電話帳協奏曲

たつおか

電話帳協奏曲

「大変だよ、トリさん! バーグさんが……バーグさんが壊れちゃったよ!」


 血相を変えてそう伝えてくるカタリを前に、トリもまた疑問に同じ言葉を繰り返してはバーグの元へ飛んだ。

 直立姿勢のまま仰向けに硬直したバーグは、目を皿のように見開いては歯を食いしばりと、元の淡く儚げな美少女の面影などは微塵として見られない。

 ただひとつ……


「スズキ・イチロウ……スズキ・カズキ……スズキ・カズマ………ピーガガー……」


 うわ言のようノイズ交じりに何者かの名前らしきそれを繰り返すバーグ。


「どうしてこんなことに……? もしかして誰かに襲われでもしたのかな、バーグさん」


 その枕がみに座り込んでは、彼女の変わり果てた姿を哀しむカタリをよそに、トリはバーグの傍らに転がる一冊の本を見つける。

 もしかして──などと思いつつその元まで飛ぶと、手……否、翼にしたその本へ目を走らせ、


『カタリよ……どうやらコレが原因のようだぞ』


 トリはバーグの変調の原因がこの本にあることを確信した。

 思わぬ真相を告げてくるトリの言葉に顔を上げては、カタリもまたその元へとバーグを飛び越えて近寄る。

 左右を見開いて地に置かれたその本──黄色を基調とした表紙に黒のアクセントのそれは、もはや武器にも使えるのではないかと思えるほどに重く分厚い。

 加えて紙質は極薄で、それがこの重量になるほどに重ねられていると考えるに、そのページ数も800以上はくだらないだろう。


「これが原因なの? なんなのこれ……?」


 改めてそれを覗き込んだカタリはしかし、一目にしてその本の内容と存在意義を悟った。

 そしてそんなカタリの理解を確認するよう、トリもまたその本のタイトルを読み上げる。


『そう……「電話帳」だ』


 紙面びっしりに、50音順に様々な人名と電話番号の記載されたページを弄びながらトリも頷く。


「これが原因なの? どうして電話帳を読んだだけでこんなになっちゃってるのさ?」


 一方のカタリはそれを知らされてもなおバーグ変調の理由が分からない。

 それを解説するべくに、


『すべては、彼女の「自律支援機能」の優秀さが故さ』


 翼を一打ちし、トリは電話帳からバーグの元へ一躍するとそこから彼女の瞳を覗き込んだ。


『彼女の本来の役割は「書き手」のサポートだ。提示される作品を読み、書き手の向上心を掻き立てることを目的としたお手伝いAIこそが「リンドバーグ」だ』


 そのことが電話帳とどう関係があるのかを尋ねようとするカタリに先んじてトリも続ける。


『ゆえにバーグはあらゆる活字を読み解いて、そこにある物語や文章の長所を探し出そうとする。しかしながらこの電話帳は、あいにくと物語なんかじゃない』


 再び一躍すると、今度はカタリの頭の上に留まる。


『意味のない文字の羅列だったならば、彼女もこれが物語ではないことを察したであろうよ。しかしその一冊が電話帳であったことが不幸であり、またこんなトンチキな状況を生み出す結果となった』

「さっきから前置きが長くて、トリさんのお話は先が見えないよ」

『それでは困るなカタリよ。「詠み人」がそんなことじゃ先が思いやられる』


 カタリの頭からも降りると、トリは再び電話帳の前へと小刻みにステップを踏んだ。


『電話帳のミソはな、そこに「人名」が羅列されているということだ──すなわちは無数の「キャラクター」が登場しているんだよ』


 依然として電話帳を見下ろす姿勢のまま、目尻に移動した眼球が視界の端にカタリを捉えた。


『キャラクターが存在する以上、バーグにとってのこれは歴とした「物語」なのさ。そして自律支援機能はこれら無数のキャラクターが登場する物語を読み解こうとした……』


 その段に至り、カタリも真相の片鱗を垣間見た気がした。


『誰が誰とどう繋がるのかと腐心して、徒にキャラクターを一時記憶の領域にインプットし続けた……その結果のオーバーロードさこれは』

「じゃあどうやって治すっていうの?」


 バーグ倒伏の理由を知ったはいいが、その治し方を計りかねてはカタリも尋ねる。


『確たることは言えないが、もし私の予想通りなのだとするなら……一度この電話帳に関する記憶領域をリセットしてやる必要があるな』


 トリは鹿爪らしく応える。


「どうやってさ?」

『具体的に言うなら、新しい物語を聞かせてやると言い。しかもそれは、過去に既読された噺などではなく「新たな物語」である必要がある』

「新しい物語? でもそんな急に新しい本なんて持ってないし……」

『カタリよ……』


 トリは一言その名を呼ぶと、改めてカタリを正面に見据えた。


『君の左目は何の為にある? その「詠目(ヨメ)」は、こういう時にこそ使うものなんじゃないか?』


 トリからの言葉にカタリもまた思い出したように頓悟する。


『とっておきの物語があるじゃないか。登場人物は二人……活発で、自分の作った物語を必要としてくれる人に届けたい少年と、そしてひたむきにそんな少年の創作を支援してくれる機械仕掛けの少女の物語が』


 トリにそう諭されると、カタリはどこか照れたような笑顔を無邪気に浮かべた。


「二人じゃないよ、三人だ。トリさんだってこの物語の重要人物なんだから」


 そうして横たわるバーグの顔を見下ろすと、カタリは彼女の瞳をまた見つめる。

 朝焼けのような琥珀に輝く瞳には誰でも無いカタリが映っていた。


「バーグさん……君の為に作るよ。君に捧げる」


 そしてカタリは、瞳に写る自分自身に対して「詠目」を展開させる。

 途端──カタリの脳裏に物語が紡ぎ出された。


 彼女バーグとの邂逅やトリとの出会いがこの物語の冒頭を飾り、三人で過ごした日々の記憶が様々なイベントを彩った。

 その中に組み込まれる喜怒哀楽は狂想曲の如くに物語を弾ませ、いつしかそれを詠われていたバーグの瞳にも、思い出すかのように感情の光が満ちていく。

 ついには、


「………よく、作られてますよ……」

「──バーグさん!?」


 念仏のように唱えられていた姓名の羅列が止み、バーグの唇は初めて感情の発露を見せた。


「トリさんのキャラクターが少々弱くて安定しませんが……すごく素敵な物語だと思います。もっと……もっと聞かせてください」

「いいよ! でもまだまだ続くよ? だってこれは、僕達の物語なんだから」


 告げられるカタリの言葉に、ついにバーグはいつもの柔らかな笑顔を取り戻していた。

 その後も止めどもなく今日までの物語を聞かせるカタリの傍ら……


──私の選択は、やはり間違えてはいなかったよカタリ……


 トリもまたその物語に聞き入りながらふとそんなことを考える。


──世界中の人々の心を救う究極の物語……その『至高の一篇』を紡ぐのはやはり君だ。いや、君でなくてはならない。


 カタリが語る今日までの物語は同時に、トリの初志もまた再確認させる効果をもたらせていた。



「いつか本当に辿り着こう。君達となら、それが出来る」



 思わずそんな言葉が無意識のうちにトリから漏れた。

 そして奇しくもその台詞は、カタリの物語の締めとしてピタリと当てはまった。

 そのあまりに見事な符合に、当の語り手であったはずのカタリでさえもがその一瞬、言葉を無くして目を丸くした。


「すごい、トリさん! バッチリのセリフだよ」

「素敵です。あなたの見た目からは信じられない素敵な一文でした」


 バーグの不調をきっかけに物語は始まり、さらに彼女を助ける為にカタリがその物語を紡ぎ、そして最後にはトリの一語が締めくくる──三人の物語(コンチェルト)が名実ともにここに完成した瞬間だった。


「せっかくなんだから、この物語にはちゃんとした名前を付けたいね」

「私のご迷惑から始まってしまったお話というのはちょっと恥ずかしいですけれど、何かいい題名はありませんかトリさん?」

「私も決めるのか?」


 暫し三人は頭をつき合わせて考える。

 そして今回の一件における、そもそもの原因を突きとめることにおいて三人の思考は一致した。

 それこそは──


「電話帳協奏曲……なんてどうかな?」


 カタリの発案に始め、トリとバーグは揃って笑い声をあげた。

 しかしそのタイトルが浸透していくにつれ、もはやそれはこれ以上に無いようにも思えた。


「素敵だと思いますよ。カタリさんらしい安直なタイトルで」

「しかしながらシンプルさは大事だ。カタリの単純さが吉と出たな」

「本当に褒めてるの二人とも? ──じゃあ決まり、ね。よーし書くぞー!」

「あの……私が電話帳を読んで昏倒したくだりは『謎のシステムエラー』くらいにしておいてくださいね?」


 盛り上がる二人を前に、トリは小さく鼻を鳴らし天へ飛翔する。


 我ながらと自嘲しながらもしかし、新たな物語の創作に携われたことへ柄にもない感動を覚えている自分がトリには意外だった。

 そんな照れを誤魔化すようさらに高くへと翼を打つ。


 空高くに飛翔して見下ろせば、広い世界にはカタリとバーグが二人きり──否、



「いつか本当に辿り着こう。君達となら、それが出来る………か」



 それを見下ろす自分の、三人だけの世界(ストーリー)が今ここにはあった。




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