死の間際に見えるセカイ
くれそん
第1話
生まれてこのかた病院の窓から見える場所が僕のすべてだった。小さい頃はそうでもなかったらしいんだけど、気が付いたら病院に寝泊まりするようになっていた。
僕の病室からは少しだけ大きい公園が見える。そこでは晴れても曇っても、暑かろうと寒かろうと小さい子供が走り回っている。時々加減を知らない子供の声が、ここまで届くこともある。昔はお母さんが窓の外の子供を見ながら、あなたもいつかあんな風にって言っていた。でも、もう窓の外を見ることもしない。むしろ、窓の外の光景が目に映るだけで、本当に悲しそうな目をするから、お見舞いに来てくれたときはカーテンを閉めるようにしている。
最近、お母さんとお父さんの表情がさらに暗くなった。体調が悪い日が増えてきたし僕もそろそろなのかもしれない。でも、寂しくなんてない。隣の病室の誠くんもいつもニコニコしていたみっちゃんも待っていてくれるって約束したから。
翌日、お母さんとお父さんが朝早くから病室に来ていた。ここ数年見ることができなかった笑顔で、「よかった」とか「治る」とかしきりに繰り返していた。先生が言うには、僕の悪い心臓を取って、健康な心臓に変えてくれるらしい。
でも、僕は知っている。その心臓は誰かが死んだから僕のところに来たということを。
その日からしばらく苦しい治療の日々が始まった。僕の体が心臓を自分のものだって理解するための治療なんだって。そんな治療を終えて、やっと自分の部屋に帰って来たとき、僕は別の胸の苦しさに覚えていた。
そんなある日、先生がもう大丈夫ってニコニコ話していたとき、丸いコロコロした何かが床をゴロゴロと転がってきた。先生がトリみたいだけど、こんなんじゃ飛べないよねって言いながら、僕に渡してきた。不思議な感触だけどぬいぐるみみたいで可愛いってつついていると、見たこともない男の子が病室に入ってくる。
「もう、こんなとこにいた」
むんずと乱暴に丸い物体を掴むと、カバンの中に無理くり押し込んでいた。
「んん? 君に必要なのはこれかな」
そんなことを言いながら、トリの代わりとばかりに本を無理やり握らせてくる。
「なんですかこれ?」
「読めばわかるさ!」
変な子だと思っていると、そのままお邪魔しましたと元気な挨拶だけ残してどこかに行ってしまった。受け取った本は、丁寧な作りなのに、不思議なことに著者も題名も書いていなかった。
唐突に本を押し付けてきたことを不審に思いながらも、惹きつけられるものがあって自然とページをめくっていた。物語の書き出しはこうだった。
『僕は誰かの役に立つ人間になれるか?』
そう思ったのはいつだっただろうか?
お父さんが医者だったから?
お母さんが助産師だったから?
どっちも違う。僕の二十近く上の兄が、発展途上国に行ったときだろう。
兄は医療従事者として、アフリカの病院へ行った。そこで見たものについて兄は多くを語りはしなかったけど、きっと僕の想像もできないものを見てきたのだと思う。行っていた数年の間に顔つきが全然変わっていたから。
僕はその兄に憧れたのかもしれない。いつか、僕も誰かの役に立てるようにって。
でも、そんな思いを抱きながらも、幼い僕は誰かのための何かを全然できていなかった。
そこからしばらくは、他人の役に立てるって何を指すのか。そもそも誰かのためにやったことが、他人を傷つけたり余計なお世話になることがないのか。善意の押し付けが一番たちが悪いって聞いたとか、グダグダグダグダとどうでもいいことがぐちゃぐちゃと書きつらなられていた、
五体満足で元気に動き回れる体がありながら何を言っているのかって、どうしようもなく腹が立った。自由に動ける体があれば何だってできるだろって僕は読みながら思った。
それでも本を閉じなかったのは、この先に彼が見つけた他人の役に立つ「何か」が気になったからだった。
ある日、テレビでやっていた。日本では移植のドナーが全く足りないって。
自分の体の一部を他人に分けてあげることはできないけど、もしも自分が意識を回復する可能性もなく生きながらに死んでいるような状態になったら、その臓器は誰かが使ってくれたほうがまだ役に立つんじゃないかと思った。
意思表示は保険証の裏で十分らしい。もしも死んだら、もしも脳死になったら、想像するのも恐ろしいけど、そんな状態になったらできることなんてそれくらいしかない気がする。
他人の役に立つことなんて全然できていないけど、ここに丸印をつけるだけで誰かのためになるかもしれないなら、思い切って書いておこう。ついでだから、それをお願いする手紙も用意しておこう。肉親に反対されるとだめらしいからね。
今はこんなことしかできないけど、明日からはもっとごみ拾いとか隣のおばあちゃんの手伝いとか少しでもやってみようかな。
それからはボランティアの記録がつづられていた。
今日はどこどこでごみを拾ったとか、どこどこでおばあちゃんの荷物を持ってあげたとか、電車の座席を譲ってあげたとか、大したことではないけれどみんな気が付いても無視してしまう小さな「役に立つこと」をしていた。
おばあちゃんを手伝うとお菓子をもらえるとか、ごみを集めているとおじさんが撫でてくれるとか、席を立とうとしたらおじいさんに怒鳴られたとか、日々のたわいない出来事を楽しげに教えてくれる。
そんな日々は彼にとってかけがえのない物であることが痛いほどにわかった。だけど、もしかしたら……って思うんだ。
ここ数年で近所の人とずいぶん仲良くなったと思う。
登下校の途中で会うとよく挨拶するようになったし、怖いおじいさんだって思っていた人も意外と優しかったり、このあたりの人の新しい顔をいっぱい見つけた。
情けは人の為ならずって言葉の意味も少しずつ理解できるようになってきた気がする。いいことをすると気分がいいし、みんなに優しくしてもらえるんだ。
こんな小さいことを続けていくことさえも役に立つってことなのかな?
いつもみたいに車通りの少ない道でごみを拾っていた。こんな道を通る人は少ないのに、少し遠回りしてここを通るたびにごみが落ちている。誰かポイ捨てでもしてるのかな。
全くって呟きながらごみを集めていると、すごいエンジン音がした。ふと目を上げると、黒い車に跳ね飛ばされていた。
ここから、空白ページが続く。
もしかしたら大丈夫なのかなとか、ありもしない希望を抱いてページをめくる。
しばらく空白ページが続いた後、今までと違う人が文をつづっていた。
もう何日も目を覚まさない。
いまにも目を覚ましそうなほどに顔色はいいのに、目を覚まさない。
夫もそろそろ諦めなければいけないって言うけど、どうしても諦められない。省吾が轢かれたって聞いて、近所のお爺さんとお婆さんがみんな見舞いに来てくれる。こんなにいろいろな人に愛されているのにどうして省吾が……。
轢き逃げ犯はまだ見つからないって言われているけど、そんなことはどうでもいい。どうせ見つかったところで、省吾が目を覚ますのかどうかには関係ないから。
「父さん、母さん、話がある」
省吾が轢かれたって聞いて、兄の大輔が駆けつけてくれた。もう30も過ぎて立派に働いている。
「どうした?」
「省吾の部屋で見つけた」
そこには下手な字で「もしも僕が死んだら、臓器は必要な人に分けてあげてください」と書いてあった。これは確かに、小学校高学年くらいの省吾の字だった。
「どう思う?」
「嫌よ。絶対イヤ」
感情的になりすぎているのはわかっているけど、拒絶してしまう。
「けどさ、省吾だって……」
「聞きたくない!」
「まだ落ち着いてないんだ、もう少し考えさせてやりなさい」
夫が珍しく優しいことを言ってくれる。
本当はわかっている。どうせ省吾はもう目を覚まさないことも。だからと言って、その臓器をすべて取り出せというの?
家族の苦悩とこの本の主人公らしい省吾くんの願い。
何が正しいかなんてわからないけど、この人の犠牲で今の僕がいるのだろうか?
本の最後は次の言葉で終わっている。
『僕の臓器が誰かの役に立ったならよかった。もしも僕が道半ばで死ぬことがあったら、僕の代わりに僕のやりたかったことをやってほしい』
僕は何を思い上がっていたのだろうか。
僕が心臓をもらう価値があるのかとか、誠くんとかみっちゃんよりも長生きしていいのかとか、そんなことはどうでもいいじゃないか?
今の僕は五体満足で自由に動く体がある。だから、僕にこの心臓を託してよかったって、省吾くんに思ってもらえるほどに生きてみよう。
できることをできる限りやって、生きられるだけ生きて、そうしてみないと本当に僕が心臓をもらってよかったのかなんてわからない。それに、十年や二十年くらいなら誠くんもみっちゃんも待っていて来るさ。
次に会ったときに、病院の外にはどんなに楽しいことが溢れていたか自慢してやろう。
死の間際に見えるセカイ くれそん @kurezoul
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