206話 無傷の王太子

「お前たち、今の内だ! そいつを捕らえろ!」

「はっはい!」


 顔に細かい石が降ってきた。背中がぶつかった壁が少し崩れたらしい。下敷きにならなくて良かった。激の声にも負けず、パラパラという音が耳に残った。


「あいたた……」


 背中を擦る。凸凹した壁にぶつかったのでそれなりに痛い。でもそれなりなのですぐに収まった。足の小指を家具の角にぶつけた方が余程痛い。


 精霊たちが縄やら袋やらを持って近寄ってくる。恐る恐ると言った感じだ。

 

 うーん。何だろう、この感じ。全く怖くない。


 顔を上げて思いっきり睨むと、分かりやすくヒィッと息を飲んだり、尻餅をついたりと大忙しだ。僕のこともちょっとは怖がっているようだ。


 ちょっと可哀想そうな気がするけど、僕は悪くない。


「何をしている? 早く捕まえろ!」


 こんな上司嫌だ。良かったベルさまがこんな精霊じゃなくて。ベルさまがこんな感じだったら逃げ出していたかも……いや、あの頃の僕に逃げる場所なんてなかった。それに僕を救ってくれた時点でベルさまの高潔な性格は分かる。


 ……うっかり場違いなことを考えてしまった。警告も込めて、足をドンッと鳴らす。真黒な溶岩の中から水音を立てて波乗板サーフボードが現れた。


 激から受けた衝撃波は僕がさっき放ったリヴァイアサンのものだ。ちょっと痛かったけど返してくれてありがとうと言うべきかもしれない。おかげで詠唱もなしに波乗板を作り出せた。


「自分で来ればいいだろっ?」


 波乗板サーフボードの後ろに体重を掛けて、一気に加速する。流石に水の上を滑るのと違う。岩にガリガリと水量を削られていくのが分かった。それでも激との距離を詰めるのは一瞬だった。波乗板にはまだ十分厚みがある。その過程で何人か牽いてしまったのは……うん、仕方ない。


「なっ!」


 激の驚いた顔がはっきり見える。僕のことを舐めていたに違いない。高速で近付きつつ、剣に手を掛ける。激が外套を広げて僕に投げてきた。あれに包まれれば魄失になってしまう、とさっき丁寧に教えてくれたばかりだ。


 剣で外套を払ってみる。一般的な外套や上着なら玉鋼の刃が触れただけで切れてしまう。でもやっぱり切れない。海豹人セルキーの皮は強化されていて普通に切ることは出来ない。もっとちゃんと剣の刃をうまく入れる必要がある。


 外套が僕を追いかけてきている。はっきり言って不気味だ。それをかわしながら時々襲ってくる精霊の相手もしなければならない。海豹人の皮を持っていない者はまとめて鉄砲水で吹き飛ばした。緩慢な動きで斬り付けられたり、痛くはないけど鬱陶しい水球や氷球で攻撃されるので、いちいち相手をするのが面倒になってきた。


「よっ!」


 波乗板を蹴り上げて外套を抑えた。宙に動きを固定する。水盤も理術には違いない。吸収されるのは分かっている。でも一瞬だけ止められれば良い。


「馬鹿か!理術は無駄だとさっきから」

氷解一閃ひょうかいいっせんっ!」


 左から右へ剣を真っ直ぐに流す。既に吸収されかかっていた水盤がピッと横にずれ、上下に切り離された。


 水盤に抑えられていた外套も横に線が入り、力なく地に落ちた。念のため、そこに剣を突き立てる。まるで生きているかのように、少しの間ジタバタしていたけど、やがて動かなくなった。


「何?解除したのか?」

「激さま、逃げましょう。思ったより強いです」


 練習しておいて良かった。免と出会ってからは特に理術で対抗できない時のために、『理術も切れる』という剣術を磨いていたのだ。


 先生に教えてもらった基礎に加えて、剣術の本で対理術用の技を練習していた。焱さんにも付き合って貰った甲斐があった。剣は得意ではないと言ってグチグチ文句を言われたけど、なんだかんだ練習相手になってくれるあたりが焱さんだ。


「瀑布圧下!」


 激と距離を取ったまま、剣を思いっきり振り下ろす。天から真っ直ぐに滝が下りてきて、地面を真っ二つに割るような剣術だ。……あくまで例えで会ってそんなこと出来るわけないけど。


 理力を消費しないから理術ではない。でもイメージは大切だ。


「ギャアアッ!」


 逃げようとした精霊を二人ほど巻き込んで激を衝撃が襲う。周りの壁や岩をいくつか壊してしまった。沸ちゃんに起こられそうだ。それを想像してちょっと背中がヒヤッとした。


 激がどこかにぶつかる音がした。砂や埃はほとんどないので、視界は悪くないけど如何せん暗い。どこまで飛んでいったのか、よく分からない。

 

 まぁ、良いか。どこかにはいるだろう。


「激。観念しろ。王太子への暴行。故意に魄失を産み出したこと。他精霊への脅迫。罪状はいくらでもあるぞ。悪質極まりない」


 あ、見つけた。衝撃で天井に張り付いていたらしく、力なく落ちるのが見えた。顔面から地にぶつかっただろう。あれは痛そうだ。


「っそぉ、っろしてやる! 殺してやる! ……『水蒸気爆発エクスプロージョン』!!」

「なっ!」


 激の近くで爆発が起こり、一瞬で辺りに広がった。


 何で水精と火精の合わせ技を水精である激が一人で使えるのか。それを考える暇などなく、すぐに飛沫で視界が真っ白になった。腕を顔の前で組んだのは反射的なものだ。衝撃に備えて足を踏ん張る。この爆発ではそれでも耐えられないだろう。


 でも無傷でなくても、この後戦えるだけの体力は残しておきたい。無様に負けるのは嫌だ。


 ………………いつまで待っても衝撃が来ない。


 おかしい。不発だった?


 いや、違う、確かに爆発した。瞬間を見たし、音も聞いた。


 恐る恐る腕をずらして、辺りを確認する。


「あれ?」


 悲惨なことになっていた。立っている精霊がひとりもいない。仰向け、うつ伏せ、横向き、ちょっと形容しがたい色々な体勢で皆倒れている。爆発に巻き込まれたのは間違いない。


 何で僕だけ無事なのか。そうだ、それより、肝心の激はどうなったんだ?


 激がいたであろう地点に近づく。あんな感じだけど、一応は伯位アルだ。然るべき処分を受けさせないと後々面倒なことになりそうだ。


「あっ」


 激は立っていた。

 

 柱の陰で見えなかっただけで、向こうを向いて立っている。僕が近づいていることには気づいているはずなのに、こちらを振り向こうともしない。


「てめぇか。俺の山を散々荒らしやがって。あぁ? 犯した罪を償ってもらおうか?」

「メ、メルトさん!」


 煬さんが来てくれた。激の胸倉を掴んで片手で持ち上げている。力持ちだ。


「よぉ、坊主。久しぶりだな。ちょっと待ってろ、今からこいつを絞めるからな」

 

 今から絞めるどころではない。すでに首が絞まっている。

 

「メ、メルトさん、ストップ! 待って! 気絶っ、その精霊気絶してますから!」

「あ?」


 煬さんの手を掴んで激を落ろしてもらう。激の口から泡がブクブクと吹き出していた。


「汚ねぇ。俺の山をこれ以上汚すんじゃねぇよ。こんなに荒らしやがって」

「す、すみません」

「いや、坊主じゃねぇ。こいつに言ってんだよ」

 

 多分聞こえてない。あと、荒らしたのほとんど僕です。ちょっと言えなかった。

 

「あ、あの沸ちゃんが呼びに行ってくれたんですよね?」

わかは来たが、その時はすでに目が覚めていた。直後に沸が飛び込んできて、事の次第を説明されてな」

 

 煬さんは転がる激を爪先で蹴飛ばした。激は白目を向いたままでちょっと不気味だ。

 

「沸ちゃんはどこに?」

「あぁ、そうだな。沸、もういいぞ」

 

 煬さんがそう言うと、天井から沸ちゃんが落ちてきた。そんなところに抜け道があるなんて気づかなかった。


「流石、雫っ。もう叔父さまが来る前にほとんどやっつけちゃったのね!」

 

 沸ちゃんは華麗に着地を決めると、僕の手を取ってブンブンと上下に振った。肩がパキパキと音を立てている。

 

「いや、僕じゃなくて激の自滅っていうか。そうだ、煬さん、さっき僕のこと助けてくれましたか?」

「何のことだ?」

  

 煬さんが欠伸あくびをしている。緊張感がないけど、寝起きだから仕方ない。


「さっきの爆発で、僕だけ巻き込まれませんでした。煬さんが何かしてくれたのかと……」


 煬さんは知らないと首を振った。さっきのあれは一体何だったんだろう。

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