第2話 失踪した少女
始まりは、紛失した携帯電話の問い合わせだった。それは、月曜の午前中のことだった。
「太一さーん」と、オペレーターリーダーの女性が太一に泣きついた。
「どうしたの?」
「紛失の問い合わせなんですけど、そのお客さんが自分の娘の話ばかりして。そのうえ、泣いて泣いてどうしようもないの」
「なるほどね。いいよ、代わるよ」と太一は答え、点滅している保留ボタンを押して電話に出た。
「はい、お電話代わりました。私、若倉太一と申します。遺失物捜索課の責任者です」
「ひいっくっ、ひいっくっ、・・・」電話口の女性は、感極まっている真っ最中だった。
「お客さま、お客さま?」
「ひいっ、ひいっ、・・・、すっ、すみません。取り乱してしまって・・・」と、ようやくその女性は話し出した。
「まず、落ち着きましょう。時間は、気になさらないでください」と、太一は彼女に話しかけた。
「ひいっくっ、ひいっくっ、・・・」
太一は、ネクタイを少し緩めた。長期戦で構わなかった。五分も待つと、女性の泣き声は徐々に鎮まり、やがて聞こえなくなった。
「弊社の携帯電話を紛失されたとのことですが、もしかするとお子様の携帯が無くなったのですか?」そう、太一は聞いてみた。
「そう、そうなんです。というか・・・、娘もいなくなったんです・・・」
なんだか、ややこしい話になってきた。
「差し支えない範囲で、もう少しご事情を教えてくださいませんか?」
「あのっ、昨日から、娘が家に帰ってこないんです」
「なるほど」
「あのっ、うちの娘は、外泊なんかしない子なんです。帰る時間を、必ず連絡する子なんです。おかしいんです。絶対に、おかしいんです!」
それからその女性は、またしばらく泣き続けた。太一はまた、彼女の興奮が治まるのを辛抱強く待った。
「警察には、通報されたんですか?」と、太一は聞いてみた。
「もちろん、連絡しました。昨日の夜に。今日の朝、警察署にも行きました。でも、取り合ってくれないんです。『友達か、彼氏の家に泊まっているんだろう』とか言って、何もしてくれないんです!」
まあ警察は、事件性がなければ動かないだろうな。遺体が見つかったとか、大量の血痕があったとか。
「探偵事務所にも電話したんです。でも、調査に着手するだけで何十万も要求されて・・・。家には、そんなお金ありません」
興奮したその母親は、そこで一息ついた。荒い呼吸を、整えているみたいだった。
「島田さーん」と、太一はさっきの女性オペレーターを読んだ。「携帯の電話番号は聞いてるよね?」
「はい」と、彼女は答えた。
「山崎!」と、太一は怒鳴った。「この番号の、現在地点または最終発信地点を調べろ」
「はあ」と、山崎は気のない声で答えた。
「至急だ!一分で調べて、持ってこい!」また、太一は怒鳴った。山崎は、怒鳴らないと動かないタイプである。
「もしもし、お母さん」と私は母親の女性に、できるだけ落ち着いて優しく話しかけた。
「はい・・・」
「今、お子さんの携帯の現在位置、または信号の最終発信地点を調べてます。お子さんは、なんというお名前ですか?」
「佐奈江です」
「サナエさんですね。サナエさんは普段、携帯でゲームをしたり、友達とメッセージをやり取りするのはお好きでしたか?」
「はい。あの・・・、もう中毒かと思うくらい、いつも携帯をいじってました」
「そうですか・・・」太一は、小さなため息をついた。「率直に申し上げます。始終使っていらっしゃると、現時点でバッテリーが切れている可能性が高いです」
「出ました」と山崎が言って、プリントアウトしたA4の紙を持ってきた。それは地図で、紙の中心はJR飯田橋駅前だった。その線路脇に、情報発信地点を示す「◉」が大きく表示されていた。
「山崎、これは何日何時時点だ?」
「昨夜の、23時です」
「これ以後、信号は受信してないんだな?今日の、今の時間まで」
「はい、そうです」
「お母さん」と、私は彼女に話しかけた。「サナエさんは、昨日の23時に飯田橋駅前にいたことまでわかりました。理由は不明ですが、それ以後携帯の信号は受信できていない。バッテリー切れかもしれないし、電源を切ったかもしれない」
「そんな・・・。そんな遅くに、そんなところで遊んでいる娘じゃないんです」
「お母さん、弊社の登録によると、お住まいは八王子ですね」
「はい、その通りです」
「サナエさんは、普段何時頃家に帰られますか?」
「いや、それが・・・」と、意外なことに母親は困った声を出した。
「どうされましたか?」
「あの・・・、実は佐奈江は、普段まったく外出しないんです」
「失礼ですが、いわゆるひきこもりの方ですか?」
「はい、そうです」と彼女は認めた。「高校を卒業した後、専門学校に進学したのですが・・・。9月くらいからまったく学校に行かなくなってしまって・・・。だから、昨日外出するのが、1ヶ月ぶりぐらいだったのです」
さて、困ったな。太一は、知恵を絞った。我が課は、なくなった携帯を探す部署である。今回の場合、それはいなくなったサナエさんを探すこととイコールだった。
「サナエさんは、パソコンはお好きですか?」
「はい、家にいるときはずっとパソコンをいじってます。真夜中まで、ずっとです」なるほど。
「サナエさんに、仲の良いお友達はいらっしゃいますか?お母さんの知っている範囲で」
「何人かは、わかります」
「では、こうしましょう。お母さんはこれから、サナエさんの友達全員と連絡を取ってください。サナエさんが、友達と一緒なら結構です。一緒じゃなかったら、サナエさんと飯田橋駅のつながりについて、心当たりを聞いてください。そしてわかったことを、私までご連絡ください」
「わかりました」と、その母親は答えた。
「時間がかかっても結構です。ありうる可能性は、全部潰していきましょう」と、太一は言った。「我々は、携帯電話の信号を分析して、サナエさんの居場所を探します。お互い役割を分担していきましょう。それで、よろしいですか」
「わかりました。よろしくお願いします。御社だけが、頼りです。本当に、よろしくお願いいたします」と、その母親は言った。
「これじゃ、人探しじゃない!」と、オペレーターをまとめる役の女性が言った。太一は今回の件について役に立つメンバーを四人呼んだ。みんなで、ミーティング席に座っていた。
「これ、警察の仕事ですよ」と、私より年配の中年男性が言った。彼は電話通信のエキスパートだった。
「みんな、俺たちの仕事は何だ?」と、太一は右手に持ったシャーペンをクルクル回しながら言った。
「な、なくなった携帯を、探すことです」と、まだ二十代の若者が言った。こいつは、コンピュータのプログラムにやたら詳しかった。
「そうだな。なくなった携帯を見つける。そして、持ち主のお客さまへ返す。それが俺たちの仕事だ」
「それは、そうですが・・・」もう五十代後半の部下が言った。彼は販売部長まで昇格したが、自部門の売上を改竄して水増ししたため降格となった。そして今は、私の部下になっていた。
「携帯をなんとしても見つけて、顧客満足度を向上させるんだ。俺たちは、お客さまに対して最前線に立っている。俺たちがしくじれば、お客さまはもう当社の製品を買わない。他社を選ぶんだ。それをしっかり自覚して、この仕事に取り組め!」
みんな、「仕方ねえなあ」という顔をしてうなずいた。さて、それでは仕事だ。
「さあこの状況で、サナエさんの携帯の場所をつかむ方法を考えろ」と、太一は言った。
太一に命じられた四人は、両手で頭を抱え込んだ。太一は腕組みをして目を閉じ、誰かが発言するのを待った。部下に考えさせるのが、課長の仕事である。自分で何でも、決めてはいけない。
昨年、太一は致命的なミスを犯してしまった。彼はシステム課長として、全社のPC総入れ替えに取り組んでいた。肝心の機種は、親会社の調達部門が絞り込んだ三機種から一番スペックの高いものを選んだ。あまりに当たり前の選択だから、太一は上司に相談もしなかった。
しかしそのメーカーが、折り悪く全社員の携帯を当社から競合他社へ鞍替えした会社だった。PC入れ替えが始まると、営業の役員から太一の部門の役員へ「なぜ、このメーカーを選んだのか?」と、質問が飛んだ。役員会で、太一の部門の担当役員は、しどろもどろになった。会議終了後、彼は自分が受けた屈辱を部下の部長にぶつけた。上司に突然怒られた部長は、さらに怒りを増幅させて太一にぶつけた。
「スペックが一番高いんですよ。将来を見据えて当然の選択です」と、太一は平然と主張した。
「それは、君の権限じゃない」と、部長は怒りに満ちた表情のまま答えた。
じゃあ、商売上の恨み辛みで機種を選定するのかよ。アホか、と太一は思った。しかし、役員も部長もこの恨みを忘れなかった。かくして太一は、翌春に遺失物捜索課に課長として異動となったのである。
遺失物捜索課は、一言でいってダメ社員の巣窟だった。各部門で、失格の烙印を押された社員がこの課に異動となった。なくした携帯の、問い合わせを受けるくらいなら誰でもできる。この課は全部で、20人も在籍していた。仕事に対して、明らかに人員オーバーだった。だが太一も、落伍者としてここに送り込まれたわけだ。けれど太一は、少しも気にしてなかった。
iPhoneの登場により、時代はいわゆるガラパゴス携帯からスマートフォンへと移行した。当社は急いで、google社のAndoroid携帯を発売した。私なら、ガラケーの技術を生かしてTron OS を使ったスマートフォンを開発するんだけどな、と太一は思った。だが彼は、企画部門にはいなかった。会社の決定に従うしかない。
もう一つ、重要な変化があった。スマートフォンの技術により、電話会社(通信キャリア)にとって顧客の生活は丸見えになった。ある人がどこにいて、スマートフィンで何をしているのかだいたいわかる。電話しているのか、LINEのようなショートメッセージをやり取りしているのか、YouTube を見ているのか、昨日の見損ねたドラマを見ているのか、OnLineゲームで誰かと対戦しているのか。その人の恋人も当社ユーザーであれば、二人がいつどこで会ったかもわかる。相手が別の当社ユーザーとラブホテルに入れば、浮気していることもわかる。もちろん、お客さまを絞って徹底的にデータを分析すればの話だが。
太一がこの課に着任して真っ先に手がけたのが、スマートフォンを紛失したユーザの行動を「見える化」することだ。彼は直前までシステム課に属していたから、当社の大型システムの仕組みを熟知していた。そこから得られるデータがどんな形式で、何をキー(主キー=プライマリーキー)にしているかを完全に把握していた。
これまでの遺失物捜索課は、問い合わせのあったスマートフォンの現在位置か最終信号発信位置をお客さまに伝えるだけだった。課のみんなが、自分は落ちこぼれ社員だと自覚している。やる気は、ゼロである。おまけに前任の課長も、まったくこの仕事に意欲をもっていなかった。太一への引き継ぎ事項は、ほぼゼロだった。「毎日席に座って、コーヒーでも飲んでればいいよ」と、彼は真顔で言った。太一はそいつを、本気でぶん殴ろうかと思った。だが、すんでのところで踏みとどまった。
太一が取り入れたのは、お客さまの行動分析である。スマートフォンを失くすまでのその人の行動を、本人の了解を得た上でデータ分析する。スマートフォンを失くすケースの半分強は、酔っ払ったときだ。酔って家に帰って、翌日スマートフォンがないことに気がつき、太一のところに電話が入る。
もちろん、最近のアプリは「iPhoneを探す」に代表されるように機器の場所をおおよそ示してくれる。だが、所詮は数万円の機器のGPS(人工衛星を利用した測位システムのこと)だ。誤差が大きい。でもお客さまは、そこまで頭が回らない。
例えば、最後の信号発信地が失くした日の浜松町大門の交差点だったとしよう。でもそのお客さまは、その日にそこに行っていないとしよう。お客さまはパニックである。
そこで最後の信号発信に至るまでの、数時間前からの信号発信位置を分析する。太一は複数のシステムから得られるCSVデータを、エクセルのシート一枚ずつに貼り付けた。そして別の真っ白なシートに、エクセル関数を使って各シートのデータを集計した。時間を横軸に、緯度・経度を縦軸に一枚の表にまとめた。
太一は、プログラムに強い二十代の男を呼んだ。彼は、名前を白田明と言った。彼は有り余るほどの知識と才能を持ちながら、与えられた仕事にまったく興味を示さないという欠陥があった。入社後に開発部門に配属されたのに、彼は与えられた課題を放って、就業時間中に自分の趣味のプログラムばかり書いていた。それで今、彼はここにいるわけだ。
「明!」と、太一は強い口調で言った。そして彼に、自分の作った表を見せた。「これが、何かわかるな。わかったら、これをgoogle map と組み合わせろ。お客さまにわかりやすい地図を作るんだ」
「はいっ!」と、明は勢いよく返事をした。要は、接し方なのである。
明はものの一時間で、太一の課題をクリアした。さらに彼は、自分のアイデアをブレンドした。信号発信ポイントごとに、吹き出しを入れてコメントが入力ができるようにしたのである。
さて続いて、お客さまの「行動目的」の追求である。単に「失くした」だけでなく、どんな状況で、どんな目的を持って行動していたかを知ることだ。さっきの例でいくと、お客さまは横浜市金沢区に住んでいたとしよう。その人の目的は、品川で京急に乗り換えて家に帰ることだ。だがその晩、三時間ばかり有楽町のあるポイントに留まっていたことがわかる。話をよく聞くと、「中華料理屋で、学生時代の仲間と紹興酒をたくさん飲んだ」と言う。楽しくてベロベロに酔って、山手線か京浜東北線に乗ったのだ。
もうわかると思うが、お客さまのスマートフォンがあるのはJR浜松町駅の落し物係である。そのお客さまは、おそらくトイレに行きたくていったん電車を降りたのだろう。その時にホームかトイレかで、スマートフォンを落としたのだ。もちろん、本人は酔って覚えていない。大門交差点との誤差は、50m強。許容できる範囲だ。
JRは、スマートフォンの落し物を受け取ると電源を切ってしまう。失くした人がみんな電話をかけるので、とてもうるさいからだ。現在の信号が受け取れない理由も、これで説明がつく。私が原案を作り、明が仕上げたエクセルファイルは今や当課の全員が使っている。だいたいの問い合わせは、このファイル一つで解決する。
さて、目下の問題はサナエちゃんだ。彼女の行動を例のエクセルファイルに落として分析すると、彼女が八王子駅からまっすぐ飯田橋に向かったことがわかる。四ツ谷駅で中央線快速を降り、総務線各駅停車で飯田橋駅に行き、そこで降りた。
彼女が行方不明である以上、行動目的は聞けない。
「彼女はまず間違いなく、23時に誰かと会うために行動してますね」と、五十代後半の部下が言った。彼は樺島昭和(まさかず)という名だった。一度不祥事を起こしたとはいえ、彼は豊富な人生経験から物事を解釈した。さらに一度は部長まで上がったのだから、当然頭脳明晰だった。
「サナエさんは、飯田橋駅付近をウロウロしています。数値を読むと、少量のパケットの送受信を繰り返してます。誰かと、頻繁にメッセージ交換してますね」と、電話通信のエキスパートが言った。彼は、山田哲男。もう50才になるところだ。彼は、典型的な職人だった。腕はいいが、コミュニュケーション能力が著しく低い。ちょっと目を離すと、同僚とすぐケンカを始める。その癖が治らないため、彼もここにいる。
「最近の子って、はっきり待ち合わせ場所を決めないんだよね。現地に着いてから、スマホでやりとりすればいいと思ってるから」
と、三十代のオペレーターリーダーの女性が言った。彼女の名は、内山紗里奈。彼女はストレートの髪をショートカットにした、勝気な性格の美女だ。メイクも、服のセンスも申し分なし。おまけに、頭の回転も早い。だが彼女も、問題があった。すぐ上司に、反抗するタイプなのだ。頭がいいから、上司のバカさ加減をすぐ見抜く。さらに、思ったことをすぐ口にしてしまう。だからどこの部署に行っても、すぐ課長と犬猿の仲になる。困ったもんである。
太一が彼女に取った作戦は、完全平等である。若いオペレーターと話すのも、五十代の男と話すのも、彼女と話すのも一切変えない。おそらく、彼女は驚いたと思う。これまでの上司は、最初は彼女の美貌に鼻を伸ばしただろうから。
太一は、部下たちの意見を聞きながら何度もうなずいた。みんなの意見が出揃ったところで、彼は口を開いた。
「ひきこもりの彼女が、なぜ意を決して飯田橋まで人に会いに行ったんだろう?」
太一の問いかけに、しばらく誰も答えられなかった。太一は、話を続けた。
「ひきこもりの人は、他人と接することが怖くなった人たちだ。パソコンやスマホで、バーチャルに話すのはいい。だが、生身の人間と会うのは相当の勇気を必要としたはずだ。サナエちゃんに、そこまで決意させたものはなんだ?」
「それを知るには、彼女のPCの履歴を見るしかないんじゃない」と、紗里奈くんが言った。
「それだな」と、太一は答えた。
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