なんだかんだ言ってもはじまらねぇ

nao

バナナの皮で滑るの巻

『バナナの皮を踏んで滑る』という文化はいつ生まれたのだろうか?


 朝食のデザートによく熟れたバナナを頬張っていた時、そんなどうでもいい疑問が頭をよぎった。普段ならそんな疑問は数秒もすれば耳の穴から出ていくのだが、今日の僕はそうもいかなかかった。


 それもつい先日、志望大学から不合格の烙印を押され、見事に浪人が決定してしまったのが原因だろう。今の僕の脳内はしんとしていて、たった今どこからか侵入してきたちっぽけな疑問だけがあった。


 今日のスケジュールは真っ白だったので試しに調べてみた。


『バナナを皮を踏んで滑ってこける』というギャグを初めてやったのは、チャールズ・チャップリンだった。彼が映画『アルコール先生海水浴の巻』のワンシーンでこのギャグを使い、その体の張りようが当時としては斬新で笑いを呼んだとか、呼ばなかったとか。それから、そのギャグは一般に知られるようになり、文化として今も親しまれている。


 誰もが知る喜劇王が開発したネタだとは恐れいった。それならば100年以上経った今でも知られているのは当然だろう。


 この事実を誰かに教えたい。『へぇそうなんだぁ』って言われたい。ドヤってやりたい。


 適当な人間は居ないかとリビングを見渡すと、ソファには1人の女子中高生の姿があった。


「おい、南田なんだ蒼香そうか。我が妹よ。」


「どうしたの寛太かんたお兄ちゃん。今日は厨二全開だね。受験失敗したショックで目覚めたの?」


「知っているか? バナナの皮で転ぶっていうあれ、チャップリンが最初にやったらしいぞ」


「バナナの皮で……え? 何それ?」


 それは衝撃的な返答だった。てっきり僕は「お兄ちゃん物知りだね、凄い!」という称賛の声を聞けると思っていたのに。


「まさか、知らない?」


「知らない。チャップ……なんとかって人も知らない」


 なんてこった。この妹は今まで学校で何を学んできたんだ? 無知にも程があるんじゃないのか? 常識知らずもここまで来たら犯罪者ってレベルだ。


 これはもう見せるしかない。ここで僕が妹に喜劇王チャップリンが開発した懇親のギャグを教えてやるしかあるまい。


 僕は直ちにバナナの皮のセッティングを開始した。ここで重要なのは助走を付けるための距離を確保する事。よってバナナの皮は家の廊下にセットする。


「見ておけ蒼香」


 僕はバナナの皮に向けて歩きだす。バナナの皮を踏む時に気を付けることは、利き足で踏むことだ。バナナの皮に大きな力を加えれば加えるほど、滑る時の威力はますからだ。


 右の足裏で完全にバナナの皮を捉え、圧力を加える。


 この後は滑るのみ……いや。


「滑らない!?」


 なんということだろう。僕の計画ではここでつるんと滑って転ぶはずだったのに、全然滑らないぞこのバナナの皮。これじゃただバナナの皮を床に擦りつけただけではないか。


「お兄ちゃん、それで終わり? 一体何がしたかったの?」


 妹の冷たい視線が痛い。


 しかし何故だ? 何故滑らん?


 ボクはバナナの皮を手に取り調べてみた。原因は直ぐにわかった。


「このバナナ、ほとんどぬめりけが無い!」


 皮をむいてから随分時間が経っていたせいか、随分と乾燥してしまっていた。


「直ぐに新しいバナナの皮を……新鮮なバナナの皮を用意しなければ!」


 ボクはリビングのテーブルの上にあったバナナを全て平らげ、バナナの皮を3本分も手に入れた。


「よし、蒼香今度こそ見せてやるぞ」


 いい加減面倒くさそうな蒼香の目線をくらいながらバナナの皮をセットして位置に着く。


 次は絶対に転んでやる。


 今度は歩くなんてぬるい真似はしない。走ってやる。


 クラウチングスタートでバナナの皮をめがけて走り出す。その姿はさながらセリヌンティウスとの約束を守るべく走るメロスのように。こけることが我が使命と言わんばかりに風を切る。


 右足がバナナの皮の皮を踏みつけるその刹那に頭を過ぎったのだが、ここでこけてボクは無事で済むのだろうか。バナナの皮で滑ることに意識が行き過ぎていて、転んだあとのことを考えてなかった。なんだかんだ嫌な予感がするぞ。


 後に調べて知っったのだが新鮮なバナナの皮の摩擦係数は最小で0.045だそうだ。これはスキーの摩擦係数0.08を下回る数値で、わかりやすく言うと超絶滑る。


 そんな殺人的に滑る物体に思いっきり足を踏み入れてしまった僕がどうなったかは想像にかたくない。本来地面を踏みしめるはずだった足はバナナの皮と一緒にあらぬ方向に飛んでいき、僕は重心を見失ってしまった。


 ガイル少佐もびっくりなサマーソルトキックを炸裂させて、ボクは後頭部から廊下にダイブした。


「ぎゃああああっ!痛ええええええっ!」


 ボクは重力の言いなりになり、べったりと廊下に倒れ込んだ。痛い。多分二重の意味で……


 とはいえ、想像以上の滑りを披露することに成功した。ここまでのパフォーマンスをしたのだ。これで喜ばない者はいない。多少の痛みはあったが、これで妹が感激してくれるなら、笑ってくれるなら万事がOKだ。


 うずくまりながらチラッと蒼香の表情を確認する。


「いや、なにやってんのお兄ちゃん」


 笑うでもなく、心配するでもなく、妹は僕に哀れみの表情を向けてきた。痛々しい兄を見るその目には光がなく、レーザービームの様な目線がボクを貫いた。いっそ本物のレーザービームのほうが殺してくれるだけ有難いと思ってしまう。


 思えばボクは何をしていたのだろう。自ら痛い目を見に行くことになんの意味があるのだろう。


「恥ずかしい。殺してくれ」


 既に立ち上がれるくらいには痛みは引いているはずなのだがが、僕は何故かうずくまったまま動けなかった。多分それは顔が真っ赤なせいだろう。


「心配しないでお兄ちゃん。望まなくてもお兄ちゃんは死ねるよ。お姉ちゃんが殺すからね」


維羽これは姉さんが?なんで?」


「言うの忘れてたけど、テーブルにあったバナナはお姉ちゃんが大事にとっといた高級バナナだから」


「え……」


 赤面していた顔が一瞬にして青ざめていくのがわかった。


 僕の姉、南田維羽のおやつをつまみ食いして無事ですんだ事は一度もない。それなのに僕は、あろう事か全て平らげてしまった。


 この後姉に転んだ時の痛みなど忘れる程しばかれたことは言うまでもない。


 今回僕が得た教訓は『食べ物で遊ぶとろくなことは無い』という事だ。

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