352話 免の城へ

「これで、最後ですっ!」

 

 潟のひと振りで最後の一体が倒れた。綺麗に首から分断された頭が、やけにゆっくり飛んでいったように見えた。

 

 一面の黒い人型……だったもの。

 

 やや傾き始めた太陽を受けて、黒光りしている。石炭が海を作っているようだ。

 

「手間を取られましたね」

「あぁ、でも本館への侵入は防げたかな」

 

 ベルさまに連絡を入れるのが先か、それとも戻ってしまっていいものか。

 

「戻りますか?」

「うーん……これ、放置しても大丈夫かな」

 

 潟が転がった物体を爪先で小突いた。当然ながら何の反応もない。

 

「流石に動き出さないとは思いますが」

「それは僕もそう思うけど……いや、待って。今、動かなかった?」

「え、どこです?」

 

 気のせいか?

 潟が蹴った隣の物体が、少し動いたような……。

 

 凝視していると、カタカタカタと本当に小さな音が奥の方から聞こえた。初期微動が立てる音のように小刻みで……胸騒ぎがする。

 

「やっぱり動いてる!」

 

 黒い物体が小刻みと震えて、カタカタという音を奏でている。一体、二体と少しずつ広がって、一面から聞こえるようになった。


「くそっ!」

 

 潟が怒りに任せて大剣を振り下ろした。首のない胴体が二つに切り分けられた。震えが止まったのは斬られた一瞬だけで、胴体が切り離されても、カタカタと鳴っている。

 

 今にも動き出しそうだ。

 

「潟、一旦離れよう!」

「しかし……」

 

 渋る潟を引っ張って、その場から離れた。角を曲がって建物の陰に隠れた。あの状態だと斬りかかってくることはないだろう。でも、最後の力で体当たりでもしてくるかもしれない。ここならそれも防げるし、様子も確認できる。


 僕たちが離れると、しばらくして黒い塊が浮き上がった。

 

「逃げるつもりでしょうか」

「そんな力が残ってるとは思えないけど」

 

 最初はゆっくりと。僕たちの目線よりも高い位置まで浮き上がると、勢いよく飛び上がっていった。

 

 吸い込まれるようなその動きを目で追っていく。その先には……巨大な灰色の雲。

 

「雫さま……あれは」

 

 竜宮を思わせる巨大な雲。

 しかし、その色は免を連想させる嫌な灰色。

 

 そして自然発生した雲ではないことは明らかだった。灰色の積乱雲は五つの王館の中心に浮かんでいる。風が吹いても形を崩すことなくそこに佇んでいる。

 

 意図的にそこにいる。

 

「ようやく免本人の登場かな」

 

 自分の口元はちゃんと上がっただろうか。潟に笑いかけたはずだったけど、もしかしたら失敗したかもしれない。

 

「行ってくる」

 

 すっかり片付いてしまった地を蹴って、一人分の雲に足を掛けた。

  

「お待ち下さい。私も参ります」

「潟、頼みがある」

「……雫さまの身に危険が及ぶ命令なら聞けません」

 

 そう言われることは想定済みだ。

 

「違うよ。僕がもし免に負けたら」

「な、なんてことを仰るのですか!?」

「まぁ、まぁ」


 荒ぶる潟を宥める。肩に手を置いて落ち着かせた。雲に乗った僕の方が、頭ひとつ高い位置にいる。グッと力を込めて潟を抑えた。

 

「もし負けたら、潟が水太子を継いでくれないかな」


 潟が目を見開いた。これ以上開かないというところまで開いている気がする。

 

「仮に、の話だよ。火理王さまが言っていたけど、太子はそう簡単に消えることも死ぬこともしないらしいから」

 

 焱さんが重傷を負ったとき、『王太子は理によって守られる。理王にならずしてその任を下りることは許されない』と仰った。

 

「確かに、即位せずに消失したという話は聞いたことがありませんが……だとしたら尚更です。何故、そんな不吉なことを仰るのです!」


 潟は泣きそうだ。

 

 でも慰めている暇はない。潟の肩から手を離して、水の箱に閉じ込めた。


「雫さま!?」


 潟の籠った声を聞こえないフリをして、雲を飛ばした。

 

 僕を心配してくれる潟には申し訳ないけど、僕が無事である保証はない。


 相手にルールが通用するか分からないのだから。これまで免と何度か会ってみて、同じルール上で生きているとは到底思えなかった。

 

 ルールは太子を守ってくれるとは言っても、それは精霊界に暮らす精霊同士の話だ。相手の理に影響された場合、僕を守ってくれるかどうか、それは分からない。


 雲の速度を上げて、ほぼ垂直に昇っていく。吸い込まれていく黒い物体を、途中で何体も追い抜いた。

 

 スピードを落とさないまま灰色の雲に突っ込む。雲の中とは思えない乾き具合。そして嗅いだことのある不快な匂い。

 

 人間が腐敗してボロボロになったときの匂いだ。鼻が曲がりそうで、まともに息が吸えない。自然と涙が出てきた。

 

まぬが、僕が来たぞ! ここにいるのか!」

 

 自己主張が強すぎる言い方だったな、と言ってしまってからちょっと後悔した。でも息苦しさの方が勝って、後悔はすぐにどこかへ行ってしまった。

 

 ガシャンガシャンと音がして、黒い物体が集まっていることが分かった。雲で隠れていてよく分からない。

 

「『氷風雪乱射ブリザード』」

 

 理術が通用するか微妙だったけど、灰色の雲はブリザードに吹き飛ばされた。息が出来るようになって、更に周りの様子も見えてきた。

 

 僕はまだ雲に乗ったままだけど、足を着けてもよさそうな地面がある。

 

 その上に黒い元人型がたくさん転がっている。それに埋もれることもなく、灰色の平べったい石がほぼ均等に並んでいた。石碑にも見えるけど、それにしては数が多い。

 

「免! ここにいるのか!」

「おりますよ。何度も呼ばずとも聞こえております。返事をするまで呼び続けるつもりですか?」

 

 ひときわ高い石碑の上から免の声が下りてきた。太陽を背にして、免は腰かけていた。逆光で表情は分からない。

 

 玉鋼に手を掛ける。いつでも抜ける距離だ。

 

「やれやれ、やってくれましたね」

 

 免は石碑から下りると、手頃な黒い物体を拾い上げた。切り口から伸びる赤や緑の線をブチブチと引き抜いた。

 

 線の先に真珠のような物がついている。赤と緑の線にそれぞれひとつずつ。ややくすんでいて、真珠ほど美しくはない。

 

「これ一体を動かすのに人間の魂が二人分必要なのですよ。全て倒されるなんて想定外です。勿体ないことをしてくれましたね」

 

 免は無表情だ。

 

 怒っている。今までで一番、怒っている。

 

「まぁ、再利用しますがね」

 

 免が右手で軽く珠を撫でると、嘘のように光沢が出た。今度は真珠と言ってもいいかもしれない。

 

「これで、また使えます。人間の魂は数に限りがありますから、大事に使わないと」

「それは……人間の魂なのか?」

 

 疑問というよりは確認。

 免はそれに無言の笑顔で返してきた。

 

「僕たちは人間と戦わされていた……ってことか」

「いいえ、魂は動力源に過ぎません。体は私が用意した機械です。AIの一種ですよ」

 

 やっぱりAIか。隼さんと同じ一族だ。AIがいつも僕たちの味方になってくれるわけではないと分かってしまった。

 

 免は今磨いたばかりの珠をポイッと投げ捨てた。

 

「大事に使うんじゃないのか?」

「ええ、勿論。それより折角のお客様ですから、しっかり接待せねば」

 

 免は帽子を取り、わざとらしく手を胸に当てた。大袈裟な動作で恭しく膝を折る。


「ようこそ私の居城・奥都城おくつきへ」 

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