第4話 生贄
紗理奈くんと明は、太一の命令を聞かなかった。一緒に飯田橋まで行くと言ってきかない。まあ、ここまで来たら結果が気になるよな。太一は諦めることにした。
佐奈江さんのお母さんからは、彼女の写真をもらった。「この一年の写真はないんです・・・」お母さんは悲しそうに言った。ひきこもりになったら、写真は撮らないだろう。受け取った写真は、高校の卒業式のものだった。佐奈江さんは、肩までかかる髪を自然なままに伸ばしていた。洒落っ気はなく、顔も無表情に近かった。お母さんに似た面長の顔に、細い目。低い鼻に大きな口。お世辞にも綺麗な顔立ちではなかった。
私はその写真を、樺島さんに送った。
「この女の子は、まだ見かけてないですね」と、彼は言った。
「二年近く経ってるので、今は印象が違うかもしれません。注意して見張ってください」と、太一は言った。
さて、これからどうするか?指定されたビルで、何か見つかるか?わからない。だが、やるしかないだろう。
「太一さん。犯罪者に詳しいってホントなの?」中央線快速の中で、紗理奈くんが聞いてきた。
「ホントだよ」
「なんで?」
「事情があって、大学時代徹底的に調べた。でも、得たものはゼロだったね。全然楽しくなかった」
「よかったあ」と、彼女は安堵した様子で言った。
「快楽殺人っていう世界がある。マルキ・ド・サドなんかがその典型だ。サドは知ってる?」
「サドはわかるけど、その人は知らない」と、紗理奈くんは答えた。いいんじゃない。この世に、知らなくていいことは多い。
「ねえ、佐奈江ちゃんは、なんであんなサイトばかり見てたんだろう?」と、彼女は聞いた。明も、太一の言葉を待っていた。
「一言で言えば、逃げ場所かな。専門学校で挫折した彼女は、隠れる場所を必要としたんだろう。ある人は六本木に繰り出して、ドラッグなんかに手を出す。他の人は、慢性的なアルコール中毒になる。また別の人は、日本を出て世界を放浪する。佐奈江さんの場合、それが犯罪者の世界だったということかな?」
「そうなのかなあ?」紗理奈くんは、納得がいかないようだった。
「どんな残酷な話を知り、その残酷なことを実行すると想像してもね、想像と現実は、天と地の差がある。社会と上手くやれない子供は、社会への復讐として犯罪者の世界に惹かれる。でも現実に犯罪を犯す人はほとんどいないんだ」
「佐奈江ちゃんは、想像の世界で満足してたってこと?」
「かもしれない。でも、さっきのAIとの会話から推察すると、彼女は飯田橋で何か刺激を得ようとした可能性がある」
「可能性って?」
「残虐なことを、自分の目で見たかったかもしれない。飯田橋で、誰かが誰かを傷つけるところを」
「あの Iris って、AIでしょうか?」
紗理奈くんは黙ってしまった。その代わりに、明が太一に質問した。
「俺も、専門家じゃないけど」と、太一は断った。「質問に対応する回答を、たくさん用意してるだけのシステムじゃなさそうだ。質問者の言葉を記憶して、自分のバリエーションを増やす自己学習型に思える。もしそうなら、結構金がかかるシステムのはずだ。一般の企業は、あんなものをユーザに提供したりしない。そこからは、まだ謎だな」
四ツ谷駅で各駅停車に乗り換え、飯田橋に向かった。駅について改札を出ると、樺島さんが出迎えてくれた。時間はもう、20時を回っていた。家へと急ぐ人、これから食事や酒を楽しむ人で、駅の周辺はごった返していた。
「こっから、先はダメ」と太一は、また紗理奈くんと明に言った。「そこのコーヒー・ショップで待ってなさい。明は、佐奈江さんの閲覧履歴を分析しろ。気が付いたことがあったら、後で俺に報告しろ!」太一は怒り気味に、二人に命じた。それぐらい凄まないと、二人は言うことを聞きそうもなかった。
太一の剣幕にビビってる明と、くじけず不満げな紗理奈くん。そんな二人をその場に残して、太一は樺島さんと目的のビルに向かった。
森山ビルは、都内のビルにありがちな古い鉛筆みたいなビルだった。耐震構造なんか、一切考えてない。ただ縦に、やたら長っぽそいビルだった。築40年は経っていそうだ。一階はハンコ屋。もちろん、もう閉店していた。二階から上は、貸事務所のようだった。
「念のため、手袋をしましょう」と、太一は言った。
「課長、本格的ですね」と、樺島さんは笑った。近くのコンビニで軍手を買い、二人とも両手につけた。それから、ビルの中に入った。
一階の郵便ポストを見ると、二階から四階までは本業の見当がつかない会社名が並んでいた。でも五階のポストには、表札がなかった。空き事務所に思えた。
太一は、エレベーターを使わなかった。細い非常階段を登った。五階に到着することを、「敵」に悟られたくなかった。「静かに登りましょう」と、太一は樺島さんに声をかけた。彼は何も言わずに、ニヤニヤ笑っていた。肝が座っている証拠である。
五階に上がると、部屋は一つしかなかった。鉄製の重そうなドアがあり、やはり表札はなかった。そっとドアノブをひねってみたが、当然鍵がかかっていた。
「課長、任せてくださいよ」と、樺島さんがちょっと変な笑い方をした。
彼はその場にしゃがんで、自分のカバンから15cmくらいのとても細い棒を二本出した。それは両方、太さ2〜3mmほどだと思う。樺島さんはそれを、ドアの鍵穴に差し込んだ。二本の棒を駆使して、カチャカチャと鍵穴を探った。二分くらいして、彼は鍵を開けてしまった。この人、普段何やってんだ?
「佐奈江ちゃんのためですから」と、彼は言い訳をした。でも彼の表情は、達成感で満ち溢れていた。
「ありがとうございます」と、太一は素直にお礼を言った。
さて、行くぞ。太一は慎重にドアノブをひねり、物音を立てないようにドアを少しずつ少しずつ開いた。人が通れるまで開けると、まず自分が中へ滑り込んだ。玄関に電灯はついていなかった。だが、奥の部屋から漏れる淡い光が、ここまで届いていた。太一は玄関に完全に入ると、続いて樺島さんを招き入れた。
「私は前、樺島さんは後ろを見てください」
太一と樺島さんは背中をくっつけるようにして、ゆっくりと中へ進んだ。太一と樺島さんは、玄関で革靴を脱いだ。土足で上がったら、足の大きさと靴跡でバレる可能性がある。太一は、その可能性も消すつもりだった。部屋の構造は、いかにも会社事務所といった態だった。まず仕切られた受付スペースがあり、その奥に事務所があった。物音は一切なく、人の気配もなかった。奥からの光は、とても微かだった。
太一と樺島さんは、ジリジリと部屋を進んだ。やがて光が漏れるドアの前にたどり着いた。ドアノブをひねると、今度は鍵がかかってなかった。太一は、またそおっと扉を開けた。
部屋の中は、まるでお洒落なカウンターバーみたいな暗さだった。部屋の四隅の薄暗い照明が、かろうじて室内を照らしていた。
まず目についたのは、フロアの床いっぱいに描かれた魔法陣だった。その世界の人にとっては、悪魔を召喚するための図だ。さらに室内には、様々な拷問器具が並んでいた。手枷、足枷、釘の飛び出た椅子、水車のようなもの、十字架、その他用途のわからない装置。また、壁にかけられた複数の鞭。鞭は、革製のものから、鋲がついたものまであって自慢げに飾られていた。まるで現代の、魔女狩りの現場のようだった。
魔女狩り。この暗黒の歴史についてご存知ない方のために、簡単に説明しておこう。絶対的なキリスト教社会であったヨーロッパでは、教義から外れた異端者は拷問され処刑された。古代ローマから、近現代に至るまで。そのうち、身近に魔女がいる、という民間信仰が生まれた。魔女とされるものは、女でも男でも構わない。昔の狭い社会において、異能の才能を示す者。また協調性のない者は魔女とされた。さらに、権力闘争のため、相手の財産目当てにも魔女狩りは利用された。
キリスト教徒がこんなことを考えるのか、と驚くほど残虐極まりない拷問道具が考案された。魔女の嫌疑をかけられたものは、拷問に耐えきれず魔女であることを認めた。もはや、死んだほうがマシだからだ。魔女狩りは、驚くべきことに欧米で19世紀まで記録がある。なくなったのは、本当に最近のことだ。
この部屋の主人は、間違いなくそっちのやつだと太一は思った。
「ドアに注意して、見ていてください」と、太一は小声で樺島さんに言った。
「任せてください」と、樺島さんは答えた。なんだか、楽しそうだった。
一歩一歩進んだ。なんとなく、魔法陣を踏むのは避けた。すると部屋の奥に、コの字型に引っ込んだ場所があった。なぜかそこにだけ、際立って明るいスポットライトが二つ当たっていた。不審に思い、太一と樺島さんはそこへ向かった。
まず壁に、赤い巨大な十字架があった。それはあまりにも大きく、天井まで届いていた。そしてその十字架に、少女が縛られていた。彼女は、全裸だった。
その少女は、両手を開かれて十字架の左右に腕を固定されていた。皮の手錠をされ、十字架に磔になっていた。両足も開かれ、両足首にも革製の戒めがされていた。足が左右に引っ張られ、彼女の最も隠したい場所が露わになっていた。目にはアイマスクがされ、口もピンポン球みたいな物で塞がれていた。
彼女の裸の身体には、生々しい無数の傷跡があった。ミミズ腫れもあれば、内出血しているところもあった。刃物ではっきりと切られてカサブタになった跡もあった。そんな傷が、全身に広がっていた。太一は、息を飲んだ。
彼女の陰毛は、綺麗に剃り落とされていた。ヴァギナには、ヴァイブレータが刺さって静かに動いていた。彼女は私たちが来たことに、まったく気づかなかった。彼女は頭を左に傾け、磔にされたまま眠っていた。
「助けるぞ!」太一は思わず、大きな声を出した。それを聞くか聞かないか、樺島さんは彼女のもとへ走った。
太一は、少女のアイマスクと口のピンポン球を外した。彼女は目を閉じたままだったが、佐奈江さんだとすぐわかった。樺島さんは、彼女を拘束する手枷足枷をあっという間に解いた。ヴァイブレータもさっと抜いた。やたら手際のいい男だ。営業マンより、違う人生の方が彼の才能を活かせただろう。
「逃げよう!」
太一の言葉よりも早く、樺島さんは自分のコートを彼女にかけた。朦朧として、まだ明かりに目の慣れない彼女を、太一たちは事務所の中から玄関へと連れて行った。佐奈江さんは目覚めたようだったが、足元も覚束なかった。薬を仕込まれてるのかもしれなかった。彼女はずっと、何も言わなかった。階段を慎重に降り、ビルの外に出るところで太一は左右を見た。防犯カメラを確認すれば、こっちの面は割れる。サングラスとマスクでも、しておくべきだったな。太一は、少し後悔した。
しかし、全裸にコートを羽織っただけの女の子連れだ。街をウロウロするわけにもいかない。太一たちはすぐタクシーを拾った。八王子の彼女の家まで、まっすぐ送ることにした。
まず、お母さんに「佐奈江さんを見つけました。これから彼女と帰ります」とだけ伝えた。事情を説明したら、大変なことになる。とにかく、すぐ帰るとだけ伝えた。
紗理奈くんと明にも、佐奈江さん発見だけ伝えた。そして、早く帰れと言った。彼らにも、詳しい事情は明日でいいだろう。
樺島さんは、タクシーに同乗した。「許せないですよ。こんなの」と、彼は吐き捨てるように言った。彼には娘がいる。確か、大学生だ。他人事ではないだろう。
「樺島さん。この世には、いろんな暴力がある。私は大学時代、人殺しと接する機会がありました。彼は親友でしたが、本当に少女を強姦して殺しました。彼の影響で、私は人生が変わったと思います」
「そう、だったんですか・・・」
樺島さんはそれだけ言って、言葉を失った。
私だって、十字架を背負っている。太一は、そう考えた。自分では、選びようがなかった。大学に入って川島と出会い、すっかり意気投合した。二人には、「女にモテない醜い男」という共通項があった。太一も川島も、この残酷で無慈悲な一般社会に耐えた。太一は耐えるだけだったが、川島はもっと先へ進んだ。彼が到着したのは、人であることを放棄する場所だった。
佐奈江さんは、タクシーの中でずっと眠っていた。やはり、薬かもしれない。あるいは、ショック状態かもしれなかった。彼女は樺島さんの肩に寄りかかり、目を閉じてゆっくり呼吸していた。樺島さんは全身を硬直させ、彼女の体重を受け止めていた。彼は佐奈江さん見つめ、怖いほど張り詰めた顔をした。太一はその様子を、助手席からたまに振り返って確かめた。
生贄、という考え方がある。聖書に限らず、古い時代の宗教は神に生贄を捧げる。動物はもちろん、人間の場合もある。これは世界共通だ。生贄の価値が高いほど、神に捧げる意味は大きくなる。
佐奈江さんは、生贄になる寸前だったのではという気がする。宗教家に限らず、人は形式にこだわる。私服で結婚式をするやつはいない。ウェディング・ドレスを着るだろう。
あの事務所は、佐奈江さんを神(あるいは悪魔)への貢物にしようとしている最中だったのではないか?床に魔法陣を描き、独自の宗教観をこねて、生贄の儀式を行う。同じ価値観を持った人々を集めて、盛大に行うわけだ。
もちろん、こんなことは推測に過ぎない。だが川島について考え抜いた太一は、今回の騒動は巨大な出来事の一部と思えた。その理由の一つが、 Iris だ。話してみて分かったが、あいつは簡単じゃない。よく、チェスや将棋や囲碁でコンピュータが人間に勝ったというニュースを聞くが、あれは勝負に勝つこと(報酬=得点)を目的として、過去のゲームを片っ端から記憶するタイプのプログラムだ。当然ながら、その開発には莫大な金がつぎ込まれている。資金力を持つ企業は、Iris に金を払わないだろう。あまりに倫理に反するし、何の宣伝効果もないからだ。
あるいは Iris の後ろに、生身の人間が隠れていることもあり得る。例えば Facebook の自動チャットシステムは、予想外の質問に対しては社員が答えている。 Iris の陰で、指令を出しているやつがいるのかもしれない。それも複数人で。
とにかく、わからないことだらけだ。もっと情報を集めないと何も言えない。とにかく佐奈江さんは見つかった。それだけは収穫だ。とにかくお母さんのところへ連れ帰り、真っ先に病院に行くことだ。それが最優先事項だ。
現時点で、警察は動くだろうか?無理だな、と太一は思った。彼女の傷痕を見せても、「彼氏とケンカでもしたんだろう」ぐらい平気で言うやつらだ。まったくあてにならないと思う。
待てよ。そういや、肝心の佐奈江さんのスマホは見つかってないぞ。まあ、いいか。肝心の、持ち主が見つかったんだから。太一はタクシーの窓から中央線沿線に暮らす、何百万人もの人々の家々を眺めた。それは全て猛スピードで、彼の視野を通り過ぎて行った。一人一人は、ちっぽけな存在に過ぎない。だがそのちっぽけな誰かを、何よりも大切に思う人たちがいるのだ。太一は、口をきつく結んだ。
今夜は、全ての序曲に過ぎなかった。
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