276話 海底火山へ

「よっ……と」

 

 連縄沖しめおきの小岩への着地に成功した。連縄は名前の通り、岩に太い縄が結んである。少し離れた大岩に縄の端が通されていた。

 

 かつてこの辺りの水精同士が領域を巡って争いになったらしい。連縄沖しめおきはその際の調停で決められた領域だ。

 

 この縄は領域を主張する目印になっているらしい。それ以来、目立った争いはないので、うまく収まっているようだ。


「淼さまー」

ごん、ちょっと待ってね。潜る前に……って菳!」

 

 隣にいたはずの菳がいない。

 

 声が下から聞こえると思ったら、菳は岩からずり落ちていた。二人分の足場としてはギリギリだったけど、ちゃんと菳の足が着地するのを確認している。何故、全身で岩にしがみついているのか。

 

「淼さま。この岩、苔生えてないねー」


 どうやら苔仲間おともだちを探していたらしい。確かに岩には苔が付いていることが多い。でもこの岩に付いているのは、海草や貝の仲間だ。

 

「岩の感想は良いから掴まって」

 

 下に向かって手を伸ばす。ボコボコした岩の壁面には波がかかっている。当然、菳も濡れている。

 

「ペペッ!うわーしょっぱー」

「海水の感想も良いから早く!」

 

 菳は塩分が嫌いらしい。大人しく僕の手を取った。滑る手が外れないように気を付けながら、慎重に引っ張りあげる。

 

「錆びちゃうー」

 

 半分は金精だから塩分を嫌うのは当然と言えば当然だ。

 

 濡れた菳から水分を飛ばすと、表面に塩の塊が浮かんできた。白い筋になっている。

 

 払えるだけ払って塩を海に落とした。取れない分は真水で拭いとってから海へ返す。昔、先生に言われた通り、塩はちゃんと返すことを忘れない。

 

ごん。危ないから勝手に行動しないで。僕の指示を待つか、僕に言ってから動いて」

「はーい」


 聞き分けが良いのが逆に不安だ。

 

 溜め息が出そうになったのを、爆発音で止められた。噴水のように高く海水が噴き出し、広がりながら海面に落ちていく。

 

「淼さま、これ噴火かなー?」

「そうだね。急ごう」


 グズグズしてはいられない。噴火を止めることは出来なくても、せめて周りの精霊を避難させることくらいは必要だ。

 

「菳、これ被って」

 

 一見何もない空間に手を突っ込み、外套を引っ張り出す。バサッと広げて菳の頭から被せた。

 

 理力に収納が出来るようになってから、とても便利だ。そこまで大きなものでなければしまっておけるし、持ち運びもできる。


「淼さま、これ何ー?」 

みずちの皮。僕の養父ちちが送ってくれた防水具だよ」

 

 脱皮したものを添さんが縫ってくれた。誰が着ても良いようにゆったりと作ってくれた。しかも、袖や丈は長さが調整できるように、留めるぼたんまで付けたくれた。

 

「ふーん。菳は水好きだよー?」

 

 防水という言葉に引っ掛かったみたいだ。木精にとって防水は自殺行為だ。

 

「でも塩水は嫌でしょ?」

「そーだねー」


 菳は頭から被ったままで袖を通さず、前の紐を締めてしまった。色々間違っているけど、防水にはその方が良いだろう。


「あ、また爆発したよ」

「そうだね」

 

 僕の後ろで飛沫しぶきが上がっていた。

 

 さっきから海が騒がしい。水面が盛り上がるほどてはなくても、何度か爆発しているようだ。

 

 ただ騒がしいだけではなく、吐きそうなほどの不快感がある。嫌な感じしかしない。

 

「菳、潜るよ。はぐれないで」

「はーい」

 

 菳は良い返事をして、僕の背中にくっついてきた。

 

「菳、何してるの?」

「離れないようにくっついてるの」


 本が苔だから何かにくっつきたいのだろう。

 背中が重いけど、存在を確認できるから良しとしよう。

 

 岩から海へ飛び降りた。

 

 海水が不規則に動いている。通常の視察なら、水の方が避けてくれる。トンネルのような道が出来て、主のところへ導いてくれる。

 

 でも今は違う。視察ではないし、ここは海の中とは言え、海底は火精の領地だ。自力で向かわないと辿り着かない。

 

「海底まで案内して」 

 

 海水に命令してみる。僕のすぐ側にあった水が、僕たちを底へ運ぶために蠢き始めた。

 

 時々沸き上がってくる水流に妨害されながら、底へ沈んでいく。次第に水圧が強くなって底に近づいてきたことを感じる。

 

「ねぇ、淼さまー。真っ暗だねー」

「海底だと光が届かないからね」

光苔ヒカリゴケを借りてくれば良かったー」

 

 光苔でも海底では光らないだろう。光苔が暮らす洞窟なら、僅かな光を反射出来るだろうけど、ここは洞窟と違って、僅かな光も入ってこない。入ってきたとしても屈折して思い通りには輝かないはずだ。

 

「おっと」

「痛ーい」

 

 急に足が地に着いた。足に予想外の衝撃が走る。

 

 まだ階段があると思って足を下ろしたら、段差がもう終わっていた感じに似ている。勢いで菳が背中から振り落とされた。

 

「ごめん、菳。大丈夫?」

 

 見えないので理力の気配で菳を探しだす。

 

「平気ー」

 

 声を頼りに引っ張り上げた。どうも足場が平らではないらしい。傾いている上、底が柔らかくて踏ん張りが効かない。

 

「淼さま、何すれば良いのー?」

 

 状態を確認するとは言っても……火山は小規模な爆発を繰り返している状態だ。それ以上、深入りは出来ない。

 

「前に潟さんが確認しに来てるから大丈夫だとは思うんだけど、周辺の水精が影響を受けてないか確認しよう」

「はーい」

 

 そう言って一歩踏み出した瞬間、また小規模な爆発音がした。水の中だけど、音源に近づいたせいか、ハッキリ聞こえる。それなりに振動もあった。

 

 その直後、背中に嫌な気配を感じた。

 

「淼さま、後ろ……」

「菳、伏せて!」

 

 菳の頭を抑えながら自分も体勢を低くする。頭の上を水ではない何かが掠めていった。

 

 肌を撫でる不快感。海底の温度ではない冷感。そして向けられる敵意。

 

「魄失の気配がするー」

 

 菳も気づいている。腕は確かだと言った木の侍従長の言葉は、あながち間違っていなさそうだ。

 

 菳に静かにするよう指示を出し、気配を辿る。荒れ狂う水流に紛れて、魄失が一、二、三……七体ほど確認できた。

 

 何故、こんなに魄失が集まっているのか。

 

「『沈歌姉妹セイレーン』!」

 

 水の中で水球を作るのは意外に難しい。昔の僕なら出来なかったかもしれない。でもコツを掴んだ今なら出来る。

 

 難なく十個ほどの水球を作ると、そこから人の形が生まれる。十人が楽しげに躍りながら音にならない声で歌を歌い始めた。その途端、不機嫌な水流が止まって、悶えるようにうねり出した。

 

「うわー、耳鳴りがする。気持ち悪いー」

 

 しまった!

 菳を巻き込んでしまった。

 

 先生の沈歌姉妹セイレーンを受けたことがある身としては、かなり申し訳ない。耳鳴りに続き、頭痛や吐き気もしているはずだ。

 

「ごめん、ちょっと我慢して!」

「分かった、我慢する。おえー」

 

 聞き分けが良くて更に申し訳ない。でも少しだけ耐えてもらおう。沈歌姉妹を上に放つ。より効率的に歌が伝わって、魄失を追い詰める。

 

 あっという間に魄失が七体、底に落ちてきた。足元でのたうち回っている。見えはしないけど、それに合わせて砂がサラサラと動いている。

 

「『氷柱牢獄アイシクルプリズン』!」

 

 瞬時に魄失を全て捕らえた。

 

「わー、淼さま。すごいー」

 

 菳が沈歌姉妹セイレーンの歌声から復活した。拍手をくれているようだけど、残念ながら水の中では聞こえない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る