第1話 序章(前編)

「おかしい……」


 僕は全力で走りながら、運の悪さと自分の性格を呪っていた。


「おかしくはないよ! 次の横道を左に入って、すぐに右へ!」


 薄暗い迷路のような鉱山の中、僕らは無様に逃げている。


 頼りはメイルの指示だけだ。足を止めれば後ろから追いかけてくる人達にすぐにでも捕まってしまう。もし捕まりでもしたら、考えたくない。まっぴらだ。火炙りにされるか、奴隷として売り飛ばされるのか、生きたまま喰われるのか。


 どうして、何だって僕がそんな目に遭わなきゃいけないんだ!


「何か人数増えてないかい? 気のせいかな、気のせいだよね」


 もう笑うしかないという顔でフィンが笑う。でも気のせいじゃない。もう大分離れているのに、後ろからの怒りの声はますます大きくなって鉱山を響かせている。くたくただ。汗が止まらない。足の感覚もない。まったくだ。


 どうして、何だって僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ!



 事の始まりは、またアレクだ。次の街へ行く前の集合場所に若い女の子を連れてきた。こんな子引っかけて何やってるんだと言う前に、彼女が助けてくださいと話を切り出す。近くの山にある鉱山で闇小人に襲われ、逃げる途中で母の形見の首飾りを落としてしまったと。


 それを探しに行って欲しいということだけど、まず少女は猛烈に可愛かった。そしてアレクは、普段は絶対に見せない紳士的な言葉遣いで泣きじゃくる彼女を慰めている。


 無意識に僕等は目配せをする。話は分かった。要は可愛い女の子の前で格好つけたくて面倒事を持ってきたわけだ。


 安心してくれ、俺達がすぐにでも君の大事なものを奪い返して来ようと女の子の手を取る。「達」ってなんだ。そうフィンがアレクに耳打ちで文句を言っていた。確かに、お金に困れば雇われて何でもやってきたけれど、アレクの顔を立てる為だけに何でこんな事を、そう思ったその時に、僕は彼女と眼が合った。


「お願い、します」


 ……そうだよ僕のせいだ。


 フィンにはこのお人よしと怒られ。

 メイルにはまたクライムはと呆れられ。

 マキノには仕方がありませんねと笑われ。

 アレクには流石だ兄弟と肩を叩かれた。


 まったくバカだ。何だって年端もいかない少女が街外れの鉱山に足を踏み入れて、ずる賢い闇小人がいきなり暴力に訴えて、しかも少女は無事逃げおおせて、よりにもよってアレクなんかに声をかけた? だってアレクだよ? 見れば分かるだろあの適当な性格。一体誰が声をかけるってんだ。あきらかに不自然だ。


「止まって! ……来てるね。そこ、右へ!」


 僕には聞こえない何かが聞こえたのか、メイルは進路を変える。つくづく信じられない、腕に抱えるこの赤毛の少女は、本当に一度通った道を全て覚えているんだ。しかも僕には全て同じに見える道をきっちり見分けている。地面の下を住みかにしていた種族特有なのかも知れないけれど、それ以上にメイルの記憶力がずば抜けているからなんだろう。


 僕にそんな力はない。僕には何もできない、ただメイルを抱えて全力で走るだけだ。必死に走る僕とアレクの隣で、小さな体を小さな翼でパタパタ浮かせている白イタチ、もといフィンだけが、面倒くさそうにため息をついていた。今回に限っては僕は終始呆れられっぱなしだ。



 少女の頼みを聞き入れ、苦労して鉱山の奥にあった闇小人の宝庫から首飾りを失敬して、そして再び太陽の下へ出た時だった。柄の悪い、と言うよりどう見ても盗賊風の人たちに囲まれ、一言ご苦労だったと手を出された。それをよこせと。僕は何が何だか分からなかったけど、その一方でフィンは、こんなこったろうとは思ってたよ、とため息をついていた。

 

 頭が真っ白だった。


 これでようやくあの女の子が笑ってくれると思っていた僕は、それも確かに女の子が盗賊と一緒に嗤っているのを見て完全に目が覚め、フィンの言う事が全く正しかったのだと知った。


「このお人よし!」


 揉めている内にどういう訳だか街の人間達が大挙してきて盗賊と争い、僕等はどさくさに紛れて鉱山に逃げ込む、そして当然怒り心頭の闇小人と出くわし更に奥へと逃げに逃げる。逃げて、逃げて、逃げまくった。


 道中の彼らの喧噪をまとめると大体の話は見えたけど、それは何の解決にもならなかった。 


 鉱山にあった首飾りは希少な宝石が使われた旧世紀の至宝で、元は宗教的な聖遺物として街に奉られていた。それを先日闇小人に、彼らの言う所の正統な取引で、要するに騙し取られてしまったらしい。その奪還を頼んだ相手が運悪く盗賊くずれの人達で、盗賊は盗賊でお宝の場所が勝手に分かったのをこれ幸いと、更にその手間を負担する間抜けを探していた。


 その間抜けが僕達だ。


 僕等が弁解する前に、アレクが盗賊どころか街の人までも返り討ちにしたせいでもう収集がつかなくなった。


 僕等は盗賊の仲間で。

 正統な所有物を盗んだコソ泥で。

 獲物をかすめ取った生意気な間抜けだって訳だ。


 これじゃあどこに返した所でどうにもならない。三者三様のお尋ね者になった僕等に残る道は一つ。逃げるだけだ。


「クソが! あいつら後で一人ずつひねってやる! それにあの泥棒女、人の親切につけこみやがって!」

「なにが親切だこのバカ! アレクはただ良い格好したかっただけだろ!」

「そこの馬鹿二人さ、喧嘩してる力があるならもっと速く走ってくれないかい?」

「次、左だよ!」


 頼れるマキノはここにはいない。初めから見抜いていたのか、僕等が鉱山から帰ってくるのを少女と待っていると言っていた。でもその少女が仲間を引き連れて僕等を待ち受けていた以上、マキノも無事ではないんだろうな。


 ああもう自分のバカさとアレクのバカさに腹が立つ!

 顔が似ている分、余計に!



 暑さと息苦しさで体の限界が近づいていた。


 さっきからメイルが目を閉じて何か機会を計っている。そういえば最初は細い道ばかりだったのに、今はとても大きな通路に出ている。天井は高く、吊り下がっているはずのランプがぼんやりした光にしか見えないほどだ。通路にもトロッコ用のレールがまっすぐ伸びていて、遥か先で闇の中に消えている。後ろからは闇小人が相変わらず大勢で追いかけてきて、手に手に松明やつるはし、剣や槍をかざしていた。


「おいおいおい! なんか向こうから来てるぞ!」


 アレクの言った通りだった。通路の奥から別のざわめきが押し寄せてくる。通路がいくら広いからって、このままだと僕等は挟み撃ちの上に袋叩きだ。いくらメイルでも、こうも複雑な場所だと道を間違えてしまうんだろうか。相変わらずトントンと指で何か計っているけど、もうそれどころじゃない。


 その時メイルが叫んだ。


「右の通路!」


 僕等は反射的に人一人分しかない横道に飛び込んだ。その瞬間、反対側の大きな横道から街の人たちが押し寄せてきて、闇小人と一団ともろにぶつかった。大混乱だった。互いに何だお前はと果ての無い言い争いを始め、乱闘の中で暗がりに消えた僕等の事など全て吹き飛んでしまったようだった。


「……これ、逃げおおせた?」


 信じられない気分だ。この地獄の鬼ごっこは永遠に続くんじゃないかと思えていたのに。腕の中でメイルが深く息を吐いた。ずっとこれを狙っていたのか。そしてうまくいった。本当に敵わないな……。


「律儀な人達もいたもんだね」


 フィンの言葉で僕は後ろを振り返る。喧噪を振り切って僕等をまだ追ってくる人たちがいた。闇小人、街の人間、それに紛れていた盗賊、全部で丁度十人。至宝を奪うという同じ目的の為に、よせばいいのに団結して襲ってくる。


「よお。よく来たな」


 本当に悪そうな顔だ。顔は似ているのに性格が違うとこうも変わるのかといつも思う。アレクは身の丈ほどもある作業用の棒をとって獰猛に笑った。やばい顔だ。僕は下がっていよう。


 一瞬の攻防だった。アレクは強く地面を蹴ると一気に突っ込んで二人も倒した。彼等は仲間が叩きのめされたのを、何が起こったのか分からないという顔で見ていた。空を切る鈍い音がして、アレクは更にそれを片っ端から叩いていく。ようやくまともにアレクの棒を受け止められた最後の三人は、鋭い突きでほとんど同時に吹き飛ばされた。


 こんな時ばかりは頼もしい。これで同じ分だけ面倒を起こさなければ良いんだけど。カンッと棒を捨てて清々しい顔でアレクが戻ってくる。気は済んだみたいだ。そこで少し距離を取ってからメイルが切り出した。


「もういいね。フィン、ちょっと上に発破をかけてくれる?」

「いいけど、こうかい?」


 白イタチはふっと口から軽く火を吐く。紛いなりにもドラゴン、手慣れた物だ。通路の入り口を支えていた木の枠組みが燃えて、たまらず天井が崩れる。崩壊はすぐに収まり、僕等が来た道が綺麗に塞がった。


 フィンはパタパタと僕の頭にとまって一息つく。メイルは僕から降りて、塞がり具合をペタペタ触って確かめる。アレクもフンと鼻を鳴らした。

 

 助かった……。


 深く息を吐いて。

 壁に寄り掛かって。

 そのまま座り込んだ。


 もう動けない。今までの疲れがどっと押し寄せてきて足が一気にしびれた。息苦しさも暑さも改めて襲ってくる。こんな中を我ながらよくもずっと走ってきたもんだ。アレクが首をこきりと鳴らす。乱暴で喧嘩っ早いのがいつものアレクだ。女の子を相手に恰好つけるなんて、柄じゃあない。


「ま、女の涙には気をつけろって事だな」


 ばつの悪そうに頭をかく。何か言ってやりたい気もしたけど、僕も人のことは言えない。その時、ざりっと手に何か小さなものが触った。


 古い指輪だった。


 手に取ってみるとほんのり冷たい。僕は隠し持っていた首飾りをそこに置いて、代わりに指輪をはめた。メイルが興味津々で覗き込んでくる。


「へえ。クライム、それ付けるの?」

「別に。ただ首飾りは置いていくよ。誰が先に来て誰がこれを拾ったにしても、それは早い者勝ちってことで。なんていうか、もうこれに振り回されるも嫌だし」

「はずせはずせ。今度はその指輪に振り回される時が来るかもしれねぇぞ」

「はは、かもね」


 この指輪に、か。右手を掲げて指輪を眺める。

 道の灯りで鈍く光る指輪はなぜか少し柔らかく、そして少し笑っているようにも見えた。


 さあ、もうひと踏ん張りだ。


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