第2話 序章(後編)

 門番の仕事など退屈なものだ。立っているだけだろうと、彼も言われた事がある。そもそも、今日シエラ教に反しようとする者などこの街にはいない。となれば教会を守る彼ら門番の役割は、威厳を示しつつ道を見張る程度で済むのだ。


 少なくとも、今まではそうだった。


 だがそれも今朝に例の聖遺物が奪われたとの報せが入ってから一変した。街は喧噪と不安に包まれ、均衡状態にあったはずの鉱山の闇小人が街役場に直訴に来た。未だ行方不明の聖遺物に関してはあらぬ噂まで立っている。事態はもう門番の手をとうに離れ、それこそ彼に出来るのはこうして立っている事だけだった。


 場違いにも中から鼻歌が聞こえてきて、門番はもう怒りが爆発しそうだった。


 今、彼が監視しているのは教会内の頑丈な物置に閉じ込められた一人の男。この男こそ、仲間の盗賊をも裏切り、聖遺物をかすめ取った極悪人の一人。本来なら拷問してでも口を割らせるところだが、状況が状況である。言わば死刑執行前の猶予時間、いや、シエラ教が絶対のこの街では最早死刑などと生温い最期はふさわしくない。親族の最後の一人まで炙り出し、炎と共に信仰の証とすべきであろう。


 だのにこの男の態度は何だ。自分の置かれた立場を理解していないのか、この不真面目な態度。なぜすぐに殺してしまわないのか。それどころかもう三人も面会に来ては何やら話し込んでいた。考えれば考えるほど、門番はいらいらしていく。



 一方、男は物置の中で見つけた聖書を読んでゆったりと時間を潰していた。穏やかに微笑みながら聖なる言葉をなぞるその姿は、彼らの言うところの聖人さながらであった。しかし本人は学問的な好奇心のみから非常に客観的に読み進めていた。


 着こんでいる割に質素な服装。

 豊かな灰色の髪。

 穏やかな雰囲気と整った顔立ち。

 名はマキノ。魔術師であった。


 首飾りをクライム達に任せて少女を見張る予定だったマキノは、二人で街へと戻る途中、森の暗がりで盗賊達に捕まり問答無用で教会に引き渡されたのだ。ほとんど想像通りであったため、マキノは動じることなく無抵抗に教会の尋問を受けた。嵌められただけで何も知らないマキノから得られる情報などある訳もなく、一方的に怒鳴り散らされた後にこの物置に放り込まれて今に至る。


 だがマキノにしてみれば、尋問は大いに意味があった。尋問官の話、街の話、盗賊の様子、ここで見つけた聖書の内容。全て擦り合わせれば嫌でも事態は見えてくる。


「しかし、ちょっと失敗だったでしょうか」


 分かったのは尋問の最中。適当に話を合わせれば良かったのだろうが、マキノは逆に尋問官を質問攻めにした。仲間の言葉が頭をよぎる。お前ニコニコいい顔してるけど中身は本当にいやらしいよな。確かに、どんな時も冷静で人当たりのいい顔をしている事が、場合によっては人の怒りを買う、今まで何度かあった。 


 例えば、今。


 さっきから何度か門番が射殺す様な視線でこっちを睨みつけてくる。尋問の時も当然猛烈に罵倒された。マキノに限ってそれが分からない訳はない。わざとだ! 絶対わざとだ! そう言われる度にマキノは微笑んで言う。滅相もない。



 地面から軽い振動を感じた。三週目に入ろうかとしていた本を閉じ、マキノは立ち上がって軽く体を動かす。そうしていると、部屋の隅で床が盛り上がり、ぼこっと何かが敷石を押しのけて地中から顔を出した。


 赤茶色の髪をした少女だった。


 モグラさながらに教会の下を素手で掘り進めてきたのか体中泥だらけだったが、亜人の少女はけろりとした様子で珍しそうに辺りを見ていた。


 歪に尖った耳をぴくぴく動かしビー玉の様な目で何かを探していたその少女に、マキノは嬉しそうに手を振った。少女はマキノに気付くと、懐から出した眼鏡を掛け直し、門番に注意しながら傍へ駆け寄った。


「マキノ、心配したよ。無事なの?」

「多分みなさんが思っているよりずっと。来てくれると思っていましたよ、メイルさん」


 マキノは優しくメイルの頭を撫でた、子供扱いを嫌がるメイルも、今だけは嬉しそうに目を細める。外は相変わらず騒がしく、門番は小声で話す二人に気付かない様子だった。どうも今度は外で騒ぎを起こしている闇小人の方に腹を立てているらしい。忙しい人ですねとマキノは苦笑した。


「僕も少し心配したんだけど、やっぱりするだけ損だったかな、マキノの場合」


 いつの間にか、部屋の中にもう一人いた。


 マキノと同じ歳頃の青年だ。ぼさぼさの黒い髪に少年のような顔だった。身軽だった。背も別にそれほど高くはない。だがそれでも、メイルが掘り進めていた小さな穴を通って来たとは考えられなかった。しかしマキノは青年の不自然な出現にも慣れたような調子で軽口を叩く。


「心外ですね。これでも大変だったんですよ。でもまあ……」


 不満そうな青年、クライムを見て少し付け足す。


「そちらの方が大変だったのでしょうが」

「やっぱり分かってたんだ、あの子に裏があるって。言ってくれればよかったのに、人が悪いんだから」


 クライムが子供のようにぐちぐちと文句を言った。そもそもの責任が自分にあると分かっていても、やはりマキノの顔を見ていると納得がいかなかった。いつものようにクライムの体に寄り掛かっていたメイルは、慰めるように笑ってポンポンと彼を叩いた。ここまでされると気が抜けるのか、深くため息をついて気持ちを切り替える。



 門番はイライラと歯を食いしばっていた。


 シエラ教がこの街にある種の秩序を与えてから、信者達は異常なほど熱心に教団に献身した。彼もその一人ではあったが、本人の性格が災いして更に行き過ぎな使命感に駆られている。外の騒ぎが大きくなるにつれ、彼の注意も自然と教会の外に向かう。いっそ外に出て騒ぎを抑え込んでやろうかと考えていた。


 その時だ。


 物置の唯一の出入り口である鍵付きの頑丈な扉、その下の有るか無いか分からないような僅かな隙間から、水がしみ出してきた。水はみるみる溢れてくるが門番は気づかない。ゆっくりと門番の背後へ流れていき、音もなく魔法のように上へ伸び、歪に蠢いて人間のような形を成していく。


 ぼさぼさの黒い髪に、少年のような顔だった。


「……」


 何を考えているのか本当に門番が気付いていないのを恐る恐る確認すると、クライムは完全に人の形をとって頭を掻いた。扉の覗き窓の向こうでは、マキノとメイルが身振り手振りで何か言っている。本当にやるのかと一瞬途方に暮れたような顔をしたが、クライムは意を決して門番の腰に手を伸ばした。


「なんだ!?」


 門番は一気に我に返って腰に手をやる。何かが無い。見ると、通路の向こうにさっきまではいなかったはずの青年が、ひきつった顔で剣を抱えていた。若い、街の人間か、いやそれよりあの剣は。


 もう一度腰を確認して、門番の頭に一気に血が上る。シエラの騎士に一人ずつ与えられる聖剣、つまり忠誠の証であり最高の名誉を無礼にも盗み取ったのだ。この一日、溜めに溜め込んだ怒りが一気に爆発した。


「この糞餓鬼が! それが何だか知っての無礼か!」

「あれ? えっと……」


 クライムにしてみれば注意を引ければ何でも良かった。ただ腰から鍵をかすめた事がばれない程度の物を適当に取ったつもりだったのだが、門番の尋常ではない様子を見てまたしてもなにやら失敗した事を察した。門番が槍をクライムに向けて迫ってくる。今にも頭の血管が切れそうだ。クライムは本能的に半歩下がると、そのまま反転して全速力で逃げ出した。


「ごめんなさいー!」

「待たんかー!」


 二人の叫びが通路の奥へ消えていく中、物置の扉の鍵がガチャリと錆びついた音をたてた。


 一応辺りを確認してマキノが外へ出る。その隣でメイルがため息をついていた。クライムはマキノの言う通り、鍵を器用に覗き窓の隙間から中に放り込んでくれた。しかしたまに思いもよらない見当違いの所で失敗するのだ。それでも決して諦めない度胸で何度も仲間を救ってきたからこそ、一応皆が彼を信頼してはいるのだが。


「まあ、ああいう所も含めてクライムらしいっていうのかな」



***



 ルイスは目の前の状況が理解できなかった。


 彼女の知るコークスの街は従順で消極的、騙しやすくも平穏な街であった。しかし今では、絶え間なく警鐘の鳴り響く中で人々は言い争い、貴族のように扱われてきたシエラ教団は取り囲まれてろくに口も利けない。しかも鉱山から出たことのない闇小人が白昼堂々街をうろついてはあちこちで騒ぎを起こしている。目の錯覚かと、ルイスは再度目を擦る。


 つい今朝の事、彼女は街外れでいかにも軽そうな男を見つけた。黒髪に長身の剣士だ。無骨な格好に剣を携え、その姿はむしろ彼女たち盗賊団と変わらない。軽く声をかけるだけで睨んだ通りあっさりと引っかかり、男は仲間と共にまんまと例の至宝を「取り返しに」行った。


 鉱山から帰ってきた時の彼等の顔が忘れられない。泣いて頼むとまんまと乗せられたぼさぼさ髪の男の顔など、ルイスは一生の笑いの種にしてやろうと思っていた。


 団の仲間が至宝の回収に向かい、灰色の髪の男は教会に売り払い、彼女はその金で新しい服を買って贅沢な昼食を取る。何もかもが上手くいっているようで彼女は最高に上機嫌だった。その後、男たちが帰ってくるまでの暇を潰しに宿でうたた寝して。


 目が覚めると、辺りが一変していた。


「何よ、これ……」


 確認すると寝ていたのはほんの僅かな時間だったらしい。その間に何があったというのか。


 服と一緒に買ったスカーフで顔を隠すと、ルイスは情報を集めに街中を駆け回った。街の男達を引っかければ話くらいは色々聞ける。手慣れたものだ。その技術で今まで彼女が得てきた獲物の量は、団のどんな屈強な男のそれをも上回る。さっそく一人捕まえた。 


「聞いてないのかい? 実は闇小人に盗られた例の聖遺物。この辺りの盗賊がかすめ取ったらしいよ」

「まあ、なんてことを。大丈夫なんでしょうか」

「それがね。盗賊は鉱山内で一網打尽にしたんだけど……」

「え?」


 一瞬目の前が真っ白になった。青年はなおも話を続ける。


「取り逃がした一部のやつらが至宝を持ってまだ逃げてるらしいし、教会で捕まえていたって奴も逃げ出したって。しかもこれは内緒なんだけど、そもそも盗賊に至宝の場所を教えたのは教会の人間かもしれない。それも今、盗賊団を尋問して聞き出してる所さ」


 足元がどんどん崩れていく。そんな感覚を味わっていた。上手くいっていた何もかもが、考えうる限り最悪の形になっていたのだ。この話が本当であるとすれば彼女は今たった一人、帰る場所も利用できる仲間も消えてしまったことになる。


 混乱して何も言えずにいるルイスの前で、何を舞い上がっているのか青年は饒舌に語り続けた。話がルイスの服や髪型から捕まった盗賊団への悪口になった時、怒りで目の覚めたルイスは青年の横面を思い切りひっぱたいた。


 スカーフで顔を完全に隠しながら、なるべく目立たないように速足で歩く。

 すれ違う人全てが自分を見ているような気がした。


 盗賊団の仲間はとても一人では助けにいけない。向かっていたのは逆方向、街に紛れた秘密の集会所、彼女たちの本拠地だ。盗賊である自分からしても胡散臭いあのシエラ教に捕まることなど想像もしたくない。残された選択肢は金目の物を回収し一秒でも早くこの街を抜け出すことだ。焦りから足はどんどん速くなっていく。


「痛っ!」


 その道の途中、人気もない道の曲がり角で急に人とぶつかった。倒れこんだ拍子にスカーフが落ちる。それに気付いてルイスは慌てた。


「ご、ごめんなさい。私……」

「おや、あなたは。御無事で何よりです」


 自分の顔を知っている。嫌な汗が更にどっと噴き出した。意思に反して顔が上がり、相手の顔を見た。


 灰色の髪に、厚着の男。自分が今朝、教会に売り飛ばしたはずの男がなぜかそこにいた。しかも集会所のすぐ近くのここで。教会で捕まえていたって奴も逃げ出した、街で聞いた話がよみがえる。一方でその後ろからは更に何人もぞろぞろ出て来た。


「よぉ。よくも騙してくれたな」

「ああ、君、今朝の」

「クライム! 近づいちゃダメ!」

「へー、よくも無事だったもんだね」


 無骨な恰好に長身の男。

 ぼさぼさの髪にお人よしの男。

 眼鏡を掛けた赤茶色の髪の少女。

 珍しい白い毛並みのイタチ。


 街で初めて出会った時の四人と一匹が全員揃っていた。違うのは小さな白毛の動物が喋っている事と、その背中に今朝は無かった白い翼が生えている事。その全ての視線が、今、自分に注がれている。灰色の髪の男がニコニコと胡散臭い笑顔のまま話しかけてきた。


「ああ、悪いとは思ったのですが、誰もいなかったようなので勝手に入らせて貰いました。預かって頂いていた物ですが、私達はもう出発するので」


 返してもらいましたと見せられたのは、教会に売り飛ばす前に金になるかとマキノから取り上げたピアスや小道具。その時、鳴り続けていた鐘が急にやみ、下に落ちたのか一際情けない音を出した。それも意に介さず大丈夫ですかとマキノは手を差し出す。その様子から嫌な予感が頭に浮かんだ。


「まさか、これ。これ、全部あんたが……」

「もういい。嬢ちゃんよ、ちょっと話すんぞ」


 答える前にアレクが掴みかかった。盗賊とはいえ年上の男に怒った顔で迫られるのはやはり怖いのか、ルイスは年相応の小さな悲鳴を上げて飛びのいた。何かないかと辺りを見回した時に目に付いたのは、困ったような顔をしていたクライムだった。


 またこの男に泣きつけば。そう思ってルイスは精一杯悲痛そうな顔を作ってクライムの手にすがりついた。


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! 悪気は無かったの! 私、もうどうしたらいいか分からなくて……」


 うるんだ目で顔を合わせる。これで少なくとも殴られる事はなくなるだろうか。そんな期待が無意識にルイスの演技の信憑性を上げる。


 ところが、すがりついたクライムに腕の力が急に抜けて、ルイスは後ろによろめく。


「あ、れ?」


 その腕は自分がつかんだままだ。

 しかし、見るとルイスが今抱えているのは腕だけだった。

 何が起こっているか分からず、間の抜けた顔でクライムに視線を戻す。

 クライムの右肩から先が無い。


 腕が取れていた。


「あ、ごめんごめん。取れちゃったね」


 ルイスは耳をつんざくような悲鳴を上げた。生の腕を放り出し、足をもつれさせながらも全速力で逃げ出す。あれは人間ではない。亜人でもない。魔物か怪物の類だ。騙す相手を、間違えた。


「ひどいな、僕の腕」


 クライムは無造作に生の腕を拾い上げる。そして自分の肩に押し付けると、数秒と待たず、腕は服ごと魔法のようにくっついた。


 その不可思議な光景にも残り四人は言及しない。本人が言うには、自分の姿には何一つ本物がなく、少しくらい嘘が剥がれても別の嘘で塗り固めるだけの話だという事だが。謎々のような、というより説明下手に過ぎる説明でマキノさえ理解するのを諦めているのだった。


 あっという間に少女の後ろ姿は小さくなる。


 それを見ながら、アレクは唖然として立ち尽くし、マキノは声を殺して笑い、メイルは一息つき、ぼそっとフィンが口を開く。


「クライム。わざとだろ」

「うーん……」


 すがりつかれた時にふと思いついた悪戯だ。血が出るわけでもないし大丈夫かな、と本人は考えていたが、それでも事情を知らない者にしてみれば悲鳴を上げるほど気持ち悪いものであったようだ。


「これ位は許されるんじゃないかと思ったんだけど」


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