第二章その5

 合流してすぐみんなに伝え、ここを出ることにする。

 夏海には大丈夫だと言ったがいつ遭遇してもおかしくない、店を出ると千秋が斥候せっこうを勤めてハンドシグナルとアイコンタクト、スマホのLINEをフルに駆使して春菜に状況を伝える。

「いいよ、進んで!」

 春菜がみんなに言うと怪しまれないよう、夏海の周囲を四人で囲む。

「ストップ……一五秒待って」

 春菜はみんなに指示を飛ばす。千秋とはテレパシーで意思疎通し合ってるかのように目を合わせるとハンドシグナルして頷き合い、笑みを交わす。

 さすが元テニス部で組んでただけあって息がピッタリだ。

「千秋ちゃん……やっぱり仲良しじゃない」

 冬花は嬉しそうに笑みを向けると視線の先は千秋で、目を合わせると精悍な笑みで頷く。僕たちが上に出かけてる間に、きっと二人の間にいいことがあったんだろうと光は望と目を合わせて言う。

「花崎さんと雪水さん、なにかいいことあったのかな?」

「うん……花崎さん冬花に心を開いたみたい」

 感慨深そうに言う望、確かに終業式の日に初めて会った時に比べ、ほんの少しだけ千秋の表情が柔らかくなったような気がする。もしかすると僕や風間さんとは違うベクトルで内向的な性格なのかもしれない。

 そう思った瞬間だった。

「夏海、ここで何してるの?」

 温かい気持ちになろうとした一瞬、後ろから聞き覚えのある声が響いて一瞬で張り詰めた空気に変わると夏海は振り向いて静かに動揺し、かつての仲間の名前を呟く。

「恵美ちゃん……」

 よりにもよって守屋恵美だ! 今日は一人だからストッパー役の駒崎さんがいない、ハブったか!? 光は身構え、守屋さんは買ったばかりの水着が入った紙袋を見つめて訊く。

「その手に下げてるのは何? 私たちを置いてどこかへ遊びに行くつもり?」

「これは……その……」

 夏海は視線を逸らし、口ごもった。言えるわけないが夏海をここで渡すわけにはいかない、光はゆっくり深く吸って夏海の前に出る。

「悪いけど守屋さん、風間さんはもう……僕達と夏休みを過ごすって約束したんだ」

 光は躊躇いを振り払って言い切ると、守屋さんは忌々しげに見つめた。

「……四組の朝霧君ね。夏海……もうすぐコンクールなのに大事な時期に男を作って、吹部のみんなになんて言うつもりなの? 八千代だって――」

「悪りぃけど朝霧君の言う通り、夏海はあたしたちと最っ高に楽しくて夏休みをちゃんと夏休みするって約束したんだ」

 春菜が夏海と守屋さんの間を塞ぐように立つ、後半は望の受け売りだが。

 守屋さんは敵意を露にした眼差しで睨みながら、捲し立てる。

「何よあなたたち! 吹部のみんなが夏海を必要としてるのよ! わからないの!? もうすぐ大事なコンクールの予選なのよ! 夏海だって去年やめたこと、本当はみんなに申し訳ないと思ってるでしょ? 去年のコンクールだって――」

「そんな言い方やめろ! 夏海、吹部が去年予選落ちしたのは絶対にお前のせいじゃないからな! 絶対に自分を責めるなよ!」

 春菜は強く言葉を遮り、夏海に強く言い聞かせる。夏海は今にも泣き出しそうな表情で「うん……」と頷く、その間に千秋が守屋さんに歩み寄ると毅然とした声で訊いた。

「去年コンクールで予選落ちしたの、風間さんが辞めたからって言いたいんでしょ?」

 守屋さんは図星なのか、目を逸らして苦しそうに言う。

「確かに夏海がいれば通ったのかもしれない……だけど……現実は落ちた、もしかしたら卒業した先輩たちに申し訳ないと、夏海も悔やんでるのかもしれないのよ」

「……もし仮に、大事な試合で私と春菜がダブルス組んで……お互いに致命的なミスして負けたとしても……私は絶対春菜のせいにしないし、春菜も絶対に私のせいにしないわ……コンクールの予選落ちを人のせいにする……そんな吹部、辞めて正解よ!」 

 千秋の凛とした声が響く、もし光が夏海と出会わなかったら確実に惚れるほどだった。

 周囲を見回すと行き交う人たちは足を止めたり、連れの人とヒソヒソ話しをしたり、スマホで撮影してる者さえいた。細高の生徒もいるのかもしれない。

「去年と今年じゃ違うわ!」

 守屋さんはハッキリと断言すると望が反論した。

「いいや、さっき吹部のクラスメイトと会って話したけど……風間さんの復帰を望んでるのは笹野先生の洗脳が解けてない、君はその一派の急先鋒だって話してたよ」

「誰なのよそんなこと言ったの! 酷い陰口を言うなんて!」

 守屋さんの振る舞いはだんだん落ち着きが失われていく、それでも千秋は容赦しない。

「陰口ならあんたも散々言ったじゃない、春菜や風間さんのことも……駒崎さんがいない間に、聞いてドン引きするほどだったわ」

「盗み聞き? 花崎さん、二学期にはもう学校にいられないと思った方がいいわよ」

「あんなうわべだけで仲良しごっこして、裏ではマウント取り合って、陰口叩き合って、蹴落とし合うクラスなんて、とっくの昔に見限ったわ。春菜のクラスにも迷惑かけるし」

「!? まさか……」

 春菜は勘づいたのか、呟いて守屋さんを見つめる。

「知ってるわ、春菜のクラスの子が喫煙したって嘘の情報、流したのあんたたちでしょ?」

 千秋は飄々とした微笑みを見せると、春菜は千秋と守屋さんを交互に見る。

「まさか、玲子先生が吸った煙草の吸い殻を使って嫌がらせしたのは……」

「ええそうよ。大丈夫よ春菜、高森先生にチクってお灸を据えてもらったから……今は気丈に振る舞ってるけど、生徒指導室に呼び出された時は柴谷先生や玲子先生に怒られて、笑えるほど情けない顔でメソメソ泣いてたわ」

 千秋は鼻で笑って挑発した。光は決めた、花崎さんと口喧嘩するのは絶対にやめよう。夏海は春菜の後ろに隠れるのをやめて、守屋さんに歩みながらハッキリと問う。

「それ本当なの恵美ちゃん?」

「……そうよ、夏海を連れ戻すためにホームルームを長引かせるだけでよかったのよ」

 守屋さんは苦いものを吐き出すように呟くと、春菜は驚愕して怒気を放ちながら一歩詰め寄る。

「たったそれだけのために……お前! 二組にも吹部の仲間がいるだろ!」

「そうよ! 二組の吹部の子たちになんて言うつもりなの?」

 千秋も同調すると、守屋さんも一歩詰め寄って言い返す。

「夏海を連れ戻すために仕方なかったのよ! 部活やめてなんの目標もなく、ただ寄り集まって傷の舐め合いをしてる人達なんかと一緒にいて、なにが楽しいのよ!」

「……もう一度言ってみろ!! その――」

 春菜は怒りを露にし、千秋もキッと睨んで手を振り上げて平手打ちするより速く、夏海が涙を浮かべながら守屋さんの頬を引っ叩いた。

 乾いた音が響き、守屋さんは呆然と夏海を見つめる。

「夏海……」

 守屋さんは呆然とした表情で、引っ叩かれた頬を指先で触れながら夏海を見つめる。

 光は数秒間の沈黙が長く引き延ばされたかのように感じた。

「どうして……どうしてあんなことしたの!? 私のことはいくら言っても構わないわ! でも、そんな私に手を差し伸べてくれた友達のみんなを傷つけるなんて……絶対許さないから!」

 涙を溢しながら啖呵を切る夏海、周囲を見回すと野次馬が集まって光が思ってる以上に騒ぎが大きくなってる。

 光はすぐにここを出た方がいいと判断した。

「みんな、ここを離れよう! 風間さん行こう!」

「夏海、厄介事になる前に逃げるわよ!」

 春菜も半ば強引に夏海の肩を掴んで外に出た。


 辛島公園を通って下通アーケード街を足早に抜け、熊本では有名な老舗の鶴屋つるや百貨店の裏にある小泉こいずみ八雲やくも熊本旧居横の公園まで行く間、殆ど言葉を交わさなかった。

 体力があるとは言い難い冬花は息切れしながらベンチに座る。

「みんな……ここまで来れれば大丈夫だよ……多分」

「ああ、少なくとも追ってこないと思う」

 さすがの望も汗だくだ。光は俯いてベンチに座る夏海に声をかけようと、一歩踏み出すがそこで止まる。夏海はボロボロと涙を流してすすり泣いていた。

「みんな……ごめんね……私のせいで、私がしっかりしなかったばかりに」

 重苦しい空気が流れる、永遠に続くと思った沈黙を破ったのは春菜だ。

「……なぁに弱気になってんだよ夏海! さっきのお前、すごくかっこよかったぜ!」

 春菜は険しい表情から満面の笑みになって夏海の肩をポンと叩くと、夏海は「えっ?」とすすり泣きながら顔を上げた。千秋も精悍さと慈しみを併せ持った笑みで優しく言い聞かせる。

「そうよ……だから夏海、自分を責めないで」

 千秋は名前で呼ぶ、そして冬花もギュッと抱き締めた。

「夏海ちゃん、ありがとう……あたしたちの名誉を守ってくれて」

「春菜ちゃん……冬花ちゃん……千秋ちゃん……」

 そして夏海は冬花の胸の中で声を上げて泣いた。まるで、地上に出てこの夏を精一杯生きようと鳴く蝉たちのように。

 この子には心から笑って欲しい、果たして僕にできるのだろうかと光は唇を噛んだ。

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