原因と結果

丸井零

第1話 太陽と地球


 稲葉(いなば)ひかりは太陽のような少女だった。幼なじみの石黒日景(いしぐろひかげ)は、彼女のことをいつも羨望のまなざしで見つめていた。ひかりは何でもそつなくこなした。テストではいつも1位。体育でも優秀で、クラス対抗の球技大会ではエース、さらにはピアノ、茶道、習字のようなお稽古まで。絵に描いたような優等生だった。彼女の存在は、周囲を明るく照らしていた。

「ひかりはいつもまじめだったもんなぁ……」

 日景は幼い頃の彼女の様子を思い返す。いつも両親や先生の言うことを守っていた。とにかくいい子なのだ。通知票には「まじめ」「優しい」以外の特徴を記されることは無かった。

 みんな彼女を太陽だと言った。太陽であれと願った。期待という名のプレス機が、何度もひかりに叩きつけられた。そうして彼女の人格は加工され、成形されていったのだった。

 彼女は、稲葉ひかりは、その期待に答え、本当に太陽になった。


 稲葉ひかりは光り輝いていた。光と熱を全方位にまき散らしていた。クラスのみんなは驚いていたが、遮光カーテンで彼女を覆うことでひとまず落ち着いた。

「ひかり、それどうしたの?」

「私はみんなの太陽でないといけないから……」

 そう語る声は、ひどく寂しそうに聞こえた。日景からはカーテンに写る影しか見えないため、表情は読みとれなかった。

 ひかりが発する光量と熱量は、日に日に増していった。もはや遮光カーテンでは手に負えなくなってしまった。プールに水を張り、そこに入ってもらうことで事なきを得た。

 やっぱり稲葉はすごいな。そう言って先生たちは誇らしげに我が校の優等生を窓から見下ろしていた。

「みんなおかしいと思わないの?」

「なにが?」

 隣の席の山田ちゃんは、今のひかりの様子を見ても何も感じないらしい。

「すごいよね〜。私にはあんなのできないよ」

 そういって羨望のまなざしを宙に向ける。その先には、ひかりが浮かぶプールがあった。


 もはや学校のプールですら手に負えなくなってきていた。ひかりの周囲の水はあっという間に蒸発してしまう。それを補う為に水を供給し続けていたが、水道代がバカにならなかった。いち学校が管理できる規模を越えてしまったのだ。

 そこで目を付けたのは電力会社だった。日本にある7社すべてから熱烈なオファーがきた。つまり就職だ。無限の熱源として、会社の為に、社会の為に働いてほしいと期待されているのだ。ひかりはその話を聞いて答えを保留にした。生まれて初めて、高校1年生にして初めて、周りの意見に抵抗したのだ。

 先生たちや彼女の両親は怒った。どうしてこのチャンスを見逃そうとするのか。せっかく才能があるのにどうして無駄にしようとするのか。

 クラスメイトたちもだんだん腹を立てはじめた。

「聞いた?稲葉、極東電力からの内定蹴ったんだって〜」

「マジで?もったいなくない?大企業じゃん」

「ちょっと才能あるからって調子乗ってるよね」

 心がぎゅうっと痛くなった。それと同時に、ひかりが悪口を言われているのを聞いて、なぜかホッとしている自分がいた。日景にとってひかりは唯一無二の親友であったはずなのに。

「石黒、アンタもそう思わない?」

「え!?ああ、そうかもね……」

「確かあいつと仲良かったよね。ぶっちゃけ嫉妬してたんじゃないの?」

「ははは、そんなこと無いよ……」

 友達として、何か言ってやるべきだったのかもしれない。少しはひかりの意志も考慮してやれと。しかし日景にはその勇気が無かった。周りの空気がひかりにとって悪い方向に流れていくのを、ただ眺めているしかなかった。自分の情けなさを嘆いた。

 結局ひかりは極東電力に就職した。クラスみんながプールサイドに集まってお別れ会をした。就職してからもガンバってね。君は我が校の誇りだ。ひかりは、知り合いなのか他人なのかよく分からない人間たちから、たくさんの祝辞を受け取った。

「ありがとう。私頑張ってくるね」

 心の底から笑顔を浮かべている人間は、果たしてこの空間に存在するのだろうか。日景は自分のことを棚に上げながら、作り物の笑顔で自分の心にフタをした。


 あれから3ヶ月ほど経ったが。ひかりは海沿いに建設されていた発電所で働いているらしい。ひかりとは今でもSNSで交流を続けている。どういう理屈なのかは分からないが、ひかりでも使えるスマホがあるらしい。

 電気代が下がったと、日景の両親は大喜びしていた。みんな感謝してるよと伝えると、ひかりは喜んでいた。

 極東電力が管理する「稲葉熱発電所」は、さらに出力を増していった。周波数を調整し、日本の他の電力会社にも電気を売り出し始めた。

 もはや火力発電も原子力発電もいらなかった。もちろん自然エネルギーのような効率の悪い手段はさらに必要でなくなった。ソーラーパネルははがされ、風車は倒され、そこに新しい工場が建てられた。電気が足りなくなる心配はなくなった。人々は余った電力を最大限利用しようと努力した。

 次は国が動いた。ひかりが生み出す電力にはまだ余裕があった。そこで、電力の一部を使って海水を電気分解し、水素を取り出すことにしたのだ。水素はロケットエンジンの材料として使われる。これを安い価格で取り出して輸出すれば、人類は宇宙に向けてさらに触手を伸ばすことができる。

 

 しかし、物事はそう都合良く進まない。

 ひかりに異変が起こった。ひかりの身体の中で完全に制御されていたはずの熱が周囲に漏れ出したのだ。過剰な熱の供給を受け、発電所は緊急停止した。

 日本から光が失われた。産業は大打撃を受けた。人々は怒りを隠さなかった。ワイドショーでは毎日この事件が取り上げられ、ひかりに批判の矛先が向けられた。ひかりの人格が攻撃を受けた。稲葉ひかりの出身地や学歴など、プライベートなことも明るみになった。

 日景が通う学校にも記者がやってきた。学校での彼女の様子などを聞かれた。日景は出来るだけひかりを擁護した。

 日景の言葉は一切放送されなかった。

 日景はひかりに連絡しようとした。彼女は他人に怒られることを極端に恐れるのだ。このまま放っておくと良くないことが起こる気がした。しかし、SNSにも電話にもメールにも返事は無かった。

 極東電力の事業所に駆け込んだ。ひかりと話をさせろと怒鳴り込んだ。しかし相手にされなかった。友達の言葉なんかなくても、メンタルヘルスの専門家に任せておけばよいと言うのだ。

 何も知らない他人にひかりの何が分かるというのか。それでも、日景に出来ることはもう何もなかった。ただ、ひかりの心が無事なことを祈るしかなかった。

 

 最悪の事態が起こった。ひかりは二度目の暴走を起こした。それは一度目よりも深刻なものだった。

 ひかりの制御を離れた熱は辺りを焼き尽くし、融かし尽くした。まず発電所が炎に飲み込まれた。続いてその周囲にあった森林が飲み込まれた。

 懸命な消火活動が行われた。しかし消防車では歯が立たなかった。自衛隊がヘリコプターで海水をすくい上げ、直上から投下した。しかしひかりにたどり着く前に全て蒸発してしまった。

 もはや業火は一ヶ月経っても収まらなかった。日景は街から避難していた。

「ひかり……大丈夫かな」

 ひかりが就職するとき、どうして止めることができなかったのか。いや、できなかったわけではなかった。自分の意志で、引き留めないという選択肢を選んだのだ。まぶしい存在がずっと隣にいるという状況は、日景が自覚していた以上にストレスになっていたのだ。 

 ひどい話だと思った。ひかりは、日景の本心を見抜いていたのかもしれない。だから文句を言わず、就職することを選んだのではないだろうか。

「私が……行かないと」

 

 もうひかりは死んでしまったのだと思われていた。稲葉ひかりの話題はタブーになった。

 当初はほとんどの報道機関が稲葉ひかりのことを糾弾していた。しかし、極東電力がひかりの死亡を発表すると事態は一転した。

 命尽きるまで日本中を照らし続けた英雄として、稲葉ひかりは祭り上げられた。ここでやっと、日景が話した言葉が報道された。

「ひかりは大切な友達です。いつも他人の為に笑顔で頑張っているんです」

 テレビから流れる加工された自分の声を聞いて顔をしかめる。他人の為に笑顔で頑張っている?ただ頑張らされているだけだ。他に生き方を知らないのだ。

「でも、過度に期待されたら怖がっちゃうので、あんまり大騒ぎして欲しくはないですね……。稲葉ひかりは、一人の人間なんですから」

 誰も彼女を人間としては扱わなかった。自慢の子供として。優秀な生徒として。価値のある人材として。最期は、悲劇の死人として。ただ消費されるための存在だった。

 自分の生き方に悩み続けた現代の若者として、進路に悩む学生達の心の拠り所となった。中には、ひかりの真似をしようと焼身自殺をする者も現れた。一種の社会問題と化し、稲葉ひかりのことは一切報道されなくなった。

 彼女がいたという事実すら忘れられていった。稲葉ひかりは過去の人になった。


 石黒日景は、ひかりの死を信じてはいなかった。旧稲葉熱発電所の半径10キロ地帯は、今でも消えない炎に包まれている。きっとあの中にいるはずだ。

 日景は炎の壁を前に立ち尽くしていた。立ち入り禁止の鎖をまたぎ、フェンスを越えたその先には、ただ絶望だけが横たわっていた。

「ひかり……?」

 日景の呼びかけに答えるように、炎が揺らめく。パチパチと火の粉が舞い、点滅する。試しに手を近づけてみる。

「あっつ!!」

 当然のように熱さと痛みが日景の神経を駆けめぐる。

「ひかり、お願い。話をさせて?」

 持ってきた2Lのペットボトルのキャップを開ける。中に入った水を、バシャバシャと音を立てて自分の身体に浴びせかける。最期の一滴までふりかける。

 空になったそれを、恐ろしい炎の中に投げ込んだ。ぼうっと燃え上がり、融け落ちた。ごくりと生唾を飲み込む。

 煉獄に右足を踏み入れる。熱い。しかし、耐えられる。左足も踏み入れる。さらに熱い。でも耐えられる。

 日景は炎に包まれていた。目を真っ赤な手のひらが撫で、肺の中に熱風が進入した。もう何も見えなかった。何も聞こえなかった。何も喋らなかった。

 声が聞こえた気がした。ひかりの声だ。歩いた距離のことを考えると、近くにひかりはいるはずはない。それでも、ひかりが泣いている声がかすかに聞こえる。

 視界の中に、ぼんやりと一人の少女が浮かび上がった。あれは小さい頃のひかりだ。小学校のテストでいい点を取れず、母親に頭を叩かれていた。ひかりは目に涙を浮かべていた。彼女の口元が「ごめんなさい」の形にうごめく。

 また別の姿が浮かび上がってきた。テストが返却されている。ひかりは満点だったようだ。先生から、クラスのみんなから誉められている。しかし、浴びせかけられる誉め言葉も、どこか投げやりなものだった。稲葉なら当たり前だ、そういう空気がすでに出来上がっていた。

 母と先生、そしてひかりによる三者面談の様子が映し出される。ひかりは喋らない。ただ愛想笑いを浮かべているだけだ。どんどん話が進んでいく。この成績ならあの大学も目指すことができる。あの学部も夢じゃない。ひかりの存在は、三者面談の場では無視されていた。

 それでも、彼女にはそれしか生き甲斐が無かったのだ。だから嫌な顔一つせず、嫌に感じようものなら自分を呪い、向けられた期待に答え続ける。カッコウに托卵された親鳥のように、他者から押しつけられた理想像を初めから自分が持っていたものだと勘違いし、後生大事に育てているのだ。

 嗚咽が聞こえた。炎の中でひかりが泣いている。人一倍努力して、人一倍皆のために頑張っているのに、誰よりも報われない。そんな現実についに気づいてしまったのだ。彼女は壊れてしまった。皆の太陽であることに、意義を見出せなくなってしまったのだ。

 

「ひかり」

「日景ちゃん……?」

 いつの間にか、ひかりの目の前まで来ていた。

「日景ちゃん、来てくれたんだ」

「ごめん。私、こんなになるまで放っておいて。友達なのにっ……!」

 身体にまとわりつく炎をすべて受け入れながら、日景は謝罪を口にする。

「いいのよ。日景ちゃんは悪くない。でも、私はもう頑張れない」

「頑張らなくていいよ」

「太陽を続けるなんてもうできない。他に何をすればいいのか分からない。私は今まで何をやってきたの……?」

「落ち着いて。落ち着いて?ね?」

「みんな自分のやりたいことを見つけてる。努力してる。私だけが、私だけが立ち止まってる。私だけが!」

 辺りの温度が急激に上昇する。赤から青へと、炎の色が変化する。怒りと悲しみが混じり合い、揺らめいていた。

「違うよ。みんな悩んでるよ。これでいいのかって。このまま進んでいって間違っていないのかって」

 ひかりの悩みは、ひかりだけの悩みではない。事実、ひかりの様子を見た少年少女が立て続けに焼身自殺を起こしている。自分の生き方に自信が持てなかったのだ。人の言うとおりに生きていたら、急に自分で生き方を考えなくてはならなくなる。絶対に安全だと思っていたレールは、途中で朽ちて途切れていた。

「自分の炎で自分を焼いてしまおうと思った。でも出来なかったの」

「そんなことしなくていいんだよ。お願い、正気に戻って」

「正気よ。今の私は正気なのよ。正気に戻ったから悩んでいるのよ。私を助けて」

「助けるよ。助けに来たんだから」

「ありがとう。でも私は疲れちゃった」

「……そっか」

 日景は、この場所に来た理由を思い出していた。ひかりのことを本気で心配していたのだろうか。もちろんそれは事実だ。しかし同時に建前だった。ひかりも疲れてしまったのだ。先の見えない自分の未来に。やりたいことが見つからない人生に。

「一緒に終わらせようよ。こんな馬鹿らしいこと」

「いいの?あなたにはまだ……」

「私はもうとっくに死んでるようなものだよ」

 それは心からの叫びだった。

「最期ぐらい、好きに選びたいよ。好きな人と一緒にいたいよ」

 意識して、ひかりが喜んでくれそうな言葉を選ぶ。

「ありがとう、日景ちゃん。でも本当にいいの?」

「いいに決まってるよ。こんなことになるまで助けられなくてごめん」

 ただの罪滅ぼし。それでも、ひかりは喜んでくれている。

「最期に私に会いに来てくれて、それだけで嬉しいよ。ありがとう」

 満足そうなひかりの表情を見て、ここに来て良かったと思った。日景にとっても、満足な結末だった。ただの自己満足かもしれなかったけれど、それは日景が自分で選んだ納得できる結末だった。

 ひかりが、日景を抱き寄せる。身体が熱かった。視界が真っ白になった。もう言葉は必要なかった。


 炎は消え去った。発電所の跡地では、白い光が煌々と輝き続けた。ある科学者は、それを白色矮星と呼んだ。寿命は果てしなく長く、人類が滅んでもまだ輝き続けているだろうと言われた。

 人々はまた、新しい太陽を探し始めた。

 



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