詠み人の恋
楸 茉夕
すべての物語に、すべての読者を。
「作者さま、よく書けてますね! 下手なりに!」
極上の笑顔で彼女は言い放った。「作者さま」は凍り付き、次いで肩を落とし、キーボードに突っ伏す。
「下手って……」
「はい! でも、それは伸び代があるってことですから! 他人の手垢のつきまくった何番煎じかわからない物語でも、きっと明日の糧になります!」
「ぐう」
ぐうの音も出ないほど打ちのめされた作者は、ぐうと呻いたきり動かなくなった。しかし少女は追い打ちをかける。
「凄いじゃないですか! 今日は五〇〇〇字も書けたんですよ! いつもそのペースで書いてくれると嬉しいのに! たとえ中身のない容量の無駄遣い、いずれネットデブリと化す小説のような何かでも、書かないよりはマシですよ!」
最早呻く元気もないのか、「作者さま」は震える手でPCの電源を落とした。少女は小鳥のように愛らしく小首をかしげる。
「え? 今日は更新しないのですか? 毎日更新するって言ったのに?」
ぷつんとPCの駆動音が消える。「作者さま」は恨みがましく少女―――カクヨム作家専用サポートAI「リンドバーグ」、通称「バーグさん」を見上げた。
「いや、まあ……。別に私はいいと思いますよ。はい」
見上げられたバーグさんは言葉とは裏腹に眉根を寄せる。AIなのに喜怒哀楽があるのもバーグさんの特徴だ。そのほうがサポートに都合がいいだろうという創造主の計らいらしい。
作家サポートAIであるが故に、書かない人間には厳しい。バーグさんは何かを生み出す人間のためにいるのだ。
「わかったよ! 書けばいいんだろ!」
やけくそのように声を上げた「作者さま」は、落としたばかりのPCを起ち上げた。だが、また罵られるのはいやだったのか、開かれたのは別のファイルだ。
バーグさんはそれを覗き込んで、再び首を捻った。
「どうしてここで女の子が全裸になるんですか? え? 書き直す? 別に書き直せなんて言ってません。どうしてなのか教えてください。娯楽小説にエンタメ性は大事ですけれど、やたらめったら脱がせばいいってものではないんですよ。むしろ女性読者には引かれます。それに、ただでさえテンプレ美少女ばっかりでキャラの書き分けができていないのに、その子たちが全員脱いだら服装の描写で分けることもできなくなるじゃないですか」
「うわーん!」
とうとう「作者さま」は泣き出してしまった。バーグさんはよく「作者さま」を泣かせてしまう。良い物語を書いて欲しい気持ちが先行しすぎて、歯に衣着せぬどころか鋭利なナイフで突き刺すくらいのことを言ってしまうのがバーグさんだ。
僕は、そんなバーグさんが好きなのだけれど。
僕はカタリィ・ノヴェル、通称カタリ。ある日突然フクロウっぽい謎のトリさんに、「詠み人」として選ばれてしまった。なんだったんだろう、あのトリさん。今でもたまに会うけれど、何故僕を選んだのかは教えてくれない。
同時に授かった「
この世界には、すべての人々の心を救う「至高の一篇」が封じられている心の持ち主がいるはずなんだけど、未だに会ったことはない。「至高の一篇」を見つけ出すのが、僕の目下の指標かな。
実は漫画やアニメの方が好きなのは内緒。でも最近、活字の面白さがわかってきたところだ。
そんなとき、バーグさんに会った。
そのときも、バーグさんはにこにこと「作者さま」を元気付けているように見えて罵っていた。バーグさんのツッコミは的確で容赦がない。打たれ弱い「作者さま」はすぐに泣いてしまう。
勿論、バーグさんとて鬼ではない。素晴らしい物語のときは褒める。これでもかと褒めちぎる。だが、彼女が「良作」とするハードルが物凄く高い。褒められている「作者さま」を見たことは、片手で足りるくらいしかない。
物語を届ける先々に、バーグさんはいた。書き手こそ物語を必要としているからかも知れない。
書き手が良い物語を書くお手伝いをする、という使命に則って、いきいきと「作者さま」を罵るバーグさんを見るうちに、僕はどうやら恋に落ちてしまったらしい。彼女がAIだということはわかっている。けれど、好きになってしまったものは仕方がない。
以来、バーグさんに会えるのは、この役目の楽しみの一つだ。
たとえ、バーグさんの目に僕は映らないのだとしても。
理由はわかっている。僕が、書き手ではないからだ。生み出す人間ではないからだ。
僕は「詠み人」。誰かの物語を誰かに届けるのが僕の役目。僕は小説を綴るけれど、それは僕が生み出したものではない。人の心の中にあるものを引き出しているに過ぎない。いわば、自動筆記のペンのようなものだ。
作家サポートAIは、ツールには一切の興味を持たない。
それに気付いてから、僕も僕の物語を書こうとしたことがある。でも駄目だった。何も浮かばない。小説も、詩も、随筆も、歌も、何一つ生み出すことはできなかった。
最初は、才能がないのだと思った。それはまあいい。でも、本当に何一つ、一文字も書けなかったのだ。
才能がなかろうが、下手だろうが、ペンと紙さえあれば―――極端な話、ペンと紙すらなくても己の身一つさえあれば、誰でも創造主になれる。何も制限がないのが小説のいいところだと思う。すべての人間に扉は開かれている。
けれど、僕はその扉を潜る資格がないらしい。
気紛れな謎のトリさんは、やってきたりこなかったりする。
なんの前触れもなく現れたトリさんに、僕は訊いてみることにした。
「ねえ、トリさん」
「なんだい」
「何も浮かばないんだ」
「浮かばない?」
「何かを書きたいのに、何も浮かばないんだ。書けないし、語れない。話を創れない」
トリさんは思慮深げな、その実何も考えてなさそうな顔を右に左にと動かした。そうしていると本物のフクロウのようだ。
「そうだね、カタリは『詠み人』だからね」
「……『詠み人』は物語を生み出せないの?」
「というより、カタリ。君がそう創られたからだろうね」
トリさんの言葉は、よくわからない。
「創られたって、僕は人間だけど」
「うん、そういう設定だね」
「設定?」
「カタリは作家じゃなくて、『詠み人』だから。人の心から物語を取り出すのが君の役目さ。無から有を生み出すことは作家の役目」
「トリさんが僕を選んだんじゃないか」
「うん、そういう設定だね」
やっぱり何も教えてくれないらしい。僕はため息をついた。
「何か書かないと、バーグさんは僕を見てくれないんだ」
「ああ……そういうことかい」
トリさんは片翼を広げると、ぽふ、と僕の肩を叩いた。まるで人間のような仕草だ。
「感情を持った存在っていうのは厄介だね」
「なんだいそれ」
「作者さま、よく書けてますね! 矛盾と破綻が酷いですけど!」
今日もバーグさんは酷くて可愛い。
「主人公の性格が、多重人格レベルで変わっちゃってますけど大丈夫ですか? あと、なんでこの女の子は突然主人公を好きになっちゃったんですか? これまで見向きもしなかったのに。え? ツンデレ? 理由になっていない上に、ありがちでつまらないですね!」
そして言葉のナイフのキレもさすがだ。
「うわああん!」
この「作者さま」もバーグさんの愛の鞭、というかただの鞭に耐えられずに泣き出してしまった。
それでも僕は「作者さま」がちょっと羨ましい。バーグさんに存在を認識されているんだから。作家サポートAIにとって、「詠み人」は空気も同然だ。
僕は「作者さま」に物語を届ける。それが「詠み人」の役目だから。バーグさんが僕を見てくれないのは悲しいけれど、僕の届けた物語を読んだ「作者さま」が良い物語を書いて、バーグさんを喜ばせてあげられるなら、それはそれでいいかなと思うことにした。
僕は今日も物語を編み、物語を届ける。
いつか、「至高の一篇」を見つけ出すことができたら、もしかしたらバーグさんは僕のことを見てくれるかも知れない。そんな微かな希望を胸に。
一つでも多く、良い物語が生まれることを祈りながら。
詠み人の恋 楸 茉夕 @nell_nell
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