159話 水の星の暮

「何人って……何言ってるの。五人に決まってるでしょ」

 

 少し固まっていた垚さまだったけどすぐに立ち直って、呆れたように口を開き始めた。

 

「拙者は……あぁ、とりあえず放して貰えないか? ここまで来たらもう逃げも隠れもしないでござる」

 

 垚さまは少し考えてから両手をパンッと打ち鳴らした。すると大岩が一瞬で砕けて、同じ大きさの砂の山に変化した。くれるさんは拘束が緩んだことで落下し、半分砂の中に埋まってしまった。

 

「おかしな真似したら大地の一部にするわよ。まぁ、どの道あたくしの地下室アンダーグラウンドからは簡単に出られないけど」


 僕は暮さんに絡まった笹のかんを回収しながら、その丈夫さに感心する。どうやって繋いだのか分からないほど小さな結び目がいくつもある。引っ張っても千切ろうとしても全く動じない。

 

 これでは逃げられないはずだ。たかが笹の茎と侮ってはいけない。もしかしたら本や他の重い物を束ねるのに使えるかもしれない。

 

「口の中がジャリジャリでござる」

 

 ペッペッと砂を吐き出す暮さんを垚さまは嫌そうな顔で見ていた。それはそうだ。誰も自分の部屋に唾を吐かれたいわけがない。

 

「あまり汚さないでほしいわね。で、それはそうと『また理王か』っていうのはどういう意味かしら」

 

 やっと本題に入った。何だかここまでとても無駄な時間を過ごしてしまった気がする。

 

「どうもこうも言葉通りの意味でござる。拙者は理王が何人もいるとは聞き及んでおらん」

 

 何だか過去の自分を見ているようだ。理王が五人いると知ったのは先生に教えてもらってからだ。それまでの僕は全ての位の上に理王がいるんだなぁという漠然とした理解しかなかった。

 

「……解せないわね。理王が五人いるのは当たり前でしょ」

 

 高位精霊や理王の身内にとっては当たり前の話かもしれない。けどそういう精霊がどれだけいるだろうか。叔位カール季位ディルにとっては理王なんて雲の上の存在だ。気にしなくても生きていけたから、気にする必要がなかったのだ。

 

 今は僕はどうだろうか。気にしなくても生きていけるだろうか。

 

 理王と聞いて、真っ先に淼さまの顔が浮かぶ。それに火理王さまや木理王さまも衣を貸してくれたり、正装を作ってくれたりした。土理王さまは一度しか会ったことがないけど、金理王さまは徽章を贈ってくれた。

 

 すでに五人全ての理王と顔を合わせている。……合わせてしまっている。淼さまたちを気にせず生きるなんて出来ない。

 

「当たり前と言われても、それはそちらのルールでござろう? 拙者の世界では理王という地位すら存在しないでござる」

「どういうこと? その言い方だと別の世界から来たみたいに聞こえるわ」

 

 暮さんがようやく砂の山から出てきた。ずっと岩に縛られていたから見上げて話していたけど、改めて近くに立つと意外と小さかった。僕よりも背が低い。

 

「その通りでござる。拙者は『水の星』から参った」

 

 暮さんは胸を張って堂々とした顔を作った。胸を張ったことで少しだけ背が大きく見えた。

 

「水の星? 古の精霊がいたって言う世界かしら」

「あ、それ借りた本で少し読みました。七割以上が水で覆われているって言う伝説上の星ですよね。精霊が元々住んでいたっていう」


 垚さまは肯定しながら指を上向きに折って、床から手頃な岩を三つ生み出した。

 

「よく勉強してるわね。立ち話もなんだから座りましょ。ほら、貴方も座りなさい」

 

 垚さまが軽く岩を撫でると、岩が椅子に変化した。自分が座った隣の椅子をポンポン叩いて僕たちにも座るよう促す。

 

「伝説でござるか。伝説ではなく現実でごさる。拙者は水の星、通称『地球』から参った」


 水の星なのに別名が『地』の球ってどう理解すれば良いんだろう。冷たい岩の椅子に腰掛けながらふと矛盾を覚えた。

 

「水の星って崩壊したんじゃないんですか?」

 

 確か、本には崩壊寸前だと書いてあったはず。だから精霊は新天地に移り住んだのだ。

 

「……精霊にとっては崩壊したも同然でござるな」


 ちょっと失礼な質問だったかもしれない。でも暮さんは嫌な顔をせずに答えてくれた。

 

「今や、本体が変えられてしまった者がほとんどでござる。一部の原生林などを除いては、まともに自我を保っている者は皆無でござろう」

 

 精霊がこの世界を築いて移ってくるときに、本体が変えられてしまった者は付いてくることが出来なかったと言う。それがより酷くなっているってことだろうか。

 

「本体が変えられたっていうけど、具体的にどういうことですか?」

 

 例えば川の流れが多少逸れてしまったとしても、本体が変化したことにはならない。どの程度のことを変えられたというんだろう。

 

「酷いものでござる。川を塞き止めて矯正し、さらにその土手を混凝土コンクリートとか言う白い壁で覆っている! 本来消えるはずの火も強引に働かされ、金だって……」

「ま、待って待って。一気に言われるとちょっと理解できないです」

 

 暮さんが急に饒舌になった。大雨の次の日みたいな川の流れを聞いてるみたいだ。音ばかりすごくて内容が頭に入ってこない。


 両手を顔の前に出して一旦暮さんを止める。すると暮さんが口を閉じ、今度は頭を抱えてしまった。肘をももについて前のめりになっている。

 

「拙者も理解できないでござるよ。あいつらのすることは……」

 

 垚さまと視線を絡ませる。何があったのかよく分からないけど、この様子だと辛い目に遭ったのは間違いないだろう。

 

「ずっと空から観てきたでござる。あいつらの非道なやり方を……」

「あいつらって?」

 

 さっきから『あいつら』と言っているのは一体誰のことか。暮さんは肘に体重をかけたまま両手を組んだ。下を向いたままで表情は分からない。

 

「人間でござる」

 

 ニンゲン?

 ニンゲンって何だろう。人参の仲間かな。そうなると野菜かな。

 

「人間……物の本で読んだことがあるわ。かつて精霊と心を通わせられた唯一の生き物で私たちが人型の姿になるのは人間に由来すると……」

 

 野菜どころか食べ物ですらなかった。口に出さなかったのが幸いだ。

 

「多くの精霊が新天地に移り住んで存在できなくなると思われていたそうよ。けど、まだいたのね」 

「いたどころではござらん! あいつらは自分達が世界の中心だと思っている! 自分達の欲求のためなら……他のいのちのことなど何とも思わないのでござる!」


 暮さんが自分の腿を拳で叩き始めた。そんなに思い切り叩いたら足も手も壊れてしまう。止めようとしても、勢いよく動く腕に僕の手は追い付くことが出来ない。

 

 それでもやっとのことで手首を掴んだのに腕力は暮さんの方が上で僕の腕も上下に引っ張られる。それを見た垚さまは片手を伸ばし、暮さんの拳と僕の腕を軽く止めてしまった。

 

 軽くと言っても垚さまの腕には見た目に合わない筋がいくつも浮いていて、力の強さが窺えた。僕ももっと鍛えてこんな風になりたい。

 

「そ、それでくれるはその人間から逃げてきたの?」

「逃げなどしない! 拙者は母上を迎えに参ったのでござる」

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