死せる世界を耕す者
葛城2号
前編
……目が、覚めた。
そう自覚した私が最初に目にしたのは、砂と煤で薄汚れた天井の色。そして、その天井の一部から見える、灰色の雲と赤茶色の空であった。
無言のままに、私はぼんやりとその赤茶色を見つめ続ける。穴の開いたそこから降ってきた灰色の煤を一つ掴み、指で擦る。
そこには特別な、それでいて深い意味などない。
ただ、そうやって何も考えないままに行動することが、嫌いではないから。泥と煤で汚れた己の手の色が濃くなっていくこの行為を、私は今日も繰り返していた。
「――本日の天気を確認。お早うございます、まだ出会わぬご主人様。本日もより良い一日が過ごせますよう、心から願っております」
……とはいえ、何時までも寝転んでいるわけにはいかない。
与えられた使命を全うするために、今日も私は瓦礫で作ったベッドから身体を起こす。薄汚れた床に足を付け、そしてぐるりと周囲を見回した。
塗料が剥がれてむき出しとなったコンクリートに張られた、色褪せて黄色くなったポスター。割れて破片となっているガラスが申し訳程度に残っている窓枠には、私の指先ぐらいの虫が張り付いているのが見えた。
――ひとまず、雨は降っていない。
それを確認した後、ベッドの傍に置いてある『人間用の保存食』を確認。特殊な容器にて保存してあるので腐ることはないし、私には必要のない物だが……これも、『人間』の為だ。
「……13時間前と、ほとんど差異は感じられない。作業に問題は起こらない、これより、本日の業務を開始する」
ガラスと小石を蹴飛ばしながら見えた外の景色は、相変わらずだ。昨日の夜に雨が降ったおかげで多少は見られるようになったが、見える限りの地平線にまで不毛の大地が続いている。
軽く大気を取り込んで、状態を確認。相変わらずの汚染具合にやるせなさを覚えながらも、穴が開き過ぎて原形を留めていないソファーに腰を下ろし……腰をあげた。
軽く体操をしながら、体内の異常を確認……オールグリーン。各義肢も通常通りに稼働を確認。全身の関節にも異常は見受けられず、発声装置に傍受装置にも異常はない……と。
最後に大きく伸びをしてから、下腹部の排熱口から余熱を放出する。途端、身体の中に溜まっていた熱気が一気に冷めて行くのを実感し、私は自動停止装置のアラームを切った。
毎朝毎朝繰り返さなければならないコレにはうんざりだが、仕方ない。風に乗って一緒に流れてくる、灰と煤のせいだ。
もう一度排熱処理を行いながら、私はジッと赤茶色の空を見上げる。微量ではあるものの、この灰は私の体には些か堪える。時に吹き付けられるこの灰のせいで、何度ラジエーターが根詰まりを起こしかけたか……。
所々破けたスカートをまくって、下腹部の排熱口をまさぐる。伝わって来る強烈な熱気を無視しながら、それを眼前に持っていく。指先に付着した灰色の粘土質を見て、私はため息と共にそれを壁にこすり付けた。
本来なら……本来ならば、だ。
ラジエーターの根詰まりは、直ちに点検をせねばならない緊急項目の一つである。体内にて駆動している他の重要機関に負担を掛けない為にも、特定の職員や技術者からのメンテナンスを受ける義務があるのだが……。
――周囲からの救難信号の感知……無し。
――体内駆動バッテリー……23%。
その職員や技術者が居ないのだから、どうしようもない。今日も私は、体内圧と体熱状況に気を配りながらの作業を余儀なくされることを理解し、何時もの日課を行うことにした。
視線が、部屋の隅へと向けられる。そこにあるのは、こうなる前ならば失笑を買ったであろう、不細工な玩具であり、大事な大事な装置。
灰と煤交じりの雨風が直接当たらない場所に置かれた連なる装置に歩み寄り、おもむろに操作を行う。表示された数値を確認してから、装置より伸ばしたソレを、胸部の挿入口へと差し込んだ。
……途端、身体の隅々にまでエネルギーが流れて行くのが分かった。
この感覚だけは、何度やっても飽きがこない。というより、私にとってはこれが食事だ。まるで活力そのものを注入されたような開放感に、私は軽くため息を吐いた。
私が差し込んだのは、簡易式の外部太陽光蓄電型バッテリーである。
一つでは到底出力が足りないので、20個程を直列に繋いで出力を維持し、半ば強引に運用しているオンボロだ。以前なら見向きもされなかった旧式も旧式な装置なのだが、今では金塊よりも貴重な道具である。
――ほんの五十年も前なら、子供の駄賃で買える程度の代物だったのになあ。
体内を駆け巡る刺激に目を細めながら、私はため息を吐く素振りをしてしまう。贅沢など言える状況ではないが、このオンボロのおかげで今日も命を繋ぐことが出来るのだから、何とも皮肉な話である。
だが、皮肉であろうと無かろうと、私にとって、もはやこのバッテリーは生命維持装置である。冗談ではなく、この駄賃程度の代物が私の命……私に残された唯一の生体パーツを生き長らえさせてくれているのだ。
その生命維持装置の残存バッテリー量を確認しながら、それを少しでも日の光に当たる位置に向ける。かつてと比べて、今は程に地上へ降り注ぐ光の量は少なく、この時期は特に量が少なくなってきているのがよく分かる。
それもこれも、空に広がる忌々しい灰色の煤のせいだ。
この煤は、ただの煤ではない。特殊な成分を含むこの煤は、ある一定の環境下に晒されると凝固してへばり付く特性を有し、また、各電波を阻害する役割をも担っている。
これのせいで、いったいどれだけの『人間』がみすみす『敵』に捕らえられ、同胞がこれによって……いや、止めよう。
憂鬱になりながらも、私は一つ一つ丁寧に、確実に、少しでも光が当たる方向へと向ける。どの方向へ向けても大して変わるものではないが、ほんの少しでも増えてくれる可能性を考えれば、意外と苦にはならない。
まあ、面倒だと思う時もあるが、これをしないと二日も三日も眠り続けなければならない。
しかも、最悪は生体パーツに後遺症が残る恐れがあるので、この時ばかりは自分でも自覚出来るぐらいに真剣になる。
今日はいつもより雲が出ているのでいつもより発電量は少ないが、それでもしないよりはマシだろう。
「……異常なく稼働出来ているのは5つか……駄目になったら活動時間を半分に減らす必要が出てきますね」
危惧すべきなのは発電量よりも、装置そのもの。まだ許容出力範囲なので問題は無いが、装置の稼働保障時間はとおの昔に過ぎ去っている。
今すぐ壊れるか、今日中に壊れるか、それとも一か月後になるかは分からないが、このオンボロが動かなくなるのも時間の問題だろう。
私がここに来た時は、今の倍はあった。私の活動時間も今の1.7倍は有って、もう少し自由に動き回れていた。
けれども、湿気に晒されたり、装置そのものが故障したり、崩れた瓦礫に押し潰されたり、獣に持っていかれたりを繰り返した結果、今ではこれだけしか残っていない。
後、どれぐらい活動出来るのだろうか……ふと、それを考えた私は、静かにそれを思考から消し去る。次いで、バッテリー状況を確認しながら、壁に立て掛けておいた原始的な道具……クワと呼ばれていたそれを手に取った。
「――周囲の索敵を行います」
誰に言うでも無く、私はそう呟く。来る日も来る日も繰り返したこの行為には重要な意味はあるけど、呟く理由はない。ただ、独り言が増えていることだけは気づいていた。
「――敵性反応は確認されず。また、索敵範囲内には生存者と呼べるレベルの生体反応は確認出来ませんでした」
頭の中に表示された地図を確認し、周囲数十メートルに飛ばした超音波レーダーの信号をキャッチする。これも、どうやらガタがきているようで、通常の倍近い時間を掛ける必要があった。
「……今日も、生存者はいない……か」
拭きつけられる煤程度の期待ではあるが、それでもその期待が潰えたことは残念に思う。正直、何度繰り返してもこれには慣れない。
「――それでは、予定通り通常業務に入ります」
とはいえ、何時までも落ち込んでいるわけにはいかない。ひとまず思考を切り替えた私は、起床後の日課を終えると、いつものように与えられた命令を始めることにした。
……現在、地球上に生存する人間の数は……私たちが把握している限りでも、その数は激減の一途を辿っている。それは50年前に起こった種を掛けた生存の為の戦争が原因である。
結果的に、戦いそのものは『敵の自滅』という皮肉的な最後を迎え、『人類側の勝利』という結果になった。
まだ残存している『敵』はいるものの、その数は時を経る事に少しずつ減っているらしい……のだが、それでも人類に残されてしまった代償は大きかった。
まず、人類は『ドーム』と呼ばれるシェルター内にのみ、その生存を余儀なくされた。それは、『人類』と『敵』との熾烈な生存競争がもたらした災禍であり、人間が生きるには、今の地上の環境は……厳しくなりすぎた。
特に、『敵』が私たちを相手に使用した、この時折吹きつける煤のような物質。これが、私たちにとっては猛毒にも等しいやつらの兵器である。
排熱を効率的に阻害するこの煤は、私たちにとっては死の灰に等しい。ただ、この煤以外に使用された兵器が、逆に『敵』の自滅を招いたのは……皮肉としか言いようがないだろう。
45℃以上……これが、この物質に凝固する性質を生み出す条件だ。
この物質は、生物の体内ではそれほど有毒ではない。しっかりと栄養を取って免疫を付けておけば、何事もなく尿などで排出される程度の代物である。
ただし、この物質は40年という長い期間をこの環境に晒されると、これを原因とした病気は発症する。
言い換えれば、必ず40歳前後で死に至るのだが……つまり、40歳……いや、とにかく若い内に適切な環境下においてこの物質を体内から除去すれば、ほぼ無害のままで終わることが出来るのである。
私たちにとって、厄介なのはこの煤のような物質のみ。逆に言えば、人類にとってこの煤は直ちに死を招くような代物ではない。
つまり、この物質さえ無害化させてしまえば、人類は『ドーム』から離れて地上へ出て行くことが可能となり……そう思えば、私が行っているこの作業は、とても重要で大切なことなのだということが分かる。
ただ、しかし、だ。
私に与えられた本来の役目は、その『ドーム』の救助網から取りこぼしてしまった人間……つまり、『敵』に捕らえられたままの人間に対する、『保護を含めた総合的サポート』こそが私の本来の役目である。
私たちの手によって『人類』の大半を『ドーム』に避難させることに成功したが、『敵』に捕らえられてしまったり、『敵』の手で処刑されてしまったりした者も少なくない。
私は、その『敵』から人類を救出する役目を担っている。というか、本来の役目がそちらであり、この無害化作業は私の本来の仕事ではなく、おまけみたいなものだ。
いちおう、地上に滞在している間は生存者である『人間』を探す傍ら、無害化作業に従事する決まりにはなっているが……はっきり言って、不満が無いかと言えば嘘になる。『敵』は上手く私たちから隠れているせいで近くに来るまでは分からず、ただ当ても無く時間を使うよりは……という上の意図も、だいたい分かる。
……でも、だ。
いくらやることを与えられているとはいえ、だ。元々私は、いや、私たちは、人間をサポートする為に作られ、その為の技術をインプットされた存在である。
そんな私たちが、『人間の御世話をする』という本来の役目を果たしたいと願うのは、むしろ自然な事ではなかろうか……いや、止めよう
私は……ため息を吐く素振りをした。
愚痴を言ったところで、『人間』が確認されるまでの間は、私はコレしか出来ない。現時点で私が行えるのは私がこなさなければならない命令は、ひたすらに地面を掘り返し、その掘り返した地面に日光を当てることであった。
私を含めて大多数の命を奪ったこの煤のような物質は、日の光によって無害化することが出来る。つまり、地表や土中に溜まったその物質を無害化させるには、掘り起こしたソレを日光に晒さなければならないのだ。
分かってはいるのだ。これは、とても重要な仕事であり任務でもある。
だが、実はこの作業を行うに当たって残念なことが一つある。それは、無毒化の目安というものが無いということ。
以前使用していた検査装置が故障してしまった為、一度の作業にどれぐらい無害化出来たのかが分からない点であった。
しかし、だからと言って作業を行わないわけにはいかない。
私にとって、与えられた命令をこなすのはごく当たり前の行為であり、それこそが、私がここにいる意味だからだ。
……とりあえず、今は1サイクル9時間だ。
地面を3時間かけて掘り返せる範囲だけ掘り返し、3時間程日に晒してから、また3時間かけて掘り返した面をもう一度掘り返す。これで、1サイクル。今の所は、このような手順で行っている
……かつて、これと似たような作業をさせる拷問があったらしいが、今はどうなっているのだろうか……ふと、作業を続けながら疑問を浮かべる。
煤は、作業を続けている今も時折降って来ている。赤茶色の雲が遮る日光にどれほどの効果があるのかは分からないが、それでも私は続ける。疑問があったとしても、それを止める理由が私にはない。
何故なら、この作業こそが現時点で行える私の仕事であり、ソレを考えるのは私の役目ではないからだ。
与えられた仕事は絶対で、この作業によって少しでも人間が地上を動ける日が近づくのなら……それでもいい。それ以外をする必要はないし、したいとは思わない。私は地面を掘り返す……ただ、それだけを延々と繰り返す。
とにかく掘って、とにかく晒して、とにかく掘り返す。
同じ場所にて、これを三日間かけて行うことで、ある程度の無害化が行えたと今の所は判断している。判断基準は皆無だが、そう判断しないと次の作業に移れない。
本音を言うなら一日中連続稼働して作業を続けたいところだが、バッテリーの関係上、今の私には9時間が限界であった。
おそらく、もうすぐ7時間ぐらいが限界になるだろう……これが3時間を切る様になったら、私もいよいよ終わり……か。
振り上げたクワを、下す。掘り起こした土を軽く振り落とし、もう一度クワを振り上げて、下す。25回に一回の割合で軌道を修正しながら、数百万回は繰り返したであろう作業に没頭し続ける。
誰に褒められるわけでもなく。誰に見られているわけでもなく。ただひたすら、これを繰り返す。何度も、何度も、何度も、何度も……私が手を休める時は、決まって体熱センサーの異常を知らせるアラームであった。
ちゃんとメンテナンスがされているのなら、この体熱センサーが働く前にいくつものセーフティが動いてくれるのだが、それらのセーフティもとっくの昔に故障してしまっている。
いちおうは気を付けているが、それでも3回に1回はオーバーヒート手前でこうなってしまうのは私自身だ。正直なところ、少し情けないと思っている。
「――体熱センサーが異常を感知。安全ラインまで体熱を下げる必要があり、一時的に作業を中断。放熱処理を直ちに行いますので、周辺の者は私から最低3メートル離れてください」
カシュン、と排熱口がへばり付いた煤に引っかかることなく開いてくれたことに、軽い驚き。直後、体内に渦巻いていた熱気が勢いよく排出される。立ち昇る放熱にセンサーが反応するが、私はそれらを一つ一つ無視し……体内温度の数値を見て、内心憂鬱になる。
冷却用の触媒、冷却液が底を尽いて、かなりになる。現時点では川水を代用して誤魔化してはいるが、やはり専用の溶液ではない分だけ限界が早い。
ただ、多少は布などでろ過をしているとはいえ、不純物だらけの水でこれだけ動ける辺り、私を構成している素体の優秀さをつくづく思い知らされる。
……最低でも後20分はこのまま、か。
動力部分だけとはいえ、こうまで高められた熱気をただの一度放熱したところで、たかが知れている。おまけに、冷却用のファンも煤がへばり付いて従来の効果は期待出来ない。少なくとも、動力部が30℃以下になるまではこのままだ。
……もどかしい、と思う時はある。
だが、この高温状態で警告を無視して作業を続ければ、だ。真空防壁にて外部からの干渉を抑えている生体パーツにも熱気が伝わってしまう。
この部分は最も厳重に管理されているが、絶対ではない。その可能性を無視してまで強行する必要は今の所、私にはなかった。
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