400話 澗の計画

「待って、待ってください。嘆きの川アケローンしずめるってどうしてですか?」

 

  物騒なことを言い出した澗さんに、壁のギリギリまで詰め寄った。


「父への嘆願です。私の水門を解放します。私の名であるけんから門を解放すると、しずむことが出来るのですよ」

 

 澗さんにとって、門は開け放つものではなく、解き放つものらしい。確かに澗さんの名から、門の字が放たれれば、残るのは『しずむ』という字だ。

 

 氷之大陸の一族は皆水門があるという話を思い出した。言われてみれば、玄武伯の真名はユリ。その子はうるおかつけんなみ……と門がある。

 

 水門というのはこれだったのか。もっと早く気づくべきだった。

 

 ベルさまだけ水門がないということは、ベルさまの名に門の字は入っていない。また少しベルさまの名に近づいた気がした。


「そうすると……水門を解放すると澗さんはどうなるんですか?」

 

 ベルさまは門がないから理力が垂れ流しだったという。今は稀だけど、気を抜くとすぐに辺りを巻き込んでいたそうだ。

 

 澗さんも理力の垂れ流し状態になるのだろうか。

 

「門の解放、すなわち全理力の解放です。全理力をもって氷之大陸オーケアノスへ抵抗。本体を氷之大陸へしずめます。今度こそ、淼さまと『今後』お会いすることはないでしょう」


 澗さんは、僕が思っていた以上に重いことをしようとしていた。

 

「そんなことをしたらダメです」

「ですが、効果的です。ここには淼さまがいらっしゃいますから」

「な、なんで僕がいると効果的なんですか?」

 

 なんだか嫌だ。理由は分からないけど、僕が来ているせいで、澗さんが命懸けの嘆願を行おうとしているなら……後味が悪い。


「淼さまがいらっしゃる間に起きたことは、王館……ひいては精霊界全土に伝わると考えて良い。『玄武伯は、息子が命を懸けて行った嘆願を無視した』などと、批判を浴びる気はないはずです」

 

 玄武伯でも周りの評価を気にするとは意外だった。心情的に何を言われても平気……ということはないだろうけど、勝手に言わせておけ、とでも言いそうだ。


「批判に限らず、賞賛も浴びたくないはず……。氷之大陸は王館とも世界とも関わらない。他人ひとの目に触れ、耳に入ることは避けたいはずです」

「なるほど。良くも悪くも、精霊界の興味を氷之大陸へ向けたくないわけですね」

 

 それなら納得だ。

 批判を恐れているというよりも、精霊界の注目が集まることを避けたいわけだ。 

 

 でも、だからと言って澗さんを犠牲にするわけにはいかない。ベルさまの身代わりになるようなものだ。ベルさまがそれを知ったら、きっと傷つく。


「澗さんがいなくなったら、玄武伯もベルさまも悲しみますよ。僕のベルさまを悲しませるようなことをしたら、澗さんでも許しません」

 

 澗さんは目の面積を広げて、口まで半開きだ。

 

「……わーぉ」

 

 中途半端に指を広げた手で口元を覆った。指の隙間から唇が見えていて、隠せていない。

 

「本格的に暑くなってきました」

 

 その手を襟元まで持っていって、一番上の留め具を外した。首元が露になる。黒い髪のせいなのか、肌がかなり白く見えている。


「水門の解放がダメだとすると、もうこの方法しかないですね」

「他に良い方法があるんですか?」

 

 次の手がすぐに思い付くのがすごい。流石、ベルさまの兄上だ。 

 

「あります。ありますが、まずはこの壁を何とかしないといけません」


 部屋から出ることが目的ではなく、壁の対処が先か。まぁ、部屋から出られたところで玄武伯の配下に見つかって終わりだ。

  

「淼さま。こちら側は私の部屋です。この壁は父の結界ですが、解除は可能です。ただ、解除できるのは結界の機能だけで、壁として破壊は出来ません」

 

 ただの壁は残るってことか。触れても大丈夫なら、対処のしようがある。

 

「私は腕力がないので破壊は出来ません。淼さまにお願いできますか?」

「良いですけど……でも武器がありません」

 

 丸腰で来てしまったから壊すものが何もない。拳で壁を殴っても壊れるかどうか。

 

「氷刀で壊せますか?」

「うーん。その辺の椅子とかテーブルとか、投げつけてみたらどうですか?」


 澗さんの答えはかなり雑だった。

 

 ちょっと見ただけで高そうなテーブルを投げろというのか。

 

 僕の不安を無視して澗さんは、着々と壁の解除を始めていた。踏み台を持ってきて、壁と天井の繋ぎ目をいじっているようだ。ここからは見えないけど、思ったよりも作業が地味だった。まさか手作業だとは思わなかった。

 

「大丈夫ですよ。御上なんて何度も壊してますから」

「え、ベルさまがですか?」

 

 ベルさまがテーブルを投げている姿を想像してみた。……ダメだ。何をやっても様になっている姿しか想像出来ない。

 

「よく、父に叱られて、不貞腐れて、私の……よいしょっと……私の部屋にやってきて、溢れた理力で机やテーブルをいくつも壊していきましたよ」

 

 澗さんは踏み台から飛び降りて、もう片方の角へと移動していった。

 

「仲良かったんですね、ベルさまと」

「仲が良いかどうかは分かりません。他と比べたことがないので」

 

 他所と交流がない氷之大陸ならではの回答だ。


「僕は実の兄に命を狙われました。おかげでベルさまと出会えたんですけど、感謝はしたくないですね」

「それは同じ理力を受け継いだから兄というだけであって、本当の意味での兄弟ではないですね。兄弟というからには助け合わねば。感謝する必要などないでしょう」

 

 澗さんにそういってもらえて、少しだけホッとしている自分がいた。美蛇がいなければベルさまと出会えていないのは事実だ。でも、どうしても心の底から感謝することは出来ない。

 

 命を狙われたということも勿論だけど、ずっと信じていたのを、裏切られたから余計なのだろう。

 

「いいではありませんか? そんな兄と呼べないような兄などいなくても。御上と魂繋なさるのでしょう? 私どもが義兄ではご不満ですか? 少なくとも命を狙うことはしませんよ」 

 

 澗さんは僕がベルさまと魂繋することに反対ではないらしい。他の兄上たちはどうか分からないけど、ひとりでも味方が出来た気がした。

 

「さぁ、出来ました。これで解除は完了です。淼さまお願いします」

「はい!」

 

 ちょっとテーブルは遠慮して付属の椅子にした。片手で持って、勢いをつけるために前後に揺らす。

 

「恐らく父はもう気づいています。お早く」

「分かりました。下がってください」

 

 結界が解除されれば、作った本人はすぐに気づくだろう。ここに来るのは時間の問題だ。

 

 勢いをつけて椅子を壁に投げつけた。厚みのある壁は見た目ほどの強度はなく、派手な音を立てて崩れ落ちた。

 

「澗さん、怪我はないですか?」


 壁の残骸を乗り越えて、澗さんがいた場所へ足を踏み入れた。

 

 一歩、二歩進んだところで、澗さんに手首を掴まれた。突然のことに反応が鈍くなってしまった。

 

 複数の足音が近づいてくる。

 

 澗さんは僕の手を掴んだのと反対の手で、開きかけの自分の襟を破った。

 

「な、何をするんで……」 

「誰かー! 淼さまに襲われるー!」

 

 ぅええぇ!?

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