301話 溢れる魄失
「菳と同じ目に合わせてやる」
低い声が喉から漏れる。潟は当然のように僕の隣に陣取った。
「同じ目? ほほ、
切られた腕の付け根を押さえる様子は搀の姿と重なった。雰囲気も格好も似ていないけど、やはり同じ
「馬鹿を言うな。菳にしたのと同じようにお前も拷問にかけるだけだ」
菳を調べたと言っていた。きっと酷い目に合わされたに違いない。
しかし、
先ほどまでは少し痛がっていたように見えた。もう痛みが引いたのかと、少し不気味さを覚えた。
「あらあら、そんな拷問だなんて。痛いことなど何一つしておりませんわ。自ら喋りたくなるような方法は痛みでなくてもありましてよ」
残った腕で傘を拾うと肩に柄を持って、氷の壁を打ち砕いた。先生が作った箱を簡単に壊すとはやはり手強そうだ。
睌はその勢いを保って、閉じた傘で地面から湧いて出た魄失を突き刺した。
崖下から上がってくるはずの魄失が何故、ここから湧いてくるのか。先生がわざと取りこぼしたのか?
でも
「睡魔に合わせて快感を与えれば、大抵素直になりますわ。雫さまもご経験がありますでしょう?」
「……チッ」
不本意極まりない。
危うく名前を書き換えられるところだった。眠いのに眠れなくて、ただ気持ちよさだけを与えられるという……今、考えると苦痛だ。
「王館の構造、各太子の現状、各理王の関係など、全て有益な情報ばかり。私の見た限りではその子は悦んで、免さまの質問に答えておりましたわ」
潟さんは菳を睨んでいるようだけど、僕は菳を責められない。免にいくつか質問され、口が勝手に動いてしまったことをよく覚えている。
免の手が、声が、とても気持ちよくて、抗う気を失くす。それどころかうっかりすると従ってしまいたいとさえ、思ってしまう。
僕自身への質問だからまだ良かったものの、王館やベルさまに関することを聞かれたら拒めただろうか。
それを経験した手前、菳だけを責めることは出来ない。悪いのは菳ではない。免だ。
「私にも同じことをなさるのですか?」
睌が切れ長の目をこちらに向けた。
なるほど見覚えのある
「要するに快感に沈めてしまえば良いのですね。試してみますか?」
潟が僕の前に出た。
相変わらず僕を守ろうとする意思が強い。
「お相手してくださるの? 貴方に私の相手が勤まりますでしょうか?」
「ええ、これでも昔は数多くの女性を泣かせて来ましたから、自信はありますよ」
何の話だ?
「とまぁ、冗談はさておき。今度こそ免の配下を逃がしはしません!」
潟が
さっきの氷の箱は簡易的なものだったようだけど、今度はそう簡単に破れない。
睌は傘で軽く氷柱を叩いて壊れないことを確認すると、諦めたように息を吐いた。
「残念ですわ。例外の魅力を越える快感を期待しておりましたのに」
「戯言を。雫さま、このまま王館の牢に移動しましょう」
「え、でも竜宮城が……先生も」
エムシリさんがそのままだ。置いてはいけない。
それになにより先生を迎えに来たことを忘れてはいけない。先生はマイペースに魄失を倒している。
この魄失は一体いつまで湧き続けるのか。
「本当に残念ですわ。これから慌てふためく様を拝見できないなんて……」
「何?」
睌は捕まっているというのに余裕の表情だ。腕を切られても普通に会話している辺りから少し感覚はおかしいと思っていた。でも、まだ何か仕掛けてきそうだ。
「ご安心を。
睌は氷柱牢獄の中で傘を開いた。狭い空間の中で傘をひと振りして地に突き刺す。開いたままの傘が逆さまに突き刺さっている。
「
「自害した?」
「そんな……それにしては」
潟が氷柱地獄を解除しようとするのを止める。罠かもしれない。
しばらく呆然と睌を見つめてみる。動く気配がなく、先生が魄失を凪ぎ払う音だけが響いている。
「……先生。この魄失はいつまで続くんですか?」
睌が動きそうにないので、先生の判断を仰ぐ。このまま王館に連れ帰るべきか。それともここで倒してしまうべきか。
『これは終わりがない。免が人間を故意に侵入をさせておるのじゃ』
「やっぱり! 人間には免が絡んでいるんですね!」
繋がった。
何故、先生にはそれが分かったのだろう。上空を漂う先生を見ていて首が疲れてしまう。
「あら、バレてしまっていたのですね。いや、ですわ。気づかれないように努力していたのに」
ギョッとして首を戻す。睌は傘の中で倒れたままだ。声の方向は少し離れた石碑の前だ。
その前でゆっくりと人型が立ち上がった。
「あら? 腰が痛いですわ。膝も痛みますわね。ご老体というのは不便なものですね」
先生が立ち上がった。先生の声で、睌の話し方で気味が悪い。
「先々代水理王さま。お
『何と! 魂転移かっ!』
先生の声で焦ったような声を初めて聞いたかもしれない。
潟が剣を持って駆け出した。先生に切りかかって行く。でも先生……の姿をした睌は年齢に似合わない俊敏な動きで躱していく。
しまいには突如放った理術で潟を弾き飛ばした。岩に叩きつけられるまで、潟は止まらなかった。威力が凄まじい。
睌の実力ではなく、先生の理力がなせる技だ。魂が入ってなくてもあれだけの理術が出来るなんて、先生が本当に恐ろしい。
「なるほどこれが理術というものですね。私、初めて使いましたわ。それにしても腰が痛みますわ」
岩に背中を打ち付けた潟が、立ち上がるまでに時間がかかった。僕も加勢に行こうとしたら、先生にその場を動かないよう注意されてしまった。
『雫、
睌の魂は先生の
そういった矢先に、一匹の魄失が脱け殻になった睌の体を狙ってズルズルと這ってきた。それを菳が追い回して踏み潰した。
「でも……」
『でもではない。皆、それぞれにやるべきことがあるのじゃ。しっかりせい!』
戦闘中に本気で叱られてしまった。
「本当に腰が痛いので、そろそろ終わりに致しましょう」
睌は一方的にそういうと石碑に近づき、左手を置いた。
「免さまにこの光景が見せられないのが残念ですわ」
潟が睌に追い付いた。睌は邪魔されたことを不快に思ったらしく、眉間にシワが寄っていた。見慣れた表情が何だか悔しい。
潟を吹き飛ばそうと放った理術を、今度はしっかり避けている。先生の理術とはいえ、行動パターンが読めてきたようだ。
『やはり……狙いはそれか』
「何ですか?」
『石碑はこの恒山の一部じゃ。いわば恒山の蓋みたいなものじゃな』
鯨がゆっくりと向きを変えた。僕のところまで頭を下げてくれたお陰で、話がしやすくなった。
「じゃあ、睌は蓋を取ろうとしてるってことですか? 蓋がなくなるとどうなるんですか?」
『それはもう分かっておろう? 蓋が閉められた状態でもこのザマじゃ』
僕の横を氷弾が掠めていった。もう少しで魄失に足を捕まれるところだった。理力がない分、気配を感じにくい。先生が倒してくれなかったら、ちょっと危なかった。
「人間が攻めてくる……んですか?」
『可能性は高い。少なくとも魄失化した人間は押し寄せるじゃろう』
今だって次から次へと湧いてくるのに、これ以上に増えるだって? 数が多すぎる。キリがない。
『免はどういうわけか、理力を集めておる。理力というよりも魂じゃな。しかも魄失は
「愛する者を取り戻したいらしいですよ」
睌と潟が激しくやりあっている。睌は使い慣れない先生の
一方、潟は潟で本気ではない。父親の姿を前に遠慮しているのが表れていた。
『取り戻したいというからには失っておるのじゃろう。失ってから後悔しても遅い』
足下に現れた魄失を二体倒しながら先生の話を聞いていた。もし、今ベルさまを失ったら……と、考えかけて止めた。想像もしたくない。
『潟、手加減無用じゃ。儂を殺せ!』
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