俺だけの十篇譚

時任西瓜

お手伝いAI、リンドバーグさん

「よし、終わった……」

 目の前の画面に広がる文字の海は、小説投稿サイト、カクヨムの三周年を記念した大会に応募するための作品だ。俺は物語にピリオドを打ち、つかの間の全能感に浸っていた。

今日は三月三十一日の日曜日、十日間に及んで開催された大会の最終日。俺は皆勤賞を目標に、時には締め切り前一時間で仕上げるという、死の行進デスマーチを経験したり、時には睡眠を忘れて執筆し続け、バイト中にうとうと船を漕いで怒られたり……壮絶な日々を過ごさせてもらった。

しかし、短編でお題も提示されているとはいえ、こんなにハイペースで小説を書くこと自体が初めての体験だった俺は、十日間を走り抜けられたことに心から喜びを感じていた。

「あ、タグとかも確認しないとか」

 投稿前の浮ついた気持ちは、うっかりミスを誘発する、俺は小説本文も確認しながら作業をしたかったので、画面上に別のタブを開き、作品編集のページを開いた、その時だった。

「わあ、ごちゃごちゃした文章ですね!」

「失礼な……って、うわあっ!?」

 突如聞こえた批評についツッコミを入れてしまったが、今この部屋には俺しかいないことを思い出して、ほぼ反射的に叫ぶ。

しかも、女性の声ではあったが俺の母親とは全く違う、見知らぬ声だ、朝のニュースで取り上げられていたストーカー事件が脳裏をよぎる、自宅内に侵入し、クローゼットや屋根裏に身を隠して、無防備になったところを襲うのだ。スウェット姿でパソコンに向かう俺は、まさに無防備だったろう。身の危険を察知し、部屋の入り口までよろけながらも逃げる。

「な、何だ、今のっ」

 ドアノブに手をやってから、部屋を見回すも、人などいない、クローゼットを見るも、開け閉めした形跡はなかった、部屋には何一つ異変はない、いや、一つだけあったのだが、それは俺の部屋ではない。

パソコンだ、画面の中に人形くらいの大きさの人影がある。ドッドッド、心臓の音がうるさい、俺は恐る恐るパソコンに近づき、その目を疑った。

人影の正体は、白のワイシャツと、鮮やかなミントグリーンのスカートを身につけた美少女だったのだ、大切なことなのでもう一度言おう、美少女だ。

美少女が目の前に現れる、そんなライトノベル的美味しいシチュエーションに、驚愕や恐怖という感情から早まっていた心拍が、次第にときめきで高鳴る、そんな感覚に変わっていく。が、世の中はそんなに甘くはない。

「『友の言葉に爆笑した』って、これ、そんなに面白いセリフですか?」

「うっ」

「この浮かべるって表現、さっきも使っていましたよね、他にないんですか?」

「ぐうっ」

彼女はこちらに背を向け、画面上の俺の小説を眺めながら、悪意はないのだろうが、時折振り返っては素直な批判をズバズバとぶつけてくる。ミントグリーンのキャップの下からのぞく、淡いミルクティーの髪色とは対照的な、ブラックコーヒーのような厳しい苦さが、メンタルのひ弱な俺には耐えきれない。

「あ、あの、そこらへんにしてもらってもいいですか」

 ただでさえ、完成したての作品に意見されるのは胸に刺さるものがあるのだ、謎の美少女と対話ができるかは分からなかったが、話しかけてみることにした。

「あ、お手伝いはよろしかったですか?失礼いたしましたっ」

「お、お手伝い?」

 今の全力右ストレートのような批評がお手伝いなのだろうか、俺が訝しげにおうむ返しをすると、彼女はつらつらと言葉を紡ぎ出す。

「はいっ! 私は作者様方の小説執筆を応援するべく生まれた、高性能なお手伝いAI、リンドバーグと申しますっ」

 バーグさんって呼んでくださいねっ、と語尾に星がつきそうな明るさで、彼女は自己紹介を終えた、AIなら、パソコン画面にいてもおかしくはないのか、とやや自分を丸め込む形で、納得しておく。

「その、バーグさん」

「何でしょう?」

バーグさんはぴかぴかと眩いほどの笑顔を浮かべて俺を見てくる、感じる必要なんてないのに、罪悪感が募る、それでも、伝えなければならない。

「この小説はもう完成してるんです、だから、お手伝いは……」

バーグさんの笑顔が、一瞬曇り、また笑顔になる。その曇りを察知させないように作った笑顔だってことぐらい、俺にもわかる。

「そう、なんですね。いやあ、締め切り前にきちんと作品が上がることは、いいことです、おめでとうございます、作者様!」

 笑っているのに寂しげだ、俺は、すみません、としか言えず、何で謝るんですか、とバーグさんにまた気を遣わせてしまう。

「……作者様。作者様は、この作品、好きですか?」

 突然の問いに、俺は目を見開く。批評をした後にその質問は少しずるい気もするが、俺は答える。

「……もちろん」

 嫌いだったら、千二百文字以上も書かないだろう、いや、きっと書けない、好きだから、ここまで来れたんだ。

「小説を書くのは、楽しいですか?」

 間髪開けずに、バーグさんの次の問いが飛んでくる、今度は、書くことが楽しいか。そんなの、決まっているだろう。

「ああ、すっげえ楽しい」

 俺は自信を持って頷いた。

たった三日間でお題に沿った短編を書くなんて、無理だと思っていた。稚拙な文章と、ありきたりなストーリーしか生み出せない自分が恥ずかしい時もあった。

それでも、コメントがついたり、評価をされたり、俺の小説が誰かの心を動かしたんだ、そう感じられる瞬間が、楽しくてたまらない。俺の答えに、バーグさんは今までで一番の笑顔を浮かべた。

「バッチリです、でも、その前に」

 突然の眠気に意識が遠のいていく、抗うことはできなかった、ゆっくりと体の力が抜けていく。ぼやける視界の向こうで、バーグさんはぴかぴか満点の笑顔で俺に手を振っていた。




 ピピピピ、甲高い電子音で俺は反射的に起き上がる、勢い余って膝が机の底面に当たり、悶える。

「ね、寝てたのか……」

机の上にはパソコンと、鳴り響くスマートフォン。音の主はアラームだ、時刻は十一時五十四分。そうだ、予め締切りの五分前に設定しておいたんだったか。

「って、まだ投稿できてないし」

 危ない危ない、と俺は慌てて本文やタグをざっと見直す、お題はカクヨムのキャラクター、カタリィ・ノベルかリンドバーグを描くというもの。俺はカタリィの冒険譚を書いたのだが__そういえば夢を見ていたような気がする。記憶に靄がかかったように、内容が思い出せない、まあ、さして重要ではないのだろう。気にすることなく、本文右上の公開ボタンをクリック、今すぐ公開を選択する。

「よし、完璧だ」

 時刻は十一時五十七分、無事に投稿ができたことを確認してから、ふう、とため息をついた、肩から力が抜け、椅子の背もたれに寄りかかる。

長く、重厚な日々だった。俺の小説は決してバズった訳でもないし、表彰された訳もない、そこそこの伸びだ。それでも、千二百から四千までの文字を羅列し繋げた、意味のある物語を、俺だけの力で十篇も作り上げたのだ。

書き上げて力尽きて眠るなんて、文豪みたいでかっこいいじゃないか、幸いにも今日は日曜日、午後はゆっくり過ごすこととしよう。

「ラーメン屋でも行こうかな」

 ぐうぐう、と空腹を訴える腹をさすりながら、パソコンの電源を切り、スマホ片手に自室を出る。

「お疲れ様です、作者様」

 消えかけの画面から語りかける少女の姿には気がつくことなく、ドアを閉めた。

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俺だけの十篇譚 時任西瓜 @Tokitosuika

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