「ふーん」田口は、もう興味がなくなってきた。

「Iris に、そうしろって言われたんです」少女は、自分のせいではないと言いたげだった。

 そのころ、樺島さんも窮地に陥っていた。


 樺島さんの相棒は、吉元といった。彼はまだ、25才である。将来これからの若者が、なぜこの遺失物捜索課にいるのか?その理由は、彼の攻撃性にあった。

 吉元は、相手が自分より弱いと、態度が豹変する。彼の同期の、大人しいタイプ。一年、二年下の後輩。彼らに、吉元は牙を剥いた。とは言っても、吉元はいじめや、暴力を振るうわけではない。プライベートに立ち入るわけでも、相手の欠点を責めるわけでもない。ただ、厳しすぎるのだ。

 仕事上の、言葉の暴力だった。吉元と一緒に働くと、彼より弱い者は心の病になるか、退職してしまった。上司たちはみんな、吉元を指導した。でも彼は、自分は間違っていないと引かない。手を焼いた会社側は、彼を遺失物捜索課に送り込んだ。

 吉元は、先輩や年上には逆らわない。冷たい目をして、大人しくしている。だから、樺島さんがパートナーならば問題はないはずだった。

 ホテルから、まず尼崎に向かった。昨日ヤクザ者が、電話に出た家だ。一番時間がかかりそうなので、樺島さんは一番最初その家に向かった。朝一番に電話をかけると、大人しそうな女性が出た。彼女は、これからの訪問を承諾してくれた。樺島さんは、その女性の元気のなさが気になった。旦那さんがヤクザで、DV被害者の奥さんかなと、彼は想像を巡らせた。

 電車の中で、吉元は一言も話さなかった。彼は無表情で、窓の外をつまらなそうに眺めていた。いったい、こいつは何を考えているのか?樺島さんは、ため息をついた。

 尼崎の駅を降りて、10分ほど歩いた。目の前に、古い作りのマンションが見えてきた。3階建で、間取りの広そうな建物だった。目指す家は、三階。信田さんという方だ。樺島さんと吉元は、エレベーターに乗った。三階で降りて信田さんの家に着くまで、吉元は無言を貫いた。

 とても痩せた二十代の女性が、応対してくれた。彼女は言葉少なに、樺島さんと吉元を家に招き入れた。二人は応接間で、コーヒーをご馳走になった。

「信田茂さんの携帯が、しばらくご利用がございません。基本料のみを、お支払いいただいております」と、樺島さんは切り出した。「茂さんと、本日お会いできませんか?」

 茂さんは、大学生だった。神戸にある大学に、通っているそうだ。

「そうですか」と、痩せた女性が乾いた調子で言った。彼女は、25才くらいに見えた。黒髪をストレートに胸まで伸ばし、質素なグレーのワンピースを着ていた。顔も細く、目は切れ長だった。でも彼女の目には、光がなかった。あらゆることに、興味を失ったみたいだった。それきり、痩せた女性は何も言わなかった。

「茂さんは、本日何時にお帰りになりますか?」樺島さんは、質問を少し変えてみた。

「・・・ぐううううう・・・」

 突然家の奥から、大きな唸り声が聞こえてきた。それは、しばらく続いた。

「・・・うううううう・・・」

「ちょっと、失礼」そう言って、痩せた女性は立ち上がった。彼女は、ー応接間を出ていった。しばらくすると、パチン、パチンと叩く音が聞こえた。その音に合わせて、「ううっ、ううっ」という苦しげな声がした。

 いつのまにか、応接間に小さな女の子が現れた。まだ、5、6才だろうか。彼女はベージュのニットに、紅色のスカートを履いていた。とても可愛い洋服だった。それなのに、その女の子の目は死んでいた。顔から感情というものが、剥がれ落ちていた。

「おじさん」と、女の子は言った。

「こんにちは。なんだい?」と、樺島さんは笑顔で答えた。

「早く、帰った方がいいよ」と、彼女は言った。抑揚の一切ない話し方だった。

「え?どうしてだい?」

「おじさんたちも、人殺しになるから」と、女の子は答えた。

 わけがわからなかった。樺島さんと吉元は、顔を見合わせた。さすがに吉元も、表情が変わった。彼は納得できないと、顔をしかめていた。

 痩せた女性が、部屋に戻ってきた。彼女と顔を合わせたくないのか、小さな女の子は部屋を出て行ってしまった。痩せた女性の、表情は変わらなかった。でも少し、髪が乱れていた。顔も、紅潮していた。

「ペットが、騒ぎまして・・・。失礼しました」と、彼女は行った。

「いいですね。大型犬ですか?」樺島さんは、鳴き声から想像して聞いてみた。

「・・・」

 奇妙な沈黙が続いた。樺島さんの質問は、宙に浮いたままやがて消えた。痩せた女性は、なぜか笑って見えた。

「茂さんは、何時にお帰りになりますか?」樺島さんは、もう一度聞いてみた。

「私には、わからないの」と、女性は急に興奮気味に言った。「ママに、聞かないと・・・」

「ママ、ですか?」女性の異様な様子に、樺島さんは驚いた。でも、彼は仕事を続けた。「それでは、ママ様はどちらかにいらっしゃいますか?」

「パチンコ」と、女性は短く答えた。

「かしこまりました。では、パチンコからお帰りになるのは?」

「午後早く、ですね。負けたらですけど」と、女性は言った。「出ちゃったら、夜まで帰らない」

「わかりました。では、15時にまた伺います」樺島さんは、いったん引き上げることにした。


「変ですよ、あの家」と、吉元は訴えた。彼は典型的な、運動不足体型だった。全身丸々と太り、身長よりも身体が大きく見えた。

「変だな」と、樺島さんは答えた。「変だから、息子の携帯が放っとかれるんだろう」

 辺りは、完全な住宅街だった。昼食を取る場所も、コーヒーを飲める店も、コンビニすらもなかった。二人は自販機でジュースを買い、小さな公園のベンチに座った。公園は、無人だった。主人のいない遊具たちは、仕方なくじっとしていた。

「どこまで、やるんですか?」吉元は、明らかに迷っていた。

「どこまでも、ないだろう。俺たちは契約者である信田茂さんと会って、契約の継続か解約かを確認するんだ」

「そんなの、建前でしょう!」と、吉元は言った。「樺島さんも太一さんも、茂さんに何かあったと思ってるんでしょ?だから契約にかこつけて、犯罪を暴こうとしてるんだ」

「ほう。何でそう思う?」樺島さんは、ニヤッと笑って吉元を見た。

「さっき聞いた泣き声、あれは動物じゃないですよ・・・。多分、人間だと思う・・・」

「なんだ?お前、怖いのか?」樺島さんは、吉元の目をじっと見た。「怖いなら、夕方まで公園で遊んでなさい。俺は、仕事をしてくる」

 吉元は、もう何も言わなくなった。


 15時きっかりに、二人は信田さん宅を再訪した。幸い、ママは帰宅していた。もう一人、若いヤクザ風の子分も一緒だった。ワンピースの痩せた女性が、またお茶を出してくれた。

 ママは、一言でいってボスザルだった。年齢は50歳以上、100kgくらいの巨漢で、髪も爆発したようなヘアスタイルだった。金髪で、派手な化粧をしていたが、肌の衰えは著しかった。クスリ常習者だろうと、樺島さんはあたりをつけた。彼女は、激しい敵意をもって樺島さんを見つめた。

「茂が、何だって言うの!」ママは、最初かけんか腰だった。

「茂さんが、最近当社の携帯をご利用になられていません」と、樺島さんは落ち着いて言った。

「ここに、茂さんの信号最終発信地のデータがあります。場所は神戸の・・・」

 吉元は、珍しく働いた。地図を広げ、茂さんの最終確認地点を指差した。

「聞いてねえよ!そんなこたあ!」隣の若いヤクザが怒鳴った。彼は立ち上がりかけたが、ママが片手を上げて制した。

「茂はね。もうここにいないよ。自分で、出ていったんだ」と、ママは言った。

「失礼ですが、あなたは茂さんのご家族でしょうか?」

「いや、古い友人だよ」と、ママと呼ばれる人は答えた。

「???」樺島さんも吉元も、ますます頭がこんがらがった。そこへ、痩せた女性が拍車をかけた。

 彼女はみんなにお茶を出した後、部屋を出ていった。でもすぐに戻ってきて、部屋の角に立った。彼女は、微笑を浮かべていた。いや、無理に笑っていた。次第に彼女は、ママのすぐ後ろに移動した。それから急に、意を決したように両手を振りかぶった。

 ママとヤクザは、背後の彼女に全く気づいていなかった。もちろん樺島さんと吉元は、彼女を見ていた。振りかぶった彼女の頭上に、鍬が掲げられたところも。それが振り下ろされ、鍬の刃がママの脳天に突き刺さったところも。


 ジャッ。


 そんな音がした。おそらく、頭蓋骨を砕く音と、脳細胞が潰れる音だ。血が真上に、噴水のように上がった。痩せた女性と、若いヤクザはママの血を浴びた。でも上へ血が飛んだおかげで、テーブルを挟んだ樺島さんと吉元は無事だった。

 一発目で、ママは絶命していた。けれど痩せた女性は、二発目、三発目と鍬を振るい続けた。彼女は、楽しそうだった。ママの頭部を破壊することが、ゲームのステージクリアの条件かのように。樺島さんと吉元は、立ち上がって逃げた。二人は、壁に貼り付いた。ジャッ、ジャッ。この奇妙な音が、部屋の響いた。ママの血や肉片が、周囲に飛び散った。

 若いヤクザが、すくっと立ち上がった。彼は気の毒なほど、うろたえていた。彼は、何も言わずに逃げ出した。この場にいて、巻き添えになりたくないのかもしれない。彼は走って、玄関から出ていった。

「うふふふ」痩せた女性は笑って、やっと鍬を壁に立てかけた。ママはソファに、でんと座ったままだった。だが彼女の頭部は、鼻から上が破壊されていた。というより、顔の上半分が消滅していた。両目もつぶれたか、どこかに飛んでしまった。

 樺島さんも吉元も、呆気に取られていた。目の前に起こったことは、まるでホラー映画の一場面みたいだった。あまりに脈絡がなくて、現実味がなかった。

「うわっ」

 樺島さんが、慌てた声を出した。ママの血が、足元まで流れてきた。彼も吉元も、急いで押し寄せる血から逃れた。

「茂に、会いたいんですよね?」痩せた女性が言った。

「あ、あ・・・、は、はい」さすがの樺島さんも、つっかえながら答えた。

「どうぞ」と、彼女は言って部屋の外へ向かった。

 樺島さんと吉元は、血を踏まないように部屋を出た。三人は、風呂場に向かった。そこへ近づくと、さっき聞いた「ううう・・・」という唸り声が聞こえてきた。

 痩せた女性が、バスルームのドアを開けた。まず、異臭が鼻をついた。腐臭ではなく、便の匂いだ。肥溜めのような臭さだった。

 鼻を押さえながら、二人は中を覗いた。バスルームには、毛むくじゃらの、大型動物がうずくまっていた。黒い首輪が、バスルーム内の手すりに繋がれていた。樺島さんも吉元も、それが人間だと気づくまでだいぶ時間がかかった。髪の毛も髭も、伸び放題の男だった。彼は裸だったが、身体痩せ細り皮膚も赤黒く変色していた。男の足元には、便が散乱していた。

「茂です」と、彼女は微笑みながら言った。「でももう、頭がイカれちゃってます。話はできないと思いますよ」

「そうですか。お話は、よくわかりました」と、樺島さんは答えた。「ひとつ、教えてもらっていいですか?」

「はい。どんなことでしょう?」

「なんでママを、殺してしまったんですか?」

「Iris です」と、女性は答えた。「Iris が、今日やりなさいって」

「・・・」

「もうひとつ、聞いてもいいですか?」と、吉元が言った。

「はい、どうぞ」

「警察、呼んでいいですか?」

「どうぞ。全部、済みましたから」と、彼女は答えた。彼女の表情は、とても清々しかった。


 初日から、あまりに壮絶な結果だった。太一は現実の、あまりの酷薄さに狼狽した。紗理奈くんや明に、事実を伝えてよいかを迷ったほどだ。いや、待て待て。それどころじゃないぞ。今日の夕方、この事件について記者会見になるぞ。社長が、事件を説明しないといけないぞ。

 太一は、A4一枚で説明資料を作った。急いで部長に連絡するとともに、部下たちを再編成して、4人のチームを二つ作った。一方のチームには、説明資料をもとに事実を伝えた。口頭で、補足もした。こちらのチームに、明と山田さんを入れた。

もうひとつのチームには、何も伝えなかった。こちらに、紗理奈くんを入れた。

「俺が席を外している間、4対4でゲームをやってくれ。説明する側と、質問する側だ」と、太一は説明した。

 彼は、さらに二人部下を指名した。質疑応答を、ホワイト・ボードにメモする役だ。二つのチームは、ボードに書かれた内容を確認する。確認して、さらに突っ込んだ議論をする。

「両チームの質問と回答を、ホワイト・ボードに書き出してくれ」と、コールセンターの一人に頼んだ。

「君は、ホワイト・ボードをエクセルに打ち込んで」これは、別の女性に頼んだ。

 これで、急ごしらえのQ&A になる。これを社長に渡す。

 準備を終えてから、太一は席を立った。A4 の資料を片手に、部長の席に向かった。廊下に出ると、樺島さんから電話があった。九州チームも、死体を発見したそうだ。この事件は、明日に回そう。太一はそう考えながら、唇を噛んだ。

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